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2017年5月1日月曜日

恋愛とか性とか

今日は僕が子どもたちと関わる上で感じてきた恋愛や性のことについて書いてみます。

プール指導をしているときというのは、当然僕も生徒も水着です。

水着というのはご存知の通り、洋服に比べて薄かったり、露出が多かったりします。
そうすると性差というものを感じやすいし、意識もしやすい現場ではあります。

また、プール指導はどうしても体に触れながらしないといけないという場でもあります。
物理的な距離も縮まるし、指導を重ねると信頼関係というか絆みたいなものも育まれて、精神的な距離感も縮まります。
(特に生徒が異性の時には、体に触れることについて細心の注意を払っています。水中で例えば腹部に触れなくてはいけない時には手のひらを出来るだけ使わず手の甲側を使うということもあります。他にも手で触れても、こちらの腕以上の部位の接触は出来るだけしないようにするなどしています。)

まぁ、とにかく距離感が縮まりやすい時間なわけです。

ここでお尋ねなのですが、みなさんが学齢期の頃とかに「異性の憧れの先生」とかいませんでしたか?
「〇〇先生ってカッコいいよね~!きゃーー♪」
とか、
「○○先生って、美人で優しくていいよなぁ」
くらいのものです。
記憶の片隅にこんな思い出を持っている人は案外多いはずです。
僕も記憶にあります(笑)

そういうことが稀に起こるわけです。
そういうのってすぐ分かります。

「あ、この子、なんか僕のことを異性として見てるな」と。
「恋愛に近い感情を持ってるな」と。

恋愛とか性とかいうのはとっても難しくデリケート。
感情とか認知とか目に見えない部分が大半を占めますから。

そして「悪いことではない」というのが難しさを生みます。

「人を好きになる事」というのは良い感情です。
けれど、恋愛関係として深みを持たせていくことが可能かというのは、また別問題。
本人の抱える特性や事情、背景もあるし、そもそも相手がいること。

「友達としては好きだけど、恋人としてはちょっと…」ということはよくある話。

「生徒としては良いけれど、恋愛の相手にはなれないよ」ということは伝えなくてはいけない部分。
でも、その伝え方を間違えると「私を受け入れてくれない」という風になってしまいます。
丁寧に伝えていかなくてはいけません。
「人を好きになる」という感情は否定せず。

僕も中学生くらいの頃かな?
片思いしていた女の子がいて、振り向いてもらえなくて、徐々に「この人とは恋愛関係が深まることはない」というようなことを、ぼんやりと感じながら、気持ちが少しずつ冷めて、また次の恋をしていった、という経験があります。

そういうことです。
人を好きになっても良い。
でも、恋愛関係が深まるかは別。

恋愛だけでなく、性というもう少しデリケートなことについても同じ。
(恋愛と性は全くの別物ではないですが、ここでは別に書いていきます)

男性の性の象徴はやはり性器ということになるでしょう。
女性の方は視線に振れやすいというところで胸でしょう。
(動物生理学的にも異性を引き付ける要因であることはよく言われますよね)

プールというのはやはりそれらも強調される場です。
ぴっちりとした水着ですし、それは仕方がないのです。
だから、学びの場になるとも思っています。

行動や視線、態度…

不特定多数の人がいる中で、誤解されないための振舞い、適切な距離感を伝えていきます。
それは、もちろん子ども一人一人によって違う伝え方になります。

プールという場で取り組んでいるのは、こういう事。

他にも保護者の方から相談されることもあります。
特にマスタベーションのことなど。
誰にでも話したり、相談したりできることではないですものね。
やはり、そういうプールという場で関わる相手だから、ということで相談されるのかもしれません。

で、マスタベーションということについて。
難しいことではありますが、これは出来れば同姓の大人が伝えていくのが良いかな?というのが個人的な考え。
男子の方がその辺は必要性に迫られることが多いと感じています。

この場合、男親あるいはそれに近い立場の人がいればその人が教える。
構造化して、時間、場所、流れなどを伝えます。
「準備」や「片づけ」も自分でしなくてはいけませんので、これらを伝えることが大切です。

女子の場合は、女親やそれに近い人というのは、同じなのですが、まずは、マスタベーションについての考え方は男性よりも個人差が大きいというのが現実でしょう。
男性のほとんどが経験していくのと比べると、経験しない、あるいは経験としてあっても、習慣的にはしない、という人の割合がとても高くなります。

男性の性欲というのはある種、排泄欲に近いものと言われます。
女性のそれとはそもそも欲求の質が違うのです。

ですから、女子の場合はマスタベーションを認めるか否か、というところからまずは考えて、認めるならやはり時間や場所についてしっかりと約束事を決めて構造化を図ることが大切です。

男女ともに、決めたところ、時間以外にはしない、という約束や、他人の象徴に安易に触れてはいけないなど、練習することはたくさんあります。
「嫌よ嫌よ」も好きのうち…なんて言い回りがあったりもしますが、そういうことで済ませられないデリケートな話です。

不適切な行動に対しては毅然とした態度で、「いけない」「やめて」ということを伝えなくてはいけません。

講釈を垂れるのではなく。

体験として、経験として、伝えることは伝え、練習することは練習をする。
そういうことが必要なのが、恋愛や性の問題。

これは何も障がい児者に限った話ではなく、誰にでも言えることだけれど。

永田の恋愛とか性についての、支援者としての立場はこういうところです。
何かお尋ねがあればいつでもどうぞ。

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