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2016年11月30日水曜日

土台は人柄

仕事には知識も技術もやはり必要です。

でも、それらを支える土台には人柄が必要だと思います。
知識や技術の使い方の話です。

僕は今、そういう素敵な人柄の人に囲まれながら仕事が出来ています。

良い刺激をもらいながら毎日働いています。

本当にブログにするほどでもない、つぶやき程度ですが。

2016年11月29日火曜日

目的と目標の設定が無いとやる意味はない

「何か出しておけば良いだろう」なんて感じで宿題を出されたら、子どもたちはたまったものではないです。

宿題って、基本的には「学校での学びの定着促進」が目的だと思うんです。

だから、問題は分かりやすく示してあげないと。

でないと「何をするんだろう」という、本来向き合うべき課題とは別のところで葛藤や疑問、迷いが出てきてしまいます。

思考、動き、感情、知識、そういうものを含めて、その子の能力を見て、その子に合う課題を出さないといけないと思います。

特別支援が必要な子って、事実として、ゆっくりとその子のペースで成長していきますから、「これがこの子の能力です」なんて片付けようと思ったら出来てしまう危うさと隣り合わせなんです。

宿題が無い日があっても良いと思うんです。
その子の能力が計れないのなら、観察しないと。
観察してから、適切なものを出していく方が断然定着が早いと思います。
「これを出しとけー」みたいな投げ槍な宿題を出しても却って混乱して、定着を妨げます。

ある子の宿題を見て、その分かりづらさに驚いたので。

「地域」というものが存在するのか、という問題

ある方とお話をしていて興味深い考え方を聞きました。
その考え方が好き、というよりは、本当に興味深い、という位置づけですかね。


それがタイトルの通り

「地域」というものが存在するのか

という問いです。

日常生活っていうのは意外というか当たり前と言うべきか、定かではありませんが、ルーティンのつながりであることも多いです。

朝起きて、会社に行って、帰ってきて、寝て…ザックリ言うとこういう繰り返しであることも多いですし、家庭と職場、家庭と学校、家庭と買い物…この行き来が圧倒的に多いわけです。

そうすると、対人のコミュニケーションも限定的であることが多くなります。

それを「地域」という表現として良いものか?と。



確かに見方によっては、その通りです。

「地域」という言葉は広いコミュニティを表している気がしますが、実生活を見ると実に限定的です。


僕は活動の柱の一つに「出来るだけ地域で」というものを立てています。
そう思いながら仕事をしているから、この話が妙に引っかかりました。

「確かにそうかもしれない」
「この問題も考えていかないと『出来るだけ地域で』は、成立しなくなるぞ」と。

極端な話に聞こえるかもしれないけれど、関わる子どもの世界観を広げようと思ったら間接的なこういう部分も考えていかないといけないと思いました。
僕に何が出来るか、考えるだけですぐには何もできないかもしれませんが、僕には必要な価値観かもしれません。
しっかりと持ち続けていきたい問いです。



ただ、僕としては、やることは変わらないです。
家庭、職場、学校といういくつかの点があって、それを結ぶ線があって、、それが密になっていって面(あるいは網の目状かもしれませんが)が出来れば、それは「地域」と言える気がします。

それぞれの場で、お互いのことを知り合えたら「地域」は成り立つと思います。


そういう面を作っていくための活動でありたいと思っています。


2016年11月28日月曜日

自己犠牲を払いながら働くなんて時代遅れでナンセンス

「地域貢献して頂けませんか?」
「手伝ってくれませんか?」
みたいな言い回しで相手に自己犠牲を強いる、そんなバカな話はないと思います。

時代遅れでナンセンスです。


僕もたまに「手伝って」的なお誘いを受けます。
内容によっては引き受けても良いと思えるものもあります。
でも、たまに「それを無償で?」と目玉が飛び出そうな話にも出くわします。

僕は、ぐるんぱの活動を仕事、つまり生業としている以上、どこまで無償で出来て、どこから有料にするか、というのは自分の中でハッキリとした線引きがあります。
(もちろん金銭ではないメリットだって天秤にかけます。繋がりだとか勉強になるだとか)

でないと、僕自身の生活もしていけないし、今、僕にお金を支払ってくれている方たちに失礼だと思います。

それを「人助けだと思って」と同情を引くような言い回し、「地域貢献だと思って」と無償でするものを善とするような雰囲気を出して迫ってくるのは、卑怯で、ハッキリ言って自己中心的な偽善だと思います。

「僕だって地域の一員でもある」んです。
そこに犠牲を強いて、良いものが出来るものですか!?
地域貢献、社会貢献したいと思うことがあれば、自ら動きます。


自分たちで出来ないことを他にお願いしようとしているのなら、相手に身を切らせるというのはちょっと違うと思います。
僕であるか否かはともかく、魅力的な企画だったら協力者は現れます。

それが現れないのであれば、企画から見直さないといけないのではないですか?



久しぶりに、耳を疑うようなお話がありまして。

僕は自己犠牲を払ってこの活動をしているわけではありません。

自分だって、幸せと言うか目指す生活がありますし、そもそも「仕事としてだから出来ること」というものがあると自分自身信じて疑っていません。

自分の企画に「人助けだと思って」と同情で引き込むなんて…地域、社会に対して貢献することを求めているのか、「企画者を助けて」なのか。

さっぱり分からないお話でした(笑)


だから僕は、「ここまでしているのに」と思わないで済む料金設定をして提案をさせていただきます。
頂くものは頂いて、することはする、ギリギリまで出来ることを探す、そういうことをコツコツと僕なりにしてきています。


クドイようだけど、もう一度。
自己犠牲を払いながら働くなんてナンセンスなことしません!
力になりたい、と思ったら自分で動きます。

人に犠牲を求めるようなやり方だから協力者が現れないことに気付いてほしいものです。

2016年11月27日日曜日

気が付けば400!

気が付けば400記事を超えていました。
この1年で投稿した記事数が。

1日1記事以上、というペースを目標にして取り組んできていたので、取り敢えずは目標達成。
ブログはほぼ生活のルーティンに組み込まれて、1日の動きの合間に書くことが出来るようになりました。
長短も質もばらつきがありますが。

それでも「頑張るは、続けること」と子どもに伝えている立場としては、毎日続けることが必要でした。

2日か3日かな?

どうしても書けない日があって翌日に2記事上げたり、生活リズムの関係で日付のことで言えば空いている日もあったりしますが、それでも続けてきました。

400記事あるということは、そのページの数だけ、僕の活動を知って貰うための間口が400通りあるということ。
そう思うと、これからも更新のしがいがあるというものです。


大したこと書くわけじゃないですが、これからも宜しくどうぞ。

2016年11月26日土曜日

「その子に応じて」「一人一人に合わせた」

他の業種ではどうなのか知らないけれど、マニュアルのどこかに「お客様のニーズに合わせた」というようなもんごんが盛り込まれていて、その中で働いている人って、結構多いと思うのですが。

少なくとも福祉とか特別支援とかいう辺りに身を置いていると、そういうことが求められます。
「一人一人に合わせた支援を」みたいに。

支援の方法として「○○法」というのがあってもなお、「その人にあった方法で行う」みたいになっているのが常です。

体系立てられている部分の理解はやはりしやすいものがあります。

だから、勉強をすると「出来る気がする」んです。
でも、実践してみると上手くいかない事が出てきます。

それは多くの場合「その子に合わせた」という部分が見立てられていなかったり、掴めていなかったりするためです。

そこが難しいんですよね。
そこが肝なんですよね。

2016年11月25日金曜日

相手を感じることが関係を築く一歩目

相手の存在感を味わう。

親子、夫婦、兄弟姉妹。
家族関係でもそうですし、友人、恋人、師弟、先輩後輩みたいな関係でもそうだと思いますが、これが誰かと一緒に過ごすときにはとっても大切なのだと思います。

仮に別々のことをしていても傍にいるのなら、相手をどこかに感じながら過ごすんです。

気を使うとか、遠慮するとか、そんな次元でなくて。

上手に相手の存在感を感じられると、それは心地の良いはずなんです。

一緒にいて心地よいこと。
それが一歩目としては大切だと思います。

2016年11月24日木曜日

半分父親、半分支援者

今日は、なんだか不思議な1日でした。

「あったかママすぽっと」の座談会にお邪魔してきましたが、家庭の都合もあり、なんと子ども同伴(笑)

「良いですか…?」
「もちろんですよ」

と快く言っていただいたので、お言葉に甘えて、子ども同伴で厚かましくも最後までお邪魔してしまいました。

ありがとうございました。

なんか不思議なんですよね。

子どもがいるとスイッチが入りきらない。
いつもと同じようなスタンスで話が入ってこないんです。

父親半分なんでしょうね。

勝手に良い勉強をさせていただきました。

次はまた支援者としてお邪魔したいと思います。
ありがとうございました。

2016年11月23日水曜日

余暇活動としてのプール

今日から、ある女の子とのプールでのお付き合いが始まりました。

物事に直向きでキュートな子です。
これからが楽しみです。

僕の目指すプール指導は原則、余暇活動としてのプール指導です。

将来的に僕とでなくても、プールに誰かが連れてきてくれさえしたら、泳いでリフレッシュしたり、楽しんだり出来るようになれば素敵だな、と。
そういうことに繋がる指導を心掛けたいと思っています。

その子が楽しんだり深めたりするのに必要だから泳法の獲得を目指す、そういうイメージです。

大会などを目指すためではありません。

本人が大会などを目指したい、というのであればそれにも協力はしたいきたいと思いますが、やはり僕の中でそれは二の次なんです。

フォームに関しても、正しいフォームに型ハメするのではなく、その子が気持ち良く泳げるフォームを探すことが第一です。

本人の充実感やスッキリ感を考えて、それに寄り添っていけば、獲得も早くなります。

そういう思いでプール指導をしています。

彼女が求める限り一緒にプールをしていきます。
(僕のプール指導に年齢制限はありません、あくまでも習い事の位置付けなので)

でも、僕から離れても楽しめるくらいのものを獲得させてあげたいですね。
泳力だけでなく、周囲の人との繋がりとかやり取りとか、そういうものも含めて。
プールが1つ、彼女の居場所になるように。

2016年11月22日火曜日

占星術で見てもらった。

めちゃくちゃ信仰心を持っているわけではないし、なんだかんだ言っても自分が地に足をついて歩き続けた先に目指すものがあるということも十分に承知していますが、たまに占いに希望を求めたくなることがあります(笑)

メディアを通した「今日の12星座占い」的なザックリしたものでさえ、紹介されるアドバイスなんかを丁寧に守っていけば日常も変わっていくだろうな、と思うことがあります。
結構きちんとした生活をしていきましょう、的なことが書かれていますものね。
(ラッキーアイテムについてはよく分からないけれど)

それを占いを仕事にしている人と対面しながらしてもらうと、細かく見てもらえるわけです。

今日は、そんな占いをしてもらう機会があり、占星術なるもので自分の巡り合わせのようなものを教えていただきました。

結果、そう悪くない流れの中におり、流れにもある程度乗っているのかな、と。

言ったように信仰心を持っている訳では無いけれど、占いの類いは長く多くの人に親しまれて、人間の文化に根差しています。
(本当にいろんな文化の中に占いというのは存在しています。)

そういう多くの人に親しまれているものを端から、切り捨てていても、良くないとも思います。
非科学的であったとしても、親しまれるだけの理由はあるはずで。

そういう位置付けで僕は聞くようにしています。

そして、プロはやはりどんな世界でもプロ。
課題なんかを見せつつ、希望も持たせていくというバランス感覚はすごいと思います。

支援でも、希望が持てるようなやり方を選んでいかないといけないと思わされます。

2016年11月21日月曜日

人を観察しまくっています!

今、僕は「CoCokaraひのさと」という東郷駅に隣接した施設に入る時間もあるので、本当にたくさんの人の様子を見ることができています。

これが思いの外、勉強になっています。

仕事を始めた頃には、よく上司から「人を観察しなさい。とにかくいろんな人を観察しなさい」と言われていました。
休みの日には某ファミレスにて1人で7時間入り浸って人を見ていたこともありましたが、その頃と同じくらい人を見る機会に恵まれています。

歩き方、立ち居振る舞い、話し方、表情、服装、化粧…いろんなことを見られています。

多分、かなり日常的に人を観察する癖はついているのだとは思います。
周りから言われることも多いので、そうなのでしょう。
でも、意識を持って観察するというのは、無意識のそれとはまた違うものになります。

確か仕事を始めた頃は経験も無いものだから、本当に見るだけだったと思います。
でも、いろんな人と出会ってきたお陰かと思いますが、見たものから想像を働かせることが出来ている気がします。

想像をすること、想定をすること、かもしれない、といういろんなものを並べて、最初の一歩を慎重になりながら、相手に何らかの働きかけをするようになったと思います。
いやー、本当に以前は(今も決して上手ではないでしょうが)無神経に声をかけたり、働きかけをしたりしていただろうな、と恥ずかしくもなります(笑)

また、数年たった頃には「あの頃もまだまだだったろうな」と思えるくらいに成長していたいと思います。

2016年11月20日日曜日

個別相談会、僕自身の学びにもなっています。

大和先生の講演会、それから大和先生と僕のダブル個別相談会。

ありがとうございました。

この個別相談会、僕にとって本当に得るものの多い機会となっております。
会ったことの無い子どもたちの話を保護者から聞きながら、限られた時間で何かを持って帰って貰う、というのは難しさはありますが、自分の棚卸しをする感覚がとても強く残ります。

個別相談。

日常的な支援、というところまでいかなくても話をしてみたいという人、聞いてみたいという人は、結構いるんだろうな、という一種の手応えのようなものもあります。

可能そうなら、定期的に個別相談会を自主開催してみても良いかもしれない、とも思います。

活動の幅の新しい可能性と出会えました。

まだ連続企画の半ば。
終わった頃にはどうするのか。
考えながら、準備出来そうならしていきたいと思います。

来月11日午前中は、僕自身、話をする機会頂きました。
午後にも個別相談会を行います。

只今、準備に励んでいます。
来月はどうぞよろしくお願いします。

2016年11月19日土曜日

世界こどもの日に考えてみませんか?

明日は「世界こどもの日」だそうです。
子どもたちの人権、児童福祉について考えるために制定されたのだとか。

子どもの権利条約?…それが国連で採択された日だったと思います。

国連に属する国には「こどもの日」を制定することが勧告されているそうです。
日本は5月5日ですけど世界的には11月20日に制定している国が多いと聞いています。

世界こどもの日。

なんとなく縁を感じつつ、明日のご案内を。

明日は宗像市の河東コミセンで、午前中は大和先生の講演会。
午後からは大和先生と僕のダブル個別相談会です。

子どものこと、障がいのことを考えていく機会に。
お時間あれば是非お越しくださいませ。

2016年11月18日金曜日

もっともっと家族のこと、大切な人のことを知りたい!それが原点

実は先日、「妻と出会って10年」という節目を迎えまして。
10年前、僕はまだ大学3年、21歳でした(笑)

結婚して、子供を授かって、10年前と比べて変わったものもあるけれど、相も変わらずくだらないことで笑い合ったり、冗談を言い合ったりしています。
(この夫婦のやり取りは、なかなかお見せできないくらいにくだらないものが多い)


31歳。
31年のうち、10年一緒にいるって、約3分の1か。

多分、10年前よりかはお互いのことを深く知っているのだろうけれど、まだまだ知らないことって多いんだと思います。
これからの10年では、もっと加速度的にお互いのことを知っていくんだろうと思います。
それでもきっとまだ知らないことと言うのはあって…

大切な家族のこと。
もっともっと知っていきたいと思います。
次の10年、妻のこと、子どものこと、愛犬のこと、楽しみが多いな。



ただ、惚気たいわけではなく(笑)

10年と言う時間をかけても、相手のことで知れたこと知らないことがあるということ。
家族といえども。

すべてを知るなんて無理だし、知らない部分があるからいいところもあるってことは分かっています。

でも、相手に興味を持つというのはとても大切。

分からない、というのは不安を生んだり、あるいは恐怖に繋がることだってあります。
不要、無用、無意味な攻撃に繋がることだってあります。

そういう変な矢を大切な人たちに向けずに済むためにも関わり合いのある人については興味を持って過ごしたいものです。

もちろん、仕事で出会う人たちにも。

そして、僕のことも知ってほしいとも思います。
そのためにもブログを書いていきますし、いろんなところに顔も出していきますので、よろしくお願いします♪


それにしても10年、あっという間だった。

2016年11月17日木曜日

新しい仲間との時間が始まるワクワク

12月より一名、プールでのお付き合いをスタートすることになる子の保護者さんと面談をさせていただきました。

ゆっくり一時間程度。

プールに関係のあることはもちろん、生活全般についてお話を聞かせてください伺いました。

やっぱり「泳いでなんぼ」にはしたくないんですよね。
その子、その子で生活や環境は違っていて、その中でのプールなんです。

もちろん、泳げるようにはなっていく子が多いですが、それでも泳力ありきにはしません。

情緒や体調とも相談して、生活に密着したプールにしていかなくては。

「永田とだったら」みたいに言われて、子ども本人の地力として認めてもらえないのは気の毒なので。

誰でも良いからプールにさえ連れていってくれたら自分で楽しめるというくらいのものになれば素敵だと思いますし。

僕と練習しながら、「今日の自分と相談」しながら過ごしていく術を身に付けていく。

それがプールの柱の1つです。

さぁ、12月から楽しみだ。

2016年11月16日水曜日

目まぐるしさで、目の前の人の表情を読めなくなるのは本末転倒

僕の活動というか、仕事というか…言ってみれば商品は僕自身であったり、僕の持っている技術や知識あるいは時間というものになるわけです。

日々勉強、ということは当然として、自分という商品についてはどういうものか把握していきます。

説明できないものや、よく分からないことを提供するなんてことはしません。

それが普通だと思っていました。

これは消費者側の飽きっぽさとか、新しいもの好きとか、そういう風潮にも責任はあると思うんですが、企業が次々と新商品、新サービスを開発するのに現場の人間がついていけていない、という場に遭遇しました。

恐らくスタッフさんはめちゃくちゃ勉強をしているのでしょうけれど、それでも追い付いていないんですね、多分。

あるいは処理するシステムも追い付いていないのかもしれません。

…何の話かと言うと、携帯の機種変更時の店の対応に納得できていないんです。

僕の前に5人ほど受付をした人がいたようなんですが、まず一時間待ちました。
決して店の規模に対して混雑しているとは思えない状態でした。
カウンターも空いているブースとスタッフもいましたし。
(もちろん他に接客以外にもやることはあるでしょう)
だから、待ち時間については100歩譲りましょう。

だけど、案内されてから退店まで4時間は長すぎる。
こちらにとって有益なサービスの案内もありましたが、10も20も契約内容を変えたわけでもなく、大きく言って3つの手続きです。

処理の待ち時間がかかる、かかる。

そして、11時過ぎに店に到着して昼の時間を跨いでいるわけです。
妻と子どももいて。
乳児を連れているわけです。
それに対して「長くなってますけれど大丈夫ですか?」的な気配りが無い!

10人ほどスタッフがいるのに、誰からも。

1つ終わる度に「直ぐ手続きしてきます」と奥へ引っ込む。
直ぐしても、終わるのは直ぐじゃない。
それに対しても説明が不足。

曖昧なことが実に多かった。

客に有益なサービスを提供するのも企業の義務です。
でも、目の前の客の表情には敏感であって欲しいです。
4時間(待ち時間入れたら5時間)は、客にとっては大変な時間です。

客の立場を省みることが出来なくなるほどの目まぐるしさ、これは本末転倒でしょう。

なんと結局手違いなどで、再度店に行かなくてはならなくなったという…

なんとか改善してくれることを期待したいと思います。

僕自身も目まぐるしさ、には気を付けたいです。

2016年11月15日火曜日

危うさと隣り合わせの人をキャッチするために

訪問看護って言葉はよく耳にする、という人は多いと思います。

訪問看護を宗像市で訪問看護事業を行う「在宅看護センターミモザ」さんのスタッフさんとお話をする機会が、度々ありまして、「いつかブログで触れたい」と思っていたので、今日は訪問看護の事について。

そもそも僕も「訪問」ということに対応しながら活動していて、勝手に共通項を見てしまっているのですが…

そこに対応する意義は同じかと思っています。

1つ間違うと孤立しかねない。

そういう危うさの中で生活している人が、少なからず地域にはいるんです。

そういう人たちをキャッチしたい。
孤立させまい。

なんか字面を並べるとカッコつけているような感じもしますが、そうではなくて、本当にそういうニーズはあるはずなんです。

表面化はしてこなくても、確かな臭いというか気配はあるんです。

危うさと隣合わせだからなかなか出会えないかもしれないけれど。

だから間口を広げて、こちらは発信するしかないんです。

ここの戸をノックしてみてください、と。

ミモザのスタッフさんは、日頃から健康相談を受けていたり地域の人と何気ないコミュニケーションを重ねたりしながら、ノックをしやすい状況を作っていらっしゃいます。

全く押し付けがましくなく、それでいて必要と見たらサッと動いていらっしゃるようで、柔らかさの中に頼もしさを含んでいるような感じです。

訪問看護というと、高齢者と結び付きそうなワードですがそうでもなくて、障がいがある人、幼い子まで、対応しているとのこと。

必要としている人の元へ、必要なものを届ける、地域にはそういうことを意識的に取り組む人が絶対的に必要だと思っています。

僕も「療育的な活動」をしている以上、医療との連携は必要になる場面が出てくることもあります。

僕は医療的な話を出来る立場にはないので、いざというときに頼れる場は必要なんです。

だから、いわゆる福祉畑の人とだけでなく、医療畑の方とも繋がることは大切だと思っています。

福祉、医療、教育。
大きく言って、その辺の連携はぜったいに必要だと思っています。
頑なになって、妙なプライドが邪魔して話をこじらせては、意味がありません。

ミモザのスタッフさんと話をしていたら、改めて地域の中での役割を考えさせられました。

因みにミモザさんは、障がいがある人たちの対応も得意とされているようなので、このブログ読んで気になる方は、是非お尋ねになってみてください。
理学療法士さんとも連携しながら在宅でのリハビリ対応もしてくださるのだとか。

在宅看護センターミモザ
電話:0940-37-0046
ファックス:0940-37-0048
メール:mimoza.hinosato@gmail.com

「地域」とか「共生」とか、立場は違っても目指すものというか、繋がり感を感じているので、軽くですがミモザさんの紹介を兼ねて、訪問看護のことと自分の活動の事について書いてみました。

この問題は考えることが山ほどありそうなので、たまに触れたいと思います。

興味を持つ、その輪は押し付けずとも必ず広がる。

妻が妊娠していた時期には、外を歩いていても大きなお腹を抱える妊婦さんが目に留まりました。
息子が生まれてからは、乳幼児がこれまで以上に目に留まるようになりました。
(子どもに関わる仕事をしていても、目の向け方が変わっていることに気が付いたのは、自分でも驚きでした)

本当にそういうものなんですよね、きっと。

自分と無関係のものにまで目を向ける余裕もないのかもしれないし、そもそも気づかないことだってあります。

でも、興味を持つために「ガッツリと関係がある必要があるか?」というとそうでもなくて。

例えば、僕がどんな仕事をしているか、という話をして聞いてくれた人が、「この前話聞いてから、町を歩いて障がいのある人を見かけたら、『永田はこういう人たちを相手にしているのかな?』と考えたよ」という話をしてくれたこともあります。

そういう興味の持ち方だってあるんです。

僕は、地域のプールで、地域の人たちと混ざってプール指導をしているのも、地域社会での、公共施設での過ごし方の練習も兼ねていますが、そうやって僕の活動を周囲の人たちに興味を持ってもらうため、知ってもらうためでもあります。

そうすると、しばらくすると声をかけてくれる人が現れて、その人の体験なり思いなりを話してくださることもあって…

そういうことを通すと僕の方もその人に気を留めるようになって…


押し付けなくても、妙な演出をしなくても、ちょっとした接点で必ず輪は広がっていくと思います。

今日もそんな活動をしていきます。



お問い合わせは↓

電話:090-5724-0660(永田携帯)
メール:gurunpa.munakata@gmail.com

ホームページも「ぐるんぱ 宗像」で検索
フェイスブックもやっています。

お気軽にお問い合わせください。

2016年11月14日月曜日

守るのか、育てるのか

難しいご時世。
他人との距離感がつかみにくくなっていると思います。

いつ事件に巻き込まれるか分からないという危うさが、日常のすぐ隣にある、それはそれで一つの現実だと思います。

危険に触れろ、なんて簡単な話ではないけれど、端から他者との接触を避けていては、危険を察知するアンテナは育たないとも思います。
他者と接触はしつつ、「この人は大丈夫」「この人は怪しい」…その判断をするための嗅覚というか直観と言うか…そういうものは人と交流することでしか磨かれないと思います。


危険から守るべきものを遠ざける。
危険を察知して自分の身は自分で守る。

二つを両立させることはとても難しいと思ういます。

難しいというか、その段階を踏みながら練習することがしにくい時代なんだと思います。


子どもは迷うはず。



いや、本当にこういう問題に関しては難しいご時世だと思います。

わが子に関して言えば、地域の方と交流して、「いつもと違う」という違和感を察知できるように育ってほしいと思いますが。

2016年11月13日日曜日

たった1人に向けたものが、みんなを巻き込める渦を作れる

最近になって、「集団は個人の集まり」だということを改めて実感することが続いています。

「集団の中で、誰に焦点を当てるか」

ついつい「平等」の響きに囚われて、「どの子とも同じだけ関わらないと」と思い込んでいました。

それは自分中心だということに気付きました。

「必要な関わり」で十分なんです。

干渉が必要ないところは、思い切って任せる。
ただ、何か起こったときに動けるように目と気だけは配るようにする。

それだって十分に「平等」なのだと学んでいます。

1人1人を見ていき必要に応じて働きかけをする。
個別の延長線に集団。

今まで上手く回らないときは「焦点をぼかしていた」からなのかも、と反省もしています。
結局「集団」とか「みんな」とかの言葉に惑わされて、誰に対しても何も出来ていなかったのかも、と。

たった1人で良い。
「今日は、君に向けて」というのを決めた方がメリハリが出て、面白くなるから、結果、みんなをその渦に巻き込める。

やっぱり半端は良くない、ということですね。

自分の得意なことを活かす、ってこういう事なんだと、感じながら気持ち良い夜を迎えています。

遊びの中の学び

「えるそるむなかた」さんでの学習サポート。
最近は、少し幅を持たせていただいて、机上から離れたものも担当させていただいています。

それは「集団遊び」。

プール指導で、身体の使い方を見ながら関わりを持っていることを、学習サポートの場にも反映させてもらう形になりました。

身体の使い方だけでなく、友達同士の距離感、支援員さんとの距離感、その日の子どもたちの気持ちの揺れ動き…いろんなことが見えてきます。

どんな身体の使い方するのかな?
同じ遊びを子ども対子どもでやるときにはどう展開するのかな?
その相手が対支援員さんになるとどうなるのかな?
ルール理解は?
全体指示でいけるのかな?
個別指示が必要かな?
分からないことが出てきたらどうするのかな?
苦手なものに遭遇したら?
どんな過程を経て習得していくかな?
…と本当に色々と見えてくるものです。

いろいろある中でも特に、その日、その時の気持ちの揺れ動きには注意深くありたいと思いながら観察しています。

「集団学習」ではなく「集団遊び」にするとそれがよく見えます。

他の人たちの様子を見ながら、遊びながら、自分の得意なことに触れることもあれば、苦手さに触れることもあります。
喜び、達成感、悔しさ、寂しさ、羨ましさ…
そういう気持ちに触れたときに、どう行動するのか、どう処理しようとするのか、どう向き合うのか。

言葉や動きに必ず表れます。

必要を感じれば、手助けします。
尋ねたり、代弁したり、一緒に味わったり。

良い場を頂いています。

そして、僕の目に見えたものをスタッフさんへお返しする…スタッフさんからも返してもらう。
そういう連携をしていっています。

もしかしたら、僕が一番勉強させてもらっているかも(笑)

僕自身も課題が浮き彫りにされる感じが良いですね。
主導権は、こっそりこちらで持ち続けて、子どもたちには主体性をどう持たせるか、もっともっと考えていきます。

2016年11月11日金曜日

支援者側も見通しを立てられるか

「段階的に」の「段階」が定型にならないように気を付けたいです。

A→Bなのか
A→Cでいけるのか
AとBの間に「A´」が必要なのか

その見極めが大切。

誤ると物足りなさや大変さに繋がってしまいます。
もしかしたら、孤独感や劣等感に繋がってしまうことだってあるかもしれません。

そこが見えてくると、支援をしていても、見通しが立つようになるんですよね。
見通しを立てるのは、支援者側も必要だし、それが見えると子どもたちも捉えやすくなります。

「多分あとどのくらいで出来るようになるぞ」という具合に。
お互いに感じ合えるんです。

そして、よりじっくり作戦を練られるようになる、と好循環になってくるんですよね。

どんな時もどんな子でも、それがスッスッと組み立てられるように。
それが一つ今の目標。

2016年11月10日木曜日

「そこまでしなくても…」「それはちょっと…」なんて言っている場合じゃない!

昨日の記事で、「学習は人生をより良いものにするため」みたいなことを書きました。
それに関連して。

「成長したい」「なんとかしたい」と、口では「自分のことを高めたい」と言って、一見すると成長志向の強い人間をアピールしていても、いざ行動する段になったら言い訳をして、現状維持を通している人、周りにいませんか?

いえ、現状で満足できているなら、なんの問題もありません。
それぞれの満足度は、それぞれのものですし。

でも、何かを変えたいと思っているなら、してみないと。

「それはちょっと…」と言うのは、「そこまでして変わらなくて良い」の裏返しです。

出来ることは、出来るんですよ。
成長、変化って出来ていないこと、していないところに焦点を当てて練習するものでしょう?

厳しいこと言っているように聞こえるかもしれないけれど、「そこまでして変わらなくて良い」のなら泣きつくのはマナー違反じゃないですか?

今より良い人生を作っていきたくて、成長なり変化を求めるんですよね?
満足していないから。

100%効果のある学習なんてないんです。
人によって合う合わないがあるし。
だから、してみるしかない!

「そこまでして…」と思うなら、現状で満足できるように、自身のケアを心がけないと。

2016年11月9日水曜日

学習の目的って結局のところ…

人生をより豊かにするためです。
これは僕の中で揺るぎないものです。

「学習」と言っても問題を解くとか、知識が豊富とか、そういうことに留まらない、「知恵」と言われたりするような力であったり、「転んでも立ち上がる力」であったり、そういうものに繋がっていくものこそ「学習」だと思います。

あるいは「人と人を結びつけてくれる力」、例えばユーモアとかコミュニケーション力とか、そういうものを身に付けていくツールに「学習」があると思うのです。

それらに結び付くような関わりや関係性を作っていくのが僕の役割です。

もちろん、差し迫った進路のためにする学習も大切です。
ですが、進路は目標です。
人生をより豊かにするという目的のために必要な小ゴールのようなものです。
目標を達成して、次の目標をまた設定して、目的を見失わないようにしながら、「学習」をしていくべきです。

もしかしたら、勉強をしたり、押し付けられたりする中で、却って世界の広がりを止めることになることがあるかもしれません。

そうなると人生は途端につまらなくなるし、それは僕の考える学習とはまた全然違います。

「学習は人生をより豊かにするためのもの」ということをいかに子どもたちに伝えていくか…僕の課題です。

僕は間違いなく「学習」によって、より良いものを得てきています。

2016年11月8日火曜日

「放課後等デイサービスといろ」さんスタッフ勉強会

今日の午前中、福津市の「放課後等デイサービスといろ」さんにてスタッフ勉強会を担当させていただきました。

スタッフさんとお話ししているうちに「スタッフ研修を」となりまして、厚かましくも、まだまだ勉強中の身ではあるのですが、僕の持っている引き出しで良ければ、とお受けした次第です。

支援する立場の人間として、どういう視点を持って子どもらを観察して、どうアプローチしてきたのか、僕自身の活動を含めてお話しさせていただきました。

今、といろさんに来ている子のケースにも触れたりしながら、「僕だったら」という視点も含ませながら進めさせていただきました。

僕の主観たっぷりの(笑)話にも関わらず皆さん、熱心に聞いてくださって、ありがとうございました。

僕自身も再確認になります。

次の機会があるのか、ということはまだ分かりませんが、僕自身も人に伝えるための練習もしていこうと思えて、もしかしたら一番収穫させてもらっていたのは僕だったかもしれません(笑)

放課後等デイサービスと僕の活動では位置付けが若干異なるとは思うのですが、連携をしていくことは必要だと感じていますし、それぞれの役割を果たしていくことが子どもたちのためになると信じています。

「といろ」さんには毎週土曜日の午後に学習サポートでお邪魔しています。
勉強熱心で、温かなスタッフさんがいらっしゃいます。

僕も負けずに勉強しながら、場作り、環境作りのお手伝いをしていきます。

事業所のスタッフ勉強会なんて、初めて請け負ったので、まだまだ不馴れですが、僕自身もいろんな事にチャレンジしていきたいと思います。
今日の経験も必ず子どもたちに還元してみせます!

2016年11月7日月曜日

障がい理解という言葉の持つ曖昧さ

障がい理解。
僕も便宜上、この言葉を使うことはあります。
その一方で、この言葉の持つ意味の曖昧さや、無意味さを感じることが多々あります。

どういう事かというと、僕もそうだし、他の支援をしている方たちもそうだと思うんですが、結局のところ「障がいという部分」を見るだけじゃ支援は行き詰まってしまいます。

「その人全体」を捉えないことには、どんな手法を以て支援をしても、空回りばかりになってしまいます。

同じ症状を持っていたとしても(厳密に同じということは当然ないですが)、ある人にとっては不自由さに繋がっていることが、ある人にとってはそうでないことだってあるんです。

その人の生活、文化圏によるところがとても大きいんだと思います。

極端に言うなら、アメリカに住む人が英語を出来ないのは不自由ですが、日本に住む人にとっては英語が出来ないところでさほど困ることはないのと同じです。

人と歩調が合わせるのが苦手な人でも、職人として自分のペースで黙々と作業をするという場に身を置けば、人と合わせられないことは障がいにはならないわけです。

ただ、その一方でやはり診断がつくような障がいの、その特性というものに対する理解が必要になる場面だってあります。

自分自身で壁を乗り越える術に行き着き安くするためであったり、周囲にとっては、サポーターという立場になったときにスムーズに事を運ぶためであったり…

障がい理解を深める。
実にフワフワとした言葉だと、感じています。

いえ、もしかしたら僕なんか比べ物にならないくらい勉強していたり、考えていたりする人にとっては、結構「障がい理解とは、こういうものだ!」みたいに、定義のようなものを持っていたりするのかもしれないけれど。

取り敢えず、今の僕にとっては「その人を知る」ということに含まれていたり、延長線であったりです…

2016年11月6日日曜日

今日は休日。北九州は到津の森公園に家族で行って来ました

久しぶりに丸一日予定のない日曜日になって、急遽家族で出掛けることにしました。

行き先は到津の森公園。

こんなに近くなのに、実は僕は、初めて行って来ました。

いわゆる檻が少なくて、展示が見やすくて面白い動物園でした。

動物の種類というか数は、福岡市の動物園よりか規模が小さいのかな?
そんな印象がありましたが、ゆったりとしていたし、子連れでも見易い気がします。

息子は、初めての動物園で、動く動物たちに目を丸くしていました。

終始ご機嫌だったから、気に入ってくれたのかな?
また連れていってあげようと思います。

気候が良いからか、うちと同じくらいの月齢と思われる子ども連れもたくさんいて、すると結構声かけられるんですよね。

何ヵ月ですか?と。

そういうちょっとした交流も楽しかったです。

僕はやはりゾウが好きです。