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2020年3月31日火曜日

支援をしていて思う。

支援をしていて思う。
知識や経験ももちろん大切。手立ての選択肢がグッと広がるから。
でも、想像力はそれら以上に養うべきだと。

相手の様子から、思いを巡らせられてこそだと思うから。
相手の生活、人生、そして想いに寄り添う、と思ったとき、想像力は欠かせない。

そこが足りないと独りよがりになりかねないと思う。

ちょっとした呟き。

Eちゃんと言葉の学習中に思う。

今春、特別支援学校の中学部に入学する女の子と今、言葉をテーマに学習サポートでお付き合いしています。
普段はプールでの付き合いが中心の子で、プールの出来ないときには学習、ということでこれまでもやってきてはいますが。

主に書く、読む、ということを通して過ごしています。
お絵かきや文字を書くこと自体は、もともと好きなので、合間に休憩を取っても、自分で好きな言葉を紙に書いています(写真)。
言葉を綴る度に、それに関連するものを思い出すのでしょう。

表情豊かにさまざまな言葉を書いています。

彼女を見ていると、「彼女にとっての言葉とは?」「表現とは?」といろんなことに思いが向きます。

“学習”ということでなく、“生活”に根差したものにしたい、そう思います。

読み書き、話す、聞く…言葉といっても切り口も色々ですが、“彼女”を捉えてバランスよくアプローチしたいものです。

あそびは“なりたい自分”の表現?

週に2回ほど関わっている放課後等デイサービスにて。
今度小学校2年生になる知的障がいと自閉症を持つ男の子と工作をして来ました。
折り紙を渡されて、「リボン描いて」「時計描いて」とおねだりをされて、描いてあげると、それを切って身に付けていました。
時計、何時にしておく?と尋ねると
「3時、おやつ」と返ってきたので、3時に合わせて針を描いたら、他の指導員のもとへ行き、午前11時におやつをねだっていました(笑)
実はこの直ぐ傍に別の子もいて、それぞれ別の工作に取り組んでいました。

事業所の利用を始めてまだ数ヶ月の彼は、彼の持つ特性もあり、他の子と一緒にボードゲームをしたりボール遊びをしたり、というような姿はほとんど見られないのと、やっていても直ぐに離脱してしまうという感じなのですが、今日は1時間以上も他児と並んで工作をしていました。
その中で、限られた道具(ハサミやテープ、のり)を順番に使ったり、リボンを頭に留めたら、相手の顔を覗き込んで見て欲しそうにアピールしたり(笑)
汚してしまうから、と毎回似たような洋服で通所してくることの多い彼ですが、実はお洒落で、遊びを通して“なりたい自分を表現しているのかな?と思いました。

2020年3月29日日曜日

ちゃんと季節は巡ってくれる


世間が、人間がどんなにわーわー騒いでいても季節っていうのは変わらず巡ってくれるんです。

2020年3月28日土曜日

つばめさんが出来た!~鉄棒の練習2回目~


高校生のOさんとの鉄棒の練習。

普段のプールのレッスンで使用している施設がコロナウイルス感染拡大防止のために休館になり、鉄棒の練習に切り替えて関わりを継続しています。

まずは「つばめさん」の獲得、ということから目指してきたわけですが、2回目にしてコレ!

誰がどう見ても「つばめさん」でしょう?

順に、手の添え方、腕の幅、手首の向き、ジャンプの仕方…いろいろと調整をしながら出来るようになりました♪
とっても得意気に「撮った?ママに見せてね」と。

とっても大好きな家族に見てもらいたい、そういう気持ちも彼女の原動力でしょう。

クルリと回れるようになるまではもう少しかかるかもしれませんが、いろんなアプローチを重ねて、彼女の満足そうな嬉しそうな表情を引き出せるような時間を重ねていきたいです。

2020年3月27日金曜日

きょうだいげんか

今、とあるご家庭で兄弟児で学習を見ているケースがあります。

時間も90分という設定にして、3人で同じ時間に同じ空間でしています。
会話も楽しみながら、学習をしているという状況です。
男3人でガヤガヤとやる学習はとても面白い場面がたくさん生まれます。

合間にちょっとした兄弟間でいざこざが生まれたりもします(笑)

このいざこざも概ね特性が招くものというのも支援者としては面白く見ています。

兄は視覚優位、弟は聴覚優位、そういう気質を持っています。

弟には兄が話を聞けない、理解できない、というように映るみたいで小ばかにします^^;
兄には、弟が板書をしない不真面目な奴に映るみたいです。

こんな風に見えると兄弟げんかも観察の対象だったり、支援を考えるヒントになったりするものです(笑)

研究ってすごいなぁ

「母音と子音の組み合わせ、それから複数の音節がリズムを持って繰り返す」

これが生後半年くらいしてから現れる規準喃語の特徴と言われています。
「マma・マma」とか「ダda・ダda・ダda」なんかがそれです。

この規準喃語以前の「あー」「うー」とかとは質が違って、母音と子音の組み合わせの音声と音節あるいはリズムが現れること。
言語コミュニケーションを獲得するにあたってとっても大切な過程です。


ここまでは、以前、何かで読んで知っていました。

最近読んだ本に、こういうことが単に発声器官の発達だけではない、と紹介されていました。
手足のリズミカルな運動が高まる時期に、喃語についても大きく変化してくるらしいのです。


「研究」ってすごいと思います。

2020年3月24日火曜日

気持ちが乗らないときの時間の使い方

先日もここに書いた中学生との学習でした。

今日も、あまり乗り気ではなかったようで、学習場所に現れてから直ぐに「帰る」と言って、背を向けようとしました。

「ちょっとで良いからしておいで」

お母さんに促されました。

(多分、ちょっととかみたいな時間の話じゃないよな~)

そしたら本人が
「長い時間かどうかは、今の僕の問題じゃないんだよ。気分が良くないし乗らないんだよ。」
と。

ここ最近のやり取りで昼夜が逆転しかけているという情報がありましたから、
「昨日は何時から目が覚めてたの?」と尋ねてみました。

「昨日はね、もう1時過ぎから目が覚めてね、そこから日が昇るか昇らないかまで寝られなかったんだよ。だから昼間もダラダラと寝てるのか起きてるのか分からないような感じだったんだよ。このままだと今夜もきっと変なリズムになっちゃうよ!」

と苛立ちながら話し始めてくれました。

「そうか~、それはしんどいね~」

と返すと

「しんどさは無いんだけど、このままじゃ嫌なんだけど、気持ちも乗らないから帰りたいんだよ」
と。

「うーん、そうね~、そしたらどうにかしたいって思ってるんよね?」

そうすると、彼は“こうしたい”“こうなりたい”を5分くらいかけて、自分の言葉を探すように、選ぶように話をしてくれました。

まだまだ話したそうでしたが、暗くなってきて、気温もぐんぐん下がっていることを感じたので、
「そしたら、寒くなってきたから、もう少し中で話し聞かせてよ。」
と誘いました。

まずは、ある程度“堰(せき)”を切ったような、勢いにも似た、話したいという“流れ”を作りたかったので5分取りました。
これが奏功して、「うん、聞いてくれる?」と。

「うん、もちろん」

そうして中に入りながら「夜中目が覚めたら何してるの?」と尋ねました。

「なんか、こう言うとさ、変かもしれないけど、少しでも合理的に、って思って、僕の時間にしようと思って、好きなことをしてるかな。テレビの録画したものを見たり。本を読んだり。昼間にダラダラと自分らしくない時間過ごしてるから」

と。

そこから40分ひたすら、彼の夜間の様子について聞かせてくれました。
お気に入りのテレビの話などを中心に。

そうしたところ、40分経った時点で、「ところで先生との時間、あと何分ある?」と聞かれたので「あと20分くらいかな」と答えました。

すると「ならあと5分だけ話し聞いてもらって良い?少しだけ勉強して帰ることにする」と。

良い!それで良いよ!

なんかとっても良い表情で話もして、そのままの感じで学習にも向かいました。

時間の長短なんて問題じゃないし、問題が解けたかどうかなんていうのも、正直どうでも良いです。

自分で彼が時間の使い方を選択して、満足して帰れたことが今日の収穫!

「またね」

と笑いながら車に乗って帰った彼を見たら僕もホッと嬉しくなりました♪

支援の中にアドラー心理学の勇気づけを取り入れてみる


今日は少しアドラー心理学のことについて。
少し前には、子育てに有効だということで、流行にもなり、書店でも目にする機会が増えた言葉です。

その中でも、僕が支援の中で「確かにな」と納得して取り入れている考え方があります。
それは「勇気づけ」です。
アドラー心理学は「勇気づけ」の心理学とも言われています。



例えばテストの点数のことについて褒めるとなると「〇点取った」という結果について褒めるということになります。
そうすると必然「良い点」が求められてしまいがちです。

この褒めるということももちろん意味を持つことはあります。
特別支援の中でも褒めることの大切さはよく言われます。

ですが、これだけにはしたくないと思っています。

結果だけに着目して、褒める褒めないということに偏ったコミュニケーションでは、「褒めてもらえるかな?」という評価を気にするような不安を育てることになりかねません。

そこで、物事に取り組む過程にも着目したいと思っています。

例えば、同じテストについて子どもとやり取りをするとき、「ここが今回はよく出来ていたよね?もしかしてここの勉強は頑張って練習とかしたんじゃない?」というような回答を作り上げる過程に寄り添うのです。
そうすると点数によらない、子どもの努力を「認める」ということに繋がります。
そうして、「あなたが“ここを練習する”と自分で見つけて練習したというしたことが嬉しい」とこちらの気持ちを伝えるところまで行えると良いのかな、と思います。
点数という結果ではなく、過程に着目することで、「傍にいるよ」「あなたのことを見ているよ」というメッセージにもなります。

こういうことの積み重ねで、子どもたちに「勇気づけ」を行うのです。
人との「一体感」「信頼感」「貢献感」「自己受容」ということを得ていけるのだと思います。
それは、学習場面など限定されるものではなく、様々な困難に向き合ったり克服したりするのに役立ちます。


仮にテストで0点だとしても、「こんなに難しかったのに気づいてあげられなくてごめんね」という寄り添い方も出来るわけです。
そして、次に一緒にどうしていくかということを考えていけるのではないでしょうか?



「出来た」「出来なかった」ということではなく、こちらの気持ちを伝えてみてはいかがですか?

2020年3月22日日曜日

事前告知で子どもも過ごしやすく

予め、スケジュールや行う事の内容について説明をする「事前告知」。

発達障がいを持つ人への有効な手立てとして代表的なものです。
事前に伝えて見通しを持たせる、ということで落ち着いて行動を取れたり、達成目標から反れそうになった時に指針を示すことがしやすくなります。

では、どんな場面に使えば良いのか、例を挙げてみたいと思います。

・その日の予定を説明する。

・行動や場面の切り替えのタイミングについて説明をする。

・適切な行動や不適切な行動について説明する。

・急な変更が生じるかもしれない、というような可能性を示す。

というような場面で使うことが多いと思います。

それに加えて、さらにその子の特性に合わせて、必要に応じて絵カードなどのツールと併用して行うとより効果的です。

また、二重告知という使い方も必要なケースもあるかもしれません。

「あと5分で次の活動に移ります」という告知。

それに対して、二重告知は「残り5分になったら『あと5分です』ということをお知らせします」と告知のことを告知しておくという方法です。

子どもによっては、「あと5分」という告知すら唐突であるように感じるかもしれないので、そういう伝え方も必要であることがあります。


具体的な場面をいくつか紹介しましょう。

・買い物で子どもが、予定にないものを欲しかった時にも事前に買い物で買うものを伝えておいて「さっき伝えた中にあったっけ?」という確認の仕方が可能になります。
そうすると「わがままを言わない!」と声を荒げずにやり取りをすることが出来るかもしれません。

・外出の予定があって、雨の場合には内容が変わる可能性がある、という場合にも「晴れたら予定通り。雨なら別の活動(具体的な活動)になるよ」ということは、する方も多いでしょうが、事前告知ですね。

・「タイマーが鳴ったら、次の活動に移るね」ということも事前告知です。

日常的にしている方も多いかと思いますが、手立てとして意識して使うことで、支援の引き出しになっていくことでもありますし、効果も高まります。
なんとなく使うのとは、その効果は全然違うと思います。

満足感を得ることを目指したい

学習サポートの中学生男子。

僕が今、関わっている子どもたちの中でも特に気になっている子。

この春、彼は2年生になります。

1年間、学校生活に馴染めないまま終わって、授業参加も不安定で、友達との交流もかなり限定的になっていました。

小学校時代には、仲良く交流していた友人とも距離が生まれているようです。

加えて、年度末の休校騒動で、家にこもる生活になってしまっています。

“活動”が減っているのは、彼だけではないとは思うのですが、この1年間の生活で彼の事を気に掛ける人が減ってしまったことがあるためか、人との交流が、彼は特に少なくなっているように思います。

最近では中学生くらいでも持っていることが珍しくなくなってきているスマホ等も持っていないので、友達との連絡手段も無いようです。

そんな彼は、最近、昼夜が逆転しかけています。
夜は23時過ぎに寝ているようですが、もう3時前には目が覚めて、寝られないというのです。

そして朝になるころには眠くなって、ダラダラと過ごして、夕方、夜までエンジンが上手く掛からず…そして“活動”が出来ず体力をもて余して就寝時間を迎え…目が覚めて…
悪循環です。

学習サポートも、僕は“学習”にこだわることはしないので、散歩を提案したり、お喋りをしてみたりするのですが、何をしても気持ちが乗らないようです。


本人も歯がゆくイライラを募らせています。

満足感が足りないのでしょう。

到達目標、達成目標みたいなものは要らないと思っています。

なんか彼が満足して、安心して眠れる、に繋がることを考えていきたいです。



2020年3月20日金曜日

コロナウイルス感染者が宗像にも出た!とか騒ぐ前に

昨日、宗像にも感染者が出たと報道がされました。

確かについに出たか、という感はありますが、冷静でない人の多さには驚きます。

このウイルスの感染力を見くびっている訳ではありません。
ですが、慌てている人に言いたいのです。

「ちょっと待てよ」

と。

第一報をテレビの速報のテロップで知った人も多いようで、あっという間にSNS(僕はFacebookを中心にしています)のタイムラインには、「どうしよう」「この時期に海外渡航なんて『自分は感染しない』とでも思っていたのかね」みたいな言葉が並びました。

ですが、宗像市のホームページには、感染が確認された方の行動や経緯が、第一報からまもなく(1番早く報じたのがとこかは特定できませんが、僕の耳に入り直ぐにネットで検索した時には)掲載されました。

宗像市のホームページ掲載情報によると、この方はとても冷静で社会的に見て、実に常識的で、最善に限りなく近いbetterを行動として選択しているように、僕は感じました。

僕は仕事の都合で、移動先で人から聞いたということもあり、多少のタイムラグがあったことは認めますが、それでも1日、2日も空いたというわけではありません。

数時間です。

なのに「感染者が確認されました」というだけで大騒ぎをする人の多さには本当に驚きました。
情報に不安を煽られているという以外の何者でもないと思います。

(あぁ、これでまた休館、みたいなところが増えなければ良いけれど…)くらいのことは僕の頭にも過りましたが、感染が爆発的に広まることはほぼ無い、と思います。

飛行機に同乗した人の感染、という可能性はあるかもしれません。

ですが、パニックになって、感染が確認された方の批判をするようなケースでもないと、僕は思いました。

僕も立場としては感染から身を守らなくては子どもたちを危険に晒しかねません。
それは承知しています。
だから、息子の体調不良、というだけでかなりの仕事をキャンセルにしました。

それでも…だから、かな?
ワーワー騒ぐ前に確認すべきことを確認してから、必要な行動を取ることは心がけています。

このウイルスの怖さは“未知”。
気持ちは分かるけど、落ち着きましょう。

より情報の確かそうなソースにあたり、あれこれ言い出す人の発言と事実とを混同しない、ということが身を守るための1番の近道です。

そもそも「バイオハザード」みたいな世界観で、人間がゾンビになるようなウイルスではないですから。
体質として病弱な人には、本当に危険で驚異となりますが、多くの人にとっては風邪に近い症状なのですから。
拡散(ウイルスも社会的影響も)防止したければ、冷静に。


2020年3月18日水曜日

着替えについて

着替えは、日に2回は行う動作です。
寝間着から活動着、活動着から寝間着。

この1日2回の動作で介助が必要であると、ご家庭では1回5分とすれば、日に10分は時間を取られることになります。
ここが自立すれば、毎日10分は親子で「しなくてはならないこと」以外の時間に費やすことが出来、向き合うことが出来ると思うのです。

そこで、着替えという動作を身に着けるために考えたいことをいくつか挙げてみたいと思います。


・腕や足を通しやすい、着替えやすい服を選ぶ

・まずは前と後ろの確認から練習し、それが出来るようになってから表裏の確認を出来るようになることを目指す

・洋服の裾を入れる練習

・ボタンなどの練習や工夫

こういうものを一つずつ確認していくことを目指したいと思いながら普段の支援では取り組んでいます。


そして、本人の練習としては、目で必要なことを確認していくことが必要なので、注目するべきところを伝えて見ることを促します。
次に、手で持つということを促します。
着る順番については、手元が隠れないようにという事には気を付けることが定着するまでは大切かもしれません。

ここまでは比較的大きな動きになります。
それが定着してからいよいよボタンやファスナーという練習になってくるようにすると良いと思っています。

それから着替えの練習をする際の姿勢ですが、最初は座っていていいと思います。
床にペタンと座って着替えて良いと思います。
それから椅子に座って、とか立って、とか必要な姿勢を少しずつ練習をしていくようにしましょう。

一気に欲張っていては出来るものも出来ない可能性が出てきてしまいます。

2020年3月15日日曜日

【YouTube】困り感を具体化していく


改めて書字動作について考えてみる

文字を書く、これもまたなかなか大変な作業です。
自転車の乗り方を一旦覚えると、出来なかった頃の苦労とか気持ちを忘れてしまうのと同じで、ついつい簡単なことだと思い込んでしまいます。
でも…実はこういう動作の組み合わせです。

・まずは文字を覚えるということが当然必要です。

・目を使って「今ペン先のある場所を確認する」「ペン先がこれから向かう先を確認する」「ペン先の通ってきた道筋を確認する」とことを経て、文字のバランスや書面のバランスを整えていく必要があります。

・ペンを動かすためには、手首や指先の細やかな動きが必要になります。

・姿勢を保持するために、体幹の筋力も必要ですし、利き手の肘から手首にかけての机(などの盤面)への接触部分で身体を支える必要もあります。

・黒板の板書や教科書を写すなどの作業をするときには、目と共に首を動かす必要がありますし、見たものを記憶して写すという作業も加わります。

・あるいは、周囲に絶え間なく流れ続ける音声の中から必要な情報を選び取って、聞き取り、それを書くということが必要な場合もあります。


ざっと大きく括ったとして挙げても、これくらいのことはパッと出てきます。
それらを組み合わせて「書く」ということが出来上がります。
実に多くのものを含んでいます。

「書字が苦手」と言っても、つまずきの内訳は、それぞれだということです。

学習サポートではそういうことを見ながら子どもとの時間を重ねてもいます。
僕と学習をしている子の中には、板書が苦手だとか、筆記をすること自体が苦手だという子も少なくありません。
それぞれつまずきの理由も違います。
なので、そこへのアプローチも違います。

手立てとして考えていくものとしては、一緒に学習する時間や日常生活の中で取り組めるものが中心になりますから、特別な訓練という時間はほとんど取りません。
僕の場合、例えばこういうことについて検討をしていきます。
という、その一部をご紹介してみたいと思います。

・筆記具の選択。
鉛筆か?ペンか?
鉛筆なら濃さは?
ペンなどの太さや握り心地は?
消しゴムの大きさは?硬さなどの持ちやすさは?
筆記具の量は、ペンの本数種類、本人が把握と管理を行えて、使いこなせるか?

・筆記面の検討。
紙の材質で、ペンとの摩擦が変わりますから、「書きやすさ」に直結します。
書くことが大変な子は「書きやすさ」が大切です。
色も例えば「真っ白」で良いのか?まぶしくて…ということもあるかもしれません。
筆記面の面積についても、大きすぎないか?小さすぎないか?ということは考えたいですね。

・書く量と時間の調整。
自由に筆記する時間であれば気にすることもありませんが、授業のように限られた時間で筆記を求められる場合には、書字速度も求められることが多いです。
その為、どこまで本人に書いてもらい、どこからプリントなどで対応するか?あるいは代筆するのか?ということを考える必要があります。
「疲れる」ということを全く排除することもできませんが、軽減することはできないか?ということは考える必要があります。
「書く」ということ自体が目的になることは非常に少ないと思いますので、これは結構大切なように思います。

・ワーキングメモリーの弱い子は、音声の場合は、音声をメモするときの、音声の速度や間も重要ですし、書き写す場合には、元になる情報の書いてある面と筆記面との距離、視線の移動距離やそれに掛る時間も見ていきたいです。

・座りやすさを考える。
「疲れる」ことを軽減して、必要な時間や量書くことに向かえる状況を整えられないか考えることもあります。
椅子の高さや座面や背もたれの固さ、それから足元の感触なども検討材料になることがあります。

こういうことを考えて学習の土台を整えていきたいな、と思います。

そして、「書きやすさ」と共に「表現したい」という意欲も書き立てる工夫をコミュニケーションの中で、ある種の演出を試みます。
「表現したい」「書きたい」という意欲や気持ちが芽生えることが「書く」ということではとても大切だと思います。
それから書写や書道の場合には、伝統についての理解や興味を深めるということも必要かもしれません。


「書字動作」と言っても、目に見えるモノばかりではありません。

書きやすさ、そして読み手の読みやすさ、など書くことの目的まで見据えて、全体像を考えて書字については考えていきたいものです。


例えば鍵盤ハーモニカの練習をするときに見たいところ

鍵盤ハーモニカというのは、保育園、幼稚園、小学校…練習の機会の比較的多い楽器であるように思います。
その割に、とても難しい楽器だというようにも思います。
実際、つまづいてしまう子が結構います。

僕も子どもの時分には、つまづいてしまいました。


僕の場合には、息を吹くことと指を動かすことを同時にするのが難しかったというタイプです。


そうです。
鍵盤ハーモニカというのは、同時にいくつもの作業をしていかなくてはいけない、高度な楽器です。

それを教えるというか、指導する立場で、「出来る」「出来ない」みたいなジャッジをするだけでなく、「なぜ」出来ないのか?ということを考えなくてはいけません。
あるいは出来ている子たちは、「なぜ」上手くいくのか?を考えなくてはいけないこともあるでしょう。

そこで、少し、比較的着目しやすい点をいくつか挙げて、鍵盤ハーモニカの練習について考えていきます。


鍵盤ハーモニカを弾く姿を思い描いてください。

右手は鍵盤を弾き、左手は管を支え、息を吹き込み、目は鍵盤と指揮者と楽譜を確認して、姿勢は保つ、みたいなことが必要です。

一言で「鍵盤ハーモニカが弾けない」と言っても、つまづきの理由は一人一人違います。


それこそ鍵盤ハーモニカを弾くこと自体は高度な作業なので、そのつまづきの理由を分けて、別に練習をしていく必要があるかもしれません。


運指が上手くいかないのであれば、指先を動かす練習から必要かもしれません。
息を吹くことが苦手であれば、「ふーー」っと息を吹く練習からいるかもしれません。
視線も慌ただしいから、どこを見ればいいんだよ、と細かく、伝える必要があるかもしれません。
そもそも、多動傾向がありじっとしていることが苦手であれば、弾くときの姿勢に配慮がいるかもしれません。
鍵盤ハーモニカを練習する場面を想定したら、周囲の子どもたちも練習していることが考えられますから、聴覚過敏で鳴り響く音が苦手であれば、取り組み自体を考えなくてはいけないかもしれません。
もし、取り組むのであれば耳栓をするだけで、弾けるようになるかもしれません。

あるいは、音楽は楽しい、表現の一つであるということを体感することから必要かもしれません。


本当に、いろんな視点で子どもを見ていく必要があると思います。



2020年3月12日木曜日

鉄棒にチャレンジ

コロナウイルスの影響で活動で利用させてもらっているプールも休館になり、一切お休みの子もいますが、中にはプールとは別の活動に切り替えてお付き合いを継続している子もいます。

高校生のOさんもその1人。

彼女のお母さんのお膳立てもかなり受けながら実施が叶ったのは、鉄棒の練習。

プールが行えない間、数回に渡って実施していきます。

前回り、ここまでいけたら…

と、思うところですが、欲張らずゆっくり楽しく、怪我をしないように取り組みたいです。

昨日は、特別支援学校へのお迎えからはじまり、レッスン1時間、という流れ。

お迎えに行ったときには少し恥ずかしそうにしていましたが、車に乗ったらいつものようにたくさんお喋りしてくれました。

大好きな男の子の話、食べ物の話…

元カレ(自称)は面白くも少し寂しい女子高生とのお喋りドライブでした(笑)


ドライブでしっかりと心を解して、目的の鉄棒のある公園へ到着。

彼女の現状を把握するために鉄棒に自由に触れさせてみると、鉄棒に触れる機会も少なかったことが伺えました。

なので、無理せず、遊びも入れて、お喋りも入れて、ゆっくりとすることに。

「永田さん、鉄棒出来ると?見せて」と途中で言われたので、見せると「スゴいね、うちも出来るかな?」と。

うん、僕も魔法使いではないから“絶対”とは言えないけど、出来ることが増えたら嬉しいよね、と返しました。

ニコリと笑って大きく頷いていました。


そこから二人で試行錯誤と息抜きを繰り返して、おそらく初めてであろう“つばめさん”に成功。
写真だと分かりにくいかもしれませんが、足もしっかり浮いています。
数秒保持が出来ました。

「腕とお腹が痛いね」と言いながらも満足そうに笑顔を向けてくれました。

初日はこれで十分。

また昨日の様子を承けて、次回の準備をしていきたいと思います。


この取り組みは僕にも大きな学びになりそうです。

サポートブックを活用して引き継ぎをスムーズに

新年度の引き継ぎに際して、サポートブックを活用することを考えたことがありますか?

サポートブックとは簡単に言うと…

・子どもの様子、特性など個性を項目ごとにまとめて記載した資料

・関わる人たちで共通理解を持つための資料

・口頭では伝えきれない子どもの多様な様子を伝えるための資料

という感じのものです。


これを用意すると、より早くスムーズに子どもの安心感に繋がる環境やコミュニケーション、それから手立てを用意することが出来るようになるかもしれません。

以下のようなものを記載してみると良いかもしれない、というものをご紹介します。

・プロフィール
子どもの生育歴をまとめてみてください。

・個性
子どもの特性、癖、こだわりなど、診断名+αで、実際的な様子を記載してみてください。

・好き、嫌い
子どもの好きあるいは嫌いな、モノや場所、場面を整理してみてください。

・長所
子どもの素敵なところをたくさん書いてみてください。
因みに個人的には、短所の記載は不要かな、と。
読み手に不要なレッテルを貼らせるきっかけになってしまいますから。

・コミュニケーション
言語でコミュニケーションが可能なのか?カードなどのツールやジェスチャーがあった方が良いのか?
その子の認知について記載してみてください。

・感覚
例えば痛みなどに敏感なのか鈍感なのか?特性に近いところかもしれませんが、こういう情報も支援者側にはありがたいものです。

・身辺自立
日常生活のなかで、どんなサポートが必要なのかを記載してみてください。

・その他
子どもと関わる人にしっていて欲しいことなどを、必要に応じて書いてください。


それぞれエピソードがあると、よりイメージしやすいかもしれません。

2020年3月11日水曜日

家の時計は正確に。

とあるご家庭で学習サポートをしていて、ふと気がつきました。

この対象児、時間、時刻に対する意識と感覚が、あまり身に付いていません。


その一因が見えた気がしました。

家の時計の示す時刻が違うのです。

正確な時刻を示すのは、リビングの掛け時計A。
もう1つリビングにある時計Bは、10分遅れています。

これはお父さんの仕事の都合に合わせて、敢えてずらしているようです。

それから、子ども部屋にあるものは、25分ずれていました。

これは単に電池が切れて入れ換えた後に調整をしていないから、だそうです。
(わざわざ電池を入れ換えているのに…と思わず笑ってしまいました(^^;)

ただ、これでは、時間感覚はなかなか身に付きません。

本人にとっては混乱するだけかもしれません。

「○時になったら」ということが家では通じにくいわけです。
見る時計によって変わるのですから。

こういうところも大人の都合はあるかもしれませんが、気を付けてみると困り感が解消されるかもしれません。

子どもたちから励まされて

放課後等デイサービス えるそる むなかたで外遊びに同行。
子どもが持ってきてくれました。

集団ヒステリーのようになっている大人。

もしかしたら、子どもたちの方が余程冷静で、大人を励ましてくれているのかもしれない。

ありがとう。

2020年3月10日火曜日

環境を整えてメリハリをつけられるかもしれない、という話

コロナウイルスの影響で休校になり、家庭で過ごす時間が増えている子どもも少なくありません。

また、家庭で親子で過ごす時間が増えているところも少なくありません。

そうなってくると、僕のもとにもいろいろと相談が寄せられます。

今日寄せられた声です。
学習とか休憩とか食事とか…限られた空間ともて余す時間の中でメリハリをつけることが難しくなってきている、と。


例えば、学校であれば、チャイムで時間の区切りが分かりやすくなっていますし、移動教室や机の配置で授業や給食の時間が分かりやすくなっています。

メリハリをつけやすい、仕掛けがいろいろとあるのです。
(その中でも、過ごしにくさを感じていたり、欲しい配慮はあるものですが)

では、家庭ではどんな風にすれば良いのでしょうか?


時間で区切る時には、タイマーを利用するというのが一般的です。
あとは、時間で音やメロディの流れる時計を利用するというのも良いかもしれません。

照明の使い分けも良いかもしれません。

それから今日お話としてお返ししたものは、テーブルクロスの活用です。
机上での活動というお話からの相談でしたので。

お食事の時、学習の時、机上で遊ぶとき…テーブルクロスを使用したり、色などで使い分けたり…

こういうことで習慣作りの導入にはなるかもしれません。

あるいはランチョンマットの使用くらいでも食事の時には良いと思います。

こういうのも視覚的な支援の1つです。


支援は、減らしていけるに越したことありませんが、手立てを講じていくことで、お互いにイライラしちゃう、みたいなことは減らせるような気がします。

せっかくの時間。
ただただイライラとぎすぎすと過ぎていくなんてもったいないですから、こういうのも活用してみるのも良いかもしれません。




スケジュール表を眺めることからスタートでOK

心をしなやかにする、ということは大切だと思っています。
その土台になる最初のステップが「生活リズムを整える」ということです。
しかも「その子、その家庭に合った生活リズム」です。

発達に偏りがあるとか特性があるというように表現される子どもたちにとって、一般的に言われる「規則正しい生活」というものが、合っているかどうかというのは分かりません。
あるいは家庭にもあっているかが分かりません。
今の時代多くの家庭で共働きで、夕食や就寝が遅くなる、ということが少なくありません。

そういう家庭に、「規則正しい生活を」とアドバイスしたところで、親も子も急かされている気分になったり、窮屈な思いをしたりして、却って親子関係をギスギスしたものにしかねません。
なので、まずは「その子、その家庭に合った生活リズム」を守ることを目指していただきたいと思います。

ご家庭の中で、継続しやすい、守っていきやすいリズムを考えて、それをもとにリズムを作って見て下さい。
「規則正しい生活」という言葉に振り回される必要はありません。

そもそも生活が、それぞれ違うのですから、一般的に言われる「規則正しい生活」が出来ていないからと言って、保護者は我が身を責める必要はないと僕は思います。


さて、「その子、その家庭に合った生活リズム」を守っていくということを目指したとします。
けれども、特性ある子どもたちの中には、ただただ口頭で言い聞かせるだけでは、こちらの意図することが伝わらなかったり、分からなかったりすることがあります。

「生活リズム」を守っていく上で欠かせなくなるのが時間感覚です。
ですが、そもそも時間は見えない、というものもありますし、時計を用いたとしても、それだけでは理解しづらい場合があります。
それから、過集中傾向のある子どもは、何かに夢中になって時間を忘れてしまうということもあり、時間感覚を身体で覚える、というようなことも困難である場合もあります。

そこで、予定表など視覚的にサポートをしたり、口頭で順序だてて説明したりすることが必要になるのですが、これらの手立てを駆使したからと言って直ぐに出来るようになるとは限りません。

ですから、初めは予定表を眺めるだけでも良いですし、口頭で話をして聞き流すというところからでも構いません。
まずは、そこからです。
「時間」とか「予定」とかそういう概念的なものの存在をなんとなく感じるところからです。

これらが意識の中に芽生えてきたり、意識することに慣れてきたら、一緒に時間の過ごし方とか予定を考えてみると良いです。

そうして、成長と共に徐々に自分で選択をして、計画を立てて、実行に移すということが出来るようになって来ればよいのです。

僕の考え方として、この自分で選択をして、計画を立てて、実行に移すということは、小学校高学年から中学生くらいまでに出来るようになって来ればいいのではないか?というところです。

周囲の子どもたちと比較して焦る必要はありません。

焦らずにじっくりと身に着けて来たら、そのうち、日常的に計画立てて準備をしたりすることが出来るようになってくることもありますから、そういう落とし穴には気を付けながらサポートをしていきたいところです。


先ずは、計画表を見るだけでも良い、そのくらいの気構えで子どもたちと向き合ってみてください。

2020年3月7日土曜日

“価値観”を育むための取り組みとして

例えば性教育の話。
知識を詰め込めば良いという訳ではありません。
自分、他者の存在とか人権とかを大切に思って、その先に姓に対する価値観があるわけです。
そして、そういうものは一朝一夕に身に付くわけではなく、じっくりと育むものです。

例えばお金の話。
お金でモノが買えるとか、硬貨と紙幣があるとか、そういう知識を詰め込んでいて、買い物をするだけでは、お金の価値観が分かっているとは言えません。
労働の対価として頂くことのあるもので、大切にしなくてはいけない、という価値観も含めて備わってようやくお金の事が分かっていると言えるのでは無いでしょうか?


そういう価値観を育むためには、知識のかなり前に体験というものを得ていくことも大切です。
お風呂で身体を丁寧に洗ってもらうとか、そこから姓の学びは始まっているのです。
そういう体験があるから自分の身体も他人の身体も大切に出来るのです。

お金のことも同じです。
お金をもらう、使うとか以前に大切にしようという意思の芽生えが必要です。
その入り口が貯金箱や自分のお財布なわけです。
こういうものを持つと嬉しくて、それ自体をまずは大切にして、その大切なものの中に入れるからお金も大切にしようと思いが芽生えるのです。


ということで、今度、生徒の学習サポートで、お金の学びのために一緒に手芸をして小銭入れを作ることにしました。

療育ってこういうところから(あるいはもっと手前があるのかもしれないけど思い付かなかった)始めると、遠回りで時間がかかるように見えるかもしれないけど意味を持つと僕は思っています。

たまには自分のための道具も


学習サポート時、最近は紙の消費が多くなっていたことが気になっていました。

それから最近は動画作成の時にも文字を残せたら、と思っていました(編集力が無いので)。

そういう理由から、下敷きを4枚買って、パンチで穴を開けて、リングでまとめて、持ち運びしやすい、ノートと同じサイズのめくれるホワイトボードを作りました。

これがなかなか良いんです。

水性ペンと濡れタオルで、何回でも書き直しも出来るし。
下敷き4枚×両面あるので、1時間の学習サポート中は余裕です。

保存は必要ないけど、その時だけはメモしたいことなど。
ちょっとした計算などにも。

保存はスマホのカメラで撮っても良いし。


紙とこれを使い分けて、節約と効率を。

簡単に作れるので、お仕事をしている人にはオススメのツールです。

心のしなやかさを育むための3つの要素と、その充実のためのステップ


発達に偏りや特性のある子どもたちは、様々なトレーニングをしていたりサポートを受けたりしながら、スキルや経験を獲得していくことも少なくありません。

その一方で、支援やサポートを受けながらも失敗をしてしまうということがどうしてもあります。
もちろん特性ある子どもたちだけでなく、失敗をするということは誰しも経験していくものです。

こればかりは、その子理解を深めて、適切な支援やサポートと言われるものを提供していても、遭遇してしまうことはあります。


そういうときに大切なのが「心のしなやかさ」だと思うのです。

これを育むためには?というのが今回のお話です。

まず、失敗しても必要以上に情緒を取り乱さないだとか、立て直すための感情コントロールが必要です。
つぎに、人を頼るというようなライフスキルも必要でしょう。
それから、とにもかくにも経験をしていかないことには、「心のしなやかさ」を育む機会も生まれないので、チャレンジ精神が必要です。


この3つが「心のしなやかさ」を育む要素である、ということで今回は進めていきます。


この3つの要素を充実させていくために、どういうことを心掛けると良いのか?ということを順に説明していきます。


まずは、「その子に合った生活リズム」を守っていくという事です。
一般的に言われる「規則正しい生活」というものでなく、「その子に合った」というところです。
子どもの特性、ご家庭の事情、そういうものを考慮しないと、継続がこんなので、僕は「その子に合った」という表現を使います。
そして、「その子に合った」生活リズムを守ることが大切だと考えています。
これが情緒や感情のコントロールを安定することに繋がります。


次に、「誰かと一緒に、あるいは頼って成功体験を得る」ということをしていきます。
よく耳にする自分を信じる力である「自己肯定感」とは違って、「心のしなやかさ」は自分の力だけでなく、周囲のことも信じることが必要です。
ですから自分だけでなくて誰かと協力すれば上手くいく、失敗したときには支えてもらうということの経験を積むことを考えていきます。
これをすると子ども自身が自分で選択できる幅が広がっていきます。
こういうことがライフスキルを増やしていくことに繋がります。


この2つの段階を経ると、落ち着いて物事に取り組めて、自分で選択したものに取り組んでいこうというチャレンジ精神が培われます。
このチャレンジ精神で以て、様々な経験を増やし、成功を積み重ね、時には失敗をして、そこで人の助けを得ながら「心のしなやかさ」を育む良い循環が生まれると思います。



今言った順で充実を図ることが必要と思います。
生活が安定しないままでは、落ち着きません。
落ち着かないうちは、誰かと一緒に、だなんて無理です。
一人では、チャレンジ精神もそのうちにポッキリと折れてしまいかねません。


このことは、比較的日常生活で誰とでも目指せる取り組みだと思います。
本人も周囲の人も、日常生活におけるそれぞれの役割を果たすという中で実践が可能です。


そのうちに、もう少し細かく説明をすることを目指したいと思っています。

2020年3月6日金曜日

臨時休校春休み、学習サポート


プール施設が臨時休館になり、学習サポート中心になっています。

上の写真は、知的障がいを伴う自閉症の高学年女の子との学習。
形容詞のお勉強。
ご家族から、自分の気持ちを表すような言葉を知ってほしい、という話から。
名詞はたくさん持っている子で、動詞の勉強からスタートしました。

下の写真は、LD傾向の高学年の子との学習。
こちらは、例の長い春休みに出された課題です。
とにかく数字に関して難しさを抱えていて、数年前に学習を始めた頃は、大小もなかなか分からないところからスタートでした。
計算も九九も間違えなくなったのは、つい数ヵ月前でしょうか…
ただ、やはり数字とか数の概念みたいなものは弱いので、まだ一桁引く一桁の計算なども指を使うことが必要です。
そういうタイプの子です。
分数の計算はまだ難しいので、ちょっとヒントを出します。

すると以前とは別人のように九九を駆使して計算していけるようになっています。
本人もとっても嬉しそうです。

休憩の扱い方

発達障がいを持っている子どもたちの中には、活動の途中で疲労感を訴えて、活動から離脱してしまったり、その場で座り込んだり寝転んだりしてしまう子がいます。

それは、いわゆる定型発達の子どもたちと比べたときに、感覚に偏りがあったり、筋力等が不十分であるなどして、疲れやすいということがあります。
もちろん個人差があるものなので一概には言えませんが、周囲の子の多くが出来ているから、という理由で「同じように」を求めると、子どもにとっては辛いものになってしまいます。

それを見守る大人の方でも「同じように」を求めようとすると必要以上に熱が入り、子どもと衝突することになりかねません。
そうなると誰のためにもならない、時間になってしまいます。

そこで大切になるのが、休憩の取り方です。

休憩を取る時に考えたいこと、2つをご紹介したいと思います。

まずは、タイミングです。

「早めかな?」と思うくらいのタイミングで取ることを僕としてはお勧めしたいです。
何故か?

不要な失敗体験を積ませないためです。

早めに、細かく、休憩を取ることで、対象児童に「出来なかった」という思いをさせないためです。
「出来なかった」という思いを募らせると、作業どころか、場や時間そのものにも「嫌なもの」というイメージを持ち始めてしまい、これまでできていたことまでできなくなってしまう、というようなことに繋がる恐れがあります。

こまめに休憩を取って、「出来たよね」という確認をしていくことが大切かもしれません。

そして、休憩の間隔は、成長と共に少しずつ伸びてくることが大半なので、そこを待つということがも支援だと思います。


ちなみに、今「不要な失敗体験」という言い方をしました。
個人的には、失敗も体験です。
未経験や経験不足よりもずっと素敵だと思うのです。
よく発達障がいを持つ子どもへの対応で、「失敗体験でなく成功体験を」みたいなことが紹介されます。
ですが、失敗体験を生涯にわたって避けるなんていうことはできませんし、そういうものもあった方が「人間らしい」生活だとも思います。
してもいい失敗体験と、しなくてもいい失敗体験があると思うのです。
そういう意味で「不要な失敗体験」という良い方をしました。



さて、話を戻します。

休憩を取る時に考えたいことの2つ目は、どんな休憩にするか?ということです。

「休憩」という言葉を見聞きして、どんなことを思い描きますか?
寝ている姿を想像する人もいれば、伸びをしている姿を思い描く人もいるかもしれません。
他には、お喋りしたり、ストレッチしたり…休憩から連想されるものは様々です。

ですから、子どもも同じだと考えるべきです。
その子に合った休憩があるのです。

じっとすることが必要な子もいますし、動くことが休憩になる子もいます。
遊ぶことが休憩になることもあるし、本を読むことが休憩になる子もいます。


僕と一緒にプールをしている子の一人で、休憩中にはくるくると回りたがる子がいます。
「回して」とせがんできて、水中でグルンと体を回してあげるのです。

「この泳ぎをするよ」ということで、一定の姿勢を保持して、指定された動きをして、ということで緊張するのを、休憩時間にグルンと回ったりして解すのです。

身体自体は、この時には休まっているように見えないかもしれませんが、これが彼にとっての休憩なのです。
これを取り入れてから、彼の集中力や体力はみるみる向上しました。


試験と試験の間の休憩時間に「休憩」と言われてもなかなか休まらないものです。
これはもちろん試験に対する緊張もあるかもしれませんが、周囲の目もあり、なかなか自分に合った休憩が出来ないから、緊張して疲れるのです。


こういう例からも分かるように、休憩は、早めに、そしてその子に合った休憩を確保していくということがとっても大切です。
是非、目の前の子どもたちにとって、休憩はどういうものが良いのか?ということを考えて見て下さい。

2020年3月4日水曜日

困り感を具体化していく作業

たとえば、保護者や支援者仲間からの相談をこんな風に受けることがあります。

「子もがいう事を聞かなくて大変」

「子どもが反抗的で大変」

「いけないと伝えていることを何度も何度も言っているのに繰り返す」

(まぁ、そもそも子どもも一人の人格のある人間で、大人の所有物ではないということを理解していないと、そもそも関係性が良くなるということはなかなかないでしょうが)

確かに大変なのだと思います。
ですが、こういう相談の仕方をしてくる相談者は、パニック状態なので具体的な話が出てこないというところが、この場合の困り感を膨らませている要因でしょう。

それを具体化していくということがとても大切です。

いっつも子どもがいう事を聞かない訳でも無いでしょうし、何か言えばすべてに対して反抗的なわけでもないでしょうし、繰り返さないこともあるでしょう。

ですから、こういう時は具体的な場面をいろいろと挙げていくことからスタートすると良いと思います。

一日を通して、上手くいっていること、困っていることが、どんな場面でどんな行動によるものなのか?ということを明らかにしましょう。

そして、これまでの対応、その結果どのようになったのか(当然、相談に来るということは、相談者の思い描いていた結果にはならず、だったのでしょう)を振り返ることをします。

そうすると“子ども側”の「上手くできていること」「上手くいかなかったこと」と、“相談者側”の「上手くいっていること」と「上手くいっていないこと」が分かります。

ここまで整理すると「どうにもならずに困る」「何とか対応できている」「問題なく対応できている」ということが見えてきます。

そして「どうにもならずに困っている」という場面から、対応の方法を考えていくということになるはずです。
その時に参考になるのが「上手くいっている」ことです。

「どうにもならずに困っている」ところと「上手くいっているところ」では、そこに差というか違いがあるはずなのです。

日常的な話だと困り感を覚える場面というのは複数あるのかもしれませんが、こういう手続きを経て、的を絞って、その子に適した手立てを講じていくということが大切だということを覚えておくと、まるで真っ暗な中で日常的な支援や保育、子育てをしてきたところへ、ある種の希望のようなものが光指すかもしれません。

【YouTube】離席へのアプローチ

今回は離席について。

詳しくはご覧ください。
文章の方がいい方は、別記事にもアップしています。

2020年3月3日火曜日

離席、ということについてのアプローチ


多動傾向のある子どもにつきまとう「離席」の問題。

僕と学習をしている子の中にもいます。
“ついつい”離席をしてしまうという子が。

でも大抵、離席の回数や時間は減ってきます。
それは、僕なりに見立てを立てて、そこへアプローチをしていくからです。

「教科学習」というところだけを見るとどうしても置き去りになるところです。

教科学習の内容理解や定着については、正直、後からでもどうにでもなる問題だと思います。
それよりもこういう離席の理由など、学習するための土台を支えるものへアプローチを重ねていくことが大切だと思っています。
でないと、「積み重ねる」ということが出来ません。

では、実際にそこへアプローチをするために踏んでいく手順をご紹介します。


もちろん日ごろの観察から、理由が分かるということもあるかもしれませんが、ますは見立ての仕方から。


1.「どんな感じがして立ってしまうの?」と、まずは聞いていく。

これで具体的に落ち着かない理由が聞き出せることもあります。

例えば、「足がムズムズする」みたいな言葉が出るかもしれません。
あるいは、「背中が落ち着かない」とか「お尻が痛い」とか…
もしかしたら「目が痛くなってくる」なんていう意外な話が出てくるかもしれません。

今、書いた例は、実際に僕が関わってきた例です。
子どもたちは意外な理由を隠しながら頑張っているということが分かると思います。
周囲の目からはなかなか見て捉えることが出来ない理由があるかもしれないのです。



さて、話を戻します。
話を聞いていく中でなかなか出てこないとき、次に何をするか?


2.「ちょっとじっとしてみて」と座ってもらう。

話で聞き取りが上手くいかないのであれば、実際に再現をして探るということもあります。

「ちょっと座っててね」と伝えたきり、何の声もかけず、待ってみます。
すると自然に動きたくなって身体を動かし始めます。

この時に“どこから動き始めたか”“どう動き始めたか”ということを確認していきます。

そこにアプローチの方向性が現れるはずです。



基本的にここまですれば、アプローチの方向性は見えてくると思っています。

では、先ほどの例をもとに具体的な手立てを紹介します。


先ほどの「足がムズムズする」というパターンの場合。
足への刺激入力という方向で考えます。

この時に提案したのは、足元に足つぼマットを置いておき、踏んで刺激を入れられるようにしておくということを試しました。
他にも、こういう道具がNGであれば、「行儀が悪い」と言われがちな貧乏ゆすりを許容していくということも試しました。

そういう風にムズムズするところへ刺激を入れるということをしてみます。
動くということは刺激を入れたいということだという考え方です。


「背中が落ち着かない」「お尻が痛い」という場合。
背もたれの固さを変えたり、あるいは背もたれを外したり、ということがあります。
クッションやタオルなど手触り感や厚さ、硬さを変えてみたりしました。

他にも背中が落ち着かない理由として、姿勢保持のための筋力が不足しているということもあり、座面に低反発クッションを置き、座位を保持するサポートをしたこともあります。


「目が痛い」という場合もあって、これは僕自身も聞いた時には驚いて、アレコレと考えました。
結果、明るさが原因であることが考えられました。
要は、彼にとって学習する環境がまぶしかったのです。。
そこで、照明を一つ落として暗めの環境を用意したり、机に布を布いて、光の反射を防いだりして、環境を整えていきました。



それから本人の言葉として出てこなかったですけれど、「ちょっとじっとしてて」と伝えた後、身体全体を動かし始めた子がいました。
それで、ゆらゆらと揺れる刺激を欲していることが感じられたので、それまで4つ脚だった椅子を、座面が回転するキャスター付きの椅子に変えてみました。
それから、学校でも4つの脚についているキャップを1つ敢えて外して、カタカタと動くようにしてもらったこともあります。


こういうような手立てをして離席を解消したり、減らしたりしてきました。

難しかったのは、音が原因だった時です。
本人の嫌な音がしていた時のことです。
それが複数確認された時でした。
こういう時には、耳栓やイヤマフをするという方向になってくると思います。
あるいは、好きな音楽や音を流すということになるかと思います。
これは出来る環境とそうでない環境がはっきり分かれるので、様々なところへ配慮の依頼を都度していくということをしていかないとならなかったので、なかなか大変でした。


この音の件もそうですし、他の事例でも一時的にでもこういう「刺激」に着目して、そこをコントロールすることで離席が減ったということを、まずは僕と当人とで実感が持てるまで続けていきます。
その後に、その実績を引っ提げて、学校などへ合理的配慮の依頼をしていきました。

いずれにしても、理解を求めるための働きかけは必要かもしれませんが、一時的にでも協力を仰げて、「出来た」という経験を当人が積むことが出来れば、それが自信になって、情緒が落ち着き、離席が減るということがかなうかもしれません。

その先に、進路選択や人生の豊かさが待っていると僕は考えています。


「問題行動」と言われるようなことを押さえつけるようにして、抑え込むようにしていくばかりではなく、その背景にある理由を考え、そこにアプローチすることは、離席問題に限らず不可欠だと思うのです。

2020年3月2日月曜日

いざこざを通して見える息子の成長

4歳になった息子の晴哉。

最近、これまでとは違った様子が見られます。

大体に於いて、我が家では僕が息子を保育園に登園させます。
すると、登園時に彼のお友達が僕の周りに集まってきて、次から次へとおしゃべりを浴びせてきます。

「ねぇねぇ、晴のおとうさん、見て!」
「あれやって!あれ!」(とってもくだらない一発ギャグを何度か披露したのがウケたためせがまれます)

これまで「晴のお父ちゃん、面白いやろ!?」と得意気にしていたのが「晴のお父ちゃん!」とお友達の前に立ちふさがるようになってきました。
でも、それでめげる4歳児たちではないので、晴哉もタジタジになってしまいます。

そこで、周りの子の話などを邪険に扱うこともしたくないので、一通り落ち着いたら最後は必ず晴哉とハグとタッチをしてからお別れをするようにしました。
そして、見えなくなる間際で彼にだけ手を振る、ということも。

すると、満面の笑顔で「お仕事頑張ってね」と僕を送り出してくれるようになりました。


これを続けていたら、次第に友達の前に立ちふさがることもしなくなり、余裕の表情で待つようになってくれました。



幼児期のお友達とのトラブルって、所有権を争うものが圧倒的に多い気がしています。
上のエピソードはこれに当たります。



それから成長と共にルールみたいなものを掲げ始めて、「あ!それいかんとよ!」みたいな発言が生まれて、それがトラブルになることもあります。

最近の晴哉はこちらも見られるようになって面白いです。

「今日ね、○○ちゃんが△△って言ったとよ?悪くない?」と。

その多くが、僕ら両親が晴哉に「その言葉は嫌だな」ということを伝えてきたものです。
彼にとって一番身近な社会が家族ですから、その家族、社会でのルールを掲げて、彼なりの主張をします。

そして僕ら両親に共感を求めてきます。


トラブル…というよりいざこざかな?

主張をぶつけ合って、徐々に折り合いのつけ方を知っていく、とても大切なことです。
相手のことも知りながら、どうしたら解決するのか手探りをして…



いざこざは、長引くときもあれば、すぐに折り合いがつくときもあります。

僕は、保育者のサポートで以て、満足感を得られると、譲歩したり妥協したり、子どもたち同士で折り合いをつけられる道を見つけていくのだと思っています。


いざこざやトラブル。
幼児期に起こるものは、余程でない限り当人たちに任せたいものです。
あるいは、一時的にいざこざの流れを預かるにしても当人の体験として返してあげられるように配慮したいものです。

もし預かるのなら、「あ、こういう方法もあるのか」という気づきと共に返して、彼らの引き出しになるようにできれば良いのかな、そういものを目指したいな、と思っています。

そうすることを繰り返していくうちに、幼いうちは感情的で力づく的な解決方法に偏りがちだったのが、少しずつ言葉を駆使して思考を巡らせて解決に向かおうとするものになっていきます。


いざこざの原因も、解決への道筋も、成長が見られて父としては嬉しい限りです。

子どもが癇癪を起したときの具体的な対応

発達障がいの有無というところに限った話ではありませんが、癇癪への対応というのは丁寧に行いたいところです。

そもそも癇癪を起す原因があるはずですから、そこについてはそれぞれ検討をしていく必要があります。
この辺りについては、その子理解を深めて、不要な癇癪を起さなくて済むようにする、というのが配慮というものだと個人的には感じます。

それでも、癇癪を全く起こさないようにするというのは、不可能ですから、「もし、癇癪を起したら」というところで、具体的な手立てについてご紹介します。


1.落ち着くまで待つ

2.一人になれる空間を提供する

3.説明をする


対応としてはこの辺りではないでしょうか?

順に説明します。

まず、落ち着くまで待つ、ということです。
癇癪を起している間というのは、「もう!そんな話なんか聞きたくないよ!」というパニック状態に近いですから、癇癪の真っ最中にあーだこーだ言っても無駄です。
それは子どもに限らず僕ら大人だって同じはずです。
この時に、無理に聞かせようと思っても上手くいかないのに、無理やり話をしようとすると、大人の方も熱くなって、収拾がつかなくなるばかりです。
まずは、落ち着くまで待つ、というのは鉄則だと思います。

癇癪の起こし方によっては、自身や他者を傷つけたり、モノを壊して危険な目に合ったり、あるいは落ち着いてから周りを見たときに「やっちまった」みたいな体験に繋がらないよう、制止が必要なことはあるかもしれませんが。

本などによっては「無視をする」という表現が使われていたりすることもありますが、これは大げさに反応を示さないということだと思ってください。
無視をされても子どもは寂しさや辛さを募らせるばかりだと思います。

癇癪を起こしたら要求が通る、という誤学習に繋がることは避けたいですが、気持ちは受け止めてあげる必要はあると僕は考えています。


次に、一人になれる空間を提供するということですが、これは、外部からの刺激が多い状況下で、落ち着く機会がなかなか訪れないとか、それこそ人や物を傷つける危険が隣り合わせであるとか、そういう場面では、こういう配慮も必要です。

ただし完全に一人ぼっちにさせるわけではなく、こちらの存在感というのはどこかで感じられるような配慮が必要だと思います。
例えば「落ち着くまで一人でいていいよ、ここにいるから、必要なら声をかけてね」と伝えておくなども良いかもしれません。


そして、落ち着いてきたときに、癇癪のきっかけになった出来事について一緒に考えたり、こちらの事情を説明したりするということが良いと思います。
その中でお互いに癇癪の理由をハッキリとさせて、どういう配慮や工夫が必要か?ということを一緒に考えるべきです。

当人の気持ちとか考えを置き去りにして、「こうしましょう」というのではあまりに乱暴で、別の癇癪を生むだけです。


癇癪が悪いわけではありませんが、放っておいても「良い癇癪」の起こし方になるということは稀なので、癇癪を乗り越えた先に素敵な体験を結び付けたいものです。


そして、集団で保育をするような現場では、この対応を一貫して、他の職員とも共有したり、他児に対しても同様に対応をしていくことが必要です。
でないと、「あの子は…」というような不公平感、不満を生むことに繋がります。

休校中のお共に持ってこい!家族でお勧めブロックゲーム


このゲームはなかなか面白いです。
空間認知を刺激しながら、手先も使いながら…

大人も子どもも楽しめます。

対象年齢は8歳、となっていますが、我が家では4歳の息子と楽しむことが出来ています。

絵カードの利用について

視覚支援として、絵カードを使うことは多いと思います。
自閉症スペクトラムのような視覚優位と言われることの多い子への支援としても代表的です。

それに加えて、そもそも人間は視覚情報に頼るところが大きいので、特性のある子への支援とは別に、
多くの子どもたちの保育、子育てにも有効であることが多いです、

ですが、「絵カードってどんなものを用意すればいいの?」という話になると難しいことが多いのも事実です。

ネットなどから無料で使用できるイラストなどもありますが、そのイラストが対象児に効果的なのか?だとか、絵カードをしようする目的に沿ったものなのか?
と迷う事ってあると思います。

僕の場合は、既にその子との付き合いがあり、必要と判断したときには、基本的に手作りをするようにしています。
その時に、どんな風にカードのイラストなどを用意していくかということを紹介したいと思います。

まず、カードを用意する際に押さえておかなくてはいけないのは、「カードを利用してどういう姿を目指すのか?」ということです。

短期的にどういう姿になって欲しいのか?長期的にはどんな姿を目指すのか?

そういう事は最低限必要だと思います。
そして、「今はこういうカードを使っていって、次第にこんな風にしていきたい」という計画的なものを出来れば持ちたいものです。


僕の基本的なスタンスとして「支援は必要だけど、無い、あるいは少ないに越したことない」というところがあります。

ですから、「今、この手立てで落ち着いているから、いいや」ということはあり得ません。
今ある支援をどうやったら減らしていけるかな?ということを考えながら支援をしていきます。

絵カードの使用に関しても同様です。



絵カードの類は、「具体的であればあるほど伝わりやすい」というのは分かりやすいと思います。
ですから、「文字だけ」よりも「文字とイラスト」となりますし、もっと具体的にしようと思ったら「写真(+文字)」という風になります。

さらに細かく言うのなら、「背景の有無」という事にもこだわることになると思います。
当然、不要な背景であれば無い方が具体的、という位置づけになります。
事例によっては、写真を用意して、さらに背景を切り取って、対象物の写真のみを白紙に貼ることでつたわるようになったということもあります。


そうやってまずは、今の段階に即したカードを用意する必要が当然あります。

そして、そこから少しずつ象徴的な方向へ向かうということを、僕は目指すことが多いです。

写真からイラスト、それから文字へ…という具合にです。
例えばトイレのカードであれば、トイレの写真からトイレのイラスト、「W.C」みたいな記号、文字…のように。


こうする理由は、社会生活、地域生活に適応をしていくためです。
ショッピングモールなどでトイレの案内を写真で示しているなんていう事はほとんどありません。
トイレを象徴するマークであったり文字で表記されているわけです。

それを自分で見つけて、向かうことが出来れば、それはとても便利です。


そういう理由から、僕は段階的にカードを作り替えることを勧めています。

それから余談ですが、稀に「今のその子の段階を知るため」に象徴的なものを用意しておいて、理解できるのか?ということを試みることもあります。
文字からイラスト、そして写真とさかのぼって、「あ、この子はこのくらいの段階で理解をしていけるんだな」という確認していくことがたまにあります。
頂いていた情報というのは、基本的に情報提供者の視点が入っていますから、僕との関係性の中でも必ずしも情報と一致するとは限らないですから。
違和感を感じたときには、そうやってためすことがあるのです。


こうやってカードの導入をしていっています。

2020年3月1日日曜日

エピソード集めの大切さ

子どもたちの特性云々を知っていくことは、適切な支援や保育をしていく上では欠かせません。

けれども「特性って言われてもなぁ」という人もいると思います。


そんな時に僕はどのようにしているか?ということを紹介したいと思います。


ですが、その前に、特性を知ることが適切な支援や保育に欠かせない理由を考えていきます。

「特性も個性の一部であり、それを知ることが『その子理解』を深めることです。それが出来なければ手立ても講じられない」

ハッキリ言って、これに尽きるわけです。


もちろん特性ある子と過ごす上で、事前情報というのはあると思います。
事前情報は、書面と簡単な引継ぎ等で伝わることが多いです。
それだけだと物足りないと感じることが多いですよね。

例えば発達検査の結果。
そこに「こだわり」だとか「視覚優位」だとか「多動」だとか書かれていても、実際の姿を想像できるかというと、初めのうちは難しいと思います。
慣れると字面からでも、その子の様子などを想像していくことが出来るようになって、事前準備がより的確なものへとなってきますが。

でも、それらの特性が日常生活の中で、どのように表出するかというところが現場では気になるところです。
書面から思い描いていくことは難しいかもしれません。


そこを支えるのがエピソードです。
子どもの様子を伝える様々なエピソード。
これがとっても大切です。


では、エピソードでどのように活用するか?ということですが…

気になるエピソードが複数あったとします。
そこには必ず特性が現れているはずなんです。
その子の良さの際立つエピソードであれば、そうさせる特性があるはずですし、困り感のあるエピソードであれば、困り感につながる特性があるはずです。

良いエピソードは良いエピソードで集めて並べてみます。
続いて困り感のあるエピソードは、それで並べてみます。

そうした後に、それぞれの共通項や例外を考えていくのです。

その先に手立てのヒントがあります。


一つ事例を紹介します。
自閉症スペクトラムの子です。
事前情報として書面に「変化や変更に弱い」ということが書かれていました。
実際のエピソードとして、「急な時間割変更などがあるとパニックを起こした」「年度の切り替えなどで学年やクラスが変わると情緒が不安定になる」ということが挙げられました。

ですが、その一方で「旅行が好き」というエピソードが出てきました。
「旅行に行くと、ものすごい楽しんで普段の臆病気質がどこかへ行ったようにして、新しいことへチャレンジする」というのです。
旅行というのは変化の連続です。
むしろ非日常なわけですから、それ自体が変化です。

そこには、「変化変更が苦手」という共通項と「旅行だと新しいことにも挑戦できる」という例外があるのです。

では、変化や変更に対応できない日常と、それだけ苦手な変化をものともせず突き動かす旅行の差は何か?と考えるのです。

基本的には旅行の中にある楽しさがそうさせるのでしょう、そういう要素を日常に織り込むことが出来れば、変化に対しても対応したり、あるいはそれ自体を楽しみ始めるかもしれないということです。


他にも「視覚優位」である子が、公園とかで虫を追いかけるのが好きだというエピソードと共に会議の場で取り上げられました。
そこで「周囲の目もあるから出来るかは分からないけれど…」と前置きしたうえで「普通売られている虫網よりも捕獲する網の部分を小さくしたりして難易度を上げてみるのは?」みたいな、その子の特性による欲求を満たせるような手立てを提案したことがあります。

子どもの様子の中には「その子に必要なこと」が現れます。


それをエピソードを集めることで炙り出して、手立てに繋げていくのです。

手立てを考える際にはぜひ取り組んでみてください。


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