ページビューの合計

2021年6月26日土曜日

一度やったことは自分の選択肢に含まれていくということ

最初って何事も敷居が高く感じるものです。
あるいは思いつかないところからがスタートかも知れません。

でも、その最初さえ超えてしまうと、次からはその行動、選択が自分自身の選択肢として常に居座るようになります。

このことを意識して行動することはとっても大切。

仕事でも、仕事以外でも。

良いことも悪いことも。



こうやって自分の中に居座らせる選択肢をどんなものにしていくか、で毎日を充実と満足でいっぱいに出来るかが変わってくると思います。


自分に悪いものを一旦取り入れると、それを選択肢から外すことは難しくなります。
自分に良いものを一旦取り入れるとそれもまた選択肢から外れなくなります。


ただ、悪いものの方がラクだったり、即効性があったり、快楽的だったりすることが多いので、選択肢の中にも優劣というか順位みたいなものが付きがちではあるように思いますが。


もちろんこれって主観によるところが大きいので、人からとやかく言われるようなものでは無いです。
でも、この選択肢が似た人が身の回りには集まってきます。

選択肢=価値観

これが違う人は離れていきます。


素敵な人に囲まれていたかったら、自分の中の選択肢もそういうもので満たしていく必要があります。

どんなことが出来る?

こうして自分で事業をしているといろんな人と会うわけですが、「どんなことが出来る人?」という会話が出来るかという基準で人付き合いは広げていきたいと考えています。

「どんなことをしてきた?」ということは、後からでOK。
その人のことをより知るために聞いていくことはあっても、まずは、「今」と「これから」につながる話でたくさん話が出来るかどうかって、僕の中では結構大切です。

今進行中のこと、それがどうなっていくかを思い描いて、ワクワク出来る人たちに囲まれて仕事はしていきたいです。


2021年6月5日土曜日

“自分”の価値観

ミリタリー大好きな中学生。

そんな彼のお父さんは自衛隊員。



この2つの要素があるから、父親がもう憧れの対象なのでしょう。
とても素敵だと思います。

お父さんのやること成すことがかっこよく見える彼の価値観は、かなり父親に依存しています。

このこと自体は随分前から感じていました。
父親との約束はとても誠実に向き合い守ろうとします。

中学生になり、自分自身に目が向き始めた彼が、学習の間に漏らしました。

「僕、ミリタリーが好きだと思うんだけど、これ、僕が好きなのかな?お父さんが好きだから、それで僕も好きだと思っているのかな?」

と。

どちらもあるんじゃない?と僕は答えました。

「あなた自身がミリタリーが好きなのも確かだと思うし、お父さんの影響も少なからずあるとも思うよ。でもそんなものだと思うよ。誰かの影響で何かに出会って、それが好きになるってこと多いよ。特に子どものうちって、家族の影響ってとってもあると思う。そして少しずつ友達とかを通していろんなものに出会って、価値観を作っていくんだと思うよ」

と。

とっても良い時期にいるんだろうな、彼は。

2021年6月1日火曜日

少しずつ回復に

先週末、ようやく父の容態が回復へ転じ始めました。

以前の記事で書いたように、この2週間ほど眠らせた状態で挿管していました。
それが睡眠状態から解除して、管を外すことが出来るようになりました。

ですが、体力等の低下は著しく、何気なく手にしてきていたものも持ち上げたり暑かったりすることが出来ないそうです。
これからリハビリです。

それから意識消失から始まって、どんどんと処置が変わっていったこともあり、目が覚めた父は、自分の於かれている状況の把握にも苦労をしています。
目が覚めてから数日経ちますが、なかなか整理できず混乱しているようです。

2週眠り続けるというのは、そういうことなのでしょう。


誰が悪い、という訳でもないので、慌てずゆっくりと歩み始めて欲しいと思っています。

2021年5月25日火曜日

状況とセットにする

行動って結構、そのときの状況とセットになっています。

例えば、朝に人と会ったときには「おはようございます」だし、別れるときには「さようなら」と言うし。

状況、っていうのには、時間や場所、周囲の人や物、そういうものが含まれます。

また、状況とセットだから行動が身につくとも言えるでしょう。

だから、状況あるいは環境を整えると、自然に行動が引き出しやすくなります。
これが自然性が強くなると、いわゆる習慣というものになります。
習慣にしようと思うのなら、それを実現しやすい環境を用意していかなくてはいけません。

根性論で、「やりなさい!」と声を荒げて繰り返し言うことでは、習慣化はしません。
繰り返し同じことを言って、イライラを募らせているのであれば、環境が不十分なのかも知れません。


よくぐるんぱの学習では「家ではやらないんです。」という声が聞かれますし、その次には、支援者と子どもの「やり取りが肝」みたいに言われます。
もちろん、「やり取り」はその時々のbetterを選択するように、僕自身もスタッフにも伝えています。
でも、「取り組みやすい環境(状況)」を作っていると言うことの方が大きいです。
学習サポートの時間、取り組めるような習慣を作るために準備をしています。

ただ、その環境準備というのも、決して特別なことをしているわけではありません。
特別な道具を用意したりして環境を用意しても、生活には根ざしません。

家庭などに帰っても似た状況を用意しやすいような、そのくらいのものの中でやっています。





たまにご家庭から相談が寄せられます。
可能な限り、寄り添いながら提案をしていきます。

お気軽にどうぞ、相談だけでもまずは♪


2021年5月23日日曜日

意識的に、努力してやろうとすると上手くいかないこともある

意識的に取り組んで自らのスキルにしていく、ということはよくあります。

ですが、意識すると上手くいかなくなってしまう、ということも案外あるものです。


知的障がいを持っている子どもが何気なく口にした言葉が面白くて、もう一度聞かせて!と言うと、上手く言えないこととか。
自然にと言うか自動的にと言うか出てきた言葉でも、意識すると上手く言えなくなってしまうのです。

スキップしていた子どもに、「上手だね、もう一回して見せて」と声をかけると躓くように不自然なスキップをしてしまうことがあります。

指示されて意識的に行うというのは、指示された行為を、一旦頭の中でイメージしてたどって再現するという手順が必要になります。

一方、自然に行った行為については、どういう言葉を使わなくてはいけない、と言う具合に、心というか頭というか・・・そういう場に用意しておく必要が無いですし、動作についてもどこをどう動かすというイメージを用意する必要がないので、流れに任せるだけでできるものなのでしょう。


ということは、ですよ。
何か獲得したいものがあるとしたら、リラックスした中で引き出すようなイメージを持つ方が良いと思いませんか?
学習然り。
運動然り。

意識的に行うものは、案外崩れるのも早い気がします。
無意識に出来ているものほどいつまでも自然に出来ます。


呼吸だって意識を向けるだけで途端にリズムが変わりますw

意識して歩いてみるだけで姿勢や歩幅、手の振りが変わる人が多いはずです。


訓練を訓練っぽくしない。
そういう心構えで学習もプールもしていきたいと思っています。

意図はこちらが見失わなければ良いのです。

2021年5月22日土曜日

仮説を立てて、実践して、検討して・・・

目に見えた姿から仮説を立てて、それを基に実践をして、その結果を受けて検討をして・・・

基本的に支援ってこういう流れの中にあると思うのです。

それから、こういうことを何らかの形で記録に残していくことも大切だと思うのです。
でないと、仮説が外れたときに進路変更をする際の材料が不足して、支援の組み立てが出来なくなってしまいます。

例えば、こんなことがありました。
知的障害を持ち、言葉の少ない子どもの事例です。
「パニックを起こす」→「抱きしめてあげる」→「パニックが収まる」

という状況がありました。
支援者側としては、抱きしめることでパニックを鎮められたと捉えていました。

パニックの起こり方次第ですが、ケガなどの危険があるなら、それを防ぐことも大切なので、この手立て自体は、良いと思います。

でも、先があります。

パニックは抱きしめることで鎮められるということは確かなのですが、パニックの回数が頻発するようになってきました。

そのときに役立ったのが記録でした。
ある条件の時にパニックが起こりやすいことが分かりました。
それは、特定のAさんという支援者が支援に当たっているときでした。

Aさんがこの「抱きしめる」という手立てを講じていたのですが、それを支援者の意図とは違う形で子どもの方は、学習を重ねていたようです。

「パニックを起こす」→「Aさんが来てくれる」→「Aさんと関わる時間が得られる」

と。

パニックが人と関わるための方法になってしまっていたようです。

そこでAさんから、その子に対して「泣いたり暴れたりしなくても呼んでくれたら行くからね。」と伝えてもらって、人の呼び方を学習してもらうようにしました。

数ヶ月後、その子は、パニックを起こすことも減って、用事があるときや、暇を持て余してるときには、Aさんを含めて、人の袖や裾を引いて合図を送れるようになりました。

人って、自分の行動とその後の結果を結びつけて、学びを得ていくものですが、どこに着目するかで、学びは変わります。

よく「その人の立場で」「その人の視点で」と言います。

それって、こういうことだと思うのです。

相手がどう捉えたか。
それを考えることです。


良かれと思って講じた手立てが、中長期的に見たときにずれていたかも、と言うこともあり得るのです。
あるいはその場には相応しくないと言われるような行動を引き起こすことにつながっていることもあり得ます。
そういう時に記録があると、仮説、実践、検討がスムーズに行えます。


あ、パニック自体は表出行動の一つだと思っているので、それ自体を封じるということには、僕は慎重にありたいと思います。
そのパニックの出方、場面ということには気を配りたいと思います。
それから、パニックの原因や引き金が何になっているのかな?ということには敏感で痛いと思います。