1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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2023年12月15日金曜日
身体が拭けるようになってきたから、見て♪
2023年12月11日月曜日
学習用のノートの余白が多いのは「無駄」ではない
今どきの小学生の教材は驚きます。
計算ドリルノートなるものまであります。
計算ドリルの問題に即してレイアウトが整えられているノートです。
これはこれで便利だと思うし、「筆記」という負荷は軽減されるから合う子は合うのだと思います。
けれど、中学生になると途端にはしごを外されたような教材になります。
自学も求められます。
その段になって、計算ドリルノートのある種の弊害みたいなものが出てきます。
それがノートのレイアウト。
「無駄なく」使う子が多いのです。
詰めて詰めて、ノート1ページ、出来るだけ隙間を作らずに。
そうして、問題を解いた後の答え合わせをするときに〇×、あるいは正答くらいしか書けないノートが出来上がります。
どこをどうやって手間違ったか、ノートに書き込むスペースが取れないのです。
すでに書いている上に赤ペンで書き込む子がいますが、もう見えにくいばかりw
分かりやすいのが数学。
例えば
ー6-(3-7)×5という問題。
ぐるんぱに来る子どもたちはこんな書き方をする子が多いです。↓
ー6-(3-7)×5=-6-(ー4)×5=ー6-(ー20)=(+14)
横にどんどん書いていって、次の問題は大学ノートで言うと1行開けたくらいで書き始めるのです。
横に長くなって縦にはすぐに詰めて書くから「無駄」はありません。
そして「余白」もありません。
そこでぐるんぱ的にはこんな風に書き換えようと提案をします。↓
ー6-(3-7)×5
=-6-(ー4)×5
=ー6-(ー20)
=(+14)
と、縦に書いて横は余白にしていきます。
その余白に、間違った場合にはやり直しであったり正しい答えを解答用紙を見ながら書き写すという使い方をします。
正解していれば何も書くことはないかもしれません。
あるいは気を付けることを書いていきます。
そして、日頃の学習では出来るだけ計算過程なども書くように促します。
それで解く問題数が減ろうがかまいません。
確かに歩みを進めるのです。
たくさん解くこと、スピード感を求めるというのは、そのあとのことです。
「ノートがもったいない」という大人もいるかもしれませんが、学習が苦手な子供に対しては特に、その言葉をぐっと飲みこんでほしいと思います。
2023年12月8日金曜日
辛くて苦しい進路を選択させたいわけではないでしょう?
学習サポートをしていると、当然中学3年生の進路選択の場面に立ち会うことになるのですが、「行きたい」と「学力」がマッチしていないケースは、非常に難しいと感じます。
まず、所謂”滑り止め”の受験をする意味。
納得できませんよね。
「第一志望校に受からなかったとき」のための保険だなんて。
正直散々周りの大人からは「行きたいところへ」「本人に合ったところを」みたいなことを言われ続けて…いざ受験という段になったら「現実」「実際的」な選択を迫られます。
しかもそれがかなり「学力」に比重を置いた形で突き付けられます。
「受かるであろう」学校の受験を進められ、「何故?」「その学校行かないよ」という思い。
うん、わかる。
その気持ちは分かる。
でも、親としては「進路が決まらない」とか「中卒」ということは避けさせたい。
親心だと思います。
そして、僕個人としても「進路が決まらず中学校を卒業した途端、家で過ごす」ということは避けさせたいと考えてもいます。
なので、基本的に僕は、一緒に過ごす中で割と早めに「日常的に勉強する意味」「受験っていうのは」みたいなドライな話をポツポツ織り交ぜていくようにしています。
それが良いのか悪いのかなんてことは分かりません。
それでも、学習に立ち会い続けてきた大人として、見通しがある程度持てるのに伝えないのはフェアじゃないと考えて伝えるようにしています。
そして受験が近づいてきたら、「これまで永田が言っていたのはこういう事か」という事くらい感じてもらえたらと思う訳です。
次に受験後のことも気になります。
例えば登校手段。
一般高校は基本的に自分で、徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかを使いながら通っていくことが前提として必要です。
それらを3年間続けること。
そういう事を想像しながら受験を考えることも大切です。
学力としては「何とか滑り込んだ(表現は良くないけど)」としても、3年間通ってそこで生活をしていく際に、ある程度親の手を離れて自分で移動や行動をしていく必要が絶対に必要です。
生活力とでも言えば良いでしょうか?
移動手段だけではありません。
身だしなみ、体力、持続力、集中力、周りを気にしない鈍感力…
自己管理をして、集団生活をしていくこと、ある程度集団に馴染むことも、求められます。
「勉強」「勉強」と学力だけで進路を決める。
それさえ向上させれば一般高校に入って、当然卒業して、高卒資格を得られる…
という訳ではありません。
だから、僕は「一緒に学習する際の様子」も含めて、ご家族の進路相談には乗ります。
保護者の願う進路。
それが少なくとも僕の目から見てどう感じるか、ということを正直に伝える様にはしています。
伝え方はもちろん考えながら。
上手く伝えないと必要以上に辛く苦しい思いをしかねません。
子どもたちの進路に立ち会う大人たちは、それこそ辛く苦しい学齢期を送らせたいわけじゃないと思うんです。
大人側も辛くて苦しい時期を望んではいないはずです。
それを思うと「学力」ばかりではなく「学歴」にこだわり過ぎるではなく…「学力も含んだ日ごろの様子」から進路を考えていく必要があると思います。
そして、職業支援者としては、この価値観、支援観を持って目の前の子どもたち、ご家族と向き合いたいと思う訳です。
2023年12月4日月曜日
学習の準備
学習サポートの際、子どもたちは普段から使っている筆記具を持参してもらいます。
すると気が付くことがあります。
筆箱が極端に小さいものを使用している子が多いことに驚くんです。
そうすると、それに合わせて実際に使う筆記具も小さいものになってしまいます。
大人が、小さなメモ帳とセットにして使うような小さいペンの類。
幅が1センチ程度で長さも10センチ程度しかない定規。
それを無自覚でしょうが、使いにくそうに使っている子が多いのです。
手のサイズに合っていないから、せっかく定規を使っていても歪んだ線になってしまっているのです。
これは、子どものこだわりというより、大人側が準備の際に干渉不足が引き起こしている気がします。
「指先が不器用」
「板書が遅い」
「集中力がない/短い」
ということを大人は言います。
いいえ、指先が器用でもそのサイズの筆記具では、うまく使えません。
板書だって遅くなります。
小さいから疲れるのも早いです。
恐らく大人側の多くは、自分自身はそんな筆記具使っている人は少数でしょう。
仕事場で用意される筆記具があるとして、そんなサイズのものを用意はしないはずです。
大人にあこがれて、ちょっと変わった文具を持ちたがる子もいると思います。
でも、そういうのは、使う場面を決めていいと思うんです。
「気持ちは分からないでもないけど(ここで一度受容)、学習の時はこっちの方が良いよ」という提案をするといいと思います。
書字が汚くなったり、すぐに「疲れた」と言い出す子どもの姿を見ることで、大人がイライラしないためにも。
なんだったらそういう大人側の心理も伝えていいと思うのです。
これだと「怒る」ことをする前にやり取りがある程度できるから、一歩ずつの積み重ねがしやすいです。
案外、学習になるとその辺、大人側が沸点に達するまで干渉不足で、沸点に達したら鬱陶しいくらいにw干渉し過ぎちゃう人が多いものです。
学習サポートはこういうところから。