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2018年3月30日金曜日

息子と過ごした休日

今日は仕事と言う仕事を全部外させてもらい作った休日。
本当にありがとうございました。

で、そうやって作った休日にしたこと。

息子と過ごすことに使わせてもらいました。
妻は年度末で忙しく休みが平日には取れなかったので、本当に息子と二人でまる一日過ごしていました。

朝、ゆっくりと愛犬の散歩に出て。

その後、一息ついてから福岡市の動物園まで行ってきました。

これまでも動物園に入ったことがありましたが、自分で歩いて回ったり、言葉で物事を伝えられるようになってからは初めてだったので、彼が何を見て、どう感じるのかがはっきりと見えて、とっても楽しい時間になりました。






「これなにぃ?」

と、初めて見る動物見ては尋ねてきて。

キリンなど知っているものは「キリンさん?」と確認してきて。
テレビやぬいぐるみ、イラストでは見ていても目の前で見るのは初めてだからでしょうね。
そして「おっきぃねぇ」「かわいいね」「こわーーい」

目をキラキラさせながら、たくさん思いを聞かせてくれました。

忙しいながらも妻が用意してくれた弁当もしっかり食べて、一日ご機嫌でした♪



休日。
おかげさまで忙しくさせてもらっていて、「作る」ということをしないとなかなかこういう過ごし方もできなくなってきました。
「時間は作るもの」

我が子のことにしても、仕事を通して出会う子どもたちにしても、彼らの「今」は今だけだから、時間を大切に、時間を作って、毎日を子どもたちの目のようにキラキラさせていきます♪

子どもたちから見て「お父ちゃんキラキラ」「永田、キラキラしている」と言われるような毎日にしていきます♪

「人材」とは言うものの

当たり前のように「人材」という言葉を使う世の中だけど、「人」なんだということを忘れては絶対にいけないと思います。

「資材」でも「備品」でもないのです。

雇うも雇われるも「人」同士だから、育てる責任と、努力する責任がお互いにあるはずです。

その責任を果たしていく上で、お互いにしっくり来ないのであれば、それは契約を解消する、ということになるのでしょう。
(その方法が解雇なのか円満な退職なのか、あるいは会社が倒産して急に無かったことになるということもあるかも…ま、いずれにしても、こういうことは、また別の問題も含むものでしょうから置いておくとして)

そのお互いの責任を果たしていく土台には絶対に相手への敬意が必要だと思います。

相手のそれを損なうようなことがあっては絶対にいけない。

でないと、ものごとは健全に発展していかないと思います。

人の話をしましたが、人への敬意だけでなく、相手の仕事への敬意も持って責任を果たしていくことが大切だと思います。

それが無ければ人を雇う資格も、雇われる資格もないのだと思います。

ぐるんぱが今後どのような発展をしていくかは分からないけれど、ぜっっったいにこの事は忘れない。

2018年3月29日木曜日

「うち、お店でがんばってたろ?」

先日、ウエイトレス体験をしたOさんとのプールでした。

彼女とは、「放課後等デイサービスいーりすむなかた」から、僕の車で一緒にプールへ向かいます。
(水曜日、僕が学習サポートでいーりすにいるので)

今日、車に乗り込んで彼女が開口一番に言った言葉。

「この前、うち、お店でがんばってたろ?」

でした。

なんて素敵な言葉でしょうか。

自分の頑張りを自分で認めて、誇らしく胸を張る姿。

いつも、人にも自分にも真っ直ぐな彼女らしい言葉だなぁ、と感心しました。

「どうだった?」ではなくて。

「がんばってたろ?」ですよ。

誰かと、何かと比べることなく、自分の中で、満足していないと出てこない言葉です。

彼女自身の中で、とっても前向きに今回の体験を消化していっているのだろうな、と思います。

これから高校生。

そして、3年後には進路選択が迫ってきますが、きっと、その時にはこの春の体験がイキイキと活かされる気がします。

「あの時どうだった」
「あの時ああなってしまった」

反省を口にするよりずっと難しく、ずっと尊い一言だと思いました。

彼女を見習おう。

「今日も僕、頑張ってたろ?」
「頑張ったよ」

と、1日の終わりに言ったり思ったりしながら、布団に入れたら、きっとそれは幸せ。

2018年3月28日水曜日

ドキドキワクワクするよね

R君。
4月から小学校へ入学です。

校区が広く、学校まで遠いのでバスで通学だそうです。
それはもうドキドキです。

初めてのことだらけで、分からないことだらけで…

でも、

楽しみも、ワクワクもあって…

たーくさん心が動いている様子が見て取れます。


全身で、ワクワクもドキドキも表現しています。


あぁ、彼に、たくさんの素敵な出会いと出来事が溢れますように。


彼のほかにも、この春に節目を迎えて、新しい生活を始める子と何人かお付き合いがあります。
もちろん、彼ら彼女らにとっても同じようにたくさんの素敵が溢れますように。

2018年3月26日月曜日

be動詞的な過ごし方

子どもたちと過ごすからには、彼らと同じ方向をみていたいです。

ただ、いつでも相手に合わせてもらうだけでなくて、子どもたちにもこちらを意識してほしいと願っています。

お互いに人だから。
そこでは間違いなく対等でいたいから。

例えば一緒に学習しているとき。

お互いに時間を使っているわけだから無駄にしたくないんです。

この「無駄」というのは「学習する」という意味ではなく、「時間を共有する」という意味で。

(気持ちが)バラバラのことをしていたくはないんです。

僕が学習のことについて話をしていたとします。
そのときに、子どもがどうもこちらの話に集中できない。
そういう時、まずは子どもの集中力が反れている理由を探り、そこへ寄っていきます。

これは間違いなく必要な段階だと思います。

だけど、毎回「こちらから寄せる」“だけ”では一対一のコミュニケーションとしては、物足りない気がします。

「こちらから寄せる」だけでは、直に、勉強が嫌いな子でも、僕とのコミュニケーションを詰まらなく、退屈に思い始めることでしょう。

なので、こちらに寄ってきてもらうために「よーし、いくよー」的な予告とお誘いをしていきます。

「今度はこっちにいくよー」と。

そうやって時間を共有して、共に時間を作っていきたいと思っています。

英語でいうところの「be動詞」的な過ごし方をしたいんです。
「存在する」というニュアンスのある「be動詞」的な、ね。

「do」だけじゃ足りない。

逆に別々のことをしていたって、相手との間に「be動詞」があればいいな、と。

仲の良い恋人同士が、同室で、一方は読書をして、一方はパズルをしていても心地よさを共有することってあるじゃないですか?
そんな感じで。

逆に同じことをしていても「be動詞」が無くて、バラバラのときもありますよね?

食事を一緒にしているのに、スマホやTVに気を取られて、共有が出来ていないような。

とにかく僕は子どもたちと「共有する」ということを大切にしたいと思っています。

上手くいかないこともあるし、今は共有したくない、ということもあるかもしれません。
人間ですから。

そういう時には「そっか、今はそういう感じなんだね」という寄せ方で、待つとか。

上手く言えないけど、そういう過ごし方が好きです。

憧れのウエイトレスに♪

一緒にプールをしているOさん。

4月から高校生です。

そんな彼女の夢はウエイトレスになること、だそうです。
(てっきり夢は「永田のお嫁さん」かと思っていたのでちょっぴり寂しいのです(笑))

彼女の夢への一歩として、この春休みに「ウエイトレス体験」をすることになったようで、今日は、ウエイトレスOさんに会いに行って来ました。

お店に入ると、オーナーさんとOさんが並んで「こんにちはぁ」とお出迎えしてくれました。

僕の姿を見ても、一お客さんとして振る舞おうとする、彼女の一途さにまず心を打たれました!
ニコリと、少し緊張気味ではあるけど、彼女らしい笑顔を向けてくれました。

席に案内されて腰を下ろして間もなく、彼女がお水を運んできてくれました。
「どーぞー」と。

お水を届け終えたらオーナーさんから「そしたらお客さんの注文を待つお仕事をお願いします」と言われてコクリと頷いて待機していました。

注文を決めてお店の方に合図を送ると「お客さんの注文を聞いてきてください」と指示を受けた彼女がやってきました。

「注文はなんですか?」

Yさん(今日はえるそるむなかたの職員さんと行って来ました)が先に注文を伝え、続いて僕が伝えました。

二人とも別々のスムージーを注文。

最初は上手くオーダーが通らず、でしたがめげずに聞き直しに来てくれました。
こういうことって、本当によくありますよね。
そうすると(あ…)と落ち込みたくもなると思うんですよ。
彼女ももちろんちょっぴり凹んだ感じはありましたが、それでも彼女はめげなかった。

オーナーさんに僕らの注文が伝わるまで、投げ出さずにウエイトレスの役目を果たしていました。

オーダーが通ってから程なくして、スムージーをOさんが運んできました。
「スムージーです」

溢さないように、ゆっくり。
お客さんが注文した、オーナーさんが丁寧に作ったスムージーを。
真心を込めてテーブルまで運んでくれました。

ありがとう。

しばらくして、遅れて僕らと合流したOさん親子(えるそるのスタッフさんと、その息子さん)のオーダーも聞き、オーナーさんに伝え、出来たものテーブルまで届け…

合間にも他のお客さんが来たり、注文が入るから、本当に忙しかったと思います。

途中でちょっぴりくたびれた感じはありましたが、お客さんの前では丁寧に一生懸命にウエイトレスをしていました。

いつものプールで一緒におバカをやって、はっちゃけているOさんとは別の姿がありました。

ちょっぴり働くことの大変さという現実を味わいつつ、夢に近づいた充実感も味わいつつ。

いいなぁ。

僕は所用で、えるそるの先生たちより一足先に失礼することになったので、先にお会計を済ませました。

お会計を終えたらオーナーさんとOさんが並んでお見送りに来てくれました。

ウエイトレス姿を写真に収めようと思ったら「写真には撮らんでー、はずかしいやん」と、少しいつもの彼女っぽさが覗いて。

そうかー、残念、と目に焼き付けて帰ってきました。

あと1日あるようなので、頑張ってね。

すごい、穏やかな気持ちで帰り道に着きました。


…そしたら30分後!

店に残っていたえるそるのスタッフさんとOさんが並んで写っている写真が、Yさんから送られてきたではありませんか!

な、なにーーーー!?

僕とは断ったのに何事じゃーー!?

ちっくしょーーー!!
羨ましい!!

ま、良いんですよ。
レンズ越しでなく、彼女のウエイトレス姿はこの目にしっかり焼き付けましたから。
良いんですよ。

別に…ね。
拗ねちゃいないですよ(笑)

そういうところも彼女らしいんです♪

きっと、この件で僕にツッコミをもらうことを期待しているんですよ。
だから、僕は水曜にある彼女とのプールで、期待に応えるべく、思いきりウエイトレスの話題で彼女と盛り上がるつもりなのです。

そんな決意を抱える夜のつぶやき。

【商品の紹介】キンドルペーパーホワイト



複数の本を同時読みしていく人には絶対にお勧めです。

軽いのに何冊もの本を同時に持ち歩けるし、バックライトで暗いところでも読書できるのは読書好きにはたまらない機能だと思います。

もちろん、電子化されていない本もあるので、そういう本は紙媒体で読まなければならないですが、キンドルに対応しているラインナップもどんどん増えているので、今後にも期待したいです。

タブレットと違って、電子書籍としての機能に特化しているので、充電も長持ちだし、何より軽いのも魅力的です。

【本の紹介】わたしの愛しい子どもたち



熊本の小学校の先生が綴る子どもたちとの日常。

本当に、愛にあふれていて、読んでいてほっこりとした幸せに包まれる一冊です。

子どものことを温かいまなざしで毎日迎える藤原先生。

僕も子どもたちとこんな温かい眼差しを持って関わっていきたいと思います。



第二回支援者の集いを終えて

25日、放課後等デイサービスいーりすむなかたをお借りして支援者の集いの第二回を開催しました。

今回は人数は少なめでしたが、3時間みっちりと語り合いました。

フラットな関係の中で、自分の体験談、考え、価値観、質問をし合ってゆるりとはしていましたが、すごく充実した時間を過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。

子どもの話、支援者自身の子ども時代の話、支援の手立てについて、願いと現実の折り合いのつけ方、性の話…

本当にいろんな話題で語り合いました。


前回とはがらりと雰囲気が変わりました。

まだまだスタートを切ったばかりの支援者の集い、「ここはこういう場!」ということを設定はせずに、来た人が心地よく、充実した時間を過ごせるよう携帯を変えながらになるかもしれませんが、これからも継続開催していきます。


因みに、次回の支援者の集いは4月22日(日)を予定しています。

また追ってお知らせは重ねていきますので、興味のある方は永田までご連絡ください。

2018年3月23日金曜日

人とのつながり感で物足りなさを埋める

しなくてはいけない課題があるとか、人が周りにいるとか、そういうことでは埋まらない「物足りなさ」というもの。

まぁ、いろんなことが考えられると思いますが、そういう時って「人とのつながり感」、その不足がそういう思いに駆ることもあると思うのです。

そういう時には、なかなかやる気スイッチも入らないし、集中できないから「らしくないミス」も繰り返してしまうものです。

こういう話って、フワフワとしている感じがして、分かりにくいかもしれません。

でも、人と人とのコミュニケーションの上では確かに存在していると思っています。

「つながり感」

○○療法、○○法、○○学…いろんな理論、実践、手立てがありますが、それらはあくまでツールだと思うのです。
コミュニケーションをとるための。

「つながり感」を得ていくためのツールの一つでしかないのです。

ツールを勉強していて、実践に移しているとしても、肝心の「つながり感」ということを脇に置いていては、目の前の相手と心を通わせていくこと、交流を深めていくことは難しいと思います。


「つながり感」をどんなところで感じて、どんなところで感じられないか…

これを考えていくことはとても大切だと思います。


極端な話かもしれませんが…
「テレビを見せる」ということを考えてみると良いと思います。

子どもにテレビを見せていても「見せっぱなし」にしていては、子どもの心は満たされないことがあるのです。

そこに(例え家事などをしながらでも)「子どもと一緒に」という要素が加わると途端に子どもにとって意味が変わります。
子どもがテレビを見ながら、何に感動し、何に心躍らせているかを“ほんのちょっぴり”でも良いから気にかけてあげると、子どもにとっては全く違ったものになります。

何をするにしても相手を、温もりを、存在を感じることが必要なのです。

僕は少なくともそういう事を忘れたくないと思います。
我が子とのかかわりも、仕事を通して出会う子どもたちとも。

2018年3月18日日曜日

プールの良さって

支援者仲間のHさんと話しているときに、「他の人にもプールの良さを知ってほしい」みたいな話になりまして。

改めて、そのことについてまとめてみようと思いました。

プールの、というよりは僕の考えている、ぐるんぱのプール、ということになりますが。

さて、早速。

・体力の向上
これは分かりやすいと思います。
持久力、瞬発力共に、筋力の向上が見込めます。
泳ぐ子は一時間の間に700メートルくらい泳いで帰ります。
(ただし、沢山とか速くとかいうことには全くこだわっているわけではありません)

・感覚統合が進む
視覚も聴覚も触覚も前庭覚も固有覚も目一杯使って、それらを統合していってこそ泳げるようになっていきます。
(場合によっては嗅覚とか味覚も使ってるかもしれません)

・息を吸う、止める、吐くということを自然にトレーニング出来る
例えば「話す」ということだって、息を吸って、止めて、吐くという動作の連続が必要です。

・スタートとゴールが設定しやすい
見通しが立てやすいので、落ち着いて取り組める子が多いです。
スモールステップアップも実践として取り入れやすいです。

・競争せずとも達成感を得やすい
誰かと比べるのではなく、それこそ、自分らしく、というところで達成感は得やすいのだと思います。
ゲーム性を取り入れるにしても競争、ということにはあまりしません。
(競争心を育む,という狙いをもって行うことがないわけではありませんが、僕とのプールでは少ないです)

・ソーシャルスキルが培われる
僕とのプールの場合、いわゆる遊泳コースを使って、多くの人が多様な利用の仕方をしている場で行うので、さまざまなな場面に遭遇します。
人を避けて泳いだり、避けてもらったり。
譲ったり譲ってもらったり。
対支援者だけの関わりにとどまりません。
一般の方も様々なお声かけをしてくださいます。
プールサイドを走らない、水に飛び込まない、というような守らなくてはいけないルールもある中で、公共施設の使い方やマナーを学べます。

・日常生活動作が沢山含まれている
プールで泳ぐ前や泳いだ後に、排泄や更衣、身体を拭くというような日常に欠かせない動作が含まれていて、その練習の場になります。

・お金の使い方の入り口を学べる
券売機でチケットを購入する、ということが子どもによっては初めて「自分で買う」ということに繋がる子もいます。

・他の場面にも応用が利くものが沢山
プール以外でも、例えば温泉などに行けばロッカーを使用することがあるようにプールでやっていることが、他の余暇へ繋がることもたくさんあります。

・他の人にも知ってもらえる
普段は障がいとか支援とかと縁遠い生活の人たちともふれ合う機会が生まれます。
その中で、「あ、俺の住んでいる地域にはこういう子もいるのか」「この子もこういう手順を踏んでいけば、積み重ねていけるんだ」「こういう支援があるのか」というようなことを感じてもらえるきっかけになっていると思っています。
逆も然りです。
子どもたちにも「地域にはいろんな人がいる」ということを知ってほしいと願っています。

・余暇になりやすい
ケガもしにくいスポーツですし、生涯に渡って可能です。
「永田とずっと」ではなく、「そのうち、誰かがプールへ連れていってくれたり、自分で行くことが出来れば楽しんで、リフレッシュして帰ることが出来る」ということを目指してやっていきます。

ざっと書いてみてもこれだけ直ぐに挙げられます。
もっと細かく見ていくとビート板を握ることが、筆圧や箸使いに影響を与えてくることもあります。

僕の見えるところの成長だけでなく、むしろそれ以外の日常に根差したプールをぐるんぱでは目指していきます。

2018年3月16日金曜日

成長段階としてとらえていく

困り感を抱える子どもたちを見ても、「四六時中調子が悪い」(この「調子が悪い」という表現って特性のせいにしている感じで好きじゃないんですが)ということってないと思います。

本人や周囲が困っている場面(瞬間に近いかな?)を切り取って、細かく見て、考えていくことが必要だと思うのです。

絶対に、困り感のあるところには原因があると思います。

「特性」のせいにしてしまうのではなくて、「困り感があるとき」「調子が悪い」というときと、そうでないときとを比較して、「どんな場面で」「どんな環境で」、その困り感が生じているのかを見て、その場面や環境を変えていくことが支援だと思います。


始点はとにかく観察しまくることに尽きると思います。

対象児者のこと、周囲のこと、前後関係のこと…

そこで「変えられること」と「変わらないこと」を仕分けして、それから変えられることについて考えまくるのです。

そうやって手立てを考えていくことで子どもたちの成長へとつながる支援が生まれると信じています。
行き当たりばったりの後手後手の対処ではないものになると思うのです。


対象児者に「こういう子だから」というレッテルとあきらめを向けるのではなくて、困り感を「出来ない」ことではなくて「今はここまで出来る」という成長段階として捉えて支援にあたりたいと思います。

2018年3月15日木曜日

【本の紹介】脳から見た心


「心」という言葉、使いどころと使い方によってはスピリチュアルな印象を相手に抱かせかねないものですが、この本から見る「心」は普遍化されていて、自分も相手も納得しやすいものでした。


2018年3月14日水曜日

アイススケート

プールを一緒にやっている、中学校を卒業したY。

彼女のリクエスト&ご指名で二人でアイススケートに行ってきました。

JRの東郷駅で待ち合わせて、一緒に電車に乗り吉塚駅まで。

そこから歩いて、パピオアイスアリーナまで。
ちょっぴり人混みが苦手な彼女ですが、道中はお喋りを楽しみながら電車に揺られました。

スケートリンクに到着して、スケート靴を履くときの彼女のワクワク感。
ちょっぴり緊張しつつも楽しみが顔に溢れていました。

準備を整えていざリンクへ。

元々慎重派の彼女は、縁に掴まりながらゆっくり滑って…

2周目には勇気を出して縁を離れて…滑れてる!
いいぞ!

一人で滑ったり、僕と手を繋いだりを繰り返して、更に2周。

約30分、滑っていました。

スケートって結構疲れるんですよね。
彼女も疲れてきて、休憩をして…更に1周滑って…
約40分スケートを楽しむことが出来ました。

お母さんから持たせてもらったお小遣いで飲み物を買って、本屋さんへ立ち寄って…

3時間のデートはあっという間でした♪

スケジュール等さえ合えば、こういうニーズにも応えていきたいと思います。

2018年3月13日火曜日

「こんな風にありたい」「こんな風にはしたくない」

ある若手支援員さんと話をしているときに、とても考えさせられました。

「子どもたちのことが好きで、一緒にいたい、ってくらいしかないんですよね。」と。

「一緒にいたい」って、その方の子どもとの向き合い方を見ていると、「一緒に
いたい“だけ”」ではないというのはとても感じるんです。

更にその方の言葉は続きます。

「支援観とか子ども観とかってよく分からんです。」と。

それから、少し話をしていくうちに、「まだ私は…あっちゃいけないことだけど、事故とか…衝撃的なことを経験していないから『こんな風にはしたくない』みたいなこともないんですよね…」と。

僕の経験のことで言うと、いろんなことを見聞きして、経験としてもいろんな場面に遭遇してきました。
その都度「もう2度とこんなことを繰り返してたまるか」みたいな思いを抱いて、それを仕事や勉強に向かう推進力に変えてきたところも少なからずあります。

でも、僕も仕事を始めた頃は「子どもたちとこんな風にありたい」ということが全てと言っても良いくらいだったと思うのです。

どっちが良いとか悪いとかではないですが、その方の前で子どもが、のびやかに見えるのは、この言葉に表れているように思えました。

僕も「こんな風にありたい」は持っています。
その一方でやはり「こんな風ににはしたくない」という思いもあります。
それが交互に顔を覗かせる感じです。

まだまだまだ上手くまとめきれないけれど、子どもとの向き合い方についてとってと考える機会をもらいました。

良い「仲間」に出会えたと、嬉しく思っています。

今夜の呟き。

2018年3月10日土曜日

まるでトムとジェリーみたいな

放課後等デイサービスいーりすむなかたに来ているMとR。

二人はとっても仲良し。

仲良し、といってもずーっと一緒に遊んでいるわけではないんですが、二人を見ていたら感じるんですよね。

常にお互いの存在を意識し合っているという雰囲気を。

これまで、普段は一人遊びや指導員との遊びが多くなっている彼らですが、最近になって、“二人でだけ”で遊び始める様子が見られるようになってきました。

どちらかの遊びに興味を持った子が、スーッと入っていって、一緒に遊び始めたり、まねっこをしてみたり…

学年が違うので画としては、お兄ちゃんと弟のように映ることもあるのですが。

どちらかと言うと「トムとジェリー」的な関係かな。

常にお互いの存在を意識して、「遊ぼうよ」「よーし、ちょっかいかけてやれぇ」みたいなわんぱくさを見せてくれたり、「今はいいや」とか、ちょっかいかけられたら「やめぃ!」みたいなことをしてみたり。

かけられたちょっかいに対してどちらかが怒ってしまったら、「あれ?やり過ぎたかな」と、少ししおらしくなって…でもまたやっちゃう、みたいな(笑)

そうすると「さっきはごめんなさい」とでも言うように、気遣ってみて。

なんか、とっても良い感じの二人。

彼の友情を見守って、成長を見届けていきたいと思います。

2018年3月7日水曜日

僕らが見ているのは“一面”にしか過ぎないということ

僕自身の自覚としては、子育てを楽しんでいるし、自分に許された立場として、我が子と過ごせる時間は、多いと思っています。

だから、ブログやSNSで僕が発信しているのは、ほんの一面にしか過ぎないということです。

また、僕は発信好きであるということもあります。

発信しているのは、僕の一面。

楽しかったこと、面白かったこと、上手くいかなかったこと…のワンシーンを切り取って発信しているということ。

だから、「子どものことを見てくれるお父さんでいいですね」とか「良いなぁ、うちの旦那は…」とか「何でも出来て素敵なパパ」とか…いろいろお褒めを頂戴するのですが、それも一面なんですよ。

僕もだらしないことが圧倒的に多いし、「ごめん!今テレビ見てて」とテレビに子守りをさせちゃうこともあります。

で、それも一面。

みんなそうなんじゃないですかね?

何が言いたいか?

虐待みたいな極端なことは別にして、子育てで他人を羨ましがったり、自分を責める必要って無いと思うんです。

他のことでも同じです。

頑張ってたり、イキイキしてたりするように見える人が、気を抜いていたり、鬱屈としていたりすることもあるのです。

他人と比べたりしなくて良いと思うんです。
そのままでみんな素敵。

負荷を増やすのか減らすのか

支援という言葉を聞くと、対象児者の負荷を減らすイメージが先行するかもしれません。

でも、決してそういうわけではないんでんよね。
負荷をかけて、“乗り越える”みたいな場面を作ることも必要ですし。
もちろん負荷を減らして“スムーズさ”に繋げることもします。

その匙加減は、やはり対象児者の生活全般を考慮して行うべきだと個人的には考えています。

そこから更に、関わる時間の中でどこで負荷をかけて、どこで負荷を減らすのかを検討していくのだと思います。

要はバランスの問題なのだと。
支援は決して“手取り足取り”ではありません。

だから時には“困らせる”という手段をとることだってあります。

イライラし出して、歯痒くなって、悔しくなって、ということもあります。
(時に、こういう思いを体験することも大切だとも思いますし)

その先に“考え出す”、ということが始まることもあります。
「ええぃ!」と半ば自棄になって、“たまたま”出来ることもあるかもしれません。

負荷をかけるとそういうことが起こり始めることがあります。
そこを逃さない準備も必要ですが。

負荷を減らすときには、減らすなりの根拠を持たないといけないと思います。
負荷を減らして、「ラクになった」というだけにならないようにしないと、育ちの芽を摘むことになってしまいます。

もちろん負荷を減らすことで動き出す、進み出すものもありますから、それをしっかりと捉えて、それをどうしていきたいのか?という見通しが必要だと思います。

こういうことを、検討していくためにも観察眼は磨かないといけないし、相手とのコミュニケーションも必要です。
負荷をかければ良いという訳でも、減らせば良いという訳でもない、という当然の話なのだけど、僕自身、意識として忘れないために。

2018年3月6日火曜日

【お知らせ】2018.3.25支援者の集いのご案内

第二回目の永田主催の支援者の集い開催の日程を決定いたしましたので、ご案内いたします。

日時:2018.3.25(日)14:00~17:00

場所:放課後等デイサービスいーりすむなかた(宗像市三倉16-1)

参加費:500円(茶菓子・資料代として)

申し込み方法:Facebookのメッセンジャーにて永田まで。
もしくは永田にメールをお願いします。


前回参加くださった方も、前回は来れなかった方も、興味とご都合が許せばぜひお越しくださいませ。

前回、「副題を設けてみては?」という提案も頂きました。

そこでこの支援者の集いのテーマを「目に見える様子から、目に見えない様子を読み取る」としたいと思います。

子どもたち、青年たちと関わる中で、彼らの言動には必ず“心”とか“気持ち”というものが表れていると思います。
ただ、この“心”とか“気持ち”というもの自体は目に見えないもので、目に見える言動から読み取ったり、汲み取ったりすることが必要だと思います。
そういうものを大切にしながら支援にあたりたいと僕自身考えています。

なので今回から、座談会のように自由に発言できる場は保ちつつ、場面記録、実践記録を読み取る、読み解く、汲み取る、実践検討会のような形式を採りたいと思います。
なにしろ、まだまだスタートを切ったばかりの会ですので、試行錯誤が続くかもしれませんが…

支援者同士をつないでいったり、子どもたち、青年たちのことを真剣に考えたり、する場として継続的に開催を目指してきます。

質問などあれば永田まで。
参加申し込みも永田までお願いします。


この集いも止まり木のような場にしていきたいと思います。
一度来たからずっといかないと、なんてこともありません。
一度休んじゃったから行き辛いなんて場にもしたくありません。
「あ、行ってみよう」「あ、あの人いるかな?」というくらいに敷居は低くして、中身は充実させていきたいと思います!



2018年3月1日木曜日

なんでちゃんと区切れるの?

息子の成長を日々見ていると、驚くことだけじゃなくて不思議だなー、って思うことがたくさんあります。

今、言葉をどんどんと覚えて、語彙をメキメキと増やしている息子。

彼を見ているとあることに気がつきました。

「何故かワード毎に言葉を区切れている」んです。

僕らの敢えて教えている言葉じゃなくても、会話でも、テレビでも、ラジオでも…気になる言葉があると、切り取って真似するというか、おうむ返しするんですが、可笑しな区切り方、切り取り方することがないんですよね。

イントネーション、リズムが言葉にはありますから、それらを読み取っているということなのでしょうけれど。

例えば「今日の晩ごはんは、うどんです」というセンテンスだったら、音で言うと「きょうのばんごはんは、うどんです」になりますよね?
そこから言葉を切り取るときに息子は、「晩ごはん」とか「うどん」とかいう切り取り方を必ずします。

「ばんご」とか「どんで」というとんちんかんな切り取りは決してしません。
まぁ、今の例だと使いがちでイメージしづらいかもしれませんが…

おそらく、「本日、日本列島は春の嵐となり、各地で多くの被害が出ました。」みたいに彼にとって全く身近でないワードが並んでいても「嵐」を「あら」と「し」で切り分けてしまうことはないと思います。
「被害が出ました」を「ひがいがで」と「ました」に切り分けるようなこともないと思います。

初めて聞くセンテンスでも「本日/日本/列島/は/各地/春/の/嵐/に/なり/各地/で/多く/の/被害/が/出ました」と区切れているということなのでしょう。

不思議だな~。

もちろんこんな言葉の中から、今の彼が“切り取り”をするとは思いませんが、普段の彼を見ていると、不思議なことに、本当に、僕が知る限り1度も変な“切り取り”方をしたことはないと思います。

脳の働き、発達、あるいは心の発達がそうさせるのでしょうね。

シャープの電子ノートを使ってみている



これまで書店でも気軽に購入できる手帳を毎年使っていたのですが、スケジュールの変更や書くことが増えてきたのでスペースが手狭になってきたので、他のツールを探していました。

スマホのスケジュールアプリも試したけれど、“手書き”にはかなわないです。
スピード感が出ないんですよね、打ち合わせしながらその場で入力すると追いつかないんです。
あくまで確認用で、入力は時間のある時にして、「今日のスケジュール」という通知と確認のため、という感じがしました。

かと言って大きな手帳はかさばるし、重い。

そこで見つけたのがこれ。

スケジュール帳とノート、この2つの機能に特化している手書き電子ノート。
ノートもスケジュール長もフォーマットが複数用意されていて、かなりいろんな人のニーズに合わせられると思います。

ちなみに僕は月間スケジュールと、一日1ページのタイムスケジュールと、ちょっとした記録が残せるダイアリー式を使っています。

それからノートも方眼式のフォーマットを使って、プライベートのメモ帳、読んだ本をまとめることに活用しています。

もちろん、端末だから容量がありますが、ノート5000ページ程度分の容量だから、そうそう困りません。
大切なページはパソコンへデータとして転送できます(これが何気に重宝しそう)。
ペンも、太さと濃さが選べますし、ペンとは別にマーカーも使えますので、多色ボールペンの代わりも十分果たせます。

サイズは手のひらサイズで、持ち運びもラク。
充電も月に一度程度で大丈夫だから、充電切れと言うこともなかなか無くて、手帳として機能を十分に果たせます。

ただ…バックライトは欲しいな。
暗いところで使えないのは、紙の手帳も同じだけど暗い。
フルカラーではないので、電卓のような明るさです。

まぁ、僕の場合仕事で常にスマホを持ち歩くから、光源の確保にはさほど困らないのですが、バックライトがあれば尚良し、という感じです。

逆に言えば、そこが不便に感じなければ、かなり使い勝手は良いと思います。

本の紹介

今、ちょっと応用行動分析学を勉強しなおしています。
初歩から。
これは読みやすい。

もし、興味のある方は是非、ここからポチっとお願いします。

今年、ぐるんぱは3年目。

ホップ、ステップ、ジャンプでいろいろと展開を考えています。

してみたいことの中には、資金が必要なものもあるので、いろいろな収入源を考えてみています。
これもその一環として、読んだ本の紹介を兼ねて、アマゾンのアフィリエイトを登録してみました。

この類がどれくらいの収入につながるかわからないけれど、出来ること、思いつくことは、とりあえずしてみることにします^^;

自信っていきなり失うものでも無くて、徐々に摩滅していくようなものなのかも

昨年11月ころからかな?
ある子の様子が気になっています。

小学5年生の男の子。
彼とは放課後等デイサービスえるそるむなかたの学習サポートで時間を共にします。

多分、最初に気になり始めたのは書字が乱れ始めたことでした。
一緒に算数の宿題をしていても、数字が読めないことが増えてきました。
まるで走り書きのメモのように急いで書いていて、「この数字読めないよ」と声をかけることが増えてきました。
その乱れが、ひっ算のミスを呼び込んでいて、イライラを募らせる姿も見てきました。
それを感じたから口うるさく思われても、「ゆっくりでも良いから読める字を心掛けよう」ということを伝えてきました。

書字の次は、離席が増えてきました。
ちょっとした周囲の様子に、過剰にリアクションを示すようになり、別室からわずかに聞こえてくるお喋りにツッコミを入れに行くことも出てきました。
別室の子どもはいきなり現れた彼からのツッコミにポカーン。
本人は満足げなのですが(笑)
これだけを見ると悪いことでもない(放課後の自由な時間の中での学習だし)ですが、問題の途中だろうが何だろうが行ってしまうので、戻ってきたときには「あれ?」となっていたり、目の前でしていたやり取りも全て置いて行ってしまうことが増えてきました。
次第に、宿題をする際も常に中腰でやるようになってきて、益々集中を欠くようになってミスも増え「あーー」「なーんーでー」と、のどを詰まらせるような、唸るような、喉を締め付けるようにして声をもらうことが増えてきました。
こうなると、いよいよ気になってきます。
なので、「まずはこっち」「また分からなくなるぞー」「腰を下ろしてしてごらん」ということを伝えてきました。

いずれの場面でも宿題を終えたときや苦手だと“思い込んで”いた問題が解けたときの嬉しそうな表情を見ると、そう的外れな手立てでもなかったと思ってきました。
僕との学習を終えて、友達と遊び始めた頃にはうまい具合に友達との輪に入れていたようにも見えましたし。
だけど、なかなか僕の“気になる”は払拭できずに来ていました。

そうしたら年明けから、洋服を前後反対に着て学校から帰ってくることが出てきました。
(僕が平日に彼と会うのは、週に1度という頻度にもかかわらず、1月から4回は確認しています)
“きちんと”という表現を使うと変かもしれないけれど、衣服は“きちんと”着て欲しいと、個人的には願っています。
昨年は、僕が知る限りほとんどそういう事がありませんでしたし、前後が分からない、という子でもないので。
(衣服の着こなしで“あの子…”というような見られ方をさせてはいけないと思っていますし、こういうところを周囲の大人は見過ごしてはいけないとも思っています)

こういうものが進む傍ら、計算ドリルの式を自分で書いていたものが、別の人に書いてもらうことも出てきたり、宿題として課される量もどんどん減ってきていました。
(自分でするのを億劫がるようになってきていましたから、それに合わせたサポートだったのかもしれないけれど、僕は頼まれても頑として「自分で書いてね」という態度を取ってきました)

前置きがずいぶん長くなってしまいましたが…そういう“気になる”ことの先にあったのが昨日の学習サポートの時間だったのかもしれないのです。

いつものように計算ドリルの宿題を始めていた彼ですが、彼からお呼びがかかりました。
行ってみると少数の割り算のひっ算に取り組んでいました。
余りも出ない問題だったので、小数点さえ気を付ければ普通のひっ算とさほどやり方も変わりません。

計算自体は彼にとって難しいものではないはずなのです。
(実際、昨日は計算ミスはほとんどありませんでした)

けれど、以前は全問が終わった後に「答え合わせお願いします」だったのが、昨日は一問終わるごとに「合ってますか?」と尋ねてきました。
問題によっては、商の位が立つ度に確認を求めてきます。

答えはやはり合っていて、間違いはほとんど起こりませんでしたし、僕が確認をしようとしたところで「あ!」と自分で直すこともできていたのです。
だけど、頻繁に不安気な、小さな声で「合っていますか?」と尋ねてきます。

彼の自信の無さ、心細さ、そんなものを感じました。

僕の元に届く情報の限り、“自信を奪うようなインパクトの強い失敗”があったということは見聞きしていません。
ちょっとした日々の過ごし方の中で、自信をすり減らすようにしていたのではないかな?と、やはり“気になる”のです。

その時々ではベターな選択をしてきたつもりですが、こうやって長期的に振り返ると、自分の声掛けや手立ても含めて、何か抜け落ちがなかったか?落ち度がなかったか?と考えてみています。

仮に「彼の成長の一環」という見方をしていくにしても、やはり彼のことは温かく見守りたいと思いますし、彼が安心感で満たされるよう、「傍にいるよ」を伝える方法をいろいろと探していきたいと思います。