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2021年9月21日火曜日

共感はいつだってされたい

“共感”っていう言葉だと、しっくりこない部分もあるのですが、代わる言葉が直ぐに見つからないので、“共感”とさせてもらいますね。


今日、学習サポートで一緒に過ごした中学生の男子。

今日は本人でも分からないけれど、虫の居所が悪いようで、到着したときからイライラしていました。

(イライラから切り替えができず、到着も遅れてきました。)


そんな中でも、問いかけには答えてくれましたし、間を取ると、その時沸いた言葉を聞かせてもくれました。

そこは彼との僕との関係性の全身かな、と。

以前の彼だと、こんな日は目も合わせず、ただただ沈黙が流れて、僕が問いかけてみると「うるさいから、静かにしてて」と沈黙を保とうとしていましたから。


今日、そんな彼が「それはそうだよね」とうなずきたくなるような話を聞かせてくれました。


男子「共感、っていうのかな?こうやって僕がイライラしていたりすると『大丈夫?』みたいに寄り添おうとする人たちはいるんだけど、楽しいときには放っておかれることが多いんだよ。普段、それなのに虫の居所が悪いときに『大丈夫?』って、大丈夫なわけないやん。火に油注ぎたいん?」


と。

こういうことをされると「ぶん殴りたくなる」そうです。


教え子「先生はいつでも変わらんけん。僕が機嫌よくても悪くても、良いときには笑うし、いけないときには怒るやん?調子に乗り過ぎたときとか。」

まぁ、そのためにいますから。

教え子「だから今日、来たくなかったけど来れたのは、今日も変わらないっていうのがあったから。だけど、今日は本当に変だから、無用に衝突しそうになったら帰るね。」


30分ほどで、本当に「限界」が来て、お母さんにお迎えをお願いすることになってしまいました。


でも、本当に彼の言うとおりだと思います。

彼の話を日ごろから聞いていると、楽しい話を他でなかなか膨らませられていないような気がします。

楽しいことだって共有したいし、共感して欲しいものです。

分からなくたって「そういうことで楽しかったり嬉しかったりするんだね」と、知ってくれるだけでいいんです。

それをしてくれるだけで、どれだけ幸せになれることか。


“何事もないように”と思いながら関わる大人にはなりたくないものです。

「こんな風に関わりたい」という指針というか方針と言うか…観点?を持って、ブレずにいたいと改めて思いました。

ワクチン接種2回、終了しました。

2回目のワクチン接種が終わり、一週間が経過しました。

宗像市はファイザー製のワクチンを使用していて、比較的副反応は少なめ、とのことでしたが、僕自身はあまり体質に合わないようで、1回目、2回目共に副反応で苦労しました。

発熱や下痢、頭痛をはじめとする全身の痛み…

数日は症状が残るほどでした。



ワクチンをしても感染するリスクがゼロになるわけではないし、ワクチンが開発された当初は集団免疫云々の話で希望もありましたが、日本よりも接種率が進んでいる海外では、以前一定の感染者を出し続けていて、本当に収束するという日が来るのか?という不安さえ生まれます。

それでも、重症化のリスクは軽減されるし、自分の大切な人たちを守る確率が幾分かでも上がるのであれば、それに越したことないという判断の下で、僕は接種を決断しました。


同時に、ほんのわずかではありますが、「旅行に行けるようになるかも」という希望を持てるようになったのは、僕にとってはとても嬉しいことです。

会いたい人に会いに行きやすくなるというのもまた、嬉しいことの一つです。



長い自粛生活ですが、少しずつ出来ることを増やしていく。
工夫を重ねながら。