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2018年1月31日水曜日

「あなたも元気そうで何より」

町内の分別ごみの収集日、当番を務めた時に一緒に当番をした年配の女性の何気ない一言。

「あなたも元気そうで何より」

ごみを出しに来た女性、恐らく長年のお付き合いがありつつも、年月と共に会う機会が減り、久しぶりに顔を会わせることが出来た、という感じでしょうか。

地域の縮図のような言葉だと思いませんか?

地域だ、コミュニティだ、まちづくりだといろんな言葉と共に地域の掘り起こしのためにワークショップもたくさん行われる昨今。

でも、こういう言葉にこそ地域を僕は感じるんです。

心の底からの心遣い、相手との時間を喜び噛み締めるような、それでいてとても日常的な響きを持っていて。

あの方が言った言葉を持ちながら、また子どもたちとの時間を持ちたいと思います。

2018年1月30日火曜日

(わたしだって役に立ちたいの)

息子もそうですが、最近は言葉のまだ少ない子どもと関わる機会がめちゃくちゃ多くなっています。

生徒の中にも言葉の少ない子はいますし、その弟妹たちで、自分の伝えたい思いに言葉が追い付いていない(こういう言い方で良いのか分からないけど)子もいます。
それから近所の子どもたち…

障がいの為でも、年齢のためでも、それ以外の為でも…言葉にできないというのはなかなかストレスだと思うのです。

そういう時、汲み取るということも大切かもしれないですけど、表現を引き出してあげたいと僕は思います。
(引き出して“あげる”というのもなんだか厚かましいし違う気もするけど)

そうやって彼ら、彼女らの様子を見ていると(わたしだって役に立ちたいの)というメッセージ性を感じることが少なくありません。

例えばプールに来ている未就学児のCちゃんと、その妹のSちゃん。

Cちゃん自身も言葉は少ないですし、Sちゃんもまだ幼さ故に表現が限られています。

彼女たちの様子を見ていると、一見、バラバラに好きなことを思い付くままにしているようなんですが、実はそうでもないのかな?と感じることが多いです。

目線や動きを追ってみると、Cちゃんは妹のことを常に気にかけていて、妹のことを楽しませようとしているように見えます。

Sちゃんもお姉ちゃんの様子をよく見ていて、明らかに“お姉ちゃんに向けた”笑顔を見せることがあります。
助け船も出していることもあります。

もちろん、まだまだ二人とも甘えたい時期にいますから、甘えて、お母さんをバタバタさせちゃったりもしますが(笑)

(お母さんも含めて)お互いのことを好き合って、気にかけ合って…

その様子の中に、(わたしだって役に立ちたいの)という子どもらしさと愛情に溢れた表現、メッセージを感じます。

彼女たちのそういう気持ちも含めて育むお手伝いをしていきたいと思います。

お世話をされるだけなんてイヤ!というちょっぴり背伸びしてみせる子どもたちに慌てなくて良いよ、と伝えながら、その気持ちに寄り添って、役に立てているんだよ、も伝えられたら良いな。

2018年1月29日月曜日

子どもの居場所としての建物の話

いわゆる「子どもの居場所」ということの建物として、「民家を活用したもの(元民家、現在進行形で居住しているものの両方を含む)」と「最初から居場所として用意したもの」として大別できると思います。

例えば、僕が今、お仕事を頂いている事業所として、放課後等デイサービスえるそるむなかたがありますが、そこは民家を活用している場になります。

もう一つ、ボランティアでお邪魔しているキッズクローバー光が丘は、目的に沿って建てた建物です。


どちらにも良さがあり、それを活かした場づくりというのが望ましいと思います。

もちろんどちらにせよ、子どもへの関わりとしては、子ども理解を深める、障がい理解を深めるというのが前提に必要です。

ただし、これは「人」の話ですね。


では「建物」としての役割は?

今日は昼間、とある方とお喋りする中で「民家」「家」の良さについてひとしきり語り合ったので、まずはその点について。

「家」の良さは、何と言っても「生活感が漂う」ところ。

その“生活感”の中で得られるものの大きさは計り知れません。
それを味わっていくこともとっても大切だと思うのです。

また、生活に根差した、生活をイメージした支援と言うのは展開しやすいように思います。
そこにこそ、こういう場の意味があるのだと僕は感じます。

僕が自宅の一室を仕事に活用するのもそういう意図も含んでいますし。


一方、仮に事業所型という表現を使うとして、そちらの良さは、何と言ってもバリアフリーや必要設備の充実、「支援」「仕事」のしやすさや導線の利便性があると思います。

子どもたちは案外と整った環境下で「過ごし方」を見出しやすいように思います。
それを場を離れたときに繋げていくのが支援者には必要なのかもしれません。


僕はいま、「空き家」を探しています。

「生活に根差した」ぐるんぱの活動の根っこを表現していく場として、民家を活用したものが良いとの思いがあるからです。

その中で、出来ることを広げていきたいな、と思うのです。
(発信してみるものです。いろいろと「空き家」の情報が集まってきていて、思いの外、早く形にできるかもしれません。その辺も進捗具合をお知らせしていきます)

2018年1月28日日曜日

「現実」という言葉で子どもに窮屈な思いをさせてはいないか

さすがにネバーランドがあるとか、ドラコンボールの世界のように気を溜めて空を飛んだりかめはめ波を放ったり出来るようになるというような夢を見るような歳でもないし、まだまだ甘いにせよ「現実」の大変さやら理不尽さにも触れた経験も多少はあります。

でも!

でも!

僕は今でも夢を持ち続けています。

子どもをネバーランドのような場で囲ってしまうようなことは、それこそ虐待に近いとさえ僕は考えますが、夢を奪うようなこともしたくないです。

子どもたちの夢は基本的に応援したい、という立場を取ります。

「その夢があるなら、その為に必要なことはしていこうね」

という話もします。

いざ、選択するという段になって「誰もあの頃に言ってくれなかった」ということにはしたくないからです。

ただ、こういう話をする時に、自分の中で、とてもとても大きい葛藤が生じるのを感じます。

「現実」を教えるという一見すると至極真っ当な、でも実は大人の個人の身勝手な価値観で、子どもに窮屈な思いをさせてはいないか?
と。

「現実」は甘くないことも確かに多いです。

結果や数字を求められることも多いし、何かをしてみて「思っていたのと違う」ということも少なくないです。

「現実」という言葉を使うにせよ、子どもが夢も希望も意欲も失うことのないような、そんな関わりを目指したいと強く思います。

夢は持ち続けて良いと思っています。
だけど、持たなきゃいけないものでもにいです。
夢って自然に持っていったり、「あ、やっぱりこれ!」と変わったりしながらじっくりじっくり育むものだと思うのです。

暴力のように「現実」という言葉を振りかざすことはしたくないものです。

この数日、何故か子どもたちと「将来の夢」ということに繋がる話をする機会が続いています。

スゴくスゴく考えるのです。

2018年1月27日土曜日

ブログを書く意味を今一度考えなおしてみた

2年少々、ブログに関しては結構更新を頑張ってきたと思っています。
内容の良し悪し、濃い薄いはともかくとして、この記事で832記事目です。

僕がこうしてブログを書く意味を改めて考え直してみます。
(より意味のあるものにしていくために必要なことと思って、ブログをかなり読み返してみました)

・宣伝のツール
仕事にしている以上、知ってもらってナンボというところがあるので、僕という人間の人柄を知ってもらうためのツールとしての側面はかなり大きいのです。
実際に、ブログを読んだうえでのお問い合わせはかなりの比率を占めています。

・日々の出来事の記録
僕自身の備忘録のような役割。
いつ、どんなものに触れてどんなことを思い考えたのかの記録のためです。
別に他の場に残しても良いのですが、ブログに書くことで、他の人の意見や感想などをいただける可能性があるので。

・啓発的役割
宣伝とは別に、僕が書き残すことで、読んだ誰かが「あぁ、そういうこともあるのか」と知ってもらったり、興味を持ってもらったりするため。
それから、支援者の輪を広げていくことにもつながっている気がします。

・仕事を選ぶため
生意気に聞こえるかもしれませんが、自分の意志、意思、決意、立場を示して、僕にできること、僕のしたいことを明確にして、周囲の人へ「永田、ぐるんぱはこういうもの」ということを知って頂いて、「何でも屋さん」にならないで「僕だから、僕にしかできない」そういう仕事をしていくため。



大別して、そういうところですかね?


そもそも文章をつらつら書くのが好きだから、というのはもちろんありますけどね。


自分の支援の記録についてはもっと細かくブログに残していきたいと思います。
おかげさまで、この2年の間に素敵な支援者さんたちと出会えて、意見や感想をたくさんいただけるようになったので、自分の腕を上げるためにも、ここはますます充実させていきたいと思います。

ブログにしても、目的を持って書くのと、なんとなく書くのでは持続力が違うと実感しています。
それぞれの記事についても同様に目的をハッキリとさせながら書いていきたいと思います。


それから、この記事から少しずつイラストを添えてみようと思います。
感想などありましたら。

居酒屋に行きたい、というニーズ

ここのところぐるんぱへのお問い合わせを立て続けに頂いています。

プール、学習共に。

保護者の方々が新年度のスケジュール、生活リズムを考えるために動いたり考えたりし始めているのでしょう。

ぐるんぱのプールは競技のためではなく、余暇活動の一環としてのプールですし、学習も長期的に見たときに余暇や選択というものに繋がることを目指していて、学力向上ありきのものではありません。

そういうことを都度説明させて頂いた上で面談や相談へと入っていきます。

そう、子どもや青年の余暇活動支援ということが根っこにはあります。

そしたら、つい先日こんなお問い合わせを頂きました。

軽度の知的障がいを持つ青年の親御さんからのお問い合わせで、居酒屋に連れていって食事をしてきて欲しい(居酒屋デビューをしたい)、とのことでした。

なるほど。

こういうニーズもありますよね。

結局、今の僕のキャパでは難しいことと、青年との関係性が無いまま受けられることではないように思いお応えすることが出来ませんでした。

どうやら、僕のところに問い合わせたのにはいくつか理由があったようです。

・親とは違う人と行ってみたいと言う本人のニーズ(分かる気がします)。

・人混みが苦手で外食も滅多にしないけど、“飲み会”“居酒屋”という言葉に興味があり、行ってみたいと本人が漏らすことがある(僕も初めての“飲み会”にはドキドキワクワクしました)。

・通っている事業所での余暇活動として、外食はあるし、年に数回は夜に食事会があるらしいのですが、いつも同じ面子。
(多分、これは問題として抱える人が多い気がします。「今日は誰と食事をしてくる!」となかなか選択出来ないのでしょう)

・特定の路線の電車やバスしか乗った経験がなく、タクシーも一人ではなかなか利用出来ないので、一人では出掛けられる場所が限られていて、どうしても同行者が必要(足がないと外食は億劫ですよね、余程近場に無いと)。

大まかに言うと、こういう“カベ”があったようです。

例えば数年プールや学習で付き合ってきて、関係性も出来ている子や、僕のもとを卒業していったという教え子たちとなら、将来的に出来る企画かもしれません。

今の僕では、初対面の人と居酒屋へ、というのはなかなか難しい。

でも、こういうニーズも恐らく掘り起こせば結構出てくるんですよね。

そういうニーズも満たせるものを将来的に用意できるか…

また考えることが湧いてきた(笑)

2018年1月26日金曜日

興味を持ってもらえると

学習はやはり室内ですることが圧倒的に多いので、コミュニケーションも「子どもと永田」というものが多くなります。

一方プールは、一般の利用客の方とのコミュニケーションもよく生まれます。

みなさん、本当に温かく見守ってくださっていて心強いのです。


今日も、ある年配のお客さん(男性)が声をかけてくださいました。
これまでも「がんばってるねー」「こんにちは」「上手くなってきたね」など声をかけて頂いている、ぐるんぱの活動に理解を示してくれるありがたい方です。

そんな方が今日は質問をしてきてくださいました。

男性「この子は言葉が理解できるんですか?」
永田「自分で言葉を発することは難しいですけれど、こちらの言葉は概ね理解できているんですよ。ただ、僕らが普通に話すように長くなると、混乱してしまいますから、伝えることを端的に伝えるんです。」
男性「なるほどねぇ…」

また、しばらくして。

男性「何度もごめんね。また聞きたいんだけど、いい?」
永田「はい、気になることがあればいつでも尋ねてもらっていいですよ。この子のことを知ってくれる人が増えるのは僕にもこの子にも嬉しいことですから」
男性「こういう子たちに何かを教えてあげようと思ったら特別な方法が必要なんですかね?」
永田「そうですねぇ…特別、と言えば特別かもしれませんけれど…ものすごい特別なことが必要という訳でも無いと僕自身は思っています。ただ、『分かりやすく』というのはもちろん必要ですね。」
男性「そうですよね、例えばどうやったらいいのかな?」
永田「例えばこの子の場合で言うと、背泳ぎの際、『腕を大きく回して』と言うだけでは、どのくらいの大きさで回せばいいのか分からなくなるので、目印を作ってあげるんです。『目に見えるところまで上げる』とか、水をかいたら『足の付け根をタッチするところまで』とか…他にも意外と大切なのが、25メートル泳いだ後、壁にタッチをしているのを見てもらっていると思うのですが、あれも、『ゴール』をより分かりやすくするためです。もう少し小さい子たちだと、ビート板でバタ足をしているときに、僕が手を構えて『ここまでおいで』と呼んで、到着したら『出来たね』という確認をしているのですが、それもゴールを分かりやすくするためで、それを少しずつ伸ばして、25メートルとかそれ以上とかを泳げるようにしていくんです。」
男性「ほぉ…『分かりやすく』ねぇ」
永田「『なんとなく』とか『だいたい』というのが苦手なので、具体的に何でも体系立ててあげたり、ポイントになる言葉をピックアップして、無くても伝わる言葉や音は省くこともありますよね」

今日は、こういうやり取りを何度か行ないました。
こうやって興味を持ってもらえるのはとても嬉しいですね。
支援とか身内に障がいを持った人がいるとか…そういう事がないとなかなか接点が無いという人も多いですからね。
知る機会がほとんどないんですよね、たぶん。

でも、知りたいとか、「この子と関わってみたい」とか実は思っている人って案外と多いのかもしれません。

子どもたちにもプールを通していろんな気づきや学びを得てほしいと思いますが、同じように、僕も、周りの人にも気づきや学びの機会になれば良いのかな、と思います。

これもぐるんぱの活動の意味としてはとても大きいものだと思っています。




2月18日支援者の集い、興味ある方はお尋ねくださいませ。
gurunpa.munakata@gmail.com
090-5724-0660
Facebookアカウント「ぐるんぱ 永田淳哉」へメッセージ

いずれかの方法でお問い合わせくださいませ。
参加希望の方も同様にお願いします。

詳細は支援者あつまれーの記事にて。

2018年1月25日木曜日

2度の声掛けだけの支援

小学校1年生のS。

友達や他の支援員さんらのやり取りが気になり、自分も入りたくて仕方ない様子。
目の前のテーブルには宿題のプリント(苦手な文字の書き取り)を置きつつ…集中してやれば5分もかからずに終わるであろう量だけれど、やっぱりなかなか取り掛かれない…

(うん、わかるよ。苦手だし、楽しそうだし、やらなきゃいけないけれど、気持ちの準備が必要なんだよね)

ついには、他の支援員さんと友達の触れ合いに参戦。
でも、視線はチラチラと宿題へ。

(いいよ、少しずつ準備をして)

支援員さんも宿題のことが気になりつつも、一緒に遊んでくれている。

時折支援員さんも「宿題まだせんと?」と声をかけてくれる。

Sは「しなーい」と。

(でも少しずつ気持ちは宿題に向かっているみたいだね)

一しきり、遊んだところで「そろそろしてみたら」という支援員さんの声掛けで、腰を下ろし、宿題へ向かう。

でも、なぞり書きもビュッ!ギュッ!という感じで、はみ出る。

永田「いいよぉ、慌てなくて」

この一言で、なぞり書きがゆっくりとなり、はみ出なくなる。

3文字書いたところで、お友達の言葉が耳に入り、話題に入って中断。

約2分後、再度宿題へ。

カタカナの「ク」をあと4回書くだけ。

でも、またビュッ!ギュッ!という書き方に戻っている。

2文字書いて残り2文字のところで再度「慌てなくて良いよぉ、ゆっくりどうぞぉ」の声掛けで、ゆっくりなぞり書きが出来る。

永田「慌てなくて良いんだよぉ、こんなにきれいに書けたろ?」

S「うん」(目は嬉しそうだし穏やかだった)

(よかったね、自分らしくかけたね)



きっと、苦手なことでやるのは億劫で、やり始めたら早く終わらせたい、ということなんだろうな。
音読が苦手だった僕は、読み方が怪しい漢字の部分は小さい声で早口でやり過ごそうとしていたから、それと似たような感じなのだろうな。
「慌てなくて良い」という言葉を使ったけれど、力を入れて早くやることが、このときの彼の「頑張り」だったと思うから、「そんなに頑張らなくても良いんじゃない?」というニュアンスを含めて声をかけたつもりだった。
力を抜くきっかけ作りが出来たかな?

僕としては、これでも良いと思っている。

むなかたアホークスのキャプテン永田です

野球が好きなR君。

R「先生!今度のソフトバンクホークスのキャプテン誰か知ってる?」
永田「うん、知ってるよ…僕!」
R「違うやろ(笑)!!正直に言えーー」
永田「本当よ、王会長からも頼まれたっちゃけん。まだ秘密にしておくように言われているから黙っておいてよ」
R「だーかーらー、違うでしょう?謝って!」
永田「…ごめん。本当は違います。…キャプテンじゃなくて、ピッチングコーチになるんでした」
R「だーーー!!違うでしょう!!(笑)本当は違うでしょう!あほーー」
永田「あほーー!?ごめん、違った違った。僕はソフトバンク…むなかたアホークスのキャプテンだった」
R「あ゛--、もういいよ!」(笑)


こんな調子で10分近くもやり取りして、二人で笑い倒しました。

もう、何にも考えなしに、ただただ、バカなことを言って、ただただ笑い倒す。

そういう時間もたまには悪くないと思うのです。

2018年1月24日水曜日

【お知らせ】支援者集まれー

昨年からずっと言ってきていたのに実現まで行き着かなかった支援者の集い。

来月実施したいと思います。

いかに詳細を記載しますので、実践者、支援者の方はご確認いただければ幸いです。



【企画名】
第一回むなかた支援者の集い(仮)

【主催者】
永田淳哉(ぐるんぱ主宰)

【日時】
平成30年2月18日(日)14時~17時

【場所】
放課後等デイサービスいーりすむなかた(宗像市三倉16-1)

【目的】
実践者・支援者の交流。会話、議論を通して、子どもたちの子どもらしさを保障するとともに、子どもたちも支援者も喜びを実感として持てる支援を行ったり、支援の質を高めたりするきっかけを得ること。
(こんな堅苦しく書いたけれども、支援者にも「一人じゃないぜ、一緒に頑張ろう」という場を作りたいのです)

【内容】
座談会形式。支援者・実践者で場を囲み、実践、支援、子ども、福祉、教育などいろいろな切り口で語り合います。
初回なので、もちろん永田も用意していきますが、参加者の中で話題として扱って欲しい実践の記録や文献、資料などがあれば、事前にメールなどでお送りいただければ、資料として準備します。

【参加者】
職業支援者・実践者を原則とします。
事前申し込みとします(ただし飛び込みでなければ、当日の参加表明もOKとします→みなさん、お忙しいですからギリギリまで待ちます♪)。
また、職種は問わないので、福祉事業所の職員、保育園の保育士、学童保育の保育士、幼稚園教諭、学校教諭、作業療法士、理学療法士など、障がい児(者)と関わる機会のある方。

【参加費】
茶菓子、資料代として500円

【申し込み方法】
いずれかの方法で。
Facebookを通して、永田へ連絡。
gurunpa.munakata@gmail.comにメール。
090-5724-0660(永田携帯)へ電話。


【その他】
月に1回程度のペースで継続的に開催を目指します。

一度参加したからずっと来てください、というものでもありませんので、ご都合の許す範囲でどうぞ。

後々は、特別支援の教員、支援者を目指す学生へも参加者の枠を広げ、若者の育成の役割も担えたら良いな、と漠然ながら思っています。

参加者の皆さんと共に場を作っていきたいので、今後どんな会になっていくかは僕にもわかりませーーん♪

ここでつながった人同士で、自主勉強会や実践検討会など枝葉が分かれていっても面白いと思いますし。

特に初回ですので、終了後には付近で懇親会(飲み会)も行う予定です。
もし、14時から17時には間に合わないけれど、気になる!という方は、飲み会だけでもどうぞ♪

足の無い方、お酒を飲むから電車で来る、と言う方はJR東郷駅に指定の時間にお越しくだされば駅と会場間の送迎もします♪

こんな感じかな?わからないこと、気になることがある方はお尋ねください。

2018年1月23日火曜日

ぐるんぱとしての願い

僕と一緒に過ごす子の多くが、日常生活では日に少なくとも2回は着替えをする子達です。
(起床後寝間着から生活着へ。夜、生活着から寝間着へ。)

プールの際に、洋服から水着へ、水着から洋服へ着替えるという行為がありますが、それらを日常生活に繋げることを目指さなければいけないと思っています。

毎日介助する家族のことを出来るだけ思い図るのです。

少しずつでも子ども自身で出来るようになれば、それだけゆとりが出ます。

“泳ぐ”ということだけに特化すれば、僕が全て手を出して着替えさせるということも訳無いのですが、それでは「生活、人生が豊かになる」とは言い難いと思うのです。
家族にとっても、もちろん本人にとっても。

「余暇支援」という言葉を使っているのはそういう意味があるのです。

子どもや家族、各家庭に根差すものを探していきます。

だから、僕の考えていること、目指していることを必要に応じてご家族へお伝えもします。
例えば「プールの着替えの際は、今こういうところを練習していますよ」ということもお話ししますし、「もしご家庭で練習するなら」という提案もしますし、「家庭だけで何でも頑張る必要もないので、プールに来たときにこれは練習しましょう」という提案の仕方もします。

今日、プールに来た未就学児のCちゃんのことで言えば、直ぐにでなくてもボタンの練習は少しずつ必要になってくる時期が来ます。

もちろん、ボタンの無い洋服を選ぶことも出来るかもしれません。

でも、「ボタンがあっても着られる」というのは、「人生が豊かになる」可能性を秘めていると信じています。

もちろん僕もボタンの無い洋服が脱ぎ着は楽なので家ではほとんどそういう服です。
でも、「それしか着られない」のではなく、「服を選んで」いるのです。

例えばCちゃんが大きくなって、(彼女自身が思うだけでなく、ご家族がそう願ったときに)「たまにはお洒落を」となったときに「着替えを手伝うのが大変だから」と洋服を選ぶことを妥協するのは勿体ないと思うのです。

普段と違う洋服を着る、髪型を変える、これだけでも気分転換になりますよね?

楽しかったり、ワクワクしたりしますよね?

そのドキドキワクワクを「でも大変だな」で邪魔をさせたくないのです。

彼女は、とっても家族からも愛情を受けて育っています。
彼女も家族が大好きです。

これは見ていたら分かる真実。
(もちろん大変さもあるとは思いますが)

年齢や年月を互いに重ねても、同じようであってほしいですからね。

そういう願いも持ちながらのぐるんぱの活動です。

「怒られたくないからする」

「怒られたくないからする」というのは、動機としてはなんだか寂しい気がします。

判断の中に自分がいない気がするのです。

「怒られるから」「褒められるから」ということでするとかしないとかを判断するのは、小さい内ならまだしも、成長と共にそこから脱して、自分自身で価値判断をしながら歩みたいものです。

自分という存在をしっかりと捉えて、自分という存在をしっかりと信じて、「僕は(私は)、こうしたい」という意思を持って行動規準を持てるようになれれば良いなぁ、と自分自身についても思いますし、子どもたちについても願います。

「怒られたくないからする」

ある子が宿題についてそう漏らしました。

その子の話によると、お手伝いも、一人でお留守番も、食事を食卓に座ってするということも「怒られたくないからする」のだそうです。

なんだか、ちょっぴり寂しい気がします。

彼に対して、朗らかにしなやかに働きかけたり語りかけたり、そして何より耳と心を傾けたりしていきたいと思うところです。

もちろん、今の彼は今の彼で素敵です。
ただ、「あと一歩!」というところで楽しめ切れなかったり、「あと一歩!」というところで物事を手放してしまったりしているように見えるように僕には見えるし、思えます。

子どもとの関わりの中では、叱責が必要なこともあります。
けれど、褒める、認める、讃える、愛でる、というようなことが、叱責の10倍ぐらいあって良いと思うのです。

特に支援者としては。

2018年1月21日日曜日

初めてのシメイ交換(名刺交換)

昨日、夕方、福津のとあるご家庭にお邪魔して、子どもと面談してきました(面談、と言いつつ楽しくお喋りするくらいですが)。

先日お母さんとは、お話をさせてもらっていて、「子どもさんにも会ってみましょう」という流れになって行ってきたところです。

到着するとカードゲームのカードを並べてなにやらデッキ作りをしていたようでしたが、僕の姿を確認すると直ぐに片付けて挨拶をしてくれました。

「初めまして~永田でーす。」
「初めまして、○○(名字)です」
「僕が来ること聞いていましたか?」
「はい、聞いていました」

すこーし緊張していた挨拶からスタートでしたが、直に色々な話を聞かせてくれました。

学校のこと、遊びのこと、勉強のこと、友達のこと、好きなアイスクリームのこと…

小一時間経ったところで、「もし僕と一緒にお勉強しても良いと思ったらお母さんと話し合って連絡ちょうだいね。…あ、勉強一緒にしなくてもせっかく出会ったから何か困ったことがあったら、いつでも連絡ちょうだいね。」と伝えました。

子ども(ニコッ)

永田「あ、そうだ。お母さんとは連絡取れるけどあなたも連絡先分かるように、コレ渡しておくね」

名刺を渡しました。

お母さん「わぁ!初めての名刺じゃない?」

子ども「うん、初めての名刺だ。僕もあげる」

そう言って、白紙を切って、名前と好きな食べ物、好きなスポーツ、好きな音楽を書いたものをくれました。

永田「あ、大事な連絡先がないけん、住所を書いてごらん?書ける?」

子ども「お母さん、教えて」

(お母さんが別紙に書いたものを写し始める)
(書き損じて、お母さんに見てもらう)

子ども「出来た!」

とっても可愛らしい名刺が出来ました

子ども「はい!コレあげる!(ニコッ)初めてのシメイ交換だ」

お母さん「“名刺”ね」

永田「ありがとう、大切にここ(手帳のポケット)に入れておくね」

子ども「なんか字も書いて勉強みたいや」

(鋭い!)

永田「そうやね、そうやって楽しんで字を覚えたらラッキーじゃね?」

子ども「うん!そうやね」

…それから、お母さんとお話をしていくうちに一緒にお勉強をする運びになりまして。

永田「大丈夫?一緒にゆっくりしていこうね」

子ども「大丈夫。気が合うしね♪」

永田「そうか、気が合うか(^-^)」

子ども「先生もさっき言ってたでしょ?」

永田「確かにね(会話の中で『僕も好き』というものがたくさんあって、確かにそういう表現を使いました)。これから楽しみだね、ゆっくりお付き合いしていきましょ。」

子ども「うん」

それからも何度か“シメイ交換”の話をして楽しいままにお別れしました。

さ、彼との勉強も2月からスタートです。
楽しみだね♪

2018年1月20日土曜日

お山で遊ぶ

今日の午前中は、放デイの学習サポートはお休みを頂き、教え子のママさんからお誘い頂いた“お山遊び”にお邪魔してきました。

住む場所も年齢も障がいの有無も、バラバラの子どもと、その親が集まって、岡垣町にある“お山”でただただゆったりと過ごすのです。

結構本格的なアウトドア派のお母さんもいらっしゃって、火起こしして焚き火まで始まりました♪

こういうの、随分久しぶりで心が踊りました。

月に1度程度しているようですが、この心が踊るのは、参加している子どもたちも同じようです。

火起こしが始まれば集まってわぁわぁ。

誰かが面白い形の枝を見つければ歓声を上げ。

一人でいても良し、グループでいても良し。

誰に何を言われるでもなく、ありのまま、気の向くまま過ごしています。

教え子ちゃんも、僕が普段知るのとは別の姿を見せてくれました。

周囲の環境と共感している、そういう印象すらあって、とても面白かったです。

これは今後の関わりもだし、他の子との関わりのためにも勉強になりました。

素敵な機会をありがとうございました。

「自分でやるぅ!」

未就学児のS君、昨日のプールでは、「自分でやるぅ!」をたくさん主張してきました。

まだまだ足も着かない深さのあるプールだし、泳力もこれから、という段階だからもちろん“一緒に”やるのですが、今日の彼はちょっぴり頑固(^^;

(なんでそんなに“自分で”やりたがるのだろう?先週までも、その様子が無いことはなかったけど、今日は、一段と強いなぁ)

プールを終えてお母さんとお話ししていて思い出しました。

今週の彼は来春から通うことになるかもしれないという幼稚園の面接だったのです。

“お兄ちゃん”になる!
そんな心持ちだったのかな?なんて思いました。

その背伸びしたくなっちゃう気持ち、よく分かります。
いろんなことにどんどんチャレンジしたくなっちゃう。

「自分でしなきゃ」みたいに、思ったりもしちゃうんでしょうね。
更衣も普段は「して」とおねだりしてくるところを自分でするし、まだ難しいことも「自分でやるぅ!」と。

彼のそういうことも含めて待って「急いでお兄さん、大人になる必要はないんだよ」を伝えていけたら良いのかも、なんて思っています。

2018年1月18日木曜日

お喋り、お喋り、お喋り…勉強ちょっと

今日、夕方は学習サポートで小学校6年生のS君のもとへ。

どんなことをしたか?

話を聞いた。
以上です。

彼の自宅に到着して庭先にいたお父さんに挨拶をしたら「あ、どーぞ。中にいます」とのことだったので、扉を開けて「こんちわー、お邪魔しまーす」と、入ったら、S君がリビングで立って待ってくれていました。

年明けにインフルエンザに掛かっており、今日が年明け初の顔合わせ。

なんだか僕を「待っていた」感じがしました。

(さて、と。どうしたのかな?)

永田「どう?3学期は順調?…あれ?手ぇ、どしたん」
左手小指が包帯で巻かれておりました。

S「怪我した」

永田「折れたりしたと?」

S「いや、突き指しただけ。触ると痛いけど、もう大丈夫」

永田「そうか、何して突き指したと?」

S「…」

永田「ふーん…、ところで何か話したそうやねぇ。何があった」

S「今日、友達から嫌なことされた」

そこから、50分彼は思いを話し続けました。

この数ヶ月味わってきた疎外感、孤独感、苛立ち、焦り、不安、不満…

成長するにつれて変容する友達との関係性。
彼が読み取れないコミュニケーションが周囲では成立していて、「なんで?」が積み重なり、「どうせ僕は…」を生んでいたようです。

「納得できん」と、彼自身も言っていました。

彼の話から察するに、高学年になり、彼も彼の周囲の友達も彼の特性を肌で感じ始めているのかもしれません。

それがお互いに「なんなの?コイツ」と思わせているようです。

架け橋が必要な気がしました。
僕の立場から出来ることがあるのか、考えていかなくてはなりません。

それから、これは子どもたち同士でしていくことですが、価値観の相違を知り、認めたり受容したりするための時間が必要な気もしました。

これも彼の話ぶりから僕が感じ取ったことですが…

彼は話しながら「いじめられた」という言葉を使ってはいました。
だけど、相手の子と仲良くしたい、という思いを持っているようです。
(いや、アイツとは仲直りなんかせんでいい、と口では言いますが)

そして、相手の子も不器用なのでしょう。
S君と以前(低学年の頃には仲良かったようです)のように、過ごせる機会を探しているようです。

小学校卒業間近で、中学校入学を控え、不安も楽しみも折り交ざって、複雑な心境なのだろうな、と。

そうやって話をして、次の日程を打ち合わせして、帰りの挨拶をしたら「バイバーイ、またね」と、とっっってもおおらかな声を出してくれました。

うん。今日はこれで良かった。

勉強したのは3分だったなぁ。
でも十分。

僕は仕事「も」大好き

多分僕の発信の仕方のせいなんでしょうけれど…

「仕事楽しいでしょう?」

と尋ねられることは、少ないんですよね。

「楽しいですか?」
「大変でしょう?」
「キツイでしょう?」

と尋ねられることはあっても。

でも、僕は仕事もだし、子どもたちとの時間も大好きです。

そして、仕事「が」好きなんじゃなくて、仕事「も」好きなんです。

家族も、自分一人の時間も、友人との時間も、散歩もドライブも…

好きなものがいっぱいなんです。

「あぁ、嫌だな」ということが全く無い訳ではないですよ?
嫌なこと、面倒なこともあります。

でも、毎日基本的には「子どもたちのイキイキ」と同じくらいに「自分がイキイキ」出来ることを大切にしながら価値判断していっています。

「永田さん、元気ですよね~」
と、言われることが多いのは、食事や睡眠は自分の必要に応じて取って、体調管理、身体作りに気を使っているという面もあります。

でも、それ以上に「自分がイキイキ」出来ることを大切にしながら毎日を送っているから、なんだと思います。

そう、僕の回りは好きなもので溢れています♪

自分の好きなものだなら追求、追究、していけるんです。

だから、僕の価値観を押し付けようなんてこれっぽっちも思わないのですが、自分の好きなものだから、踏みにじられるようなことがあれば腹を立てます。

それがなんだか気難しそうに取られるんでしょうね(笑)

自分では「変人かも」とは思いますが、「偏屈ではない」と、思っているのですがどうなんでしょうね?

基本的には真面目だと言われるし、自分でもそう思います。

その一方で、結構遊び心は豊かな方だとも言われるし、自分でも思います。

こうやって書いてみると、僕は仕事「も」好きな子どもだ(笑)

ちゃう、ちゃう、ちゃう!

どんどんと語彙の増える息子。

意思表示もバリエーションが豊かになってきました。

「ちがっ」(違う)

が、

「ちゃう、ちゃう、ちゃう!」

にバージョンアップしています。

恐らく僕ら夫婦の真似ですよね(笑)

「とーちゃん、取って!」
「これ?」
「ちゃう、ちゃう、ちゃう!」

これはツボだ。

わざと言わせたくなっちゃう♪

片山ご夫妻の温かさに触れて

今日はCoCokaraひのさとにて開催された暮らしの再生塾に参加していました。
というのも、今日のテーマが「子どもの居場所」であったから。

主催者の柴田健先生からもお声かけ頂いたのも後押しになり、行ってきました。
柴田先生ありがとうございました。

さてさて、その暮らしの再生塾ですが今日は、長崎で子どもの居場所づくりをご夫婦で取り組まれている片山ご夫妻の講演&ワークという構成で進行しました。

子どもの居場所づくりということについて熱心な方がたくさん集まっていて、場自体も素敵でした。

もちろんご夫妻のお話もとても面白かったです。

申し込み不要、参加費無料、年齢も自由、「来ていい」「帰っていい」「出入り自由」、遊ぶも遊ばないも自由…そういう中で場を維持していく、ご夫妻の子どもたちへの温かいまなざしを講演を通して感じました。

こういう言葉で良いのか分かりませんが、ご夫妻は「過ごす」ということを通して子どもと向き合い、一方僕は支援を通して「指導的」立場を取りながら子どもと向き合うことの多い立場としての出会いでした。

“子どもらしい子ども時代”
“子どもが主役の暮らし”
を子どもが持てるように考えていく、ということについてこれほどにまで違う立場でも、共有できるというのはうれしくありました。

家庭的で地域的で社会的で、個で集団で。
そんな印象がありました。

僕自身、5年後、10年後どんなことをどんな風にしているか分かりませんが、これまで僕が見てきた触れてきた、実践してきたところとは違う在り方を知ることが出来たので、これからの活動のヒントをもらった気がします。

運営方法もそうだし、子どもへの向き合い方、他者との向き合い方も…

絶対に近々尋ねようと思います。
自然と暮らしの学校「てつなぐ」Facebookページ

無料の居場所づくりを維持するための応援も必要です。
興味のある方は是非のぞいてみてください。

簡単ですが、今日の思いを全く残さないまま一日を終えるのも惜しかったので。

片山ご夫妻もありがとうございました。

2018年1月16日火曜日

まるで眼鏡をかけるように

支援とかバリアフリーとかの概念というか考え方と言うか…
そういう類いのものが、まだまだ特別視されていると感じることが多々あります。

それが、眼鏡をかけるように自然に、気軽に、認知されれば良いのだろうな、と思います。

「眼鏡をかけないと見えない」というのも、困り感です。
でもそれを障がいと考えている人は案外少ない気がします。

それは、眼鏡を購入したり、作ったり、掛けたりすることが、自然に気軽に手軽に行えるという文化、習慣が出来たからだと思うのです。

「目が悪くなったから眼鏡をかける」

今の時代だからこそ、眼鏡については比較的簡単に調達出来て、困り感を解決出来るようになりましたが、ずっと以前は違ったはずなのです。

視力が0.1とかだとしたら、眼鏡の無い時代にはそれはそれは大変だったはずなのです。
それが今では眼鏡1つで解決出来るようになっているのです。

例えば僕ら支援者が今していることが、もっともっと浸透して、文化として根付いて「ぁあ、これで困っているなら、こうすれば良いね」と簡単に考えられるようになって…

互助も当たり前になれば…

理想ですけとね。

でも、今やっていることが何十年か先の文化の基礎になるかもしれない、と思うとワクワクするのです。

離れることが出来るようになれば

もう1つCちゃんについて。

先の記事で、「ビート板キック」で大きくステップアップした彼女。

あれだけ出来るようになれば、水の中で彼女から離れたところから、指示を出せるようになってきます。
この距離が生まれても指示が通るか、というのは結構大切で難しいものです。

ピッタリ着いていると指示も要求も通るし、向こうからもボールを投げてくる子が、距離が生じた途端に、キャッチボール出来なくなるということもありますからね。

今日は、3~4メートルは離れて「ここまでおいで!」「足をあげてごらん」が出来たし、「見て!出来てる?」という発信も受け取ることが出来ました。

こういうことを重ねていくと、例えば外出先でずっと手を繋がないといけない、というところから脱するきっかけが見えてくることもあります。

そういう生活に根差したプールをしていきたいものです。

秘密の特訓してるんちゃう?

未就学児のCちゃん。

昨年末は早めにプール納めになっていて、今日がプール初めだったので、実に約1ヶ月ぶりのプールでした。

1ヶ月空いたらどんなかな~?
と思いながら僕も彼女の元に向かったのですが、僕を見つけたら、すっごい嬉しそうな表情を向けてくれました。

まずは一安心。

更衣を済ませてプール室に行って、体操していざ入水。
体操から入水までの流れも少しずつ定着してきています。

そのうちに一連の流れを自分で出来るようになれば良いなぁ。

さてさて、入水して泳ぐ中で一番驚いたのは「ビート板キック」。

1ヶ月前のレッスンでは、途中でビート板を手放して、身体ごとドボンと沈むことが度々あったのですが…

今日は25メートル泳ぐ間、1度も手を放さないのです!

まだまだ自転車を漕ぐような足使いですが、足で力強く水を捉えて、ぐんぐん進むんです!

これには驚いたし感動しました。

「ここまでおいで!」と呼ぶ僕のもとを目指して一生懸命に足を動かして、自分で泳いで進んでいる手応えを味わって…

よーし、すごいぞー。

ちょっと調子に乗った僕は、それまで「パン!ポン!パン!ポン!」と声を掛けながら、水を手で叩くようにして足を動かすことを促していたのですが、(今日ならもう少し要求しても出来るかも!)と思って、少しやり方を変えてみました。

手のひらを上に向け、「足!上に!」という声掛けと共に、手を下から上に仰ぐようにして指示を出してみました。

すると、彼女の足の動かし方が僅かに変わりました。
太ももの後ろ側と背筋を使うようにして、なんとか水の上に足を上げようという意識が見えました。

もう、これはスゴいことなんですよ。
彼女にとっては特に!

こちらの要求に合わせて身体の使い方を変えるし、そもそもコミュニケーションの段階としてはグンとレベルアップです。

この経験が必ず数週間後に幅を持ち始めます。
コミュニケーションを、人との交流に喜びを覚えたらそれはそれは、世の中が、世界が面白くなります。
それは成長の原動力です。

身体を大きく使うことを通して、人との交流を楽しみ始めた彼女。
今度は、「してみたい」をもっともっと引き出して、もう少し小さい細かい作業にも繋げたいかな。
着替えや靴を履く場面にそういうことが活きてくれば、生活の幅もゆとりも生まれると思うのです。

きっと、正月の間、彼女は秘密の特訓をしていたに違いない(笑)