1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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2018年9月27日木曜日
泣きたくても泣けない。その傍に。
2018年9月26日水曜日
「ペンギン、可愛いけん、いいやん?」
高校生のOさんとのプールでのやり取り。
背泳ぎしている際の腕の回し方が小さくなってきていたので、「Oちゃん(本人とのやり取りでは“ちゃん”を付けた愛称で呼んでいます。それももうそろそろ卒業かもな(^^;)!手の動きが小さくなってきてる!ペンギンみたいになっとーよ!」と声をかけました。
そこからOさん節。
「ペンギン、可愛いけん、いいやん?」
(笑)
お!そうきたか。
永田「ペンギンだから、可愛いとよ、あれは。Oちゃんがやっても、ペンギンのとはちょっと違うなぁ(笑)ペンギン“みたい”だけどペンギンじゃないやーん」
O「あ、そうかぁ。じゃ、どうすればい?」
永田「腕をね…」と説明。
いざ実践。
O「永田さん!どう?ペンギンよりもいい?」
(笑)
永田「いいよ!その調子!」
わーわー、賑やかにやってます。
それから、ちょっと真面目な話も。
彼女、今、泳ぎがぐんぐんと上達してきています。
すると、尋ねてくることも、どんどんと具体的になってきています。
泳いでいる途中で“あれ?”と思ったら、「永田さーん、足が難しい気がする」「手は、こう(動かしながら)で良いと?」という具合に自分の中のクエスチョンマークを具体的に伝えてきてくれるようになりました。
以前は、「わからーん」「どういうこと?」と混乱してるような尋ね方が多かったのですが。
自分の中にイメージも持てるようになってきているのでしょうね。
それに自分の姿を重ね合わせるけれど、「どうもイメージと違う気がするなぁ」という疑問をこちらに向けてきている。
そんな気がしています。
大丈夫。
あなたは毎回、いや僕の見ていない時間も含めて毎日、成長しているよ。
2018年9月24日月曜日
手応えとして、実感として持てるか?
一緒に過ごしていると、「出来てた?」「これでいい?」ということを自信なさげに盛んに尋ねてきていた子がいます。
「いいね!!その調子だよ」と言っても「うーん…分からん」と答えるばかりで、「出来たね」と言っても「・・・」という感じだし…
人からの評価を気にしてばかりで、自分で実感として、自信として、自分のしたことを受け止める、受け入れるということが苦手なように見えていました。
評価以外の面でも「○○しちゃったけど大丈夫よね?」と(おぉ、そういうところも確認が必要か)とたまに驚くような確認をしてきていました。
そこでこちらから「出来てたろ?」という投げかけて、本人が「うん」とか「出来た」とかいう言葉を口に出せるような投げかけをすることにしました。
そういうことを続けてきて半年。
「今の見てたろ?良かったろ?」と彼の方から僕へ自信に満ちた表情で、話しかけてきてくれました。
この言葉、「僕に」認めて欲しいというより、「自分で」実感として、手応えとして味わえているニュアンスが強かったように感じました。
承認欲求っていうのは、誰もが大なり小なり持っているわけで、「自分ではない誰か」に認められるというのは嬉しいものです。
けれども、僕は「自分自身で」自分の行いを認めていくということは、とても大切だと考えています。
それが自らを成長させていくためのエンジンづくりの基礎だとも思っています。
自分づくり、土壌づくりだと思っています。
だから「すごいね」とか「頑張ったね」という表現よりも「ほら、出来たろ?」「続けられたろ?」みたいに本人に確認のために投げかけるという言い回しを選んで使っています。
特になかなか自信を持てずにいる子には。
「誰か」に認められるというのは確かにうれしいものです。
でも「誰か」が見ていないと出来ない、というのは不自由です。
寂しいですし。
だから「見ていても」「見ていなくても」出来るように、僕と過ごす時間は「一緒に」「分かち合いたい」と思っています。
僕からも称賛を送り、自分でも味わってほしいのです。
学習でもプールでも。
【お知らせ】2018年11月に報告会を計画中
2018年9月23日日曜日
集団づくり部会へ参加してきました。子どもたちの気配を感じながら勉強って良い♪
17時以降の仕事を調整させてもらって、19時15分~21時半まで勉強会。
今回の出席者は11名だったかな?
素敵な仲間に囲まれて素敵な時間でした。
前半、集団づくりとは?という原点についてのF先生の話からスタートし、その後それぞれの保育者の「気になること」を話題にして、考え合いました。
こういう温度のある勉強会に参加すると、元気が出ます!
内容については、もう少し僕の中で寝かせて、それから機会があれば書いていきたいと思います。
ところで、今回の会場は学童保育「よりどりちどり館」で行われました。
19時まで子どもがいて、子どもたちと入れ替わりに大人が集まり勉強会スタート。
室内には子どもたちと支援者の日常、生活…子どもたちとの時間、思い、温度、気配が溢れていました。
遊び道具、本、掲示物、設置物、壁、備品…ありとあらゆるところに子どもたちの気配を感じることが出来ました。
研修室のような場とは違う、子どもたちの無邪気な気配の中での学びは、僕の気持ちも後押ししてくれました。
ここのところ忙しさに追われる感じが少々あったのですが、息を整えて、自分自身の状態を確かめて、リセットさせてもらいました。
おかげで、フル充電です。
もちろん、学びもたくさんありました。
なので、また子どもたちとの時間に還元していけるように、ボチボチと歩んでいきます。
兄弟のつながり
2018年9月21日金曜日
やんちゃライダーとダーク先生
幼稚園児の男の子。
ここのところ何やらお疲れの様子。
虫の居所も悪く、いろんなことが思うように運ばない様子。
今日もプールに到着した時、お母さんと問答していました。
その様子から(よし、今日はお話しながらやろ)と決めました。
受付から更衣室、入水するまでにも他愛ないお喋りをしながら(核心を話しやすくなる下準備)、コントさながらのやり取りを展開しながら進行しました。
程よく身体も動かして、お喋りもしたところで、本人の気にかかっている事へと話題を転じました。
すると表情を改めて、しばらく溜めて、大きく一息ついて、話を始めました。
話題は転々とします。
それでも彼の顔は真剣そのもの。
急に話題が変わっても、それを全て聞いていきます。
うん、そうなんだね、それで?
話を促しながら、最後に「こういうことなんだよ。分かった?」と。
「なるほどね。よーく伝わったよ。話してくれてありがとう。」と伝えました。
少しホッとした表情でした。
良かった、話が聞けて。
本当にそう思えました。
彼は今、葛藤しているようです。
“お行儀良く”頑張ることへの疲れと、頑張りたいし、期待にも応えたいという思いとの間で揺れているようでした。
「あなたが思う、カッチョ良くで良いよ!」
そう声掛けたら、
「こう?…ライダーキック!ダーク先生、覚悟しろ!」
とライダーごっこをしながら、ビート板キックを見せてくれました!
「なにをーー!?ダーク先生ビーム!」と返したら、また
「そんなのかわしてやる!」
と、泳いで避けました。
「ほらぁ!それで良いじゃん!?楽しいやろ?」
と伝えたら、とても満足そうな顔でニカッと笑いながら、
「うん!」
と返してくれました。
彼の止まり木のようにして、来週も、来週の彼が現れるのを待っていようと思います。
2018年9月20日木曜日
地域に根付きつつあるという実感
2018年9月5日水曜日
何が“ちゃんと”なのか
小学校低学年のS君
今日は、他の子どもたちの帰りが遅く一人早くえるそるへ到着。
それに対して、部屋には大人が僕を含めて3人。
S君は、自分中心に流れる時間を満喫したくなったようで、宿題をテーブルの上に出してみたものの、なんだか宿題に取り掛かるのが、もったいなく感じた様子^^;
大人を独り占め♪
こんなところでしょうかね?
3人の大人に順に甘えていました^^
僕の膝の上に座ってきたり、他の先生に抱き着いてみたり、ちょっといたずらをしてみようとしたり…とってもかわいい時間を過ごしていました。
一向に宿題に向かう気配もありませんでした。
学習サポートとして行っている僕がこんなことを言うと怒られてしまいそうですが^^;
正直、一緒にいる時間に宿題をするとかしないとかいう結果を僕は求めていません。
宿題をしてほしい、という思いを持っていたら「せっかく先生がいるのに」とか「せっかく他の子もいなくて静かなのに」と思ってしまうかもしれません。
でも、この子にとって今日の時間は「せっかく僕と先生たちだけなのに、勉強するなんてもったいない」という心持だったのかもしれません。
途中で「宿題せんとー?」とか「宿題先生が代わりにしちゃおうかな?」とか、ちょっとしたイジワルを言ってみても、「やめてー、僕がするから」みたいな返答を見せるのですが、やっぱり手を付けないんですよね。
(僕の方でもこの時には、宿題に向かわせるつもりがさらさら無いから、僕もグダーっとした姿勢を見せながらニヤニヤしながら問うので、スイッチが入るはずもありません)
なので一緒に、僕も他の先生も、「この時」を楽しむことに専念して、彼がアレコレとコミュニケーションのボールを投げてくるのを受けて、投げ返してを楽しんでいました。
実に1時間。
他の子どもたちが帰ってくるまで、キャッキャと、はしゃいでいました。
それで多分、満たされたのでしょうね。
他の子どもたちが帰ってきて、周囲がワサワサなり始めたころに、こちらが何も言わずとも宿題に取り掛かり始めました。
“きちんと”とか“ちゃんと”とかって、案外(と言うほどでもないですが)大人目線の言葉だと思うのです。
いえ、大人目線で使ってしまうことが多いという方が正確かもしれません。
今日のS君を見ると、一人の時間に宿題をしたわけではないですし、到着してから宿題を終えるまでに1時間半近くかかっています。
それでも、彼が自分で時間の使い方を選択して過ごせたのは、とっても素敵なことだと思うのです。
これこそ“ちゃんと”ではないか?と僕は思います。
押し付けられるのではなく、自分で。
「大人目線で必要」だと思うものを獲得するためにアプローチすることも、中にはあるかもしれません。
でも、基本的には子どもたちは、子どもたち自身で「自分に必要」なものは、選んでいっているように思います。
もしかしたら、その時の「大人目線」とは違うものかもしれませんが。
それでも確実に、子どもたちの表情や身振り手振り、言葉の端々には、間違いなく「自分に必要なんだ」というサインが含まれていると思います。
それを汲み取って寄り添うのが、大人の役割ではないかな?
と思いました。
2018年9月3日月曜日
姿勢について
小学校高学年のHくん。
彼の学習の様子を見ているとあることに気が付きました。
「計算をしているときと、漢字の書き取りをしているときとで姿勢が違う」
ということが起こっています。
計算の時は、いわゆる“良い姿勢”に近いです。
背筋が伸びて(実際には彼の体質もあり、少し丸まるのですが)、ノートと目の間の距離がある程度あります。
漢字の書き取りの際には、もう目とノートがくっつくのではないか?と思うほどに近づけて取り組んでいます。
じゃあ彼自身は、どちらを得意としているか(自覚として)?と言えば、断然漢字なのです。
見方によっては“姿勢が悪い”と捉えられてしまいかねないし、怠そうに取り組んでいるようにも見られかねないのですが、漢字の方が彼は“得意”だと感じているし、“好き”なのだそうです。
ここからは僕の解釈なのですが、苦手な算数の時に目線がノートから離れるのは、「嫌だな」「難しいな」「大変だな」が無意識に身体に反応として出ているのでは?と思うのです。
反対に漢字の時に目線が近づくのは、“のめり込む”みたいな心持ちなのではないかな?と思えるのです。
その結果として、計算をしてるときに目が離れる分、視界にはノート全体が飛び込んできます。
その情報量が多過ぎて計算ミスや単純な写し間違いが起こり、「やっぱり苦手だ」という悪循環を生んでいるように見えます。
漢字の時には、注目すべき箇所に目が近づき、ミスが起こり難くスムーズに取り組めるということが起こっているように見えます。
そこで一緒に学習をする際に心掛けていきたいと思っているのは以下のことです。
・“姿勢”は、彼のサインである。
目線が近づいているときには、集中して取り組めているときだし、反対に目線が離れているときには、「大変さ」や「難しさ」を感じているとき。
それに応じて声掛けやその他のサポートの頻度や方法を選んでいく。
・集中している=良いと思い込まない。
集中“し過ぎ”に気を付けることは必要だと思うので、様子を見ながら、ある程度の時間や量を終えたら声をかける。
これは“中断”させるほどでなくても良いと思っている。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ…集中して作り上げた彼の世界に、「外の世界もあるよ~、忘れないでね~」ということを伝えるくらいのイメージ。
彼が手を止めずに「うん」くらいの相槌で済む声かけなど。
こういうことを僕は心掛けていきたいと思っています。
それから、もし、この“姿勢”を活かしていくとするなら、身体からアプローチをしていくのなら、「苦手だ」と感じているものに取り組む際に、「もっと目を近づけてごらん」という手は、あるいは有効かもしれない、とも思うのです。
(ただ、このやり方をするには、もう少し観察が必要だと思っています)
彼との学習も週に1時間だし、まだ数ヵ月の付き合いだから、彼の学習時間の総量にしたら、僕が見ている姿は一部でしかありません。
なのでデータと呼べるほどの蓄積があるわけではないですが、当面は、傾向や可能性として捉えることは出来るかな?と思っています。
ここから次のステップというか、展開を考えていくための糸を手繰っていくことになりそうです。