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2024年2月12日月曜日

支援に多少のセンスはつきもの、という話。

 「センス」という言葉で片づけてしまうのは乱暴な気がしますし、それにばかり頼る支援はいただけないと思います。

それでも「センス」というものが多少は支援の現場ではあるような気もします。


僕がそれを強く感じる場面はいくつかありますが一つは「負荷のかけ方」という視点です。

「失敗体験を積ませない為に安全パイを取っていく」という方針。
「“あとちょっと”で乗り越えられて成功体験を積めそうなハードルを用意する」という方針。

まずは、目の前の子どもにどちらの方針を取るか?というセンスで分かれるところだと思います。
その次にそれぞれの方針の中で、対象児の状況や様子とズレが少ない負荷を用意できるか?というセンス。


もう一つ、これは支援者の主観?に寄り過ぎないように気を付けなくてはいけませんが、「どういうところに着目するか?」というセンスです。


例えば「お金の使い方」に課題があるとして「数字」や「数」の勉強をするという選択肢やお金には金種というものが存在するということを伝えるという選択肢があります。
これは、比較的「お金」に対して算数的なアプローチだと思います。

もう一つ「お金の価値」ということへの理解を進めるために「お財布を手作り」というアプローチもあると思います。


もちろん対象児の状況にもよりますが…

算数的なアプローチという支援者自身も「学校で習った」ことを中心に展開を考えるだけしか手札を持たない人と「自然に身に着けてきた」ことを支援の内容に活動として落とし込むことも手札として持てるのとでは、センスに違いを感じます。

どちらも手立てとしては「変わり種」「変化球」という程のものでもないので、こういう話になると多くの支援者が納得はすると思うのですが、「その子」に合わせて開けたい引出しをいつでも開けられて、手札を持ち出せたり、組み合わせたりできるのはセンスだと思うわけです。

知っているものに対して知恵を使って手立てへとつなげる感じですね。


先日、そういうことを簡単(そうに)サラッとやってのける支援者に出会って刺激を受けました。


僕自身も柔らかい発想で物事を捉え、センスを磨きながら丁寧に支援を続けたいと思います。

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