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2018年2月28日水曜日

「そだねー」

カーリングの女子日本代表の選手の「そだねー」がブームになりつつありますよね?

そのブームは子どもたちの間にも来ているようです。

えるそるむなかたの学習サポートでお邪魔しているとき、部屋で支援員さんと小学1年生のS君とのやり取り。

支援員「S君、そろそろ宿題しよーかー」
S君「そだねー」
支援員(苦笑)「Y君、おやつは座って食べようか」
S君「そだねー」
支援員「S君、宿題進んでないよー」
S君「そだねー」

ドッと場が笑い声でいっぱいになりました。

もちろん僕も乗っかりました♪

永田「口ばっかりで手が止まっとーよー」
S君「そだねー」

ドッ♪

おぬし、なかなかやるなぁ♪

2018年2月27日火曜日

子どもたちの成長を喜び、それを分かち合うこと

「こんなことが出来るようになりました」
「家でもこんな様子が見られます」

こんな風に保護者の方たちから、子どもの成長の様子を伺えるのってとても嬉しいです。

今日はCちゃんとのプールでした。

プールを始めて数ヵ月。
毎週、毎週少しずつ身体を拭く練習をしてきています。

そしたら今日、(僕の前で)初めて足を拭く動作が確認出来ました。

今まで、手を添えながら一緒に拭いてしていて、今日、彼女自身が手を動かす感覚を感じて、手を離してみました。

そしたら不器用ながらもゴシゴシと手を上下に動かして太ももの辺りを拭くことが出来ていました。

そのことを保護者へお伝えしたら、家庭での最近の変化を聞かせてくださいました。

もう、たまらんですね。

このちょっとした、本当に僅かなことかもしれませんが、この動作が他の扉をも開くきっかけになるかもしれないんです。

すごいね!拭けたね!

これを一緒に味わって…意欲と自信に結びつけてあげたいと思います。

太ももだけだったのが、スネまで拭けるようになって…
足だけだったのが、胴体も拭けるようになって…
腕も拭けるようになって…
頭も背中も…

そうなった頃、彼女の生活がどれだけ幅を持っているか、奥行きが増しているか、世界が広がるのか…

ワクワクします。

僕も自分の息子の成長を共に喜んでくれる方に恵まれています。
そして、それがとても嬉しくあります。

同じように、仕事で出会う子どもたちの成長をご家族の傍で分かち合えるような、そんな支援者でありたいです。

また来週待ってるよ、Cちゃん♪

2018年2月26日月曜日

「良い」「悪い」「適切」「不適切」だけで終わらせないで

子どもの言動に着目して「良い」とか「悪い」とかいうジャッジをしたり、「不適切」な言動を「適切」な言動へと転換するための手立てを講じることは…

まぁ、簡単ですよ。
比較的。

もちろん、地域生活を送る中で不自由さや孤立に繋がる言動については、具体的な手立てを講じていかなくてはならないでしょう。

だけど、それだけで終わらせては、“育ち”は起こらないと思います。

支援は“育ち”を促すものでありたいものです。

支援は、プラモデルを組み立てるのとは違います。

対象児者が“育ち”を、支援者と共に得ていき、後々は彼らも僕ら支援者も自ら歩を進めることの出来る、エネルギーのような、活力のような、意欲のようなものが内に芽生える…

僕は支援をそういうものにしたいと思っています。

支援者(特に実践者)は、評論家にならない心がけが必要だと思います。

褒める、と言ってもやり方は様々

褒める、ってとても大切なことだと思います。
「出来たね」「やったね」「すごいね」とその時々、場面、子ども一人一人によってかけるべき言葉も違いますし、その子へ向ける眼差しも違います。

プールを頑張っているEちゃん(ブログにも久々に登場です)、成長しています。

以前は「出来たね」「すごいね」というような周りにも本人にも明らかな“褒める”をしていましたが、ある種の信頼関係のような関係性も進んで、最近で(出来たね)を眼差しで送って、薄っすら笑みを交わすことで、出来たことを確認できるまでになってきました。

いろんな方法で“認めている”ということを伝えていきたいと思っています。

「これ」でないと認められている気がしない、というような錯覚。
「この方法」でないと確認できない、というのでは、コミュニケーションに偏りがある気がするのです。

「この方法」だけなら、多くの人と交流する必要ないですからね。

人の数を掛け合わせただけ、コミュニケーションもあるわけですから。


2018年2月21日水曜日

あれ「も」これ「も」

放課後等デイサービスえるそるむなかたでの学習サポート。

小学2年生のKちゃんと大学生の支援員さんのやり取りがとっても素敵でした。

Kちゃん、ここのところたまに「宿題に苦戦しているようです」という支援員からの報告もあったので、若干気にかけていた子でした。
けれど、僕が彼女のいる部屋に到着したときには大学生の支援員と一緒に宿題に取り組んでいるようでしたので、僕は他の子のそばへ。

僕がその子との学習を終える間際になって、何やら様相が変わってきました。

徐々に駄々をこね始め「もう!!!」と感情を爆発させ始めました。
鉛筆を投げて、つけていたマスクを投げ捨て、友達に当たり散らし、プリントも投げて…

Kは、今日は体調もイマイチだったのかもしれません。
マスクをしていましたし。

そんなKに大学生の支援員は上手に寄り添っていました。
しばらくは黙って彼女のやることを見守り、プリントを破ろうとしたときには「それはダメだよ」と優しく声をかけ、また見守りに戻り…。
(それを破かせてしまうと『破けたら戻せない』からプリントを目にする度にぶり返しちゃうだろうから、止めていいと思いました)

すると直に嗚咽を漏らすようにして泣き始めました。
Kにしてはとても珍しい泣き方でした。
でも…こういうと変かもしれないですが、その泣き方はこの場面では必要だったように思います(時間があればもう少し思い切り泣かせてあげたいところでした)。

その嗚咽が治まったころ、今度はK、鉛筆削りを取ることを大学生に「要求」したり、涙と鼻水で濡れたマスクを投げ捨てて新しいマスクを「要求」したり、そばに置いていたランドセルを片付けることを「要求」し、周りの友達にも静かにすることを「要求」していました。

この様子、僕は「宿題『も』思い通りにいかない」「周囲の環境『も』思い通りにいかない」「自分の思い(すら)『も』思い通りにいかない」…
あれ『も』これ『も』「思い通り」にいかない苛立ちと悔しさと寂しさ…そんな風に見えました。
それが後半は「要求」を通して、自分の「思い通り」を作っていって自ら落ち着こうとする様子のように見えました。

それに大学生がただただ付き合っていました。
それがなんか良かった気がします。

宿題も終わらせなくても良しとしたのも彼女のナイス判断だったと思います。

あれ「も」これ「も」思い通りにいかない日ってありますよね。

きっとKにとって、今日はそんな日で、それに寄り添ってくれた大学生先生は、必要な存在だった気がします。

2018年2月20日火曜日

アンバランスを正当化しないように

例えば更衣の場面。
“更衣が一人で出来ない”と一言で言ってもいろんな理由があるわけです。
目の使い方が分からなくて着替えられないのか、手の使い方が分からなくて着替えられないのか、で当然働きかけも違います。
あるいは両方ということだってありますから、どちらから取り組むのが良いのか、両方法を並行していくことが良いのか…

もしかしたらそういう機能的なことでないことが、躓きを生んでいることだってあるのかもしれません。

そういうことをトータルで見ていくことが、実際の支援には必要なんです。


バランスよくサポートをしないと、“出来るようになった『けど』”ということになってしまうと思います。


「どこかが治まるとどこかが飛び出てくる」みたいな話が出てくるケースに出会ってきましたけど、それって結局支援の在り方がアンバランスだったということでは?と思うのです。

なんかまるで「その子が持っている特性」かのように話をして、支援の正当化を図ろうとしてはいけないと思うのです。

支援の内容、タイミング、スピード、その他の環境…バランスを取りながら支援をして、上手くいかなかったことを、子どものせいにしなくていいような支援を考えていきたいものです。


今夜はつぶやき。

「支援」とか「実践」とか「そのほかの言葉」で「子どもの存在」を薄めちゃならない。支援者の集いについて(まだ書くんかい!しつこくね!?)

もう一記事、昨日の支援者の集いの件について。

様々な経験、得意分野、価値観、実践を持つ人間が集まった場で、いろんな話が飛び交います。

僕も「なるほど~」や「うーん…そうなのかな?」ということが当然あるわけです。


熱意を持った人の話や実践を聞いていると「共感」が行われたり、場でも話に出ましたが「感化」が起こったりするのだと感じます。
僕も、この仕事を続けて来られたのは、そういうものに突き動かされたということも恐らく原動力になっています。


これから場を継続していくにあたっては、いろんな人たちが現れることと思います。
いろんなものを持ってくるのだと思います。

「熱意」「やる気」「勇気」「希望」のようなエネルギーに満ちたものを持った人たちが来ることと思います。
(それだけじゃなくて「迷い」「落胆」「失意」みたいなものを持っていても「参加してみたい」という方は歓迎しますよ)


共感も感化も行われて良いんですが、一色にならないようにはしていきたいと思います。
「支援者の集い」の色、みたいなのはモザイク色で良いと思うので。
(そんな染まる人たちではないか^^;)


実践も支援観も子ども観も、無数にあるのだなぁ。
と当たり前のことを考えて、思うままに考えなしに、まとまらぬままに口を開いた場面もありました。
でも、そういう場にしていきたいと思います。


で、これ、今朝になって凄い感じていたのですが、昨日は「『支援者』の集い」で、支援者が集まって対話をする場面でした。

もちろん子どものことを真剣に考えている人たちの集まりなのでさほど心配はしていませんが、この対話が「支援者のため」“だけ”ではいけないと強く思います。
たくさん話して、専門用語も口にして耳にして、充実感を得ていきますが、これが「子どもの存在」に繋がるものにしていかないと、「対話」じゃなくなってただの「お喋り」になってしまうのだと思います。

「酔いしれるなよ」
「で?それ誰のためなの?」

勤めていたころに上司にずっと言われてきた言葉を思い出しました。

そう。
多分、それぞれの人がいろんなことを感じて帰って、共感も感化も、あるいは反発心もあったかもしれませんが、「その人のまま」で良い、という事なんだと思います。

子どもたちに向けて「ありのまま」を願うのと同じように支援者自身も「ありのまま」で良いのだと思います。
(もちろん学びは得ていくとして)


まぁた、まとまりのない雑記をしてしまいました(笑)

2018年2月19日月曜日

やってよかった!!支援者の集い

昨日の支援者の集いについて、先ほど別記事で若干僕の反省じみた(笑)記事を書きましたが、本音はこちら♪
表現が砕けると思いますけど、ご容赦を(笑)




いやー、面白かった。
結局12名もの人が集まってくれました。
これだけの人が事業所を越えて集まれるって良いなぁ。

Mさんが「自分に15分時間もらってもいいですか?」とLINEで連絡をくださったので「どうぞ」とお伝えしていたら、実践を紹介してくださって、それを起点に「15分」が3時間に(笑)

実践者の実践って、僕の中ですごく貴重なものだと思っています。

Facebookやブログなどで実践を紹介している方もいますが、それを読ませてもらえるのはとってもありがたい。
実践者にとって実践は宝ですからね。

昨日もそれを持ち込んでくださったのは、とっても嬉しかったです。

そして、たぶん皆さん、「実践は宝」というところを共有できる人たちだったのだと思います。
だから、3時間話せたのだと思います。


それから…多分「促されないと喋らない」という人がいなかったんじゃないかな?
振られる前から皆さん喋るという場面がありましたね。
これって本当にすごいことだと、思っています。
初対面同士の人もいて、その中で「話せる」人ばかり集まったのってすごいと思います。

それだけで意味があると確信できましたし。


お茶飲んで、お菓子つまんで、耳を傾けて、心を傾けて、話をして、それで良い♪

対話に必要な準備は整っていっているのかな♪

その後の懇親会も9名で行き、店員が(いい加減お前ら帰れや)みたいな空気を出すのも構わず話しまくるメンツ…おっと失礼(笑)

時間が足りない、もっとこの人たちと話していたいと思える人繋ぎ場繋ぎ。

言い出しっぺの一番大切な役割は果たせた、と満足感に浸っています。



参加者でグループを作って連絡を取れる体制を作ったのですが、それもずーーーっとコメントが止まない(笑)

中には「もう寝ようぜ」と思っている人もいるんじゃないかな(笑)

残念でしたね、そういうアツい場です!!


それからN倉さんは「本を販売してもいい?」と聞いてきたり(笑)
「帰りの荷物が軽くなるご協力を」なんてセールスするし(笑)

はい、自由な場です。


もちろん、そういうのもいいですし、「この本に感銘を受けた」「こんな話に感動した」なんでも持ち込んでください。

ここに集う人は「恐らく」節操はある人たちです(笑)
それは確信できているので、勧めたいものは存分に紹介してください♪

そんなこんなもぜーーんぶ楽しみたいですね♪

早々に第2回のご案内もしますので、少々お待ちを!

乞うご期待!

「人を守る」仕組み

今日、地域活動の一環で続けてきている東郷駅傍のCoCokaraひのさとでの企画、ココカラ市場をしているとき(いろんなところに足を突っ込んでるんです(笑))にたまたま通りかかった男性が、すんごい人だったんです。
日の里の人材の豊かさには驚かされます。

福祉系の事業なさっていて、本も書いていて…海外でも講演をされるような方のようです。

(この場でお名前を出す承諾を頂いていないため、お名前は伏せさせて頂きます)

で、お話をする中でタイの省庁の話になりました。

タイには、「社会と人を守る」省があるらしいのです。
(social、human、security)なんかこの3語のニュアンスを含んだ名前らしいです。
お出掛け際だったので、ゆっくり話せませんでしたから、次は少々突っ込んだ話を伺いたいと思います。

でも、この話、スゴくないですか?

日本にも厚労省や文科省をはじめ、人の権利とかに近いような印象のある省庁はありますが、直接「社会と人を守る」みたいな省庁を設置しているって僕はスゴいと感じたんです。

無論文化の違いはあるでしょうが。
仏教大国ですし。
(タイだけに…つまらん)

なんかよく分からないですけど、余分な言葉で薄めていない、というか…そんな印象を受けました。

備忘録として、残しておきます。

肥料が必要!~支援者の集いを終えて

昨日、ずっと呼び掛けをしていた支援者の集いの1回目を終えました。

僕は、ファシリテーション能力をもう少し鍛えなければ!

これは“反省”というより“肥料”ですかね。
集いの場という“土壌”を豊かにするために必要な“肥料”。

無理矢理に種を芽吹かせたり、開花や花の色付きを良くするための化学肥料のようなものではなくて、土壌を柔らかく温かい、命を抱く、命を育む土壌にするための肥料。

あの場を土壌に例えるならファシリテーション能力を磨いて、それを肥料にして、あの場を育てるということが必要だと感じました。

場をが“場を作ってみた”ということについては自分でも評価して良いと思っています。

ただ、これを豊かにするためには僕自身が肥料のような役割になって議論を温めたり深めたり、自然な芽吹きをサポートするだけの力が必要だと感じました。

ま、そう言いつつ、集まった支援者の皆さんのお陰で、話も尽きること無く(本当に終わらないんです^^;)色々と語り合えたし、他の方の支援観(その一部)に触れられたのは良かったと思います。
多分、それぞれに気付きや学びを1つ2つは持ち帰って頂けたのでは?と思うところです。

なので、当初より「継続的に」と言ってきたように、第2回もしていきます!

集いと僕が、集まった人がどんな風になっていくのか、楽しみながらやっていきます!

2018年2月18日日曜日

【お知らせ】支援者の集いに来ませんか?

第一回目のお知らせは本記事が最終になります。

【企画名】支援者の集い(仮)

【主催】ぐるんぱ 永田淳哉 (僕ですね)

【日時】平成30年2月18日(日)14:00~17:00(これが第一回で、継続的に開催していくことを目指していきます。来れるときに来れる人が来て、そういう支援者の止まり木のような場でありたいと思います。)

【場所】放課後等デイサービスいーりすむなかた

【参加費】500円(内訳:茶菓子・資料代他として)

【内容】座談会形式にて、障がい福祉、児童福祉、保育、支援観、保育観、子ども観、支援の手立て…様々な切り口で、支援者同士で語らい合っていきたいと思っています。

【目的】事業所、所属等を越えて、支援者同士のネットワーク構築と支援者の学びの機会の創出(支援者自身の力量の底上げや、地域の支援の底上げ、質の向上につながると信じています)

【参加者】原則職業支援者とさせていただきます。(ただし、お問い合わせ次第で障がい福祉や児童福祉に興味関心がある方の受け入れを検討いたします。)

【申し込み】事前申し込みとさせてください。以下のいずれかにて永田へ連絡をくださいませ。
・Facebookのメッセンジャーで「ぐるんぱ 永田淳哉」へのメッセージ
・gurunpa.munakata@gmail.comへのメール
・090-5724-0660(永田携帯)へ直接電話

いずれも参加者氏名(お連れ様がいる場合はお連れ様の氏名も)、連絡先をお伝えください。
メール、メッセージは返信いたします。
電話は支援等で出られないこともあるかもしれませんが、留守番電話に残していただければ、後程折り返し致します。

あくまで事業所ではなく、個人でのお申し込みでお願いいたします。


たくさんの方が繋がれる場にしていきたいと思っています。
まずはお問い合わせください。

2018年2月17日土曜日

お父さん、ではないけど

プールをしていて、比較的小さい子とレッスンをしているときに、よく声をかけられるのが「お父さんと楽しく練習して良いね」「お父さんが上手に教えてくれて良いね」という言葉。

はい、仕方ないでしょうけれど、お父さんに見えるんでしょうね。

子どもにはずけずけと冗談も要求も言うし、かと思えばのーんびり待つときもありますし。

いわゆる“水泳指導者”ではないですからね。

面白いのは子どもたちの対応。

彼らにとって僕は“先生”ですから、“お父さん”と言われたら、当然キョトン?とします。

中には「僕はお母さんと来たんだよ」と見学スペースにいるお母さんを指差して伝えます。

けれど、大人は僕のことを“お父さん”と思い込んでいますから、「あっちにお母さん『も』いるんだね」と返してきます(笑)

そこで、どうするか見ていると上手く伝わらなかったことにガッカリしたり、むすっとしたりしています。

助け船として「あなたのお父さんはいまどこにいるの?」と子どもに尋ねると「お父さんはね、仕事にいっている」と答えます。

そこで初めて僕がお父さんではないことに気付くわけです。

「お父さんかと思いました、すごく楽しそうだから」

「そっか、お父さんじゃなかったんだね。そしたら先生と頑張ってね」

最高の褒め言葉と受け取らせてもらいます。

いかに“先生”然とした雰囲気を排除するか。

プールの時には特に気を付けています。

地域のなかでしているから。

専門家でないと関われないという雰囲気を絶対に醸し出してはいけないと思うのです。

そんな雰囲気を出したら、周りは途端に距離を置いてしまいます。

そしたら、施設を作って、施設でプールをすれば良い話なのです。

お父さんではないけど、先生でもない、不思議なおっちゃんで、療育活動を提供していく、そんな感じでいたいのです。




2018年2月15日木曜日

「りすさん、いぇんいぇん」

ちょっと今日はプライベートなことを。

息子、保育園の進級を控えて、1つ上のお兄ちゃんお姉ちゃんたちのいるクラスに、保育時間中に交流しにいっているようです。

お友達も違う、先生も部屋も違う。
違うことだらけで戸惑うのでしょうね。

この2週間、毎朝泣きながら登園です。

「りすさん、いぇんいぇん」と泣いちゃっていることを本人も訴えてきます。

保育園からの連絡帳にも「りす組さんで、涙を浮かべたのをこらえながら」ということが書かれていることがあります。

でも、連絡帳には(安心して見守ってあげてくださいね、お父さん、お母さん)というメッセージを感じるのと、とても素敵な先生方なので、お任せしていきたいと思います。

息子が保育園から帰ってきて、僕らの親も帰ってきて顔を合わせたときには、目一杯心も体も抱き締めてあげようと思う日々です。

もうね、我が子の頑張りも涙も笑顔もワガママも寝顔もくしゃみの後の忍たま乱太郎のしんべい並みのハナ垂れ顔も風邪を引いてちょっぴりしんどそうな顔も…

全部、全部、彼のことが好きでたまらないので、「りすさん、いぇんいぇん」の彼の気持ちに寄り添って、励まして、慰めて、褒めて…親として一緒に歩んでいきたいと思います。

2018年2月14日水曜日

人と人をつなぐのが支援だから

支援に入るのであれば、親子や兄弟姉妹、友人、地域の人たち…対象児者と周囲の人たちとの絆を結び付けることをしていきたいと思います。

支援に入ることで、例えば親子関係に距離が生まれるようなことは避けなくてはなりません。
当然です。

ただ、やっぱり距離が近ければ近いほど、いろんな面を見ることになりますから、時には、例え家族であってもなかなか向き合うのが難しくなってしまったり、ちょっとしんどさを感じてしまったりすることもあると思うのです。

それ自体が悪いことではありません。

その大変さを感じるくらいに近い距離にいたという裏返しでもありますからね。

でも、それを支援者が入って「ラク」だと感じさせてしまって、「これでいいや」と思わせてしまっては、もう一歩足りないのかな?とも思うのです。

「よし、もう一回向き合ってみよう」とか「ふぅ、休憩できた」という前向きに建設的な気持ちを目の前の人に対して抱けるような、そんなものを目指したいものです。


きれいごとかもしれませんけどね。
だけど、目指すものは目指すものとして、ハッキリと公言していかないと。

2018年2月12日月曜日

【おしらせ】支援者の集いについて

2月18日の支援者の集いですが、1週間を切りましたので、一度参加者の集計をしたいと思います。

参加希望の方は永田まで一報をお願いします。

お知り合いなどお誘い合わせのある方は、お連れ様の件も含めて参加人数をご連絡いただければ幸いです。
会そのものは、当日の飛込でも大丈夫ですが、特に、そのあとに予定している懇親会については店の予約もあるので、早めにご連絡を頂ければ幸いです。

詳しくはこちら

話題は、ある子どものある場面を用意しています。
それについて支援者として検討をしていくということを切り口にして、そこからは自由に話が広がっていくと思っています。

多分話好きの人が多いので、時間も足りないかも(笑)
話し足りない分は懇親会にて♪

実際的な支援の手立てであったり、権利や保障という話であったり、あるいは発達や心、気持ちなど…
多分、支援者一人一人に持ち味、得意な分野、興味のある分野があると思います。
存分に話してください!

皆さんとの時間を楽しみにしています。


2018年2月10日土曜日

「僕はがんばり屋さんなんだ」

今日は、子どもの一言にドキッとさせられました。

「僕はがんばり屋さんなんだ」
「僕は頑張るんだ」
「僕は頑張りたいんだ」

ここのところ、ちょっぴり気になる力の入り方をしているS君。

通園施設の発表会を控えていたり、新年度から幼稚園と通園施設の併用になったり…

彼の生活は今沢山変わろうとしています。

この数ヵ月でも僕とのプールや福祉サービスの利用が始まり、変化が多かったのも事実でしょう。

でも、どれも決して彼にとって悪いモノではないのです。
ご両親も本当に彼のことを、愛情を持って見守っていますし、いろんな人の声にも耳を傾けて、彼のことをより知ろうとしている素敵なご両親です。
見ていて本当にほっこりなる素敵な親子関係が見えます。

こういう背景を持つ彼。

そんな彼が冒頭に述べたように、ちょっぴり気になる力みを含んでプールに訪れます。

そこで僕は
「頑張ってるね~」
「頑張り過ぎていない?」
「頑張るっていうのは力を入れたり速くすることばかりじゃないんだよ、続けることも頑張ることだから、ゆっくりしようよぉ」

というような、「そんなに頑張らなくても良いんじゃない?」というニュアンスを含ませた声かけを多めにしていたように思います。

まぁ、いわゆる“課題”みたいなもの、プールのプログラムなどには、ものすごい力みを見せて、その一方で着替えの出来ることをしてもらおうとしたりするという、なんとなくアンバランスさを感じていたので、そういう声かけをしていたのですが…。

「頑張らなくても良いんじゃない」が「頑張っている」彼を認めていないように感じさせてしまっていたのかもしれません。
ちょっと反省でしたね。

それまで声かけをしても一向に力みが取れる気配が無かった彼が、「頑張りたいんだ」という言葉を承けて、「そうだよね、頑張りたいんだよね」と相槌を打った途端にホッと力を抜いた瞬間を見ました。

もちろん「頑張りたいんだ」から、また力んじゃうんですけれど(笑)

でも、あの一瞬の緩みを見たら、思ったんです。
あの「頑張りたいんだ」を支えることを今はしていこう!と。

彼が「疲れた~!」と言い始めたときには、直ぐに受け止められる準備をしながら。

身体的に障がいを抱えるある方が、以前「私は助けられることは多いけど、助ける機会は少ないんです。でも私だって誰かの役に立ちたいんですよね」と仰っていたことを思い出しました。

きっと彼なりに「お父さん、お母さんの力になりたい」「期待に応えたい」「僕は出来る!」いろんなことを思っていたのでしょう。
そんな風に感じました。

素敵な時間を歩んでいるんだろうな、と思います。

僕も彼の思いに寄り添える手立てを考えていきます。

2018年2月8日木曜日

「私(I)」と「あなた(you)」は「愛(I)」と「勇(you)気」を持っているから

「sが無くても寂しくない」

永田流の三人称単数現在形のsの扱いです。

私とあなたは単数ですが、三人称ではないのでsが不要ですよね?

だけど、この「三人称単数現在形」という言葉自体が子どもにとっては分かりにくかったり、掴みづらかったりするわけです。

だから、ジョーク混じりで覚えてしまえ!というのが永田流。

「彼は一人で寂しいからsを付ける」
「私は一人だけど愛があって寂しくないからsはいらん」

そんなことを呟きながら問題に向かうのです。

思春期真っ只中にいる中学生は恋愛のことで頭がいっぱいだったりするのでなかなかの効果があります(笑)

今日一緒に学習したTは、「彼女は一人だと寂しいんやな、やっぱり」なんて呟いていましたし(笑)

勉強もやり方次第♪

「待つ」「待つ」「待つ」

習い事、という位置付けで、ある程度決まった日程、時間枠の中で、制約がありつつ、というのが僕の支援。

その中だからこそ!ということを心掛けていますし、その中だからこそ!出来ることがあると信じています。

言い出したらキリがないし、制約が自分の腕を上げるのに役立ってきたことも大いにあります。

パニックなど“何か”があったときでも、その時間内で落ち着けるように働きかけをしていったり、僕と別れた後にその時の困り感を家庭に持ち帰らせないように発散させることを目指したり…

でも、特に、時間という制約についてはすごく思うのですが、これをケースによって外すことが出来ればもっと手立ての選択肢を拡げられるのに、と思うのです。

「待つ」ということがとても大切な時があります。

ただ、時間の制約があるから、その中で展開できるような選択をしていかなくてはならなくて。

二時間でも三時間でも待てたら良いのに、と思うことがあります。

今日は青年とのプール。

迎えに行って到着するまではいつもと変わらず、本人も乗り気だったように見えました。

それが、車を降りる段になって全力の拒否。

彼の動作の速度を考慮してゆとりのあるタイムスケジュールで時間も確保していますので、他のケースよりは幾分か付き合いやすいのですが、今日は足りなかったです。

25分。

「降りて泳ぎましょう」「泳ぎませんか?」と、「いや」「プール行かん」の問答をしていました。

車内での様子、問答中の様子からして、“行けるかもな”という感じがありました。

待つ為に、観察、口調、言葉、立つ、しゃがむ、身体的介入…

色々と講じました。

(僕の“待つ”には、“出来る”が前提に必ずあります。ただ、待つのではなく“機会”を逃さないような待ち方が大切だと思うのです)

でも、今日は、25分の中で彼の気持ちを動かすだけの手立てが見つけきれませんでした。
まだまだだなぁ(^^;

あと10分あれば彼の気持ちを動かせたかも、という手応えを残したまま、タイムリミットを迎えて、プールを後にしました。

時間になれば列車も飛行機も出発します。
いくらでも、一人のために待ってくれる世の中ではないので、その制約の中で過ごしたり練習したりすることも大切です。

でも、時にはなーーんにも気にせずに、いくらでも付き合えたら、お互いに“面白い”時間を味わえたりしないだろうか?と想像します。

ま、今の僕の役割ではない、というところなのでしょう。

追々考えていくことにします。

2018年2月6日火曜日

知識を実践までに落とし込む、って例えばこんなこと

プールに通ってきている子どもの中には、保護者さんが見学ロビーで僕と子どものやり取りを見て、1時間を過ごす方もいます。

ガラス越しで、声までは聞こえないので「どういう声掛けをしているんですか?」「何を話していたんですか?」と尋ねられることもあります。

特に、子どもたちが目に見えやすいステップアップを遂げたときにその手の質問を受けます。

「いやぁ、特別なことはあまりしていないと思いますよ」ということを言い添えるのですが、その場面ごとに声掛けや、その時に取った動作の意味をお話していきます。


多分、本当に特別で「永田にしかできない」というような魔法じみたことはしていないと思うのですが、「知識を自分の実践にまで落とし込む」ということは意識しています。

今日はそんなお話をご紹介。

例えば、イラストに描いたような「ビート板キック」の場面。

基本的に僕は子どもの前に立ち「ここまでおいで」という感じで両手を開いて待ちます。
僕自身は動かず待ちます。
そして、僕の元まで来たら、ビート板を掴んで「OK」と伝えます。
そのスモールゴールを繰り返して25メートルを目指すのです。

これはゴールを見えやすくして、「ここまで」という見通しを立てやすくすることと、小さい「出来た」の積み重ねで自信を身に着けさせていくことが、僕なりの目的です。

そういう段階を経て、直線的に泳いでいたものをジグザグにしてゴールを設定していき、思うように方向を変えられるように練習していきます。
これが人をよけながら泳ぐということに後々繋がってきます。

子どもによっては「人をよけながら泳ぐ」ということが必要になるのが1年以上先になるかもしれないのですが、その時に向けて準備をしていくのです。


他にも「ビート板キック」の時に、子どもが足を動かしやすいように、動かすイメージを掴みやすいように、「自分が泳ぎながら足を大きく動かして見せる」「手で水を叩く」「指で上を指さしながら『足、上げて』と伝える」「『1.2.1.2』とリズムをとる(それに合わせて手拍子をすることもある)」「『パン・ポン』と足の動きに合わせて声に出す(これは1.2.よりもう少し幼い子向けになることが多いです)」ということなどをしていきます。

場合によっては絵カードを用意することもあります。
挙げていくと、それこそ子どもの数、場面の数だけ違いが出てくるので無数にあり、キリが無いのですが…

どれも子どもの発達や成長段階に応じて使い分けていくものです。


これが僕なりの「知識を実践にまで落とし込む」ということの一部です。


関わりの中で、閃くこともありますが、大抵後から「なんであの手段を取ったのかな?」と振り返りを行います。
すると、大抵、自分でも整理、納得のいくことがいくものです。
子どもの性格に合わせて行えているな、と。


反対に、僕自身も思うような関わりに展開しないこともありますし、子どもも「なにぃ~?」と困ってキーっとなってしまうことも時にはあります。
そういう時もやはり、そうなる理由がかかわりの中に隠れているものです。
それを反省していくのです。
これは、徐々に早くなってきたという自覚があります。

最初は気づくまでに数日かかり、それが支援後になり、支援の途中で気づき方向転換できるようになりました。

これを繰り返していくこと、続けていくことで「保護者にも説明が出来る」ようになりましたし、それが今のぐるんぱ、これからのぐるんぱを形作っています。



【おしらせ】
2月18日14時から支援者の集いを企画中です。
興味のある方は是非♪

2018年2月5日月曜日

新しい仲間と

昨日、今日、と新しくぐるんぱに仲間が加わりました。

プールや学習で一緒に過ごしていく仲間です。

どちらも初回、導入というところでのーんびりとお互いの自己紹介がてら過ごしました。

「ボク、こんな子だよ~」
「先生は~?」

そんなやりとりをお互いに味わいながら。


もうね、こういう出会いがあると、寒さなんて忘れちゃうんです。

「うぅ~さぶっ!」とか笑いながら話したり、「この前風邪ひいちゃった」なんて笑って話してくれたり…

さ、初回は終わり。

次の時間も、深めて、楽しんで。

2018年2月3日土曜日

アメリカンジョークだよ

小学校5年生のT君とのプールのとき、横でとても上手に泳ぐ女の子がいました。
(その子は2年生くらいかな?)

その子を見て「あんな小さな子も上手に泳いでいるのに僕は情けないな」と呟いたT君。

永田「確かにあの子、上手やね~。でもそれであなたが情けないことにはならないと思うんだけどなぁ」

T君「…。そうだね。みんな、水泳選手も初めは下手だったんやもんね。最初から上手に泳げたら先生いらんもんね」

(先生いらん、て(笑))

永田「まぁ、そうやね。それから、みんな得意なこと、苦手なことってあるやろ?多分あの子が苦手であなたは得意なことってのがあるでしょ?僕は歌が苦手で、運動は得意だし。そういうもんじゃない?」

T君「なるほどね~。先生、歌が下手そうな顔やもんね」

永田「なぬ!?言ったな~!沈めてやるぅ」

T君「わぁ!アメリカンジョークだよ!!早く泳ごうっと!」

こうして、彼はいつものように泳ぎ始めました。

息子よ、遊びで学びなさい

どこでもやられるとちょっぴり大変だけど、我が家、お風呂の時には多少、息子に自由に水道を扱わせています(水道料金は目をつぶって(^^;)

お風呂にはいろんなオモチャ、道具を持ち込んで遊ばせています。

最近はプラスチック製の同じ大きさのコップを2つ持ち込んでいて、それに水を入れて遊ぶのがお気に入りのようです。

なかなか面白い様子が見られます。


初めのころは水の重さやらバランスを考えられず、自分が運びたいところまで水を運ぶこともできなかったのですが、直に、こぼさずに運べるようになって、今では両手にコップを持って片方は水を入れて、片方は空っぽのままにして、水を右から左へ、左から右へと水の入れ替えを出来るようにまでなりました。


それから、息子が使う用の手桶もあるのですが、コップより一回り以上大きいものです。
それに水を入れると当然重くなりますよね?
そのあとに、コップを持ったら、力加減を誤って「ぎゅん!!」と思ったよりも軽いのか勢いよく持ち上げてしまってこぼしていたのですが、重さが違う時には力加減も変えないといけないことも学んだようです。

道具や、水の量が違っても慎重に持ち上げてこぼさなくなりました。


これって、何気なく出来るようになっていくけれど、なかなか難しいことなんじゃないかな?と思います。


目で見て、重さを感じて、こぼさないようにバランスを取って…
こういう遊び、一つの動作、作業の中にも本当にいろんな要素が含まれているのだと思います。


それから、技術的なことだけでなくて、作業を自由にやらせると「あれ?」「無いねぇ」「取ってぇ」「してぇ」と気持ちがたくさん動くものだから、言葉もたくさん出てきます。

言葉って、口周りの訓練ということだけでなくて、やはり「伝えたい」という思いが、土台があることが前提には必要なのだと思います。
その思いを育んで、それから練習ということで良いと思うのです。

遊びの中で学ぶことって本当に多いのだな、と息子を見ていると感じます。
たくさん、たくさん遊びなさい♪

2018年2月2日金曜日

「恋」で成長

インフルエンザ、しぶといようです。
妻は発症から5日目ですけど、なかなか解熱しないようです。

なんでも今年は内科の受診患者さんの中には「イナビル」という特効薬の効き目が弱い人が多く来院されるそうです。
みなさん、どうぞお気を付けてお過ごしください。


「恋」って意外な力を発揮させる。
そういうことを感じた経験のある人は多いと思います。
僕も10代、20代のころは…(笑)

たーくさん恋していた記憶が…あるような、無いような…あるな。


ある中学生が、彼女が出来たことを惜しげもなく報告してくれました。
よかったなぁ^^

なんでも直に来る、試験期間までに図書館に一緒に勉強しに行く約束をしたそうです。
初々しいですよね。

毎日、学校に行くのも楽しみになっているようです。

この恋の行く末はだれにも分かりませんが、恋をしたり、友情を深めたり、大人との信頼を深めていったり…

そういうことも間違いなく、人を育てていくこと。

2018年2月1日木曜日

久しぶりに一緒に50歳の青年と

今週はインフルエンザの菌保有の可能性を考えて、かなり調整をさせてもらっています。
ご迷惑お掛けしていますが、みなさん温かく気遣って下さるので助かっています。
ありがとうございます。
落ち着いたらまた、また精一杯働いていきます!

さて、そんな中でも変わらず支援に入らせて貰っているところもありますので、その様子をお伝えしていきます。

本当に久しぶりに50歳の青年とのプールをしてきました。
先方の体調の問題もあり、一緒にプールに入ったのも1ヶ月半ぶりくらいでした。

ご家族がプールに連れてきていることはあって、たまに顔を合わせていたので、互いに「久しぶり感」あまりありませんでしたが。

帽子(プールキャップ)を被ることや水を口に含んで吹き出さない、という一緒に練習してきたことを手放さずにいてくれたことはとても嬉しかったです。

この積み重ねで、必ず彼の居場所としての意味を深めていきたいと思います。

プールは小さな社会。
その中で他の人たちと一緒に心地よさを共有していって欲しいものです。

僕の中で「出来るだけ地域で」というのは、仕事を始めた頃から教わってきた大切なキーワード。
その実践としてのプール、ということを忘れたくはありません。