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2017年2月17日金曜日

暴力への向かい方。

暴力は、何も生まない。
それどころか様々なものを奪う。

これは絶対。

多くを奪う暴力。
一番怖いところは、振るう者からも、振るわれる者からも「暴力の認知」を奪うところにある。

突発的な暴力には、反応はしやすい。
ビックリするから。

でも「突発的」だから「今回だけだろう」という根拠の無い感覚だけを残して、危機感は残さない。

これが危険。

ビックリしつつも「今回だけだろう」と思い込み、誰にも打ち明けない。

そしてほとぼりが覚める頃にまた、顔を除かせる。

またビックリするだけで、終わらせてしまう。

これを繰り返すうちに「またか」と驚きが麻痺して、「何ともない」「いつものこと」になってしまう。

そうして暴力は、その認知を人から奪う。

それから暴力には、荒ぶる暴力と静かな暴力がある。

目に見える肉体的にダメージを与えるもの。
精神的に人を消耗させるもの。

悪気の有無には関係なく。
悪気のないところにも、傷つけられたり消耗させられたりしていると感じるのであれば、間違いなくそこに存在している。

先に書いたように当事者から存在の認知を奪うから、端から見て教えるのは難しい。

北風と太陽の話のように、ストレートに伝えても頑なになることが多い。

でも、「危険だ」という認知も奪っているから必ずといって良いほどに「こんなことがあった」という世間話くらいの具合で外には漏れ出てくる。

その時に、聞いた人はいわゆる「ドン引き」をすることがまずは大切なこと。

「あれ?なんか変な話だった?」と当人に思わせられたらしめたもの。

本人が違和感に気付いたら相談に乗る。

必要なところへ伝達。

僕の暴力への向き合い方。

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