ぐるんぱの生徒にもそういう子たちがいます。
すると保護者との会話の中でも服薬ということに及ぶことがままあります。
もちろん僕はドクターではないので、服薬について「あーだ」「こーだ」と言える立場にはありません。
保護者の声に耳を傾けることくらいしかできないのは間違いありません。
残念ですが、それが現実。
それでも保護者とコミュニケーションを重ねていくと、服薬についての相談にも似た、葛藤や後悔や不安を寄せられることがあります。
今日はそんな保護者の声について。
多くの保護者にとって、服薬は「分からない」もの。
日常生活で困難さと直面し、何をどのように取り組んでいくのが“良い”のか分からない、という中で、藁にも縋る思いでいる中で出会う一筋の光のような手段であるということも少なくありません。
けれども、やはり「服薬自体が身体にもたらす影響は?」「ずっと続けないといけないの?」「薬が無いとこの子は日常生活を送れないの?」という不安が生まれます。
薬を数年間にわたり服用しているうちに子どもは成長をしていきます。
その時に「この子の様子がいい方向に変わったのは成長?それとも薬の為?」という疑問を生じさせます。
「薬を減らしてもいいのでは?」「薬をやめてもいいのでは?」ということも頭によぎります。
僕としては初めにも申したように、薬について具体的に「あーだ」「こーだ」と言うことはできません。
これらの声に寄り添う事しかできません。
そして出来ることと言えば、保護者の声の中に「薬の前にできることがもっとあるのでは?」という疑問があることも多いので、医学とは違う観点で子どもたちと向き合い付き合いを重ねることです。
子ども自身や保護者に学習やプールを通して、“子どもの姿”を伝えていくことかな?と思うのです。
薬の是非について直接的な意見は言えませんが、服薬のこともそれ以外のこともひっくるめて、その時々の親の選択が子どもを思う親心故であるのでは?と伝えることはできると思っています。
何の力にもならないかもしれませんが、保護者の声を聴く用意だけはしていきたいと思っています。
この1週間、服薬について話を寄せられることがとても多かったです。
夏休みに入り、生活リズムが平常と一転するからかもしれませんね。
一つ言えるのは、安易な一言で保護者のことも子どものことも一喜一憂させるような無責任はよろしくない、ということ。
個々で“考え方”としては持っていても良いと思うのですが、外野が当事者を安易に振り回してはいけない。
これは間違いありません。
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