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2019年1月29日火曜日

不安に伴走する

中学生の男の子との学習をしていました。

彼との付き合いは随分と長くなります。
もう、お互いに遠慮なくモノを言い合う仲です。

小学生の頃には、怖がりだったり引っ込み思案だったりした彼ですが、成長と共に元気に、ヤンチャに、そして僕にもズケズケと冗談を言うし、真剣さを向けてくることもあります。

基本的には、ポジティブな言葉を多く持つ彼ですが、この学年末、彼には珍しく「あぁ、テストヤバイ」ということを漏らしているようです(お母さん談)。


学習を始める際、「ん?余裕余裕」という口上を口にする彼が、今日は「テスト範囲がここだから、今日はここかな」と言いながらテキストを開き始めて、それはそれはすごく一生懸命に向かっていました。


この様子を見て、(あ、今日はこの一生懸命さに伴走しながら、力を入れすぎないようにサポートするか)と決めて90分を過ごしました。

終わった後にはいつもの彼に戻って、僕に冗談を向けてきたりしましたが、いささか目が柔らかくなっていたように感じました。


今週、来週と彼はテストが続くようです。
抑えるのではなく、支えながら、彼のドキドキをサポートしたいと思います。

子どもをみつめていくこと

2月16日に宗像市内の保育園にて保護者向けにお話をさせていただきます。
保護者かいの役員さんの一人が、知り合いというご縁で機会を頂きました。

そこへ向けて、出欠と共に事前アンケートをしてもらい、今回の講演に際して尋ねたいこと、知りたいことは?という旨の質問をしてもらっていました。

先日、そのアンケート結果が手元に戻ってきたのですが、回答を見てみると、発達障がい云々…という質問は意外に少なかったです。

そういうことよりも、子育て全般について「こういう場面ではどんな対応がある?」という具合のものが多かったです。

もちろん、当日は僕の仕事の領域と絡めながらお話をしていくつもりではあります。
でも、結局のところそこなんだと思います。

障がいというのは、枠組みが生み出したもの。

子どもという一人の存在を見つめていくことが、育児であり、生活であり、いのちであるのだと思います。

結果として、それが支援と言われるものに落とし込まれていくのだと感じました。


まぁ、今回は先方のニーズもあるので、それに沿いながら話をする予定ですが、アンケート結果を踏まえて感じたことをこういう風に伝える場面を作るのも面白いかもしれないな、と思っているところです。

2019年1月28日月曜日

語れるから実現できる、だから語る!

今日の昼は、ファミリーレストランで頂きました。
というのも、とある放課後等デイサービスの自発管と、そこのスタッフの方とお話をするためでした。

本当に自由にいろいろと話をしました。

今日の話の中心には“思い”があったように思います。

子どもへの思い、支援への思い、青年たちへの思い、進路への思い、生活というものへの思い、地域への思い。

結果とか結論とか着地点とか、そんなカッコいいものはないですが、お互いに持っている思いを披露し合って、それについて汲み、自然に話が膨らんでいく、そんな感じでした。

ただ、こういう時間の先に、学びは隠れているのだという気がしています。

立場も環境も違っても、こういう思いや考えを披露し合える“仲間”と出会えることは幸せだと思っています。

明日はまた、就労支援事業をする方と会う予定です。
明日は何が聞けて、自分が何を話し出すのか、自分でも予想できないワクワクが溢れています。

語れるレベルにまで落とし込めないと、何事も実現できないと思うので、たーくさん喋ります!

2019年1月27日日曜日

コミュニケーションだということを忘れないために

今、少しずつ、新しいスタッフにプールに入っていってもらっています。

僕がこれまで関わってきた子どもを引き継ぐという形になるので、いろいろと思うところもあるようです。

難しさやプレッシャーも感じているようです。

この点に関しては、それだけ真剣に子どもたちと向き合おうとしているということでしょうから、僕もその気持ちに寄り添いながらサポートをしていきたいと思っています。

いろんな話をしながら乗り越えてもらうところは乗り越えてもらい、一緒に乗り越えることについては一緒に乗り越え、チームを作っていきたいと思います。

“プール”という限定的な関わりだからでしょうか?
泳ぐということに意識が向きがちなようです。

でも、僕は、まずは泳ぐことは置いておいて良いと思っています。
今は、目の前の子どもについて理解を深めることをして欲しいと思っています。

昨日は、言葉の少ない子とプールに入ってもらいました。

僕は、子どもとスタッフのやり取りを脇で見ながら、必要最低限の介入にしていました。

どうやったら良いのかな?みたいなことを恐らくスタッフは考えていたでしょうし、子どもの方でも、こうかな?と考えていたのではないでしょうか。

言葉でのコミュニケーションが少なくなるので、いわゆる「感じる」みたいなことが必要なので(もちろん、実際にはそんな抽象的なことではなくて、解釈した動機があるわけですが)、スタッフに向けて、「子どもからどんなメッセージを受けとりましたか?」と尋ねました。

一瞬、「?」という顔をしていました(笑)

子どもの動きには大抵意味があると思うので、子どもの動きから受け取ったメッセージに応えていく、というようなやり取りを重ねないと、関係性は深まらないと思う、ということを伝えました。

しばらく考えて「ちょっと分からないです」という答えが返ってきたので、「そうかもしれませんね、もしかしたらこの子も『分からない』と思っているのかもしれませんね」と僕も伝えました。
(イジワルでしょ笑)

でも、僕は、そこだと思うのです。
コミュニケーションというのは当人同士のものです。
間違いなく。

それを深めないとお互いの理解は深まりません。

この場面で言うと、『分からない』というメッセージならば、『何が分からないのか』を考えることが、この子の障がい理解にも繋がると思うのです。

ハウツーを伝えて、泳げるようになること“だけ”を目指すようなチームにはしたくありません。

スタッフが自ら考えたり、考えを持って、レッスンを組み立てられるようになることを目指すためには、一見すると遠回りだし、歯痒い思いもするかもしれませんが、こういうことが必要だと思っています。

プールだって、学習だって、コミュニケーションの上に成り立っているものですから。

2019年1月26日土曜日

お絵描き2(息子のお絵描き)

僕は商工会にも所属しているので、今は隙間時間に2月の商工会青年部主催の小学生向けイベントの準備もしています。

その中で手書きでイラストを描く必要性が出てきて、ショベルカーの絵を描いていました。

パソコンに取り込んだ後、息子に見せると、「ちょーだーい、ちょーだーい。おねがーい」と猛烈なおねだりを受けて、あげました。

「晴も描きたーい」というので、ペンも渡したら、ショベルカーのすくう部分にカキカキと…「見て!お砂、掘って掘ってしたと!」
タイヤの下にもカキカキ…「タイヤで砂をゴロゴロしたと」


他にも何枚かイラストを描いていたのですが、それらを使って彼なりにストーリーを作り上げていました。
自分の世界を作り、楽しむ。
素敵だと思います。


2019年1月23日水曜日

お絵描き

小学校1年生の男の子が小さなエビのお世話に夢中になっていました。
(かわいいなぁ)

エサやりが終わった後、彼はエビの入ったペットボトル(本当に小さなエビだったので、ペットボトルをくり抜いたり、切り合わせたりして作った手作りの水槽)をテーブルに持ってきて、じ~っと観察をしていました。
しばらく一緒に眺めていましたが、どうも手持ち無沙汰にしているようにも見えたので、ちょっと一言。

永田「眺めているだけで良いとぉ?」

男の子「え?」
(見逃しませんよぉ、その『なになに?』みたいな表情♪)

永田「エビの絵を描いてみらん?」

男の子「…描く。」

永田「よぉし、何で描く?ペン?鉛筆とかクレヨン?」

男の子「鉛筆」

永田「オーケー!ちょい待っておき!」
紙と鉛筆を用意。

男の子「ありがと」

僕から紙と鉛筆を受け取ると、それはそれは嬉しそうに描き始めました♪
エビを描いている途中で、他の支援員さんが話しかけて、一緒にお喋りも楽しみ始めたので、エビの絵を描くのも途中で止めて、別の絵を描き始めましたが…特徴捉えていて上手ですよね!

エビの他に、「キノピオ」「かばたの明太」(いずれも左上)を描いていました。

しかも!見て描いているのに、全然別のアングルで描き始めているから、きっと普段からいろんなものをよく見ているのでしょうね。

インフルエンザにご用心

インフルエンザの猛威で、この1週間は、実にイレギュラーなリズムで仕事をしています。

生徒たちの中にも、保護者の中にも感染した人が出ています。

自分自身への感染リスクを避けるためにキャンセルした仕事もあります。


僕なりのプロ意識というところです。

僕の関わっている子どもたちの中には、ちょっとした風邪であっても油断すると入院ということになりかねない子もいます。

仕事をしていくことも大切ですが、「何のために仕事をしているのか?」ということを忘れないことは必要だし大切です。


皆さんもどうぞお気を付けてお過ごしください。
(気をつけようもないのですがね^^;)

2019年1月21日月曜日

つながりを感じられるって安心

今日の午前中、いつものようにCoCokaraひのさとでの市場の活動を終えた後、知り合いに会いました。

その方のプライバシーもあるので、詳細は省きますが、いわゆる“愚痴”を聞いていました。
本当に、今、その方が置かれている状況というのは大変で、その方にとっては理不尽さも伴う状況なのだと思います。

ぶわぁーーー!!っとここ最近の出来事、想いを吐き出して、それに対して僕は「そうだったんですねぇ」「それは大変ですよ」と相槌を打ちながらとにかく聞き役に徹していました。

特に解決策を提案できる事でもないので、聞くだけです。
それでも、「話せてよかった」と最後には仰っていました。


いささか短絡的な言い回しかもしれませんが、結局のところ「人ってつながり感を持っていたい」という事なのだと思うのです。
そして、それってとても大切なことだと思います。

自分の想いや体験を、嬉しいことでも大変なことでも、“一緒”だということを感じられるということが、生きていく上ではとっても大切だし、必要なことなのだと思うのです。

自分のことを知って欲しいし、相手のことも知りたい。

誰もが持っている、自然な思いだと思います。


今日は、僕との“つながり”を感じてひと時でも安らいでほしいと思ったわけですが、もっともっと身近な、親しい“つながり”を感じて、今の状況を頑張って欲しいと、陰ながら応援していようと思います。

2019年1月20日日曜日

洋服の前後の確認

小学校低学年の男の子。
なかなか着替えの際に前後の確認が定着しなかったのですが、今日、初めて、自分で洋服の前後を確認する様子が見られました。
もちろん、他の場面では出来たことがあったのかもしれませんが。


「こっち」と呟いてから洋服を被っていましたから、確認していたのは間違いありません。


プール後の着替え。
一度は柄付きのTシャツを前後反対にきて、僕が「えーー?見てから着た?」と告げたら、それを腕だけ抜いてクルリと反転して腕を通しました。

その次、トレーナーを着るときに、どうするかな?と見ていたら、一度床に置いて、手荷物と覗き込むようにして前後を見て、「こっち」と確認してから被りました。

よし!

その後、ズボンも床に置いて確認することが出来ていました。


着替えが出来るようになるっていうのは、便利なことだということを感じていって欲しいです。

2019年1月17日木曜日

ぐるんぱとして、幼児期の支援で考えていきたいこと

昨年末だったと思うのですが、ブログでも「幼児期の支援をしていきたい」という旨のことを書きました。
今、いろいろと調べたり勉強したりをしています。
準備も少しずつしています。

幼児期の支援として僕は、ぐるんぱとして以下のことを考えていきたいと思っています。

・自分の身体への認知を深める。
・日常生活における着替えや排せつなどの習慣の獲得。
・他者とのコミュニケーションを心地よいものだと思えるような体験の積み重ね。

この辺りを中心に据えながら支援を提供して、親子の愛着形成や互いの受容を育めればと思いますし、いろんな状況があるとは思いますが、保護者が見通しというか安心感を持てるようなきっかけを作れれば、なお良しと思います。


本当にすこーしずつですが、準備は進んでいます。

もっともっと具体的にお知らせを今後もしていこうと思いますので、よろしくお願いします!

ゴーグルバチン!

先週ゴーグルデビューした男の子。

さて今日はどうかな?

とプールで待っていました。
プールに現れた彼は、ニッコニコでした♪

更衣室で着替え始めても、ご機嫌で、自らゴーグルを手に取るくらいに気に入っていたようでした。
ヨシヨシ♪いーぞぉ♪

更衣を終えて、トイレ、シャワー、体操を終えていざプールへ!

時折、頭に着けたゴーグルを手で触ったり撫でたりしていました。

順調順調!

と、こ、ろ、が!

いざゴーグルをかけたときに事は起こりました。

嬉しかったのでしょうね、ニコニコしながら、触って、キョロキョロゴーグル越しの世界を味わって、触って…

あぁ、嫌な予感が…

ゴーグルを自分で持ち上げたと思ったら、バチン!!

手から滑って伸ばされていたゴムバンドの勢いで顔に直撃。

あちゃー(笑)

ふぇええーーーん!

痛かったよね^^;

もう、こうなったら今日はなかなかかけられませんよねぇ。

このあとは、ちょっとかけては外して、を繰り返して「ゴーグル=怖い」を払拭するために時間を使いました。

最後はニコニコでしたが、さてさて、来週はどうなるかな?

稀勢の里、お疲れさまでした。

横綱稀勢の里が引退を表明しました。
「怪我をする前の自分に戻れなかった」
「私の土俵人生に於いて、一片の悔いもございません」
という言葉を会見で仰っていました。

この言葉を同時に述べられるって凄いなぁ、と心から思います。

なんだか言葉の裏の、それこそ血の滲む努力の果てに、進退を決断したのだという、並々ならぬ思いを感じます。

これからは後進の育成に携わるとのことなので、これからもメディアでお目にかかることはあると思います。
いろいろと騒がれることが続いている相撲協会。
頑張って欲しいです。

日本人横綱としていろんなものを背負った2年間だったのだと思います。
こころからお疲れさまでした。



僕も「目指す姿」があります。
そこに向けて「悔いのない」歩みを重ねていきます。

2019年1月15日火曜日

お腹の中の話

先にSNSでは登校した内容ですが、ブログにも残しておこうと思いまして、コピペしました。
↑写真は連休中の一コマ

つい先ほど、晴哉を保育園へ連れていく車の中での会話。
出発直前に、虫の卵を見つけて、「なんで卵から生まれるん?」と最近増えている“なんで?”攻撃がきっかけでした。
流れの中で急に「晴は、お母ちゃんのお腹の中におったねぇ」と自ら話し始めました。
それで、ふと聞いてみたくなって尋ねました。
僕「ねぇ、晴。お母ちゃんのお腹の中にいた頃のこと覚えてる?」
晴哉「うん、お母ちゃんのお腹の中ねぇ、お水がいっぱいあったと。晴ね、寝とったと。でもね、お水がいっぱいでちょっとこわい時もあったと。」
僕「そうなんだぁ。他にもまだ覚えてることある?」
晴哉「うんとねぇ…温かかったと。」
僕「へぇ、気持ちよかったと?」
晴哉「うん、気持ちよかったよ。でもね、ちょっとだけ怖かったと。」
僕「そうかぁ。音も聞こえたと?」
晴哉「音?うーん…何の音?」
僕「誰かの声とか聞こえた?」
晴哉「あ、お父ちゃんとお母ちゃんの声が聞こえたと。あとね、じぃじとばぁばの声も聞こえたと。」
僕「どんなこと言ってたか覚えてる?」
少し考えて晴哉「うーんとね…『待ってるよ』って言ってたと。何を待ってたと?」
僕「晴がね、元気にお腹の中から出てくるの、楽しみに待ってたんだよ。」
晴哉「ふーん、そうなんだ。ねぇ、お父ちゃん!ショベルカーがあるよ!見て!」
(笑)
このお話はここまででした。
また機会があれば聞いてみたいな。
胎内記憶の話とかって、聞かないことはないじゃないですか?
僕は、割りと信じているので、我が子についてもいつか聞いてみたいと思っていました。
本当に“お腹の中にいた頃”の話かは分からないですが、自分の言葉でそれらしき話を始めたので、少なくとも彼の持っている思い出だったり体験なのでしょう。
仕事の前に、なんか感動して、今日は一段と元気に働けそうです🎵

2019年1月14日月曜日

「久しぶりに発表出来たよ」

子どもたちの3学期が始まってから、各学校でインフルエンザが流行していて大変しているようです。
そんな中、一つ面白くて嬉しいお話が届きました。

「久しぶりに発表出来たよ」と。

学習サポートで関わっている子ども(小学校高学年)のことです。


この一週間、クラスメイトがインフルエンザでかなり休んでいたそうです。
そんな中でその子はインフルエンザに負けずに頑張っていました。

この子は、人前で話すことがとにかく苦手。
僕と初めて会った頃も、まるで「喋って良いのかな」とでも考えているのでは?と思うくらいに自信なさげに、ボソッと喋る子でした。
今は楽しくお喋りしたり笑ったりしながらお付き合いできていますが、最初はお見合いみたいで、今思い出すと笑えてきます。

その子の話から、概ねの状況を推測すると、クラスであまりにも子どもの欠席が多いものだから、担任の先生は、授業の進行を一時ストップして、これまでの復習のような時間を設けたようです。
クラスの人数が少なくて、緊張感というか、発表するハードルが下がったみたいで(たくさん人がいるとドキドキするらしいです)、人が少なくて、「あ、わかるかも」と思えた算数の問題で、本当に久しぶりに発表が出来たようです。

もちろん、クラスメイトが少なかったという偶然はあったと思いますが、もうこれはこの子の積み重ねの賜物。

僕との学習中にも「発表できない」ということを悩みのようにして漏らしていた時期もあるので、遊びも交えて発表に近い状況を作って「発表って大したことないよね」くらいのイメージ作りもしました。
例えば…
僕が「あ、○○(子どもの名前)先生!良いですか?」と発表を模した遊びでコミュニケーションを取ったり、その子が何か話すときに、今だ!と思ったタイミングで「ゴホン!○○君、発言は手を挙げたまえ」と挙手に対するハードルを下げることはできないかな?と考えたりしてきました。

でも、僕との時間は基本個別の学習なので、学校の授業に結び付くまでに時間がかかっていました。

それが、偶然の手伝いもあり「久しぶりに発表出来た」とのことです。

いや、よかった。
本当にうれしそうに聞かせてくれましたからね。


例えば学習障がいの話になると「読み」「書き」「計算」みたいなことが学習サポートの中心に来ることも多いのですが、こういう「発表にむけて」も学習サポートの方向性としてはアリだと思っています。

だって、なんだかこういう事って他にも広がりを見せそうな可能性を感じませんか?

成人式を迎えているのだろうな、と思いを馳せて

宗像市は昨日、成人式が行われていました。
仕事の合間や移動中に、着物姿、スーツ姿の新成人を見かけました。

現在のぐるんぱの生徒では、新成人はいませんが、これまでお付き合いしてきた子どもたちの中には、今年成人式を迎えているであろう子もいます。
(「子」ではなくなっているのでしょうね。)

それぞれに道を歩み、それぞれに穏やかな毎日を送っていてくれたら、と願っています。

交流が無くなっている以上、出来ることっていうのは限られるわけですが、それでも願いたいと思います。

そして、僕は今のステージで、彼らとの交流で学んだことをアウトプットしていくことが、求められているのだとも思いますし、新たなことを吸収しながら、考えながら、凛と歩み続けることをしていこう、と気持ちを引き締めています。


本当におめでとうございます。

2019年1月13日日曜日

顔見知り、から

糟屋方面にあるプールでも、指導を請け負っているのですが、こちらは頻度の問題もありなかなか他の利用者さんと「顔見知り以上」になりにくい感じがしています。
また、利用の時間帯が12時半頃から、ということもあり利用客も少ない時間帯なのです。

それでも数名は「顔見知り」みたいになってきました。

そんな中、今日、ある男性が「こんにちは。最近よく来ているね。親子…じゃないよね?」と尋ねられて、ぐるんぱのことをお話しました。

「そうかぁ、いろんな仕事があるね。一緒に楽しもうね」と返してくださいました。

「一緒に楽しもう」は嬉しいですよね。
なんか対等という感じがして。

少しずつ、向こうでも人とのつながりが広がるといいなぁ。

2019年1月12日土曜日

その子の不安がどこから来るのか考えてみる

ちょっと気になる子どもたちの様子も辿っていくと、「不安なんだろうな」というところに行き着くことが多いです。

で、問題は「“何が”不安なんだろう」というところだと思います。
基本的に「分からない」ことがあると人は不安に陥るのだと思います。

例えばプールに初めて来た子どもたちは「ここでどうやって過ごすか分からない」という不安で、それが「泣き」になったり「ソワソワ」になったり「イライラ」になったりするのではないかな?と。

今日はある子ども(女の子)の不安に出会って、いろいろと考えていました。
この子の不安はどこから来ているのだろうか?と。

1つ、お話を聞いている中で、「人の表情が読み取りにくい」というところがあるのでは?というところに気が付きました。
普段のその子の様子、持ってくる話題からして、そういうところがあるのでは?と事前の面談などでは改めて出てくることはなかったのですが、感じているところです。

その子の様子を見ていると人の「顔の表情の変化には気づく」けど、「その顔の表情がどういう心持ちの表われか、がつかみにくい」ようなのです。

そう考えると僕の中でいくつか引っかかっていた出来事が結びつくことが多くて。

しばらくはプールのレッスンの中でのコミュニケーションでこの点に対して働きかけを考えていきたいと思います。

もし本当に表情がつかみにくい、のであればそれは「分からない」の連続になります。
目の前の人が何を考えているのか、どう感じているのか…そういうことが分からない日常。
想像しただけでも不安だし大変だと思います。

一朝一夕では解決できるものではないかもしれません。
それでも「出来ることがあるかもしれない」と思いながらお付き合いを重ねていきたいと思います。
ゆっくりと伴走するように。

「活動」というところから「事業」へ

ぐるんぱをお手伝いくださる人と出会え、少しずつプールにも入ってもらっています。

今まで自分でやってきていたところを、人に委ねるというのはなかなかドキドキするものだということを感じています。
それでも、必要なことだと感じることも出来ています。

僕がしてきたことを、僕じゃなくてもできるということとして。
個人の活動ではなく事業として。

長く、本当に安心してもらえる、そんな支援を目指すためには絶対必要なことだと、お願いし始めてからも、その思いを強くしています。


ぐるんぱもまだまだ駆け出し。
「大きく」でなくても「長く」とか、「深く」とかを仲間と共に目指していきたいと思います。


いやぁ、なんだかこの一週間、いつもと違う緊張を持ちながらだからでしょうか?
筋肉痛が出始めています(笑)

2019年1月10日木曜日

道具の選び方

僕は学習サポートの中で、子どもたちの様子によって、紙の辞書を使う時と、電子辞書を使う時を使い分けます。

紙の辞書には紙の辞書の。
電子辞書には電子辞書の。
それぞれに良さってあると思います。

紙の辞書の方がやはり、索引の見方の学びにはなります。
五十音順、アルファベット順、そういう風に整理されているモノって多いので、実際的な感じがあります。
ページを繰りながら、言葉を探しながら他の言葉にも僅かながら触れるという良さもあります。
それから引きながら「○○」と“何度も”声に出しながら引く子が多いのも良さかな?と思っています。
頭の中で唱えるにしても、“何度も”繰り返していることが多いのでは?と思います。
(僕がそうです)

電子辞書の方は、と言うと、手軽に検索ができますし、必要な情報だけを表示するという良さがあります。
それからローマ字入力ですが、“一文字ずつ入力”するという作業は、学習方法の一つとしてはなかなか有用だとも思っています。


“便利さ”というだけで済ませるのではなくて、“なぜ使うのか”を道具選びでは大切にしていきたいですね。


2019年1月6日日曜日

休み明けの子どもたちの声に応えていきたい

今日から本格的なリズムで仕事が始まりました。
今日は5人の子どもたちとプールに入っていました。

それぞれにお正月休みを過ごしていたようです。
自分でお喋りして聞かせてくれる子もいれば、お母さんが代わりにお話を聞かせてくれる子もいましたが、お喋りとは別に子どもたちの様子を見ていると、なんとな~くどんなお休みだったのかが伝わってくるところもあります。


一言に「休み」と言っても、本当にいろんな過ごし方があると思います。
ダラダラするのも、予定を盛沢山にするのも…素敵な過ごし方だと思います。

休み明けと言うのは、子どもの個性がよく見えます。

【声】として、具体的に出てくることはなくても、僕も求められるものが子どもによってハッキリと違いが出てくるので、出来るだけそれに応えられるように、時間を作っていきたいと思っています。

今週いっぱいは「休み明け」の子どもたちとの顔合わせです。
さ、どんな一週間になるかな。

2019年1月4日金曜日

宗像大社へ初詣

今日は家族で宗像大社へ新年のご挨拶へ参ってきました。

息子にも硬貨を握りしめさせ、一緒にお参りをしました。

パンパンと手を叩き、手を合わせて頭を垂れている姿が何ともかわいらしいと思えました。

池の鯉を眺めて、砂利をズリズリ足で擦って、出店に並んでいるお面を欲しがり(買いませんでしたが)、食べられない食べ物を「食べられるかもしれないよぉ」とねだり
^^;息子なりの神社を楽しんでいました(笑)

今年も一年良い年でありますように。

さ、これから仕事です♪

2019年1月3日木曜日

一人一人を見てくれている、それって嬉しいこと

自分でも好きだな、と思ってしまうのですが、今日も息子を連れてプールに行きました^^;

高校の稽古初めから帰ってきて一息ついたところで、です。
息子は今日も大喜びで、子ども用と一般プールを行ったり来たり繰り返しながら楽しみました。

今日プールに言ったら、教え子のOさんが、お母さんと共にプールに来ていました。
僕とプールをしているときとはまた一味違う表情で過ごす彼女を見ていると嬉しくなりました。

それから、この件についてもう一つ嬉しかったのは、いつも顔を合わせる一般の利用者の方から「あなたといつも来ている女の子だと思うんだけど、来とったよ。お母さんとなのかな?」と更衣室でお知らせしてくださったことでした。

「僕」ではなく、「Oさん」のことを見てくれているのだな、という証拠。

こういうのが増えると、安心して家族とでも楽しめるようになるのだと思います。

年始から元気の出る出来事がいっぱいです。

帰る場所がある幸せを噛みしめる三が日

今日は、母校の高校の剣道部の稽古初めでした。
昨年、一昨年と足を運ぶことが出来ていませんでした。
こういうところも「昨年までとは違うなぁ…」と思っているところです。

もちろん全員ではありませんが、同期や顔を知っている後輩とも久しぶりに会い、現役の頃に戻ったような距離感で気持ちの良い時間を過ごしました。

僕は今回は稽古への参加は見送って、見学をしていましたが…見ているとウズウズしてきます。
来年は稽古もしたいです。
その為には今年一年で、体を馴らさなくては…^^;


実は、僕、高校の剣道部の第一期生でして。
僕の入学の年に創部でしたから、まだまだ歴史の浅い部ではあります。

それでも後輩たちの頑張りもあり、一定の成績を残せる部へと成長して来ていますし、顧問の先生の人柄もあり、卒業生も稽古初めには多数集まる、自慢の部活です。


何ていうのかな…帰る場所、みたいな感じです。
そういうものがあるっていうのは、幸せな気がします。

例え稽古をせずとも、顔を出すことで本当にうれしそうな表情をしてくれる恩師。
「えぇ?永田、今日はせんの?怪我が怖いんやろ(笑)」と茶化しながらも、それぞれの立場を察してくれるし、それぞれ頑張っている同期。
「お久しぶりです」と社会に出て、家庭も持って、とても頼もしくなった姿を見せてくれる後輩。
いつまでも変わらんなあ、という可愛い後輩(笑)

一人一人が、僕にとってはかけがえのない存在です。

また一年頑張るぞ!という勇気をもらうようです。

部活とは違いますが、ぐるんぱも子どもたちや青年たちにとって、帰る場所、の一つになることを目指して、今年も歩もうと、気持ちを新たにしているところです。

さ、明日から少しずつ仕事が戻ってきます。
忙しくも、楽しい毎日。
さ、頑張るぞ!

2019年1月2日水曜日

マエケンの「気合より技術が大切なんで」に見るプロとしての仕事観

正月休み、僕にしては珍しくバラエティー番組を観ています。

とんねるずの「スポーツ王は俺だ」っていう一流スポーツ選手がちょっとおバカなルールの中でとんねるずの二人と勝負する、アレです(笑)

野球のコーナーの中で、「気合いだーー!」の石橋貴明さんのかけ声に対してドジャースのマエケンが「まぁ、気合より技術が大切なんで」とツッコミをサラッと入れていました(笑)

たしかに、なんですよね~。

多分これが、彼の野球観。
そしてプロ意識。


これって大切だと思います。
気持ちとか気合とか、もちろん大切です。
向上心とか、粘り強さとか、熱意とか、仕事愛とか…それに向かう為の土台みたいなものではあると思います。

ですが、それって“プロとしては当たり前”の部分なんですよ、多分。

その上に結果を積み上げていくことが必要で、その為にはやはり技術は欠かせなくて、それを培うのは、日々の練習、研鑽以外の何物でも無くて…

プロとしては、やはり結果にこだわらなくてはいけません。
技術とか知識とか経験とか…そういうものに裏付けされた仕事を積み重ねていくことで、信頼も得られるし、結果もついてくるのです。

僕もそういうところを目指していきたいし、仲間にも求めていきたいところです。

何気ないところにも価値観と言うのは表れるものです。
にじむ出るような、自然なプロ意識。
そういうものを身に着けたいものです。

2019年は組織として

あけましておめでとうございます。

ぐるんぱの4年目がスタートしました。
今年はぐるんぱを「組織」にしていくということを目指していきたいと思います。

ぐるんぱを応援してもらえるよう、僕自身も“ユーモア”を持ちながら、自分自身を高めて、仲間として一緒に歩んでくれる人たちと共に、魅力的な集団を目指していきます。

「組織」という言葉を使いはしましたが、しなやかに個々が考えて動いていけるような、そういう「集団」を目指していきたいと思います。

今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。
今年もこのブログで、いろんな子どもたちとの様子や活動の報告をお届けできればと思います。