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2017年5月9日火曜日

「私って怒ってばかり」と言う人ほど叱ることが出来ていない

辞書を引いてみると「叱る」と「怒る」は、ほぼ同義のように説明されています。

でも、「人を育てる」という場面に於いては、使い分けがされていることが多いように思います。

感情的になるか、ならないか。
伝わっているか、いないか。

…。

その人によって、違いの説明の仕方は違いますが、総じて言うと「自分のためにしてしまっているのが『怒る』。相手のためにしているのが『叱る』。」というところのように思います。

あるいは我慢の先にあるのが「怒る」で、率直な伝え方が「叱る」。

小さな「気になる」をほったらかしにしておいて、我慢できなくなって「怒る」になっていませんか?

コミュニケーションが上手くいっていないケースの線上には「怒る」が居座っていることがほとんど。
逆に上手くいっているケースの線上にへ「叱る」がちゃんとあります。

で、こういう話をすると「私はあなたのために言っている」というフレーズを振りかざす人がいますが、そうじゃないんですよね。
「私を困らせないで」が含まれていて、ベクトルが結局自分に向いている人がいるんです。

逆に、「それは嫌だ」と、一見その人の感情を言っているように聞こえる場面でも、「叱る」ことが成立していることもあります。

要は心持ちの話なのかもしれません。
それから、その「叱る」なり「怒る」場面以外の、日頃の関係性がモノを言うことは言うまでもありません。

「叱る」「褒める」「認める」「喧嘩する」「楽しむ」「喜ぶ」「悩む」…。

率直な付き合いを出来ているか。
妙な気遣いをして、オブラートに包んだような遠回りのコミュニケーションを普段していて、我慢が限界を突破して「怒る」ことになっていないか?

それは考えたい。

気になることは遠慮せず、伝えれば良いのに。
それが家族なら尚更。

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