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2019年12月24日火曜日

「なんだか歩くのが楽」

つい先ほどプールのレッスンを終えた小1の男の子。

成功体験が少ないのかな?
初めて会ったときから、緊張感を身体全体に醸し出していました。

少なくとも僕には、身体の持つ緊張感は、機能的なものよりも情緒がそうさせているように、見えていました。

1つずつステップを確認して、“地に足の着いた感じのレッスン”を心がけてきました。
そうして、彼自身が、自分の体験として実感を持てるようにすることが大切だと思って。

そんな彼から、レッスン後にこんな言葉が聞けました。

「プール終わったあと、歩くのが楽」

僕もプールのレッスンの前後で歩き方が違っていることは気づいていましたが、本人が感じられるというのは嬉しい限り。 

レッスン前は、跳ねるようにして爪先立ちのように歩いている彼ですが、レッスン後は、足の裏全体を床につけて歩いています。

肩も力が抜けて、腕も前後に揺れるようにして自然に振れるようになります。
レッスン前はいつも胸の前に置いているか、速くブンブンと“硬い”印象を周囲にも与えるような歩き方です。


プールで「出来た」を持って帰って、安心感を伴って帰ってくれているのではないかな?と。

これだけでも彼と出会えて良かったと思えるのです。

2019年12月18日水曜日

駄洒落で学習意欲を!

【英単語に夢中!】
中学生になると英語が学習のネックになってしまう子もいます。
特に英単語は、繰り返しやらされたりするし、文法も分かるような分からないような…

とにかく楽しくないんでしょうね😅

学習サポートで、英語を通して付き合う子が数人います。
彼らのほとんどが、楽しくなくて、つまらない様子。

合間にどんな会話をして、どんな息抜きをして、どんな風に学習内容を伝えるか…
それについては僕なりに、かなり準備もします。
子どもによって、全然違う過ごし方になります。

ここで紹介できるものになるか分からなかったのですが、1か月経過して様子も面白い具合になってきたので、エピソードを紹介します。

1か月前。

ワークを使って学習していた子が「talk」という単語の意味を思い出せず、頭を抱えていました。
会話する、っていうことだよ、と伝えると「あぁ、そうか…」と書き始めました。

でも、やっぱり答えを自力で書けなかったのは寂しそうでした。

もう、この流れが良くない気がして…一発笑わせてやれないか?と思っちゃいました。

永田「ねぇ、目の前の人と会話してるのにtalk(トーク)って可笑しくない?」

男子「…?……!何言いよると!?(笑)つまらんし!」

それから面白がって単語を見返していました。

この調子で1ヶ月近く、毎週会う度に自分で調べた駄洒落っぽい単語を披露してきます。

2019年12月17日火曜日

来年は手帳を持ちません

この仕事を始めて10年。

毎年、年末には手帳を買いに行くのが習慣になっていましたが、今年は手帳購入を見送ろうと思います。

スマホのスケジュール管理アプリを活用してみようと思います。

これまで、見直しもせず習慣で、手描きのスケジュール帳を買ってきていましたが、自分の公私の生活を見直して、本当に必要なのか?というところに行き着き、当面は手書きのスケジュール帳から離れて、スケジュールと向き合ってみようと思います。

なんでも障がいのせいにしないで!

この仕事をしているとたまに悲しい事例にも出会います。

例えば、学校や保育園、幼稚園…その他の子どもたちが利用する各種施設において、お部屋から“脱走”を繰り返す子がいたとして、それを特性のせいにする…そういう悲しい現実に出会うこともあるのです。

特に、ADHDなどの特性や疑いがあると思われる児童がそういうことを行うと、障がい特性としてよく上げられる「多動」「衝動性」を引き合いに出すというケースは何度か出会ってきました。

本当にそうなのでしょうか?

彼らの特性の問題ではなく、支援者側の保育課題、支援課題というところで見落としているところはないか?ということをまずはよく考えてみていただきたいものです。


単純な話です。

居心地の悪いところに、あなたは居続けたいですか?

“脱走”するのは、居心地がよくないからでしょう。
好きな場所にはいるはずです。

その単純なことを見落としていないか?
“何か”起こったときには、まずそれを見直すべきです。

子どものことを見つめていくのは当然として、支援者側の課題と子ども自身の成長段階を混同するのはマズイです。

どちらも悲しい思いや体験を重ねるばかりになってしまいます。

2019年12月10日火曜日

「慰める」と「励ます」の使い分けで学習サポート

僕は多分、“慰める”とか“励ます”とかについて敏感です。

まず、慰めっぱなしにはしません。
子どもたちがまた歩き出せるよう励ますタイミングを図りながら慰める、をしていくのです。

慰めるっていうことは大切ですけど、「子どもたちをいつまでも悲劇のヒロインにしておきたくない」という思いが僕の中にはあります。

20代前半、僕はとても辛い時期がありました。
それこそ死にたいほどに。
(いや、死ぬかと思うほど、かな?)

あの時期、本当にたくさん慰めてもらっていました。

でも時間がある程度経ち、落ち着きを取り戻してくると、「慰められている自分」がまるで情けない存在のように思えてきた時期があったのも事実です。
その後にはたくさん励ましてもらいました。
僕の周りには幸い励ますのが上手な人がいたから、また歩けるようになりました。

そういう経験から、慰めると励ます、の使い分けには敏感です。



対等(なんかもっと良い表現があれば良いけど直ぐに思いつかない…)に、目の前の子どもたち青年たちとも付き合いたいと思います。
だから“上から”慰めるだけでなく、“同じ高さ”に並ぶことを意識した「慰める→励ます」をします。


今日は中学生の男の子との学習。

とにかく自信を失くしてしまっている彼。
何事からも足が遠退き、いろんな物事の敷居が高くなっていっているのでしょう。

待ち合わせの場所に到着したら、彼の方が先に到着していたのですが、車の中に立てこもり中。

約10分お母さんが話をして、なんとか車から下りてきました。
下りてきて、話さえ出来る状況を作ってもらえたら、僕の出番。
(ここで下りてきてもらえないと僕の出番はなかなか来ないのです。出来るだけ僕は出張らない方が良いと思っています。親子で乗り越えられるのなら、その方が良いから。)

今日は親子で「乗り越える」体験も出来ました。
それも良かったです。



そこから時間を計算して、どう過ごすか組み立てます。

30分!今日の見立てはこのくらい。

その中で、話を聞いて、それに対して必要と思われる慰め、そこから励ます…。

そしたら、多分、後半は学習するしないはともかくとして、“僕の知る彼らしさ”を見ながら過ごせるようになる、という見立てで支援スタートしました。


慰めていくと、途中で背中の力が抜けたり、方の力が抜けたり…あとは顎あたりから力が抜けたりするのが目に見えて分かるタイミングというのがあります。
他にもいろいろと判断材料はありますが。

それを待って励ます。
ということをしました。


すると、今日は後半、自ら学習道具を広げて学習を始めました。

今日は「もし、分からんところがあったら声かけて」くらいにしました。
せっかく自分の足で歩く体験をしているのに、手出し口出しするのは野暮でしょ?

そうすると本当に分からないところだけ、尋ねてきて黙々と取り組みます。
そして、とても穏やかな表情、姿勢、声(鼻唄をうたっていました)で過ごします。
質問する際もキラキラした目で、尋ねてきます。

その間に、僕は保護者宛にお手紙を書きます。
どんな思いや考えをもって僕が彼とやり取りをしたのかを伝えておくために。

それも含めて僕の考えるサポート。

帰りには親子とも、ホッとした表情で車に乗って帰っていきました。

ソーダゼリーを作るのだ

小学校低学年のR君。
プールに通い始めて2年弱。

初めは幼稚園児の頃は…とってもとっても怖がりさんでした。
慎重という言葉では足りないくらいに、新しいことへ取り組むとなると、ドキドキしながらになります(^^;

そんな彼、少しずつチャレンジすることにも前向きになってきて、最近は頼もしささえも感じます。
(もちろん彼自身の成長でしょうが、弟が生まれたというのが、彼を“お兄さん”として背中を押したところは大きいと思います)

この数ヶ月、彼はクロールで僕の補助を外すための取り組みをしてきています。

体力、筋力、身体の使い方の兼ね合いで、まだ息継ぎが出来ませんが、少しずつ離れる時間が増えてきました。

自分で泳ぐ、泳げるという、その自由さを味わえるようにもなってきました。


腕も大きく回せるようになって、進むようにもなってきました。
と、同時に余裕も出て来て水中の様子も確認出来るようになってきたのでしょう。

「先生、見て!僕が水を叩くと泡がいっぱいになるんだよ。ソーダゼリーみたい」

と。

なんとも可愛い例え🎵

ソーダゼリーをたくさん作るぞ!

でエイエイオー!をして俄然やる気になっていました。

楽しむことがまずは大切🎵

2019年12月6日金曜日

久しぶりのプール、帰り際の涙の意味は?

体調不良が続いて、ずっとお休みが続いていたA君。
久しぶりに昨日プールに来られました。

彼は特別支援学校の小学部1年生。
発語はない子だけど、とても表情豊かな子です。

僕がプールのロビーに入ったら、既に到着していたので「こんにちは~、久しぶり~。もう身体は大丈夫かな?」と声をかけながら近づいたら、それはもう可愛い笑顔で近づいてきてくれました。

うん、僕も会いたかったよ。

久しぶりのレッスンだったから、メニューもお休みし始める前よりも、取り組みやすいであろう段階に戻してみました。
それも奏功して、終始ご機嫌でした。

泳ぎ終わって、身体を拭く練習の途中。

急にバスタオルを放ったと思ったら…

声を出しながら笑って、抱きついてきました❤️

ひとしきりハグをして「ありがとう。よし、身体を拭く続きね」と、バスタオルを持って身体拭きを再開したら、ニコニコでゴシゴシ身体を自分で拭き始めました。

ここまでで、僕はメロメロだったんです。

ただ、続きがあって…

帰り際、挨拶をして車に乗る段になって少し顔を曇らせて、目にはうっすら涙。

言葉で言い表せない彼。

僕の推測でしかないけど…

「久しぶりでドキドキしたけど頑張ったよ、ボク」
「もっとしたかった!」
「でもやっぱり久しぶりで疲れたよ」

そんな風に見えました。

この表情を引き出すような過ごし方が良かったのか、そうでなかったのか…

今はまだ分かりませんが、来週、彼がどんな表情でプールに来てくれるか…楽しみに待ちたいと思います。

2019年12月5日木曜日

どうかお身体を大切に

プールで毎日のように顔を合わせていたおじいさんMさん。
年齢は確か84歳と仰っていました。

会えば、それはもう本当にお元気そうな笑顔と大きな声で「お!来たな!大将!元気か!?」と、僕の連れてくる子どもたち、全てに隔てなく声をかけて下さっていました。

僕自身へも、「あの子は上手くなったな~」「あの子は根気がいりますな~」「今日は何時間プールに入るとですか?」「ひゃー!そんなに!ふやけてしまうな」「身体壊しなさんなよ」「そのうち呑みましょう」…本当に温かく声をかけて下さいました。

僕もこんな性格なので、自分のおじいちゃんのように慕って、冗談を言ったりからかったりして、二人で何度も大笑いして、「本当の孫と爺さんみたいやな」と周りからも言われたことがあるほどでした。

「おじいちゃん、お小遣いくれないんですよ」と周りに言ったら「しっかり働いているくせに酒の一本も持ってこない孫め」というやり取りをしたこともあるくらいに仲良くさせていただいていました。

そんなMさん。
ここのところお見かけしないから少し心配していました。

年齢が年齢だけに、体調崩されたのかな?
寂しいなぁ。

と。


今日もプール支援のためプールで更衣をしていたら、他のお年寄りが声をかけてくださいました。

「先生、Mさんっておったでしょうが。あんたと仲良く話しとったじいさま。」
「はい、最近お見かけしないですよね」
「昨日、少し来たんだけどね。車でちょっとした事故を起こしちゃったみたいで、本人も他にも怪我は無かったみたいだけど」
「あら~、そうだったんですか。でも大事に至らなくて良かったですよね」
「本当にね。でも車の運転は一切止めるみたいでね。ここにも来られなくなるって挨拶に来たとよ」
「そうだったんですか。寂しいなぁ」
「そうやろ、あんたも仲良かったもんなぁ。あんたのことも言いよったよ。『頑張って』って伝えるように言われとった」
「そうですか、ありがとうございます」

とても賑やかで義理とか人情とかに溢れた素敵な方でした。

伝言を聞いたときにはさすがに、生徒がいたから普通に振る舞いましたが、車の中で思わず泣いちゃいました(^^;

ご存命で、お身体が元気なうちは、どこかでお会いする縁もあるかもしれません。

でも、日常的に会えなくなるのはやはり寂しいものです。

ぐるんぱの活動を宗像で始めて間もなく声をかけてくださいました。
約4年。
本当にありがとうございました。

どうかお身体を大切にして、お過ごしください。
大好きなお酒。
ご一緒出来ませんでしたが、飲み過ぎに気をつけて、楽しんでください。

僕も身体に気を付けながら、子どもたちと歩き続けます。