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2017年5月22日月曜日

「その時、その場面での最良」を選択出来ていると信じる

子どもにとって明らかに暴力的であるというのはもちろん論外として、そうでなくて選択した行動であれば、それって「その時の、その人の最良の選択」だと思います。

わざわざ最良でない、方法を選択する人はいないと思います。

「上手くいった」とか「上手くいかなかった」とかは、結果論としての話です。

「上手くいった」「上手くいかなかった」に関わらず、後から振り返って「何が」結果をもたらしたのか考えて、また似たような状況というのは、来るはずですから、その時に振り返りを活かしながら「その時、その場面で最良」だと思う選択をし続けていくことに尽きると思います。

僕はそれが支援の質を少しずつでも高めていくと信じています。

それから、親子関係においても似たことが言えると思います。

支援という場面以上に子育てでは、選択を迫られる場面に連続して遭遇します。

そうすると「あー、マズかったなー」「なんであんな言い方しちゃったんだろう」と親の方でも考え込んだり、落ち込んだりしてしまうことがあると思いますが、それは「その時の最良」だったのだと僕は思います。

感情的になってしまうこともあるかもしれません。
それでも「最良」なのだと思います。

妙に感情とか表情とかを圧し殺して、遠慮したような、他人行儀のようなやり取りを親子でやるのは、やはり不自然で、健全とも言い難いと思います。

だってお互いに人間。
いつでも「上手くいく」なんてことはなくて、結果は結果として次から次に出てきますが、それを承けて「あー、もっと上手く関わりたいな。相手のこと分かりたいな」と思いながら日々を送っていくことが、より良い関係へと続く唯一の道だと思います。

「上手くいく」「上手くいかない」という結果と繋がり感が深まっていくかというのは、また少し違う話ですから。

もちろん「上手くいかない」だけが、ずーっと続くと深まりませんが(笑)
「あーでもない、こーでもない」をしながら付き合っていけば、パズルのピースがハマる日というのは、必ず来るものだと思うんです。

極端な暴力を含んでいる訳でないなら、少なくとも「間違い」ではないと思います。
「まー、今日はこれでいっか」と思うことも、日常を続けていくのには必要なんじゃないかな?

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