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2017年5月11日木曜日

周りの人も認めてくれてこそ「居場所」

ある重度の知的障がいを持つ成人男性とのプールの件について。

随分長いこと家族でプールに行って、楽しんでいたようですが、本人も40代後半になり、ご両親もそれなりの年齢になり、家族だけでプールの活動を維持、継続していくことが段々と難しくなってきたということで、僕の元に依頼が来た、というケースです。

ご家族で取り組まれてきた歴史が長いので、それを引き継ぐという意味が強く、本人も泳ぐことは出来ず、水中歩行と少し潜るくらいしか出来ないので、プール指導というよりかは、プール活動という感じになっています。

それはそれで、本人のリフレッシュになっていて、余暇として成立しているので、却って妙な指導感を出して、プールが嫌になってもいけないので、本当にゆっくりとした付き合いを重ねてきています。
(少しずつビート板の使い方は教えていて、それはそれで楽しめているのです。あくまでも「楽しめる」やり取り。指導と言うには程遠い感じです)

唯一、「指導的」に伝えているのが、入水中にプールキャップを取らないということ。
プール施設を利用する上でのルールでありマナーです。
これが守れないと本来、プールは利用出来ないというものです。

ですが、この男性は入水中にプールキャップを外してしまいます。
長く被れて2分と言ったところでしょう。
その都度、歩くことを中断して被る、ということを繰り返してきています。

関わりがスタートして、3ヶ月。

施設の職員さんは寛容さを持って見守ってくれています…。
利用歴も長く、男性がどんな人かも知っている故の事です。
でも、キャップを外すこと自体は気にされているはずなんです。
プールキャップ着用をルール化している立場ですし。

一般の利用客の方々は、というと決して寛容さを持ってくれているとは限りません。
「見て見ぬふり」をして「我慢」している人も明らかにいます。
冷たい視線を投げてくる人もいます。

これじゃいけないと、率直に感じて「キャップを被りましょう」「被らないとプールも利用出来ません」「みんな被っているでしょう」と、本人に伝えてきましたし、周囲の人にも「ルールを守ることの必要性をちゃんと伝えています」ということが分かるよう、聞こえるように働きかけをしてきました。

でも、ある種の癖のようにしてキャップを外すことをしてしまうので、なかなか変わりません。

そこで、今日は、30分程度で水から出ることにしました。
普段50分程、水の中で過ごすようにしているのですが。

途中で「キャップを被れないなら今日は本当に上がります」ということを予告として伝えました。
本当に真剣に。

さすがにいつもと雰囲気が違うことを察したようでした。

まずはこれが必要でした。
本人にも真剣に向き合ってもらわなきゃいけない問題ですから。

でも、彼はキャップを外してしまいました。
なので、予告通りに「はい、もう今日は上がります」と伝えて上がる準備に取りかかりました。

すると、「プール入る」と主張を始めて、プールサイドへ上がるための階段部分でしゃがみ込んで、抵抗を示しました。

永田「キャップを取ったら上がる、って言いました。」
男性「プール入る」
永田「今日は上がります」
男性「プール入る」
永田「本当に上がります」
男性「プール入る」
永田「上がります」
僕が折れないと知り、諦めて立ち上がりました。

こんな問答をしてプールから上がりました。

本当にプールが好きならキャップを被ることも含めてしていかないといけないんです。
とても大切なこと。
でないと「居場所」になりません。
ただ「来れている」というだけで。

そして、更衣室でもまだ「プール入る」と繰り返し主張を続けていましたが、着替えをどんどんとさせていきました。

そうしていると、後から更衣室に戻って来た年配の一般の男性客が声をかけてくださいました。

男性客「これまでも、この人と同じ時間に居合わせたことがあって、これまでいろんな人が引率してきて、お兄さんと同じように『キャップを被らないと入れない』って話をしている人は見てきた。でも、本当に水から上げた人は初めて見たよ。大切だと思うし、正直、今まで不快だったんだよ。でも、大変だろうけど頑張ってな。」

こんな言葉を頂きました。

と言っても、彼の「楽しみ」とのバランスも取らないと継続できないし、その辺りは上手くやっていこうと思います。

少し彼の「居場所」になったのかな。
ちょっぴり前進。
とっても嬉しい出来事。

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