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2018年7月30日月曜日

チームになることへ向けて

おかげさまで今年度に入ってから、特に忙しくさせていただいています。

いよいよ一緒に活動をしてくれる仲間を探さなくてはいけないな、と思っているところです。
「ぐるんぱが何をしているのか?」ということと「何故しているのか?」というところを共有できる仲間と出会えることを焦らずに待ちたいと思います。

至らないことがまだまだ多いとは言え、僕なりに大切に活動をしてきた2年半。
まだまだ浅いけれども着実にあしあとを残してきた2年半。

そういう諸々を察してくれる仲間と出会えたらと願っています。


その一方で、「ぐるんぱ=ながた」だったところから「ぐるんぱ=チーム」という認識を僕自身が持ち、仲間も僕も継続しやすい体制を改めて整えなくてはいけないな、と思っている次第です。

また、これまでとは別の勉強が必要だと感じています。

皆さん、これからもまたご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

2018年7月29日日曜日

25メートル泳いだEちゃん

小学校高学年のEちゃん。

彼女とのプールも1年半が経過して、メキメキと上達していっています。
彼女がついに25メートル、クロールで泳ぎ切りました。

初めはビート板の使い方も分からず、“泳ぐ”ということが全くと言って良いほどだったのです。
今でも初回の彼女とのプールの様子は鮮明に覚えています。
水の中で飛び跳ねてばかりで、ビート板を30秒と続けて持つことができず、手を添えながら、一緒にビート板を持つ練習と、足を動かすということを練習することからスタートでした。

1年半で、彼女は背も随分伸びました。
最近は、言葉も増えてきて、発音も明瞭になってきたところもあります。
当初は「いっ」と発音していたものも「1」と言えるようになってきました。
「ビート板キック」という音もかなりそれに近い音で復唱できるようになってきて、先日は「初めて『お母さん』と言ったんです」とお母さんから嬉しい報告もありました。

体操の時に数えることも薄っすらし始めています。

プール以外でもたくさんの成長を見せてくれているEちゃん。


まだ息継ぎは練習中で、犬かきのようにしながら顔を上げて呼吸を整えて再度泳ぎだす、というスタイルではありますが、初めて25メートルをクロールで足を着かずに泳ぎ切りました。
泳ぐときには両手をきれいに大きく回して、足もバタバタと動かして立派なクロールです。

彼女の頑張りをこれまでもずっと見守ってきてくれていた他の利用客の方からも「泳いだねぇ」と声をかけてもらえました。
彼女は、いつものようにぴょんぴょん飛び跳ねていましたが、その表情はどこか誇らしげな表情でした。

そして、彼女のお母さん。
いつも見学ロビーから彼女と僕のやり取りを見守ってくれる優しい素敵なお母さん。

初めは「迷惑では?」と「ごめんなさい」が多い自信なさげだったお母さんも、最近は彼女の泳ぐ姿を嬉しそうに眺めています。

Eちゃんが25メートル泳ぎ切ったとき、お母さんはとても凛とした表情で微笑んでいらっしゃいました。

プール後に「見ましたぁ?」と僕も思わず声を掛けたら、「はい、泳ぎましたねぇ」ととても嬉しそうに返してくれました。
「とってもかっこよかった」と。

何かが出来るようになる、っていろんな人と人を結ぶ可能性を持っているのだと改めて感じたところです。

これからも彼女と共に、彼女の家族と共に、地域の方たちと共に、歩んでいきます♪

保護者の“声”にも寄り添いたい

発達障がいを持っている子の中には、日常生活の困難さを幾分かでも和らげるために服薬をしているという子も少なくありません。

ぐるんぱの生徒にもそういう子たちがいます。
すると保護者との会話の中でも服薬ということに及ぶことがままあります。

もちろん僕はドクターではないので、服薬について「あーだ」「こーだ」と言える立場にはありません。
保護者の声に耳を傾けることくらいしかできないのは間違いありません。
残念ですが、それが現実。

それでも保護者とコミュニケーションを重ねていくと、服薬についての相談にも似た、葛藤や後悔や不安を寄せられることがあります。


今日はそんな保護者の声について。

多くの保護者にとって、服薬は「分からない」もの。
日常生活で困難さと直面し、何をどのように取り組んでいくのが“良い”のか分からない、という中で、藁にも縋る思いでいる中で出会う一筋の光のような手段であるということも少なくありません。

けれども、やはり「服薬自体が身体にもたらす影響は?」「ずっと続けないといけないの?」「薬が無いとこの子は日常生活を送れないの?」という不安が生まれます。

薬を数年間にわたり服用しているうちに子どもは成長をしていきます。

その時に「この子の様子がいい方向に変わったのは成長?それとも薬の為?」という疑問を生じさせます。

「薬を減らしてもいいのでは?」「薬をやめてもいいのでは?」ということも頭によぎります。

僕としては初めにも申したように、薬について具体的に「あーだ」「こーだ」と言うことはできません。
これらの声に寄り添う事しかできません。


そして出来ることと言えば、保護者の声の中に「薬の前にできることがもっとあるのでは?」という疑問があることも多いので、医学とは違う観点で子どもたちと向き合い付き合いを重ねることです。
子ども自身や保護者に学習やプールを通して、“子どもの姿”を伝えていくことかな?と思うのです。

薬の是非について直接的な意見は言えませんが、服薬のこともそれ以外のこともひっくるめて、その時々の親の選択が子どもを思う親心故であるのでは?と伝えることはできると思っています。

何の力にもならないかもしれませんが、保護者の声を聴く用意だけはしていきたいと思っています。


この1週間、服薬について話を寄せられることがとても多かったです。
夏休みに入り、生活リズムが平常と一転するからかもしれませんね。

一つ言えるのは、安易な一言で保護者のことも子どものことも一喜一憂させるような無責任はよろしくない、ということ。
個々で“考え方”としては持っていても良いと思うのですが、外野が当事者を安易に振り回してはいけない。
これは間違いありません。

2018年7月23日月曜日

“つながり”を見つける

たった今の今まで、NHKのプロフェッショナルを見ていました。

今日は遺品整理のプロフェッショナルが登場。
“つながり”を探す遺品整理。

ただの片づけに留まらない、気持ちの整理の手伝い、故人と遺族の“つながり”を探す遺品整理…

なんだかとても心を打たれて見入っていました。


“つながり”というもの自体は目には見えないけれども、目に見えるモノや作業を通して、確かに個人と遺族を“つなげる”技術と言うか思いと言うか…


一見、モノを相手にしている仕事ですが、コミュニケーションの仕事です。

いえ、もしかしたらどんな仕事もコミュニケーションなのかも、と改めて考えさせられました。

モノを片付けるのも、運ぶのも、作るのも、壊すのも…その先や背景にいる人へ思いを巡らし、仕事に当たる…そういうことが“本物の”仕事をする上では必要なのかもしれません。

2018年7月21日土曜日

人が溺れるときは静かである、という話

少し意外に感じる人もいるかもしれませんが、人が溺れるときは静かである事も多いのです。

これは泳ぎが不得手な人ほど静かに溺れる傾向が強いように思います。

ドラえもんの登場人物である、のび太君は、金槌で有名ですね。
アニメでも手足をじたばたさせて「わ、あ、溺れるー!」ともがく姿が描かれることがしばしばありますが、泳ぎが不得手だともがく暇もなく、スーっと沈むことも多いのです。

むしろもがくのは、ある程度泳げる人が、リズムを取り戻そうとしてるときに見られて、水しぶきを上げる事が多いように思います。

溺れるというのは、泳ぎの練習とは違うのです。
バシャバシャなると思ったら大間違いです。

静かに起こるから、毎年「気がついたら溺れていた」みたいな話がニュースでながれるのです。

特に子どもからは目を離してはいけません。
ビート板や浮き輪に掴まらせていたって同様です。
どんなに力強く握っていようと、どんなに上手にバランスを取っ手いようとも、水や波は不規則に押し寄せてくるものです。
波と波がぶつかって突然、思わぬ大きさの波に揺さぶられることだってあります。

すると、準備をせぬまま水を被ることになりますから、ビート板や浮き輪から手が離れることもあります。
水を思いがけず飲み込むことにもなります。

それで声も出せず、静かに水の中に引き込まれることになるのです。

人の体は、比較的浮かびやすいものではあるから、一度沈んでも水面まで大体において再び上がってきます。
けれど、今言ったように、思いがけず水を飲むと、その浮かんだ一瞬というのは、息を吸うだけで終わってしまいます。
その時にまた波が押し寄せれば当然声どころか息も吸えません。

目だけで必死に「たすけて!」を訴えることになるのです。

今日、プール指導中に、一般の利用者で、4才くらいの女の子が、ご両親と遊びにプールへ来ていました。
その子が溺れかけて、僕が水から引き上げました。

それこそ、その子はビート板に上手くしがみつきながらプールを楽しんでいました。

ご両親も傍で楽し気でした。

ところが、突然波に揺られて女の子の手からビート板がするりと抜けてしまいました。

ご両親は、というと1.5メートルくらい女の子から離れたところで、夫婦で会話をして笑っていらっしゃる一瞬の出来事でした。

決して、子どものことを放ったらかしにしていた保護者ではありませんでした。
上手に子どもと遊んでいらっしゃいました。

ところが、ほんの一瞬です。
ものの3秒くらいの間に、「ビート板から落ちる」「一回浮き上がる」「声も出せずに再度沈む」「目だけ水面に出て(たすけて!)と訴える」という事が起こりました。

たまたま直ぐ脇(2メートルくらい離れたところ)で、僕が生徒とのレッスンをしていて目に入ったから、泳いで近づき引き上げた、という次第です。

ご両親もとても驚いていました。

こういうことが起こるのです。

とても静かに。
誰にも知られずに。

夏休みに入り、プールや海、川に遊びにいくという人も多くなります。

場には大勢の人がおり、“目”がたくさんあるようですが、そのほとんどが“騒ぎ”にしか反応できません。
静かに溺れると、“潜る”こととそう違わずに見えてしまいます。

水場では楽しんでも、決して気を抜いてはいけません。
溺れるときには水深が5センチあれば溺れられるのですから。

「楽しかったね~、また来たいね」と笑い合えるようにするためにも、適度な緊張感を忘れずにお出掛けください。

2018年7月20日金曜日

プールを彼の居場所に

今月からプールに来始めた未就学児のA君。
昨日で3回目のレッスンです。

まだ僕とのプールで何をするのか?というところがイメージがつかめず、ドキドキしながらやってきます。
昨日もプール入館前から「うわーーん」と声を出しながらやってきました。

前回は、更衣室でもドキドキが溢れて泣き始め、水の中に入っても10分以上泣いていました。
プール前から泣いているところみると、この後することのなんとなく位の見通しは立っている模様です。

一緒に受付をしていざ更衣室へ。
大きな声で泣くものだから、周りのおじいちゃんたちも「ほら、ボク、楽しいよ」とか「男の子が泣かんのよ」とか「がんばれ」とか思い思いの言葉をかけてくださいます。

そんなこんなで涙涙で着替え、プールへ。

水に入って直ぐもやはり泣いていましたが、前回とは明らかに様子が違います。
泣きながらでも周囲を見渡しています。

前回は時間で言うと10分くらい、量としてはプールを4往復くらい泣いていました。
それが、昨日は5分とかからぬうちに、1往復目が終わるころには泣き止んで、にこにこ笑顔を振りまいていました。

うん、大丈夫。

今日は上手くできるかな?みたいなドキドキだったのかもしれませんね。
それが周りからの励ましと、することがクリアになっていくことで安心出来てきたようです。

途中からは僕がビート板を支えたら物足りないのか、プールキャップを外して投げる、という遊びを始めていました。
そこで、少しハードルを上げて、ビート板の支えを外す時間を作りました。
するとグラグラ揺れる感覚を楽しみつつ、ギュッとビート板から落ちないよう掴み…それはそれはワクワクを小さな体全体で表現して、素敵な表情でした。
周囲に笑顔を見せて、まるで「みてみて」と言っているような表情で“楽しんで”いました。

良かった♪

多分また来週…再来週くらいかな?
そのくらいまで最初は泣いちゃうかもしれないけど、プールを彼の居場所の一つにできる様、一緒に過ごしていきたいと思います。

2018年7月15日日曜日

1つの可能性でしかないけれど…

今日のプール中におもしろい発見と言うか、気づきがありまして…もしかしたら…というレベルの話ですが。

小学生のM君。
今日で2回目でした。
プールの導入期としては順調です。
今日は泳ぎとは別の一面について。

彼がレッスンの途中から「ひこうき」「ひこうきのります」「ひこうき…いやだ」という言葉を繰り返していました。
とにかく、彼は飛行機が苦手な様子。
僕が「乗るの?」と尋ねれば「いや!」と涙目になるくらいに拒否を示します。
「いやなの?」とか「乗らないよ」と言えば、しばらくは落ち着くのですが、直にまた同じ問答を繰り返します。
お母さんに確認したら「ちょっと前からたまに」ということでした。

何だろう?なぜだろう?ということをいろいろと考えながらプール中も過ごしていました。
すると一つ、心当たりが。
「飛行機」の話をする合間に「耳」と耳に水が入ったことを訴える場面がありました。
その訴えと「飛行機」のタイミングが重なっただけかもしれませんが、僕は一つの可能性として、「耳に水が入った感じと、飛行機で耳詰まりを起こしたときが似ていて思い出すのでは?」というところに至りました。

プール以外の、水が耳に入らない場面でも「ひこうき」ということを言い出すということについても併せて考えてみました。
時期的に見て、気圧が彼の耳に影響を与えている可能性は?というところも考えてみました。

こればかりは、本当に僕の解釈で、僕の観察できる範囲でのこととなりますが…
一応、「こんな気がする」くらいのことは保護者へお伝えしてみました。
本当に可能性の一つとしてですが。
この問答は、僕の場合は「週に1時間のプールの中でのこと」ですが、ご家族はそれ以外にも続くとするなら、あるいは家族のストレスにもなりかねません。
何故だろう?何だろう?というのは続くと、その質にもよりますが段々とイライラを募らせることもあります。
解決にはならなくとも、考え方の糸口を探す手伝いくらいになれば、と思ってです。


的を射ているか、外しているのかはともかく、こうやって彼のことを考えていくということが、彼のことを知っていくことの一番の近道だと思うのです。


今夜、彼はどんなことを思い眠りについたのかな?
彼は、どんな夢を見ているのかな?

プール、プール、プール♪

今日は朝からプール尽くし。
するといろんな場面に出会います。

小学校高学年のR君は、これまでスイミングスクールで低学年のクラスでずっと過ごしてきていた子です。
彼は先月から僕とプールをスタートしましたが、最初の頃には確かに、ビート板でバタ足すらままならない感じでした。
そんな彼ですが、プールも人も大好きで、人懐っこい笑顔で毎回現れます。
そしてお喋りもしつつ楽しくレッスンを重ねてきています。
すると、今日は初めて25メートルをビート板を使ったバタ足で泳ぎ切りました。
「上級コースクリア!ボーナスステージに進みます!」ととても嬉しそうにはしゃいでいました♪

中学生のS君は、背泳ぎで25メートルを泳ぎ切りました。
今日は彼の送迎も請け負っていたので、その様子をご家族は見ていませんでした。
が、夕方、彼のお母さんからLINEが入り「背泳ぎで25メーターおよげたぁーと喜んでいました」と連絡を頂きました。
泳げたことは本人にとって嬉しかったのでしょう。
でも、僕はそれ以上に、このことを通して一つ親子の話題と言うか、喜びを伝える機会と言うか…そういうものが生まれたことが嬉しく思いました。

小学校中学年のM君は、今日で2回目。
2回目にして、とても大きな一歩を踏み出しています。
泳ぎ自体も1回目とは全然違って、自分でバタ足をする姿を見ることが出来ました。
それに加えて、周りの人を見ながら過ごすということが出来ていました。
ここから彼が、周りとの関係性をどんな風に作り上げていくのか、楽しみで仕方ありません♪


今日はプールに5回(1回1時間弱×5)も入っていました。
すると「そんなに入ったら疲れるでしょう?」ということをいろんな方から言われます。
当然ですよね、なかなかありません、こんなにプールに入る仕事と言うのは。
確かに疲れます、体力的には。
でも、他の仕事だって疲れますよね^^;それと同じです。
ただ、水の中と言うだけです。

それに、こうやって「ちょっと特別な場面」に立ち会えていると、体力的な疲れなんて吹っ飛びます♪

よく働き、よく休み、よく学び、よく遊び…そうやって子どもたちとも楽しんでいますから、歩き続けられます。

2018年7月10日火曜日

手をつなぐ会の「まなぼう勉強会」

今日は手をつなぐ会の「まなぼう勉強会」でお話をさせていただきました。

今回僕が設定したテーマは「親だってそのままで良い」。
保護者向けに構成した自己肯定感のお話です。

持ち時間が30分というところだったので、どんな話にしようかと考えましたが…

僕が今日話の中でお伝えしたかったのは「親も子も尊ばれるべき、愛されるべき存在である」ということ。

想定される聴講者のほとんどが保護者ということもあり、役員さんとの打ち合わせで「お母さんたちがホッとできる」「安心できる」というキーワードを出されたのが僕の中に引っかかりまして、こういうテーマにしました。

と言っても、大した話が出来るわけではないので、ぐるんぱの活動をしていて保護者にどういう心持で僕が向かっているのかという話に近かった気もします。

実際に寄せられる保護者の悩み、そこへの僕のアプローチ。


イメージしていたのは、聞いてくださっている方から悩み相談が寄せられて、そこへ僕の考え方をお伝えする、というような感じでした。

勉強会という場も踏まえて「自己肯定感って?」みたいな話も少ししましたが、今回はやはり「ホッとしてほしい」というところを大切にしたかったので、ロジカルというだけでなく、ハートフルな面を出したいと思って望みました。

僕がイメージしていたことが届いていれば良いのですが^^;

これまで何度か人前でお話をする機会を頂いてきましたが、もしかしたら一番ぐるんぱらしい、永田らしい話題だったかもしれないと思っています。
帰った後に穏やかに、自分や我が子がいとおしく感じてもらえてたら嬉しいな、とそんなことを考えているところです。


その後、メイクハッピー&ピースの井本先生も発達障がいについてお話をされて、会の後半は茶話会になりました。
普段接する生徒の保護者とも違う保護者の方たちとテーブルを囲んでお話するのは、学びになります。
人の数だけ、悩みも思いも喜びも愛もあるのだと改めて感じます。

こういう声や思いに触れると「すべきこと」「したいこと」がクリアにもなって、活力にもなります。

なので、明日からもまたぐるんぱらしく、永田らしくボチボチ歩んでいきます。

ゴールが見えにくいって不安

小学校の算数もなかなか大変です。

高学年ともなると、答えに行き着くまでに踏む手順の数の多いこと。
これは言い換えればゴールが見えにくいという事。

今日はある子と算数の学習をしていました。
「先生、ここが分かりません」と口を開いて計算ドリルのあるページを開いて見せてきました。

どうやら円の面積の応用問題に苦戦している模様。
半円や4分の1の扇形の組み合わせで構成されている図形の面積を求める問題。

これはなかなか難しいところです。
扇形が組み合わさって“何故か”花びらのような形に見えて…その花びらのような形の面積を求める…

扇形が組み合わさって“何故”花びらのように見えるのか?
そこがそもそも思い描けない。
だから、扇形の面積を求める必要性に行き着かない…

なんとかかんとか扇形の面積を求めることの必要性に行き着いても、今度は円周率の3.14があるために起こる計算の面倒さ。
(それに加えて、半円なら2で割らないといけないし、90度の扇形なら4で割らないといけないというのもまた面倒ですよね)

そうやって求めた数字を足したり引いたりして、目的の数字を導き出さなくてはいけない…


よく「算数は答えがはっきりしている」ということが言われますが、その「はっきりしている答え」までのプロセスが案外長くて、この長さが不安を呼ぶんですよね。
特に自信がないと、(こんな数字出てきちゃったけど良いのかな?)なんて不安に駆られてしまいます。
すると、途端に集中力も散漫になり、ただの計算問題ではミスしないような計算ミスを誘ってしまいます。

問題の解き方も教えるんですが、それよりもこの不安に寄り添っていくことが僕の役割のような気がしています。
こういう子は結構多いと思います。

2018年7月8日日曜日

M君とのレッスンの下地作り

別記事に書いたM君とのプールの様子を、コミュニケーションにフォーカスして書いてみたいと思います。
全体像はそちらに書いているので、まずは↑を読んでみてください。
僕の中で矛盾しているつもりはないですが、多分、先の記事とは印象が変わると思います。

まず、彼が持ってきた不安は先に書いた通り「見通しが立たないこと」によるものだったので、彼にも見通しが立てやすいようにレッスンの流れは極力単純化していくことは大切にしました。
「よーいスタート」と反対側へ着いた時の目印へのタッチだけは、絶対に欠かさないこと。
これが多分、周りで見ている人が思っている以上に大切で、これを徹底するだけで、その後のレッスンがとってもスムーズになります。


それから、大音量だった「こわい」「いや、いや」「あぶない」という声。
これについては、まずは表出させること。
彼の持っている気持ちですから。
彼がどういう言葉と言い方、表情をチョイスするかというのは、彼の気持ちそのものだと思います。
これを声量に圧倒されて最初から鎮めようとしたら、まずアカンと思うのです。
周りに人もいるから気にはなります、僕でも。
でも、それを笑いながら見守ってくれる人たちだということを僕は信じていますし、そのことを彼にも知って欲しかったから、敢えて最初は止めませんでした。
そして自慢ではないけれど、そういうまなざしを送ってくれるよう、周りの人たちとのコミュニケーションも僕は、割と丁寧にしています。
周りの人の応援と理解なしには「出来るだけ地域で」「出来るだけ地域と」は成り立ちませんから。
ただ、ある程度表出と発散をさせたら、その声に対しても「やっていこう」というスタンスを僕は示していきます。
不安なのはわかります。
でも、自分の声でその不安をエスカレートさせ始めないように、です。
自分の声で言う暗示ほど怖いものはないと思っています。
だから「不安」だということとそこに含まれる微妙なニュアンスを僕なりに感じ取って、彼がある程度発散できたと思ったら「さ、そろそろいこうか」ということを示すのです。
その「不安」の代わりに「出来た」を口に出させるためです。
これもある種の暗示かな?
「出来た」と自分の声で自分に言い聞かせる感じです。


もちろん、彼と初対面だったら同じ方法を採っていたかは分かりませんが、彼との関係性は、日ごろは順調だったと思っているので成立するところはあると思います。
でも、基本的に僕はこんなスタンスなのだと思います。
ただただ、「不安」を出しっぱなしにするより、お互いに次につなげやすいと思っています。


複数回行ったトイレについて。
これはプールの水温で身体が冷えるという生理的な現象もありつつですが、緊張もしていたのでしょうね。
僕らが緊張してトイレが近くなるのと同じです。
それが今日のプールでは連続的に、継続的に緊張しっぱなしだったのではないかと思っています。
これは恐らくレッスンを重ねていくことで少しずつ回数が減少していくと思っています。
トイレに行くことで間を取っているのと、緊張で硬くなった体をほぐすことを彼は求めていたのだと思いますから、これについては基本的には寛容に見守る必要があると思っています。
実際、トイレを挟む毎に彼の情緒は落ち着いていきました。


ここまで書いたことを繰り返すうちに彼も「永田との関係は陸もプールも変わらない」ということを肌で感じ始めたのだと思います。
目も合うようになってきて、こちらの声も耳に届くようになってきました。
そこで、まず僕はビート板を持つというところにスモールゴールを設定しました。
手を放して他のことを始めそうになったら「あ、手はビート板」と要求をしました。
そうするとビート板を持つことが出来るようになりました。

次に、「足を動かすから進む」ということを改めて彼に感じてもらうために、彼が足を動かしている時にはビート板を引っ張り進む。
彼が足を動かすのを止めたら止める、ということをして「あ、足が動いてない。進まないぞぉ」ということを伝え、足を動かすことを求めました。
(時には「え~?もう終わり?」と煽るようなことも言ってみることもします)

どちらも割とスムーズにクリア。
もちろん、まだ僕がビート板を手放すのはもう少し先。
失敗も成功も含めて「経験」ですが、まだ失敗を経験させるには早いですから。

これで「出来た」と自分で確認をしていくことと、スタートとゴールを明確にして、レッスンの流れを彼に見通しが立つようにすれば、落ち着いて一緒に過ごすことが出来るようになります。
今日はこれからのことを考えた下地作り。
これから数回はこのような感じだと思いますが、それが土台になって、今後のレッスンを支えていきます。
このコミュニケーションの積み重ねが土壌となり、子どもの、今日のことで言うとM君の地域が広がっていくと思っています。

はじめまして!ではないけれど

今日は夕方、男の子がプールの体験に来ました。
M君。
彼とは放課後等デイサービスでの学習サポートに入っているときに出会ったので、かれこれ2年前からの付き合いです。
彼のお母さんとも、何がきっかけだったかな?忘れてしまいましたが、時々メールをしてM君の様子などについて共有をさせていただいていたので、これまたそこそこのお付き合い。
なので初めまして感はほとんどない中でしたが、やはりぐるんぱの生徒として関わるのは初めてだったので、僕もドキドキでした。
(多分、M君もお母さんもそうだったのでしょうね)

夕方、雨がまた降り出したころ、傘をさしてM君、お母さん、妹ちゃんたちがやってきました。
今日の第一印象は、「M君、張り切っているな」でした。
前のめりで、早く入りたがって「まぁまぁ」という声掛けと共にレッスンスタート。

更衣室で着替える間も「プール入ります」「先生と一緒に入ります」と言いながらでした。
ただ、着替えが進むにつれてその声が少しずつ“硬く”なってきていたように感じました。
なので、玄関で挨拶したときよりか一回りトーンを落として「うん、そうだよ」と声をかけながら着替えをしていきました。

プールに入る前にトイレに行くか確認するも、「行かない」とのことだったので、シャワーを浴びて体操をして…いざ入水。

最初は「いや、いや、こわーい」「先生抱っこ」「あぶない」「あははは」プール室中に響く声量でこんな類の言葉と笑い声を繰り返していました。

この時彼の不安材料は「プールの深さの見当がつかない」「レッスンの流れがまだ分からない」ということがメインでした。
それは当然ですよね、初めてだから。
これまで“お勉強の先生”だった僕とプールで付き合うことになったから、どんな風に付き合えば良いのかも分からないですし。

それから「ビート板の使い方が分からない」ということもあったようです。
ビート板を持つことを「いらない」と言っていましたし。
(あの濡れたビート板の感触もそもそも独特で、決して気持ちいいものではないと思いますし)

いずれも“分からない”ことだらけによるものだったので、彼にどんな時間なのかを知ってもらえれば大丈夫だと判断しました。

周りの人も「お、初めての子だね」と声をかけてくれたり「大丈夫だよ、この先生優しいから」と言ってくれたり(照)して、大きな声量で不安を表現する彼に寄り添ってくれたこともあり、直に僕も知る彼らしさを見せてくれるようになりました。


もちろん彼自身の頑張りが大きいのですが、彼の“やりたいこと”を織り交ぜながら、今日はビート板でのバタ足をひたすら繰り返しました。

「25メートル泳いでプールサイドに設定したゴールにタッチをして折り返す」というこのルールだけ持ち帰って欲しいと思いましたから。

この間に、計ったように2周ごとにトイレに行きたがり、おしっこをしてまた戻る、ということをしながら、彼自身も心の準備を進めているようでした。

少しずつ、声のトーンも落ちついてきて、気が付いたら、自分の手でビート板を握って、足をバタバタさせていました。
ビート板キックの入り口です。

足が一回でも水を蹴ったら「出来たね?」としつこいくらいに確認をして、最初は自信なさげに小さな「はい」だったのが、次第に「出来た」と口に出せるようになり、僕にしがみつくようにして丸めていた身体も最後の方にはゆったりと使えるようになっていました。

いくら僕が「そうそう、その調子」と言っても、本人が「よし」と思えなくては意味がないですから、僕の中でこの確認はかなり重要でした。

「これで良いんだ」ということを存分に味わって帰ってもらえたかな?と思っているところです。

今日の様子から感じたことは「彼は泳ぎたいんだ」ということ。
泳ぐことのイメージは持っているようです。
ただ、まだ経験がないからドキドキもする。
当然です。
これからもステップアップの度に「え?次は何するの?どんなふうになるの?」というドキドキはやってくると思いますが、「永田とならやってみても良いかな?」と感じてもらえるような関係を作ることがまずは第一だと考えています。

余暇に繋げるためのレッスンですから。
別に競技で記録を残すためにするのではないですから。
もちろん東京オリンピックを目指す、ような期限があるわけでもないですから。
ゆっくり、味わいながら。

彼と僕が一緒に、今の立ち位置と、これまでの軌跡と、これから歩む道筋とを一緒に見ていけたらそれでOKだと思っています。
そんな付き合いをしていきたいものです。


まずは今日のM君との時間の全体像をブログに残しておきます。
また、別記事で、細かく彼の心が落ち着く模様を泳ぎの部分を中心に書いていきたいとも思っています。

初めて拭けた!

Cちゃん、小学校低学年。
彼女にとって自分の身体を拭くというのはとても難しい作業なので、プールの際にも少しずつ練習をしていっています。

拭く場所ごとに「1.2.3.4.…10」と数えながら拭き、数えたら次の場所へ。
という具合に練習をしてきています。

頭を拭くときには拭く場所も見えないし、腕を拭くときには片手になってしまうし、胸のあたりを拭くときはやはり見えにくい、背中なんてもう何が何だか(タオルの持ち方も分からないし、ちっとも見えなし、どう身体を動かしたらいいのか分からないし)。

そんな中、お腹の付近と足は「両手で拭ける」「良く見える」から特に丁寧に練習をしているのです。
それでも、これまで6か月くらい(プールを始めてからは8か月ですが、途中でお休みしていた時期があって、実質6か月)、なかなか自分で拭くという感じまでになりませんでした。

それが今日のレッスン後、彼女のタオルの握りがなんか違う、と感じたのです。
(いえ、タオルだけでなくて今日は体操の場面でも自分の足を持つということが初めて出来たのです)

頭や身体の見えにくい部分ではいつもの感じだったのですが、足を拭く団になった途端、「ぎゅっ」とタオルをしっかりと握るような力を感じたので、普段彼女の手に添えて一緒に動かしている手を外してみました。
それから「1.2.3.4.…10」と数えました。
すると、その僕の声に合わせて腕を上下に動かして足を自分で拭いたではありませんか!?

「おぉ!!出来たねえ!」と称賛したら、なんとも彼女らしい、“ほのかなドヤ顔”でこちらに笑みを返してくれました。
うん、これこれ。

ここから、少しずつ少しずつ、広がってくるんだよなぁ。


身体だって自分で拭けたら便利。
そりゃ、面倒くさい感も出てくるでしょうけれど、それでも誰かに拭いてもらうのを待つよりかも自分で拭けたら便利です。
そういうことを味わって、彼女の中に気づきが芽生えて、生活の幅が広がれば良いなぁ。

彼女は学年の割には背も高いから、身体の発達は早めかもしれません。
すると、本当に僕と一緒に更衣の練習を出来る時期と言うのは少ないのです。
なんとか同じ更衣室で着替えが出来るうちに、身体を拭くことを身に着けさせてあげたい。
そうすれば、ご家族なり、その時に手伝ってくれる人がいればその人なりに、余裕を持ってもらえるはず。

こういう身体を拭くとか、排せつとかが自立するだけでも、ご家族は他の人へ託しやすくなると、僕は信じています。
この子の世界を広げる一助になると、僕は信じています。

面倒だし、難しいし、で駄々をこねるときもありますが、そういう気持ちにも付き合いながら、「そうだね、面倒だよね、難しいよね」と声をかけながら、「それでも少しずつやっていこう」とも声をかけ続けながら、身体拭きにも取り組んでいきたいと思います。

2018年7月5日木曜日

会議に参加して思う「出来るだけ地域で」「出来るだけ地域と」

今日は夕方から、ある子の支援について考えるために、学校で行われた会議に参加してきました。

この子との出会いは2年ほど前で、不定期ながらもずっと様子を見守ってきています。
切れそうで切れない…なんとも不思議な関係が続いています(笑)



いろんな話題・報告の中で、子ども自身の願いや保護者の願い、子ども自身の抱える困り感、保護者の抱える困り感というのが見えてきます。

会議が行われるからには、それなりに子ども本人や保護者の困り感があるので、支援の方向性は示していくことになるわけですが、手立てみたいなところに話が傾倒しないように、というのは心がけたいと思って参加してきました。
子どもの成長や親子のつながり、それぞれが自身のことも互いのことも愛しく思えるようになるというか…


やっぱり子どもも保護者も、それから支援者も、「出来るだけ地域で」「出来るだけ地域と」ということを持って歩んでいけたら良いなぁ、というのが僕のスタンス。

学習でも、プールでも、この二つの柱に繋がることを考えていきたいと、改めて感じました。

2018年7月3日火曜日

台風で家に引きこもる、の巻

今日は、台風の影響で支援はお休みが入り、比較的ゆっくりとした時間が流れそうです。

ということで、今日は時間をたっぷり使いながら10日に手をつなぐ会の「まなぼう」で話す内容について準備をしていきます。

先日の打ち合わせ時に、役員さんからの要望をお聞きして、その中で僕に話せそうなことをまとめていっています。

聞きに来てくださる方の多くが保護者と言う立場。

いっつも頑張っている保護者が、ホッとできるような話が出来ないかな?と考えています。

「なんかホッとできます」ということは日ごろの支援の中では保護者の方からいただくことがあるのですが、多数の人相手の時にも同じようなスタンスでお話が出来るのか?と、アレコレと考えています。

日ごろは子どもたちと僕のやり取りをある程度知っている保護者相手で、我が子の姿がある中でのお話で、それも含めて「ホッとできる」訳ですから、それがない分、少し難しい気がしていますが…


エンジンをかけるために1つ、記事を書いてみた、というだけなのですが(笑)

目標は今日の午前中で話の大枠を決定。
そこから数日で話の内容を具体的に形作っていきます。
それらと並行して配布資料も作りたいな。