もう一記事、昨日の支援者の集いの件について。
様々な経験、得意分野、価値観、実践を持つ人間が集まった場で、いろんな話が飛び交います。
僕も「なるほど~」や「うーん…そうなのかな?」ということが当然あるわけです。
熱意を持った人の話や実践を聞いていると「共感」が行われたり、場でも話に出ましたが「感化」が起こったりするのだと感じます。
僕も、この仕事を続けて来られたのは、そういうものに突き動かされたということも恐らく原動力になっています。
これから場を継続していくにあたっては、いろんな人たちが現れることと思います。
いろんなものを持ってくるのだと思います。
「熱意」「やる気」「勇気」「希望」のようなエネルギーに満ちたものを持った人たちが来ることと思います。
(それだけじゃなくて「迷い」「落胆」「失意」みたいなものを持っていても「参加してみたい」という方は歓迎しますよ)
共感も感化も行われて良いんですが、一色にならないようにはしていきたいと思います。
「支援者の集い」の色、みたいなのはモザイク色で良いと思うので。
(そんな染まる人たちではないか^^;)
実践も支援観も子ども観も、無数にあるのだなぁ。
と当たり前のことを考えて、思うままに考えなしに、まとまらぬままに口を開いた場面もありました。
でも、そういう場にしていきたいと思います。
で、これ、今朝になって凄い感じていたのですが、昨日は「『支援者』の集い」で、支援者が集まって対話をする場面でした。
もちろん子どものことを真剣に考えている人たちの集まりなのでさほど心配はしていませんが、この対話が「支援者のため」“だけ”ではいけないと強く思います。
たくさん話して、専門用語も口にして耳にして、充実感を得ていきますが、これが「子どもの存在」に繋がるものにしていかないと、「対話」じゃなくなってただの「お喋り」になってしまうのだと思います。
「酔いしれるなよ」
「で?それ誰のためなの?」
勤めていたころに上司にずっと言われてきた言葉を思い出しました。
そう。
多分、それぞれの人がいろんなことを感じて帰って、共感も感化も、あるいは反発心もあったかもしれませんが、「その人のまま」で良い、という事なんだと思います。
子どもたちに向けて「ありのまま」を願うのと同じように支援者自身も「ありのまま」で良いのだと思います。
(もちろん学びは得ていくとして)
まぁた、まとまりのない雑記をしてしまいました(笑)
1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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