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2018年9月27日木曜日

泣きたくても泣けない。その傍に。

泣くという事だって、必要だから泣くのだと思います。

泣きたいのに泣けないのは、やっぱりしんどいものです。

僕が付き合っている子どもたち、青年たちの中には、「泣きたくてもなかなか泣けない」という人たちが少なからずいるように、僕の目には映っています。


ある青年。

プールの最中。
顔をクシャっとして、何度か「泣きそう」な表情を浮かべるのですが、「うぅ…」と喰いしばるような表情で、泣くのを抑えているようでした。

今日、その場では静かに見守って(いられたか自信はないけれど…)いただけでした。

その表情の意味はいくつか心当たりがあります。

でも、そこにどう介入するべきか、そもそも介入するべきか…

いえ、多分僕が判断するとか、そういう事でないのかもしれません。

彼の心。
その流れに置いていかれないようにだけ、気を付けながら、求められたら手を差し伸べられる場で待つ。

今の僕の役割はそういう事のような気がしています。

2018年9月26日水曜日

「ペンギン、可愛いけん、いいやん?」

高校生のOさんとのプールでのやり取り。

背泳ぎしている際の腕の回し方が小さくなってきていたので、「Oちゃん(本人とのやり取りでは“ちゃん”を付けた愛称で呼んでいます。それももうそろそろ卒業かもな(^^;)!手の動きが小さくなってきてる!ペンギンみたいになっとーよ!」と声をかけました。

そこからOさん節。

「ペンギン、可愛いけん、いいやん?」

(笑)

お!そうきたか。

永田「ペンギンだから、可愛いとよ、あれは。Oちゃんがやっても、ペンギンのとはちょっと違うなぁ(笑)ペンギン“みたい”だけどペンギンじゃないやーん」

O「あ、そうかぁ。じゃ、どうすればい?」

永田「腕をね…」と説明。

いざ実践。

O「永田さん!どう?ペンギンよりもいい?」

(笑)

永田「いいよ!その調子!」

わーわー、賑やかにやってます。

それから、ちょっと真面目な話も。

彼女、今、泳ぎがぐんぐんと上達してきています。

すると、尋ねてくることも、どんどんと具体的になってきています。

泳いでいる途中で“あれ?”と思ったら、「永田さーん、足が難しい気がする」「手は、こう(動かしながら)で良いと?」という具合に自分の中のクエスチョンマークを具体的に伝えてきてくれるようになりました。

以前は、「わからーん」「どういうこと?」と混乱してるような尋ね方が多かったのですが。

自分の中にイメージも持てるようになってきているのでしょうね。

それに自分の姿を重ね合わせるけれど、「どうもイメージと違う気がするなぁ」という疑問をこちらに向けてきている。

そんな気がしています。

大丈夫。
あなたは毎回、いや僕の見ていない時間も含めて毎日、成長しているよ。

2018年9月24日月曜日

手応えとして、実感として持てるか?

ある男の子。
一緒に過ごしていると、「出来てた?」「これでいい?」ということを自信なさげに盛んに尋ねてきていた子がいます。

「いいね!!その調子だよ」と言っても「うーん…分からん」と答えるばかりで、「出来たね」と言っても「・・・」という感じだし…

人からの評価を気にしてばかりで、自分で実感として、自信として、自分のしたことを受け止める、受け入れるということが苦手なように見えていました。

評価以外の面でも「○○しちゃったけど大丈夫よね?」と(おぉ、そういうところも確認が必要か)とたまに驚くような確認をしてきていました。

そこでこちらから「出来てたろ?」という投げかけて、本人が「うん」とか「出来た」とかいう言葉を口に出せるような投げかけをすることにしました。

そういうことを続けてきて半年。
「今の見てたろ?良かったろ?」と彼の方から僕へ自信に満ちた表情で、話しかけてきてくれました。

この言葉、「僕に」認めて欲しいというより、「自分で」実感として、手応えとして味わえているニュアンスが強かったように感じました。



承認欲求っていうのは、誰もが大なり小なり持っているわけで、「自分ではない誰か」に認められるというのは嬉しいものです。

けれども、僕は「自分自身で」自分の行いを認めていくということは、とても大切だと考えています。

それが自らを成長させていくためのエンジンづくりの基礎だとも思っています。

自分づくり、土壌づくりだと思っています。

だから「すごいね」とか「頑張ったね」という表現よりも「ほら、出来たろ?」「続けられたろ?」みたいに本人に確認のために投げかけるという言い回しを選んで使っています。

特になかなか自信を持てずにいる子には。

「誰か」に認められるというのは確かにうれしいものです。
でも「誰か」が見ていないと出来ない、というのは不自由です。
寂しいですし。

だから「見ていても」「見ていなくても」出来るように、僕と過ごす時間は「一緒に」「分かち合いたい」と思っています。

僕からも称賛を送り、自分でも味わってほしいのです。

学習でもプールでも。




【お知らせ】2018年11月に報告会を計画中

11月初旬になると思いますが、ぐるんぱの活動を一般向けに報告する時間を作ろうと思います。

支援者でも、保護者でも、一般の方でも。

日時、場所は今検討中です。

今、内容については練り始めています。
1回で学習とプールについてお話をしていくのか、それぞれ分けてお話をしていくのか、と言うところから考えています。

このことが何を生むのかはまだ分かりませんが、ぐるんぱの次のステップへ向かうにあたって必要なことかとは思っています。

詳細は決まり次第、随時ご報告してい参ります。

よろしくお願いします。

2018年9月23日日曜日

集団づくり部会へ参加してきました。子どもたちの気配を感じながら勉強って良い♪

金曜日、保育問題研究会の集団づくり部会へ参加してきました。

17時以降の仕事を調整させてもらって、19時15分~21時半まで勉強会。
今回の出席者は11名だったかな?
素敵な仲間に囲まれて素敵な時間でした。

前半、集団づくりとは?という原点についてのF先生の話からスタートし、その後それぞれの保育者の「気になること」を話題にして、考え合いました。

こういう温度のある勉強会に参加すると、元気が出ます!

内容については、もう少し僕の中で寝かせて、それから機会があれば書いていきたいと思います。


ところで、今回の会場は学童保育「よりどりちどり館」で行われました。
19時まで子どもがいて、子どもたちと入れ替わりに大人が集まり勉強会スタート。
室内には子どもたちと支援者の日常、生活…子どもたちとの時間、思い、温度、気配が溢れていました。

遊び道具、本、掲示物、設置物、壁、備品…ありとあらゆるところに子どもたちの気配を感じることが出来ました。

研修室のような場とは違う、子どもたちの無邪気な気配の中での学びは、僕の気持ちも後押ししてくれました。

ここのところ忙しさに追われる感じが少々あったのですが、息を整えて、自分自身の状態を確かめて、リセットさせてもらいました。
おかげで、フル充電です。

もちろん、学びもたくさんありました。

なので、また子どもたちとの時間に還元していけるように、ボチボチと歩んでいきます。

兄弟のつながり

ある程度対象児との関係性が築けて来たら、ということにはなるのですが、兄弟姉妹も一緒に過ごすということを、求められたら応じています。

ある男の子のプール。
時間が合う時には、その子のお兄ちゃんも一緒にプールに入ってきます。
その子は自分で基本的に過ごせる子で、指導と言うほどのことはしないですが、割と近くで、僕と弟のやり取り見ていて、僕も彼ら兄弟の様子を見ています。

弟は兄を真似て身体を動かそうとするし、兄は弟の様子を気にかけて…
とてもいい距離感でプールの時間を過ごしてくれています。


レッスン中、ふとお兄ちゃんの方へ目を向けたら、僕が見ていることに全く気付かぬ様子で、弟の泳ぎを一心に見つめていました。

それはそれは、ものすごい真剣なまなざしでした。
何を思っているのか定かではありませんが。

弟の頑張りに目を見張っているのか。
弟の特性について考えているのか。
自分の泳ぎと比べているのか。
家族のことを考えているのか。
これから先のことを考えているのか。

すごい真剣な顔なのですが、何というか…愛情にあふれている表情に見えて仕方がありませんでした。
弟を守ろうとする、とでも言えば良いですかね?
ある種の覚悟のような表情にも見えなくもない、そんな強い表情でありつつ、弟のことが好きでたまらないというような愛情にあふれた表情。

見ていてなんだかジーンとするものがありました。

弟は直向きに泳ぎを練習しています。
それでもきっとお兄ちゃんの思いは受け取っているのだと思います。

あれだけ仲の良い二人。

これからそれぞれに成長していく中で、2人の関係の見え方は変わるかもしれません。
それぞれに世界が広がっていきますから。
それでも、きっと二人は強い兄弟愛でつながっているのだと思います。

2018年9月21日金曜日

やんちゃライダーとダーク先生

幼稚園児の男の子。

ここのところ何やらお疲れの様子。
虫の居所も悪く、いろんなことが思うように運ばない様子。

今日もプールに到着した時、お母さんと問答していました。

その様子から(よし、今日はお話しながらやろ)と決めました。

受付から更衣室、入水するまでにも他愛ないお喋りをしながら(核心を話しやすくなる下準備)、コントさながらのやり取りを展開しながら進行しました。

程よく身体も動かして、お喋りもしたところで、本人の気にかかっている事へと話題を転じました。

すると表情を改めて、しばらく溜めて、大きく一息ついて、話を始めました。

話題は転々とします。
それでも彼の顔は真剣そのもの。
急に話題が変わっても、それを全て聞いていきます。

うん、そうなんだね、それで?

話を促しながら、最後に「こういうことなんだよ。分かった?」と。

「なるほどね。よーく伝わったよ。話してくれてありがとう。」と伝えました。

少しホッとした表情でした。

良かった、話が聞けて。
本当にそう思えました。

彼は今、葛藤しているようです。

“お行儀良く”頑張ることへの疲れと、頑張りたいし、期待にも応えたいという思いとの間で揺れているようでした。

「あなたが思う、カッチョ良くで良いよ!」

そう声掛けたら、
「こう?…ライダーキック!ダーク先生、覚悟しろ!」
とライダーごっこをしながら、ビート板キックを見せてくれました!

「なにをーー!?ダーク先生ビーム!」と返したら、また
「そんなのかわしてやる!」
と、泳いで避けました。

「ほらぁ!それで良いじゃん!?楽しいやろ?」
と伝えたら、とても満足そうな顔でニカッと笑いながら、
「うん!」
と返してくれました。

彼の止まり木のようにして、来週も、来週の彼が現れるのを待っていようと思います。

2018年9月20日木曜日

地域に根付きつつあるという実感

9月もあっという間に下旬へ。

今月も新しい子どもたちの出会いに恵まれ、考えること、学ぶこと、することにも恵まれていました。

出会う子どもたちの数だけ、関わりも、支援の目的も目標も違ってきます。

出会う子どもたちと過ごす時間の分だけ思い出も出来ていっているな、と実感をかみしめながら毎日を過ごしています。


表情で、感情で、言葉で…

実に多様なコミュニケーションの中で日々を過ごしています。



子どもたちとだけではありません。
ここのところ、地域の人たちとのコミュニケーションもますます増えて、広がって、深まってきています。

僕のことも知ってもらえて、子どもたちのことも知ってもらえて、共に可愛がっていただいています。

僕一人で出来る支援なんて、たかが知れているのですが、地域の力もあり、僕一人で出来ること以上のことが展開することが出来ていると思っています。

それを実感できるから、明日も歩けそうです。

久しぶりの更新ですが、フワッと、ザブッとした記事になってしましましたね。
「しばらく更新してないみたいだけど、生きてるかー?」なんてメッセージを頂いたので、取り急ぎ、元気にぐるんぱらしく毎日を過ごせているという事だけでも伝われば、と思い久々に書いてみました。

こういうのって習慣ですよね^^;
しばらく書かないと、「えーっと…どうやって書いてたっけ?」ってなるもんですね(笑)
忙しさを理由にせずに、やっぱり書かないといけないな。


2018年9月5日水曜日

何が“ちゃんと”なのか

放課後等デイサービスえるそるむなかたへの学習サポートに伺っている際の出来事。

小学校低学年のS君
今日は、他の子どもたちの帰りが遅く一人早くえるそるへ到着。
それに対して、部屋には大人が僕を含めて3人。

S君は、自分中心に流れる時間を満喫したくなったようで、宿題をテーブルの上に出してみたものの、なんだか宿題に取り掛かるのが、もったいなく感じた様子^^;

大人を独り占め♪

こんなところでしょうかね?

3人の大人に順に甘えていました^^

僕の膝の上に座ってきたり、他の先生に抱き着いてみたり、ちょっといたずらをしてみようとしたり…とってもかわいい時間を過ごしていました。

一向に宿題に向かう気配もありませんでした。


学習サポートとして行っている僕がこんなことを言うと怒られてしまいそうですが^^;
正直、一緒にいる時間に宿題をするとかしないとかいう結果を僕は求めていません。

宿題をしてほしい、という思いを持っていたら「せっかく先生がいるのに」とか「せっかく他の子もいなくて静かなのに」と思ってしまうかもしれません。

でも、この子にとって今日の時間は「せっかく僕と先生たちだけなのに、勉強するなんてもったいない」という心持だったのかもしれません。

途中で「宿題せんとー?」とか「宿題先生が代わりにしちゃおうかな?」とか、ちょっとしたイジワルを言ってみても、「やめてー、僕がするから」みたいな返答を見せるのですが、やっぱり手を付けないんですよね。
(僕の方でもこの時には、宿題に向かわせるつもりがさらさら無いから、僕もグダーっとした姿勢を見せながらニヤニヤしながら問うので、スイッチが入るはずもありません)

なので一緒に、僕も他の先生も、「この時」を楽しむことに専念して、彼がアレコレとコミュニケーションのボールを投げてくるのを受けて、投げ返してを楽しんでいました。

実に1時間。

他の子どもたちが帰ってくるまで、キャッキャと、はしゃいでいました。

それで多分、満たされたのでしょうね。
他の子どもたちが帰ってきて、周囲がワサワサなり始めたころに、こちらが何も言わずとも宿題に取り掛かり始めました。


“きちんと”とか“ちゃんと”とかって、案外(と言うほどでもないですが)大人目線の言葉だと思うのです。
いえ、大人目線で使ってしまうことが多いという方が正確かもしれません。

今日のS君を見ると、一人の時間に宿題をしたわけではないですし、到着してから宿題を終えるまでに1時間半近くかかっています。

それでも、彼が自分で時間の使い方を選択して過ごせたのは、とっても素敵なことだと思うのです。
これこそ“ちゃんと”ではないか?と僕は思います。

押し付けられるのではなく、自分で。


「大人目線で必要」だと思うものを獲得するためにアプローチすることも、中にはあるかもしれません。
でも、基本的には子どもたちは、子どもたち自身で「自分に必要」なものは、選んでいっているように思います。

もしかしたら、その時の「大人目線」とは違うものかもしれませんが。
それでも確実に、子どもたちの表情や身振り手振り、言葉の端々には、間違いなく「自分に必要なんだ」というサインが含まれていると思います。
それを汲み取って寄り添うのが、大人の役割ではないかな?
と思いました。

2018年9月3日月曜日

姿勢について

小学校高学年のHくん。

彼の学習の様子を見ているとあることに気が付きました。

「計算をしているときと、漢字の書き取りをしているときとで姿勢が違う」

ということが起こっています。

計算の時は、いわゆる“良い姿勢”に近いです。
背筋が伸びて(実際には彼の体質もあり、少し丸まるのですが)、ノートと目の間の距離がある程度あります。

漢字の書き取りの際には、もう目とノートがくっつくのではないか?と思うほどに近づけて取り組んでいます。

じゃあ彼自身は、どちらを得意としているか(自覚として)?と言えば、断然漢字なのです。
見方によっては“姿勢が悪い”と捉えられてしまいかねないし、怠そうに取り組んでいるようにも見られかねないのですが、漢字の方が彼は“得意”だと感じているし、“好き”なのだそうです。

ここからは僕の解釈なのですが、苦手な算数の時に目線がノートから離れるのは、「嫌だな」「難しいな」「大変だな」が無意識に身体に反応として出ているのでは?と思うのです。

反対に漢字の時に目線が近づくのは、“のめり込む”みたいな心持ちなのではないかな?と思えるのです。

その結果として、計算をしてるときに目が離れる分、視界にはノート全体が飛び込んできます。
その情報量が多過ぎて計算ミスや単純な写し間違いが起こり、「やっぱり苦手だ」という悪循環を生んでいるように見えます。

漢字の時には、注目すべき箇所に目が近づき、ミスが起こり難くスムーズに取り組めるということが起こっているように見えます。

そこで一緒に学習をする際に心掛けていきたいと思っているのは以下のことです。

・“姿勢”は、彼のサインである。
目線が近づいているときには、集中して取り組めているときだし、反対に目線が離れているときには、「大変さ」や「難しさ」を感じているとき。
それに応じて声掛けやその他のサポートの頻度や方法を選んでいく。

・集中している=良いと思い込まない。
集中“し過ぎ”に気を付けることは必要だと思うので、様子を見ながら、ある程度の時間や量を終えたら声をかける。
これは“中断”させるほどでなくても良いと思っている。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ…集中して作り上げた彼の世界に、「外の世界もあるよ~、忘れないでね~」ということを伝えるくらいのイメージ。
彼が手を止めずに「うん」くらいの相槌で済む声かけなど。

こういうことを僕は心掛けていきたいと思っています。

それから、もし、この“姿勢”を活かしていくとするなら、身体からアプローチをしていくのなら、「苦手だ」と感じているものに取り組む際に、「もっと目を近づけてごらん」という手は、あるいは有効かもしれない、とも思うのです。
(ただ、このやり方をするには、もう少し観察が必要だと思っています)

彼との学習も週に1時間だし、まだ数ヵ月の付き合いだから、彼の学習時間の総量にしたら、僕が見ている姿は一部でしかありません。
なのでデータと呼べるほどの蓄積があるわけではないですが、当面は、傾向や可能性として捉えることは出来るかな?と思っています。
ここから次のステップというか、展開を考えていくための糸を手繰っていくことになりそうです。