このブログを開始してからまだ日も浅いですが、その中でも「個」ということに再三触れてきています。
おそらく、これからもこういう話は、度々することになると思いますが。
今日もまさにそういうお話です。
僕自身、文章の長短に関わらず、文章を書くことがとても好きです。
その中で、特に大切にしているのが、「僕らしい文章か?」ということです。
誰かに気を使ったり、遠慮したりしたり、し過ぎていないか?ということを意識しながら文章を、書いています。
もちろん、このブログもそうですが、文章に書き落とした以上、読み手が存在します。
それが自分であるか、他人であるか、という問題があるので、読み手に伝わるように、というのは大前提です。
その中で、思考として、文脈として、表現として自分らしさが現れているかというのが、とても大切なのです。
ただ、これには練習が必要です。
どうしても建前なんかを気にして「こんなこと書いて大丈夫かな?」なんて葛藤が出てきますからね。
勇気が必要なのです。
「書いてみなよ」と後押しをしてくれる人がいれば良いですけれどね。なかなかそうもいかない。
だから、作文の課題として、普段はわざわざ書かないようなことを題材に取り上げ、書くことに免疫を作るのです。
一度、建前から離れることを経験すると意外にも子どもはすらすらとかき出すものです。
子どもに限らず、人は「自分のことを知って欲しい生き物」だから、当然です。
こうなると書き出して「ん?なんか違うぞ」と自分の言葉や表現を探し始めます。
で、しっくり来る言葉を見つけると嬉しいものだから、書くのも楽しくなる。
その次には伝える喜びを味わい始めるのです。
書くだけにとどまらず、話すときの自分の意見を言う練習に繋がるのです。
指導あるいは見守る側は受け止めてあげる。これにつきます。
「そんな風に思っていたんだね」と。
最初は踏み出しきれずにいるでしょうから「僕はそんなもんじゃなくて、もっとこう思ってたけど」とオーバーな例えを聞かせてあげ、遠慮を取っ払う手伝いがいるかもしれません。
なので、指導する側は書き手のことを知っておかなきゃならない。
でないと
「らしさ」なんて引き出せません。
家族や友人、自分との普段のやり取りと文章にギャップがありはしないか観察するのです。
あるいは文章の方がいきいきし出すかもしれません。
そうなってきたら、日常の実際的なコミュニケーションの後押しをしてあげると良いかもしれません。
とにかく「らしく」というのが文章を書くのも、支援においてもとても大切なのです。
今日は、作文を題材に「個」についてお話をしてみた次第です。
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