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2015年12月31日木曜日

貧乏クジを引く人は引くべくして引いている

年末ジャンボ宝くじ、毎年同じ結果ですけど懲りずに買い続けています。
買ってから抽選まで夢を見て楽しむ、という楽しみ方に変わっています(笑)
3000円で2週間くらい夢を見続けられれば安いもの…映画なんて1800円で、せいぜい3時間ですから…こうやって自分を励ましながら次の宝くじにも投資をしていくのです。


さて、恐らく年内最後の更新になります。
宝くじネタに因んで、タイトルの通り「貧乏クジ」ということについて。

僕は「貧乏くじ」という言い回しはあまり好きではありません。
自分はほとんど使わないと思います。

だって、この言葉、口にした時点で取り組んでいることが「貧乏クジ」になってしまう気がするからです。

もちろん周囲から見て本当に「災難だったね」と声をかけたくなるような出来事に見舞われている人は結構います。
それでも良いものにしようと前向きに取り組む人はいます。
嫌なことを「貧乏クジ」という言葉で括ってしまうと、自分の置かれている状況を受容できなくなりそうです。

「自分は貧乏クジを引いてしまった」ということを盾にして、物事が上手くいかないことを悲観していても、貧乏クジは貧乏クジのままです。

それよりか「貧乏クジを当たりクジに変えてやる」くらいのバイタリティを持った方が健全です。
そういう心持でいる方が、状況を落ち着いて観察、分析出来て、突破力に変えられると思うのです。


「自分はいつも貧乏くじを引かされる」と思っている方、深呼吸をして今起こっていることを「出来事だけに目を向けて」みてください。


殊更、人付き合いの絡むもので、「貧乏クジ」なんてものはあり得ないと思っています。

自分にとって貧乏クジに思えることが、別の人にとってはそう感じないこともあります。
他の誰かが貧乏クジだ、と言う事が、自分にとってはそうでもないことだってあります。

つまり、「貧乏クジ」と思っていることは、その人の「課題」だということです。

タイトルに「引くべくして引いている」と書いていますが、「貧乏クジにしてしまっている」という気がします。


極端な話、毎回面倒な話を断れず「貧乏クジ」が回ってくるのなら、それは「断れない、ということがあなたの課題」というメッセージかもしれません。


とにかく、何かに取り組むなら、自分にとって何か収穫のあるものにしたいじゃないですか。
失敗しても転んでもタダで起きるのはもったいない。


子どもと関わる上でも、どこかにそういう要素を含ませて関わりたいと思います。
やっていることが無駄になるわけではない、ということを含ませて。


さ、これから友人夫婦が来宅。
ここ数年恒例の、すき焼きしながら友人夫婦と年越しです。
食後に家を出て、宗像大社に初詣の予定です。


皆さまどうぞ良いお年を。
来年もよろしくお願いいたします。



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食べられない、にも支援

写真はベビーザらスのマタニティグッズコーナーの一角。

ノンアルコールカクテルなんかがたくさん並んでいました。
アルコールが摂取できない妊婦さんも食事の時間を楽しんだり、気分を味わったり…そういうことが出来るのですね。

普段、スーパーなどでも見かけますが、こうしてマタニティコーナーに並ぶと、意味合いがぐっと深まる気がします。

我が家の場合、僕自身も家で酒を飲むのが年に数えられるくらいの回数だし、妻の妊娠が分かった6月から僕自身も一滴もアルコールを飲んでいません(エッヘン)!ので、余計にノンアルコール飲料について考える機会が少ないのかもしれません。
でも、こういう商品のおかげで世の妊婦さんの発散が幾分かされているかと思うと、改めて感心しました。


さて、食にかかわることでもう一つお話を続けます。
今日の朝刊にある特集がありました。
福岡県内のある中学校で、今年度から朝食提供をしているとの記事でした。
概要は、1学期には週に一度バナナを提供する日を設け、2学期にはパンの日も設定した、とのことです。
希望の生徒に提供が行われるようで、取材をした日にも30人ほどの生徒が朝食を学校で食べたとありました。
この取り組み、ソーシャルワーカーの提案でスタートしたらしいです。
バナナの場合は輸入時の検疫で開封し、問題のなかったものをフードバンクが管理し、学校がフードバンクを介して輸入業者から貰い受けるとのことです。
週に2000本ものバナナが廃棄処分されていたということで、そういう実態を子どもたちに伝えることも含めての食育プログラムのようです。

上手いこと考える人がいらっしゃるのだと思います。
恐らく、もともとは家庭環境が厳しい状況にある生徒を軸に考えて持ち上がった企画なのではないかと思うのですが、どうせ取り組むなら付加価値を付けてしまえ、とこのブログラムにまでなったのだろうと思います。

成長期、特に朝食の大切さが説かれる時期です。
そういう時期にしっかりと朝食を食べてもらい、食料が廃棄されるという事実も知っていける。

目の前の子どもの実際的な困っている点に支援を行い、その背景を考え、そこから広げた取り組みをして、予防的取り組みにまで発展させる、そういう考え方がこれからもっともっと必要になると感じています。


「(本当は食べたい)(本当は必要だと分かっているけれど)食べられない」
妊婦さんの食から、子どもたちの朝食の話。

そういう人たちを支える仕組みやものが目を向ければ、結構あります。
でも、それに気づけないことも多いのです。
それが大きな課題かな。

2015年最終日、朝から食のお話でした。
来年もしっかり食を管理して、自分を整え、食を楽しみ(比較的平和な日本に生まれた人間の権利と義務だとさえ思っています。感謝しながら頂きたいです。)、歩む活力にしていきたいです。

食のこともか…勉強すべきことは多いな。


さ、いよいよ2016年が目の前まで迫っています。
新年、ぐるんぱも活動を活発にしていきたいと思います。

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2015年12月30日水曜日

どんな風に新年を迎えますか?

2015年も明日で終わりますね。

毎年、年の瀬になると思うことがあるのですが…

人によってはある程度年齢を重ねると「誕生日を祝われて嬉しい年じゃなくなった」なんて言う人がいます。
でも、そういう人でも「新年を迎えること」はおめでたいと言うんですよね(笑)

僕には不思議です。


一人、知人に面白い人がいます。
しばらくその方ともご無沙汰していますが。

1月1日生まれの女性です。
彼女は新年を迎えると同時に年を一つ取ります。

「あけましておめでとう。でも、また年を取ってしまった」と新年を祝いながら、自分の誕生日をため息をつきながら嘆くのです。


年末年始、バタバタとすることは多くなりますが、彼女ほど内面が忙しく目まぐるしい人を僕は他に知りません(笑)


新年の迎え方、年の重ね方、人それぞれです。

僕らしく新年を迎えて、僕らしく年を重ねる2016年に向けて準備しています。


今日は短め。



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2015年12月29日火曜日

紙に書き出してみる

誰か一人の支援をしようと思った時に、その対象の人が、どういう人物かということを知っていくことはとても大切だし、基本中の基本だというのは別に、福祉とか教育の仕事をしている人でなくても分かっていただけると思います。
その「どういう人物か」という枠組みが大切です。

名前、年齢、性別、性格、体格、家族構成、家族との関係、家庭外での人間関係、悩み、得意不得意、健康状態、趣味、食べ物の好き嫌い、利き手…とにかく、関わる上で必要になる、あるいはなるかもしれない、ということで得られそうなものは事前に情報として集めます。
それプラスαで、実際に顔を合わせ始めたら、自分で感じたことなんかを情報として整理しながら関わっていくわけです。

その時にあくまで「情報を提供してくれた人からの視点である」ことを忘れてはいけません。

家族から見てそう見える。
僕にはこう見える。

という具合に。

それって僕らが家族と仕事と友達と、それぞれと過ごす時に無意識のうちに立ち位置を切り替えることがあるように、支援の対象者も同じように、それぞれの場面で見せる姿が違う可能性があるということです。

自分が直に接して得たものでなく、誰かから提供された情報は特に「そうなんですね。そういう風に見えているのですね」という心持で情報を得るくらいで良いと思っています。
自分がかかわる中で得た情報も「僕の前ではあなたはそういう姿を見せてくれるのだね」と、このくらいでいいと思っています。

「それって冷たくない?」と思われそうですが、寄り添い、必要な支援をするためには、どこか渦中にいるようでいないというスタンスが必要だと思います。
当事者らと全く同じ視点まで落としてしまうと、見えなくなってしまいますから。
同じことで悩む支援者なんか必要ないですからね。
当事者らの悩みを知った上で、当事者らとは違った視点、違ったことで考えていかなくてはいけないと思っています。


情報を集めると、対象者が「どういう生活の中に身を置いているか」が見えてきます。
そこからが本当のスタートだと思います。


そういうことを思った時に、「自分自身がどういう立ち位置に身を置いているか」客観的に見る練習も絶対的に必要だと思っています。
そうすれば自分の躓きの原因も知れるし、自分の状態を知れます。

そのために僕がたまにしているのが、紙に書き出すということです。

自分が支援を行う際に欲しい情報を、自分のことで考えてみて、書き出してみるのです。

書き出すというのが重要です。
書き出すことで、客観性が増しますからね。


良い支援をしようと思ったとき、自分の状態や自分自身のことを知ることが全体に必要だと思っています。

でないと、気づきが遅くなり、気が付いたらドツボにハマっていたなんてことになりかねません。



紙に書く、何か困ったときほど、シンプルな方法が良いと思っています。

年末の大掃除やら年賀状も少し落ち着き始めている(と思いたい)ので、そろそろいっぺん、紙に書き出してみるかな。
来年の目標なんてたいそうなものでなくても、何すべきか、ということくらいは見つけやすくなるかもしれないですから。

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2015年12月28日月曜日

「なんとなく」も大切に。そしてそれを人と共有する。

千葉で高校2年生の男子生徒が祖父母を殺害して逮捕された事件。

「学校で人間関係にストレスを感じていた」
「殺す相手は誰でもよかった」
「人を殺したら必ず逮捕されると思った」

という旨の供述をしているという情報がメディアで報じられています。


その一方で、周囲は

「きちんとした生徒」

という印象で、驚きを示しています。


療育とか教育を専門に勉強している人の前で口にすると「何それ?」と言われてしまいそうですけれど、僕は目の前の子どもや人と関わるときに「なんとなく」という感覚をとても大切にしています。

「なんとなくいつもと違う」
「なんとなく寂しそう」
「なんとなく辛そう」
「なんとなく暗い」
「なんとなく…」

初めは、そういうところから変化が起こり始めることがほとんどだと思います。

「なんとなく」は言わば、予備動作のような時期だと思います。
周りから見て「なんとなくいつもと違う」とか、「なんとなくこう見える」という点というのは、その見た人の印象でのレベルなのですが、その感覚はとても大切にするべきだと思っています。

「なんとなく」という感覚は、知識あるいは経験がないと働きません。
これまでに出会ってきた人たちとのコミュニケーション、勉強で得た知識、そういうものが総動員されて「なんとなく」を作り出しています。

椅子に変な座り方をしている子どもを見て「なんとなく危なっかしいなぁ」と思ったことはありませんか?
落ち着きない子を見ていて「あの子、転ぶな…ほら(笑)」となった経験はありませんか?

それは別に予知能力が働いている訳でも何でもなく、これまでの自分の経験や見てきたものから瞬時に統計のようなものを取って、「予感」として処理しているのです。


冒頭のケースでは、本人と周囲の話に大きなズレがあります。
もちろん周囲がうそをついているとか、周囲が気づいていない、とかそういう話ではありません。

それでも、「なんとなく、あの子最近気になるな」と感じていた人が一人もいなかったとも思えないというのが、僕の正直な感想です。

「なんとなく」という言葉は根拠と自信に欠ける響きを含んでいます。
それに加えて「普段の様子」というものが、その人の日ごろのイメージを作り出していますから、そのうちに「気のせいかも」という思いが湧いてきて、「なんとなく」感じた印象を忘れ去ってしまうのです。
そうして、その印象を自分の中にとどめてしまうという構図が完成します。

それが今回の事件(他にも類似のケースは山ほどありますが)の問題点だと思っています。

根拠が説明できなくても構いません。
自信がなくても構いません。
それでも「なんとなく」感じたことを周囲に伝えていくことは、してほしいと思います。
僕もしていきたいと思います。

伝えることで「あ、言われてみればそうかも」と共感してくれて、一緒に気を配ってみようという仲間が現れるかもしれません。
誰かに伝えてみてください。

あるいは本人に伝えてみてもいいかもしれません。
こちらは勇気がいりますが。
でも、本人すら気づいていないこともあるのです。
「あ、そうか」「そうかな?」と反応も様々かもしれませんが、「今のあなた、こんな風に見えているよ」「ちゃんとあなたのこと見ているよ」というメッセージにもなります。


「なんとなく」が変化の兆しです。
「なんとなく」が支える力の原点になり得ます。


上手く説明できなくても、それを誰かに伝えてみることしてみてください。
今まで、飲み込んでいたなら尚更、これまでとは違う展開になるはずです。

今夜も取り留めなくつらつらと書き散らかしてしまいました。


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2015年12月27日日曜日

フィンランドのパパたちから世界にお届け物。

今日は完全にプライベートなお話です。
我が家に国際便の小包が届きました。
しかもかなり大きな。

これ、フィンランドから取り寄せたものなのですが、「フィニッシュベイビーボックス」と言います。
テレビだったかな?取り上げられていて、その存在は知っていました。
それを夫婦で相談して取り寄せてみることにしました。

その「フィニッシュベイビーボックス」とは何ぞや?とお思いの方も多いでしょうから、少し説明をさせていただきます。

まず、フィンランドと言うのは育児は男性も多いにかかわるのが文化として定着している国だそうです。


 そのフィンランドのパパたちが「育児に必要なものって最初は分からないよな」ということで、自分たちの経験を基に、必要なものを一式取り揃えてセットにしちゃいました、というのがこの「フィニッシュベイビーボックス」です。

新生児から9か月くらいまでの衣服と、お世話に必要なアイテム(体温計、爪切り、哺乳瓶など衛生用品など)が51品、箱に詰められています。

もちろん、服などは買い足さないといけませんが、9か月くらいまでの体の成長に合わせて、サイズの異なる服がたくさん入っていました。

スターターセットとしてはものすごい充実したものです。
必要なものを本や産婦人科で聞いて、探し回る手間と、費用を考えるととてもお得です。

先ほども言ったように、51もの品が箱に揃っていて、5万円強。一つ辺り1000円程度、という計算になります。
どんなものか、実物を見ないまま注文をすることになるので、不安はありましたが、赤ちゃんサイズの羽毛布団だって入っていて、この値段で、しかも家まで届けてくれるのですから、文句のつけようはなかったです。

そしてユニークなのが、品物が入っていた段ボール。
これが頑丈なものを使用していて、底にはマットレスが敷いてあり、荷物を出したら、箱がベビーベッドとして使えるのです。

簡易的ではありますが、十分に機能を果たせるのではないか?という印象を持っています。

輸入なので関税の関係で配達時に10000円、別途支払いをすることになりましたが、関税の領収書を写真で取って、メールで送れば、このとき支払った金額と同額が口座に振り込まれるというサービスまでしてくれるので、純粋に商品の値段だけでお取り寄せが可能です。

注文直後から、メールで配達状況をお知らせしてくれますし、そもそもフィンランドからなのに、我が家は1週間程度で到着しました。


こうやってベビー用品が我が家に並び始めると、「いよいよ」という感じがしてきます。
予定日まであと8週。
パパ頑張らねば。


実際に育児が始まってみないと断言はできませんが、本当に充実した内容だと思っています。

こうやって、購入した相手に満足感と期待感を持たせる商品って本当にすごいと思います。
自分たちの経験から、もっと助けになりたい、という思いを原動力にしていて、見えない相手に寄り添おうとした結果生まれた商品だからだと思います。

商品ももちろんすごいのですが、企画者の心遣い、優しさがあってこそのものだと思います。

世の中、素敵な仕事をしている人がいっぱいいますね。
励みになります。


今日はこんな感じで。

年末年始もブログは更新していく予定です。
どうぞよろしくお願いします。

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2015年12月26日土曜日

どんなイメージか探っていく

例えば「頑張る」という言葉を聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

力こぶを作るイメージ?
急いで作業をしながら汗をかくイメージ?
「ファイトー!いっぱーつ!」的な助け合うイメージ?


例えば「仲良し」という言葉を聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

肩を組んで笑顔が並ぶ様子?
手と手を握り合っている様子?
カップルが腕を組んでいる様子?
「喧嘩するほど仲が良い」という言葉?


一つの言葉に対して、思い描くイメージは十人十色です。

だから「頑張れ」と声をかけても力んでしまう人もいれば、早くやろうとする人もいるのです。
だから「仲良くしなさい」と言っても上手くいかないことがあるのです。


僕らが普段使っている言葉は、自分たちが思っている以上に抽象的だと思った方が良いと思います。
抽象的と言うと誤解があるかもしれませんね。
受け手次第で、言葉を目に見える形に実践しようとしたら違いが出てきます。

その違いが認識できないこともとても多いのです。

言う方も「頑張れって言っているじゃないか!」と腹が立つ。
受け手も「頑張っているじゃないか!」と腹が立つ。

共通のルールが足りないからそういう事になると思うのです。

「頑張る」というのはこういうこと。
「仲良く」というのはこういうこと。

という具合にです。


僕が今まで関わってきた子どもの中には、コミュニケーションで躓いて、友達と上手く付き合えなかったり、学校生活が上手くいかない子もいました。

そして、関係者からそれぞれに話を聞いていくと、そのイメージの持ち方の違いが埋められていないことが根っこにあることがとても多いのです。

いつ、誰と、どこで、何を、どうする…ということを具体的に説明することを求められた経験は多くの人があると思います。
でも、「仲良くしなさい」という言葉とか「頑張りなさい」ということについて、どれほど具体的に説明を受けてきたか、あるいはしてきたか振り返ってみてください。
実に曖昧なことが多いと思います。


障がい関連、育児関連の本を読んでいるとこの手のことは、もう溢れるほどに書かれています。
それでも、悩み続ける人が多いのも事実。

それってきっと、本に書いてあることをそのまま当てはめようとするから起こるのだと思っています。
頭では「当てはめは良くない」とわかっているのですが。
その子の持っているイメージとマッチをさせていかないことには、言われていてもチンプンカンプンということになります。

その子、その人が、どんなイメージを持ちながらそれぞれの言葉を受け止めて、それをどう体現しようとしているか、それを支援する側、関わる側は汲み取っていく必要があるのです。

でないと、押しつけで終わってしまい、「なんか考え方を押し付けられた」という違う部分がインパクトとして残ってしまい、いつまでも問題が解決しないという落とし穴にハマってしまいます。


もっと言うなら「本も書き手の持つイメージを使って書かれている」ということです。
もちろん、このブログそうです。
出来るだけ具体的になるようには、心掛けていますが、小説の解釈の仕方が読者次第というのと同じように、解釈の仕方は人それぞれだと思っています。

実践本なんかには「方法」が紹介されています。
そこにでさえ「こんな心持ちで取り組みましょう」と書いてあったら、そこには必ず実践者ごとの差が生じますし、書いていなければ、無機質的に行っても上手くいくはずは到底ないです。
迷いがあったり、あるいは「上手くいかないじゃないか!」という腹立たしさが生じたりするのです。

同じことをするにしても「きっと出来る」と思いながらするのと「無理かもしれない」と思いながらするのでは全然違うというのは、分かると思います。
言葉にできない、目に見えない違いが、そこには確実にあるのです。

言葉は、素敵なものですし、便利なものでもあります。
でも、万能ではありません。

なので、その子、その人がどんなイメージを持っているか探りながらコミュニケーションを取ることが大切になるのです。
そのイメージのすり合わせは、日ごろのコミュニケーションの積み重ねしかないことは言うまでもありません。


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2015年12月25日金曜日

ゆっくりと出来ますか?

最近、特に強く感じていることがあります。
それは「ゆっくりやるのって難しいよな」ということ。

殊更、苦手なことになると余計に難しく感じます。

「苦手なことだとスピードが落ちる」

そう思いますよね?
でも、ふとした拍子に「苦手なこと程、チョコチョコっと済ませようとしているな」と気づきました。

そのことについていろいろと考えてみました。

そうすると一つ、思い当たる節が。

小学校時代の国語の授業です。
順番に音読とかさせられた記憶ってありますよね?

すると、読み方が怪しい感じの部分だけ「○☆♪◇…」周りが聞こえないくらい小さい声になって、もごもごと、チャッチャッっとやり過ごそうとしている子がいたし、僕もそうしていた記憶がよみがえってきました。


苦手なことって「自信がない」ものだから、さっさと終わらせたい、という気持ちが働いていたんでしょうね。

逆に、得意なことは「堂々としていられる」からゆっくりと取り組めるのだと思います。


それって、もっと言うなら「理解しているか?」という事なんだと思います。
曖昧だから、自信が持てない。
理解しているから自信を持って行える。

そういう違いがあると思います。

そうなんですね。
ゆっくりとする動作は、ものすごく知的なのです。

慣れない仕事をしようとするとき、ゆっくりと確認しながら行いますよね。
それは一つずつ、それぞれの段階を理解していこうと、知的に取り組んでいるのでしょう。

そして、しっかりと理解をしてスムーズにできるようになったことは、人にも説明できます。
説明するときに、理解しているから、ゆっくりと噛みくだいて人に伝えることが出来るのです。

理解が曖昧なままやり過ごしてしまうと、ただ「こなしている」だけだから、いざ人に教える立場になったときにゆっくりと噛みくだいて伝えることが出来ないのです。


運動でも勉強でも、あるいは仕事でも、今自分がやっていることを人に伝えられますか?
ゆっくりと取り組むことが出来ますか?

自信を持って行えていますか?
理解して取り組んでいますか?

自分が本当に得意なこと、苦手なこと、得意だと思っていたこと、苦手だと思っていたこと…ギャップに気付くかもしれませんね。

僕も、今一度、自分の行動を見直してみようかな、と思っています。

スピードが求められて、早いのが良し、みたいな風潮が強い現代ですから、見落としがちですけどね。
仕事のやり取りもメールだし。
子どもたちのやり取りもラインやらメールで、返事が遅いと揉めるような時代です。

「早いばかりだと見落とす子が出てくる」

キャッチコピー的に聞くことのあるフレーズではありますけど、こういう事だったのかな?と最近、考えています。


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2015年12月24日木曜日

日常生活を整えてこそ余暇に向かえる

つい先ほど、散歩がてら予約していたクリスマスケーキを取りに行ってきました。
とわは興味津々です。

これは僕ら夫婦のケーキです。
とわのは、ペットショップで「犬用ケーキ」を購入済みです♪
甘いなぁ~!(いろんな意味で)

…。失礼しました。

余談でした。


今日の朝日新聞朝刊、社会面に「競技と出会って人生輝く」と大きく見出しがあり、知的障がいを持つ高校生がスペシャルオリンピックスを目指してフィギュアスケートを習っているということ、義足でスノボに向き合う男性、この2件を取り上げた記事でした。

記事の中にもあるように障がいを持っていてスポーツをしているという人は、本当に少ないです。

それだけ、何かしら障がいを抱えると日常生活で困難さを感じたりしているのでしょう。
それが「スポーツなんて」と遠ざけることの一端になっているのかもしれません。

日常生活で感じる困難さが、そうやってスポーツであったり、それ以外の趣味であったりから遠ざけるというのであれば、日常生活を整えないことには、いくら周りが「大丈夫」「きっとできる」「やってみようよ」とどんなに本人や家族らに呼びかけても届かないと思います。

日常生活を整えることの大切さ、本質はこういう部分にあると僕は考えています。
ただ、単に勉強して、働いて…それだとあまりに無機質的で、思考というのも健全に働かなくなります。

もちろん、仕事や勉強に生きがいを見出したり、自分なりの使命を持って励む人もいます。
そういう人はそこを軸に、輝く場所を持っています。
それとは違う話をしていることは察していただけると思いますので、話を戻します。



日常生活。
イレギュラーな行事や、突発的なものとは違い、毎日継続的に流れていく時間です。
子どもであれば、学校生活や家族とのコミュニケーションなどがそれです。

それが整わないというのは、余裕がなくなります。
次第に「あれも上手くいかない。これも上手くいかない。」となれば「新たにチャレンジしてみよう」なんてバイタリティが湧くはずもありません。
バイタリティのない状態で、日常生活を送ると日々が無味乾燥に感じられ、無機質さを覚えます。
「僕は何のために生まれたの?」「生きるってなんだろう」と一種哲学じみたことを考え出し、日常のもっと考えなくてはいけないことに目が向かなくなって、益々日常生活が破たんするという悪循環に陥ってしまいます。

僕は子どもたちへ学習をツールにして日常生活を整える支援をしていきます。
そこが僕の考える切り口として最適だから。
いきなり「もっとバイタリティをもちなさい」なんて言うと説教されているようで嫌になるでしょう。
そもそも日常生活が整っていない子の中には「僕はどうせ」というのがどこかに根付いている子も多いですから。

自信を身につけたり、取り戻したりするには生活に密着したものをしていく必要があるのです。
いきなり何かにチャレンジして「出来た」という経験をしても、それを機に日常生活に繋がる自信に気付かせないと結局継続できないということになります。

日常生活から切り込んで、余暇を考える、というところまで持っていけたら、ぐるんぱの活動の意味はあるのかな、などと考えています。



障がい児者や日常生活でつまずきを抱えている人たちの余暇。
そういう一種、文化のようなものを変えていこうと思ったときに、周囲の人間環境もそうですが、設備的な面でも、「もっと変わればいいなぁ」と思うことはたくさんあります。

日常生活に「これでいいかな?」と疑問を持ちながら目を向けていきたいです。



今日も思いのままに文章を綴ってしまっていますが、日常生活を整えることで障がいや困難さを抱える人が、趣味や生きがいを見出す助けになるのではないか?という僕の考えをつらつらと書いてみました。

どうぞよいクリスマスを♪


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2015年12月23日水曜日

僕にとって回転ずしは分かりやすい食事です

今日は昼食に妻と二人でスシローに行き、寿司を頂きました。
わざわざここで「食べに行ってきました!」なんて報告する程の食事でないことは僕も分かっています(笑)

敢えて記事に挙げたのは「分かりやすさ」の話をするためです。

回転ずしと言う仕組みは基本的にはとても分かりやすいシステムです。
それは間違いないと思います。

・回っている皿を取る
・金額は皿ごとに決まっている
・自分の取った皿の分だけ料金を後払いで支払う
・一度取った皿はレーンに戻さない

というのが大まかなルールで、これを理解していれば利用できると思われます。
子どもが把握していなくても同伴者である大人が把握していれば問題もないでしょう。

店のシステムそのものが分かりやすいので、各家族ごとにそれ以上の細かいルールを決めるのもしやすいと思います。
例えば「一皿食べてから次の皿を取る」とか、大体が2貫ずつ皿に盛られているので「一皿当たりお父さんと一貫ずつ」、「○皿まで好きなのを取る」などが出来るのではないでしょうか?

食べる量やマナーを体系立てて説明しやすい気がしています。


外食をするというのは、ただ出かけて食べるだけではないと思っています。
一定のマナーや行儀作法が必要になってきます。

もちろんいろんなところで食べられるようになったら良いのですが、練習が必要な子にとっては、まずは分かりやすいものの方が良いと思います。

小さなお子さんがいる家庭では「お子様ランチがある店」というのは一つ選ぶ基準になっているところも多いかもしれませんね。
お子様ランチには「子供が喜ぶ」ということもそうですが、「子どもにとって、自分が食べる量が分かりやすい」というメリットがあります。

考えてみてください。
自分の限度などが管理できない子どもと中華料理屋で大皿から料理を取ることを。
目の前にたくさんあるものだから欲しがってしまうことはありませんか?
もちろん回転ずしと同じようにルールを決めればよいのですが、回転ずしやお子様ランチほど「一人分」という量が分かりやすくなく、そこが曖昧になっていると思います。
そのため「もっともっと」と外食に来た嬉しさも手伝って取りすぎて残す…ということになります。
多くの家庭がその残りを保護者で食べてしまうのでしょうが、「パパママが片づけてくれるから」ということでなかなか「食べ残しを極力しない」マナーが定着しないのです。

小さいうちはそれでもいいかもしれませんが、成長してきて「食べ残しがひどい」「だらだらと食事をする」というのは、困ったことになってきます。
ですから、小さいうちからコツコツと練習が必要です。

「自分の適量」「一人分」という概念がしっかりできてからだと、中華料理屋などでも幾分か楽に食事できるでしょう。

また、早く食べ終わった子どもが落ち着かなくなることも防げます。
食べ終わった子どもはもう興味は他へ移っていますから、じっとしているのが苦になってくるのです。

その際に、「大人がどのくらいで食べ終わるか」という見通しも立てやすいお店だと良い気がします。
「ここまで食べたらごちそうさまするからね」と。



今日は飲食店を例に話をしましたが、他のことでも「子どもにとっての分かりやすさ」を基準に考えてみると、選択の仕方が変わってくるかもしれません。

もちろんいろんな体験をしていくことは大切ですので、いつでもそれを基準に考えていると窮屈かもしれませんが、上手にできなくて「困った」ということはこういうところに視点を持ってくるといいかもよ。
という点でのお話でした。

その子その子で「分かりやすさ」は違いますから、あくまで今日のは一例としてとらえていただければと思います。

でも、個別支援というのはそういうのを考えていくことなのです。
「その子にとっての分かりやすさ」をこちらが気づいて、「こんな風にしてみたら」と提案して、上手くいけば応用の方法を伝えて広げていくし、上手くいかなければ「じゃあ、こうしてみよう」と提案する。

そういう事です。
日常に密着した考え方をする練習を僕自身、もっともっとしていかなくては!


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2015年12月22日火曜日

今夜はゆず湯に入って温まるぞ

冬至、二十四節気の第22番。
一年のうちで最も昼の時間が短い日。

冬至と言うと、ゆず湯とかぼちゃが直ぐに思い浮かぶのですが、みなさんはどうですか?

我が家も今夜はゆず湯で体を温めて、ゆずの香りで邪気払いをしてから寝ようと思います。

日本では、他にも「とうじ」に因んで、豆腐やトウガラシなど、「と」のつく食べ物を食べる風習もあるようです。

ところ変わって、中国ではまた少し違う風習があるようです。

中国北方では餃子、南方では湯圓という食べ物を食す習慣があるのと、家族団らんで過ごすという日になっているようです。

他にも太陽の力もっとも弱まった日を無事に過ぎたということを祝う地域もあるのだとか。
クリスマスもキリスト教とミトラ教やドイツ北欧のユールという冬至祭が混淆して出来たものという説もあるそうです。

(以上、ウィキペディアより一部引用)

割と、言葉とか文章とか書くということが好きなのでこういう事を時間を見つけては調べてみています。
いわゆる雑学で、日常生活の足しにはならないかもしれないけれど、自分の心持が豊かになります。


僕はこれまでの職場で余暇の大切さを学んできました。
人生を豊かにする要素が余暇にはあります。

僕の場合、こういう雑学的なことを調べたり、本を読んだり、犬の散歩をしたり…のような余暇の過ごし方があります。
それらを通して心持を豊かにしたり、保ったりしている訳です。

自分が余暇の時間を楽しむ術を知っていないと、余暇の時間についての提案、提供はし得ないと思っています。
僕はまず、学習ということを通して子供らと関わっていくことを目指しますが、それを通して、学習をツールにして子どもに、自分の持っている分だけの世界観を子どもたちに伝えたいというのがあります。

「こんな世界もあるんだよ。こんな人もいるんだよ」と。

そうして、自分らしさを見つけて、作って、余暇の時間を自分を豊かにするために過ごせるように地力をつけて欲しいと思っています。

学習でも他のことでも何でもいいのです。

僕の場合、この学習というのがツールとして、入り口として入りやすいと考えて、ぐるんぱを立ち上げたわけですが。

学習と余暇、裏返しのように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、繋がっています。
いろんなことに対する好奇心を育むきっかけにもなります。

それから考えてみてください。
僕らがメリハリのない生活をしていたとしたら、余暇の時間を楽しめるでしょうか?と。


そういうことです。

冬至とゆず湯の話から随分と逸れてしまいましたが、明日からまた徐々に日が長くなっていきます。
でも、日本ではもう少し寒さが深まります。
インフルエンザやらも流行る時期がきます。

気を付けてお過ごしくださいね。


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2015年12月21日月曜日

受容することの難しさとその先にある楽しみ

愛犬の散歩をしていましたら、突然歩きたがらなくなりました。
「ボクはそっちに行きたくない!こっちに行きたい!」と主張し始めました(笑)

ワンちゃんと一緒に暮らしている方は経験したことのある方も多いはずです。
我が家のとわもしょっちゅうそんなことをしています。

今日はそんな愛犬の様子を入り口にブログを更新していきます。


この自己主張、とっても大切なことだと思っています。
それは人にとっても、我が家の愛犬のように人以外の生き物にとっても。

これをさせてもらえないと自分らしさの形成などできたものではありません。
いつも受け身で、指示待ちしてしまって、気が付けば人に言われるまで自ら動くことのできないお人形さんのようになってしまいかねません。

正直、受け身で指示を待つというのは楽なんです。
そのうえ、人間は楽な方楽な方へと流れがち(笑)

楽なことばかりしていて、「楽なことを選ぶのが自分らしさ」…いえ、それは僕は違うと思います。
選んでいるように錯覚して、選べなくなって与えられるのを待っているのだと思います。
そこから抜け出す勇気が必要です。


小さい子供を見てみてください。
ご自身の小さいころを思い出してください。

いろいろなことに興味を持っていませんでしたか?
それに対して自分から働きかけたり、それに執着して自己主張して親を困らせたりしたことがありませんでしたか?
あるいは、記憶がないくらいに小さいうちにはほとんどの子がしているはずなのです。

話を少し戻します。
そう、自己主張ってとても大切なのですが、いつもその主張が通るとは限らないし、親の側からすると毎回通すわけにもいきませんね。

親としての自己主張もありますし。
そこが子どもとぶつかるところでもあるのです。


子どもの方からすると、親の要求を呑むのにすごい葛藤があると思うのです。
うちの愛犬もしばらく葛藤をして、渋々、僕の指示する方へ歩き出します。

で、大切なのはこの葛藤の後だと思っています。
家の愛犬の場合は、自分の選んだ道とは違う道でも、直に散歩を楽しみだします。
子どもたちにしても、葛藤を乗り越えた後に楽しみが待っているといいと思います。

その「楽しみ」は、子どものご機嫌取りである必要はありません。
例えば、達成感や共有することの気持ちよさを知るなどです。

相手の要求を受容して、その結果初めての経験を乗り越えて「達成感」を得るとか、受容して一緒に体験を共有して誰かと何かをする気持ちよさを経験するとか、そういうものであるといいと思います。


相手が葛藤を乗り越えたことを労い、一緒に乗り越えた先の楽しみを共有していくことが大切だと僕は考えています。

もちろん、ここで書くこと以上に実際に目の前の子どもたちとそういうことを共有することはとても労を伴います。
「そんな簡単に書きやがって!」とお叱りの声が聞こえてきそうですが…

僕の仕事のスタンスはこういうところです。
でないと、子どもが「右」と言えば右、「左」と言えば左を向かないといけない関係になってしまいます。
自己主張と受容のバランスがとても大切です。

自己主張をさせてもらえないと自分を出すことを怖がるようになるし、自己主張だけだと周りと歩調を合わせられなくなります。
それぞれが相手の要求を折り合いつけて受容して、その先にある楽しみを共有していくことが健全なコミュニケーションの入り口だと考えています。


特に子供のうちは自己管理にも限界があるので親が管理する部分とその割合が高くなります。
いろんなことを勉強して、体験して、考え方を少しずつ広げて、それから時期にあった自己主張をしていくことが健全さを育みます。

背伸びして自己主張をしてみても、周りは冷静に当人を見ていますから、到底受け入れられない、ということを伝えているに過ぎないのですが、なかなか面と向かうとお互いにそういうことを冷静に考えて伝えることまではしにくいですよね。
でも、それをコツコツとしていくことで、人付き合い、自己主張、譲歩…そういったものが心地よく感じられるようになってくると思うのです。
そうなってくると「おまかせ」という楽なことを選択することは少なくなってくるのではないですかね?

散歩の一幕から、こんなことを考えました。

さ、僕も書くばかり、言うばかりでなく、実践です!

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2015年12月20日日曜日

縁起物を手作りするというだけで福が呼び込めそうな気がする

今日は午後からみっちり3時間地域交流をしてきました。
今日のは完全にプライベートでぐるんぱとしての要素は無し、だったのですがいい経験をさせていただきました。

町内の高齢者中心の自治組織があるのですが、そこが企画した「正月飾り作り」に参加してきました。
もともとは地域の当番をやっていることもありお付き合いがてら参加、ということだったのですが、参加しているうちにものすごい楽しくなってきました。


高齢者中心に20名弱が公民館に集まり、「先生」と呼ばれる男性が一名、指導してくださって正月飾りを作るというものでした。

藁を編んで、針金使って留めて…慣れない手つきで奮闘して3時間…途中15分の休憩中にはぜんざいを振舞って頂いて、地域の方たちとゆっくりおしゃべりも楽しんで…完成!!

よく家の扉の上に飾ったりする鶴を模した正月飾りです!


同じように指導を受けて作ってもやっぱり個性が出るから手作りというのは面白いと思います。

既製品でばっちりキマっているのもカッコいいですが、手作りは温かみが出て良いものです。

2016年、自分で作った正月飾りで新年を迎えて、福を呼び込んで、永田淳哉として、ぐるんぱとして、2月からは父として、良い一年を作っていこうと思います。

それにしても不思議なのは、「手作り」すると直ぐに愛着がわいてくるものだから、もうそれだけで福が呼び込めそうな気になってきます。
単純なんです(笑)

まぁ、福を呼び込むのも自分の行動次第。
しっかり動いて、しっかり考えて。
それが大切ですね。

思いの外カッコ良く出来たものだから、年明けのどんど焼きで燃やすのもためらうだろうなぁ(笑)

繰り返しになりますけど、手作りというのはやっぱり物以上に思いとか、熱意とかそういうものが宿っていて、それって少なからず見る人、使う人に伝わると思います。

ぐるんぱの教材も手作りが基本なので、そのうち「こんなもの作ってみました」的なコーナーもブログに出来てくると思いますので、お楽しみに!!

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2015年12月19日土曜日

自分自身が啓発されるもの

こうやって毎日ブログを更新していますが、それは必要な人に必要な情報が届くように、というのが一番でしていることではあります。

正直なところ、毎日ブログを更新するとそれだけ時間を取られるわけです。
それなら、自分のためにもなる時間にしたいと思います。

ブログでも、それ以外でも体験したことや考えたことを書き残すことで自分自身が啓発されるような時間にしたいと思っています。

このブログ、半分以上(9割くらいかも?)が僕の価値観のを発信したもので、それを読んで「あ、そうだよな!」という具合に気付きや元気が出る人は1割いるかどうか、という内容だと思っています。

でも、その1割の人と自分のためにはなるものを書きたいと。

大変だった、っていう話
楽しかった、っていう話
辛かった、っていう話
嬉しかった、っていう話
こんなことがありました、っていう話

いろんな話をこれからも書き残すことになっていくと思いますが、それを書き残すことで読者の1割と自分自身が啓発されるものを発信していきます!

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2015年12月18日金曜日

良いところを見る

我が家には2歳になったコーギー犬(とわ)がいるのですが、留守番してるときにペット用のトイレシートをビリビリにしてしまう日があります(笑)
留守番が長時間にわたって退屈した時などにやってしまいます。

もちろん、止めてほしいのですが、少し考え方を変えてみました。

「グチャグチャに出来るものは山ほどあるのに他の者にはイタズラしない」
「トイレシートは自分のものだと自覚している」

という具合にです。

そうしたら、彼の中で頑張っているのだな、と思えて腹を立てずに済みました。

イケナイことは「イケナイ」と、もちろん伝えるのですが、頑張りに気付いてあげる必要はあるのかもしれません。
それは犬も人も。

結果を求められることの多い社会ですし、結果が出ないと認められない風潮が根強いですが、頑張りに気付いてあげておく必要はあると思います。

やっぱり上に立つ者の立場からは、結果が欲しいと思うでしょう。
それでいいのですが、頑張りに気付くというのは誰にとっても必要だと思います。
褒めなくても良いです。
気づいてあげるだけでいいと思います。
気づけたら、同じ「もっと頑張れ」と伝えるにしても含まれる要素が天と地ほど違ってきます。
その違いを「もっと頑張れ」と言われた側もきちんと気づいてくれるはずです。

その気づきがないと、コミュニケーションはとげとげしくなります。

ナカヨシコヨシではいけないけど、認め合わなくてはいいものは生まれないですからね。

僕は多分これから本当にいろんな人と出会っていくことになります。
そうしrたらお互いに認め合ったり気づき合いながら仕事をしていきたいと思っています。


今日はそんな当たり前のことを再確認させてくれた愛犬に感謝です。


2015年12月17日木曜日

シンプルに理由を考えてみる

時計の針が右回りなのにも理由があります。
(日時計の影の動きが、時計が発明された北半球では右回りだったから)
車が発明されたのにも理由があります。
(馬での移動よりも早い移動手段を人間が求めたから)

同じように僕がくるんぱを立ち上げたのにも理由があります。
(宗像という土地で子どもたちの居場所であったり、過ごし方であったり、彼らが自分らしくということを大切にしながら地域の中で生きていくための選択肢として必要と感じたから)


理由というのはとても大切だと思っています。
今挙げたようなものでなくても、物事が起きるのには理由が必ずあって、その理由を探すことが支援では根っこに繋がるといつも思っています。

障がいの個性ももちろん考えて日々の支援を行うこともあります。
子どもの個性を考えながら支援も行います。

でも、いわゆる「問題行動」と言われてしまうような行動をするのには、それらプラスαで、彼らなりの理由があるのです。
何か策を講じていくことと並んで、その理由を聞いてあげることが僕の仕事だと思うし、それが「問題行動」を解決する手掛かりになるとも思います。

そういう場合の理由というのはシンプルなことも多いです。
自分の子供のころを思い出してみると、そんなに難しいことで悩んでいたと思わないし、怒ったり、悲しんだり、笑ったり、単純な理由で気持ちが動いていたことを思い出すものです。

大人になるにつれ、何でも難しく考えてしまって、もっとシンプルに考えればいいのに、「まだ子供のことが分かってあげられてない」と必要以上に自分に矢を向けて難しく考えすぎていることが多いです。
(僕自身の傾向でもあるかもしれません(笑))

自分が体験してきたこと、感じてきた気持ち…そんなものを思い出しながら仕事をしていきたいと思っています。

今日は、こんな感じで。

2015年12月16日水曜日

動かなければ何も変わらない!GAKUねっとにお邪魔してきました

先日、このブログでもご紹介したメイクハッピー&ピースの仲西さんからご紹介いただいて、「GAKUねっと」という、宗像市に縁があり福祉や教育について考えていきたいという有志の方でなるグループの定例会にお邪魔させていただきました。

一言でいうと「気持ちよかった!」という感じです。

有志で集まった、熱い想いを持った人たちが、福祉と教育を結びつけていく必要について真剣に考えて企画を打ち出したり、あれやこれやと意見と情報を交換していく場が、とても気持ちよかったです。

僕はというと、今日はまだまだ会の方針やら流れを把握するので手いっぱいでしたけど(笑)

これからも携わらせて頂きながら、少しでも力になれたら、と思います。
よろしくお願いします。


今日、改めて感じたのが「動かなきゃ、なぁんも変わらんよな!」ということでした。
文句を垂れているだけでは物事が良い方に転がるわけはない、ということです。



その暇があったら、出来ることを探したり、その出来ることに労力と時間を割こうじゃないか!
そういう空気に満ちた場だと思いました。

もちろん、それぞれの方がそれぞれの価値観をお持ちなのですが、「なんとか子どもたちの生きやすい地域に」という根っこが一緒だからまとまり感があります。

お互いに知恵を出して、お互いの持ち味を考えながら、それぞれにできることをしていく。
僕自身も必要だな、と考えていたことを実践している場に巡り合えたのは、僕にとって大きな一歩です。


この頂いたご縁とつながりを大切にしながら、またぐるんぱは前に歩いていくのだと思います。


今日、出席者の中にゆり庵さんからお越しの方がいらっしゃって、お声掛けいただいて、ぐるんぱの案内書を30部程お渡ししてきています。

このブログを読めている方はもちろんホームページを見てもらえば良いのですが、ネット環境が無い方がお知り合いにいらっしゃれば「ゆり庵さんにチラシがあるらしい」とでもお伝えいただいてもいいかもしれません。
もちろん、僕の方にご連絡いただければ郵送なり致します。

反対に「ゆり庵?」という方は僕の方でもパンフレットをお預かりしていますので郵送でも何でも致します。
こちらも併せてご案内まで。

ゆり庵さんホームページ

さ、出来ることをまたコツコツと。


他にも
あしたのつばささんフェイスブックページ
げんきっこくらぶ ほっぷ(社会福祉法人さつき会)さんホームページ

などのスタッフさんとお近づきになれましたので、ご紹介程度ですが。


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2015年12月15日火曜日

アンパンマンはやっぱりカッコいい!

「困った」ということには日常生活を送っていると、しょっちゅう出くわします。
でも、僕は「困った」=「助けて」では必ずしもないと思っています。
だから、基本的には話を聞いて「力になれるかもしれないから、何かあったら声をかけて」という旨だけ伝えて、当事者にまずは頑張ってもらう、ということが圧倒的に多いです。

でも、中には遠慮しがちな人もいるわけです。
上手く「助けて」を言えなくなっている人と言うか…「周りに迷惑をかけないように頑張らねば!」という感じの人たちがいます。
そういう時にまで「力になれるかもしれないから、何かあったら声をかけて」だけで済ませるのはよろしくないです。
言葉だけ聞いていると決して「助けて」は出てこないのですが、話し方、伝え方に意識を傾けると、全然違う声が聞こえてくる気がすることがあります。


アンパンマンの世界でバイキンマンがイタズラをして皆を困らせます。
あの世界の住人は、みんな「やめて~」とか「助けて~」という言葉を上手に伝えます。
それを聞きつけてアンパンマンが助けに来る、というパターンが圧倒的に多いです。

そしてたまーに、上手く「助けて」を言えないキャラクターが出てくると「どうしたの?」とアンパンマンが尋ねることから始まることもあります。
そして、アンパンマンは「なら僕が○○してあげるよ」と提案して力になってあげる。



アンパンマンは、本当に上手に人の「助けて」を汲み取ります。

「助けてが言えなくて困った」ということにも、しっかり気づいてあげられるのです。
そういうアンパンマンはやっぱりカッコいいし、いつまでも僕のヒーローなのです。


「助けて」がどこに、あるいは何に掛かっているものなのか?
それは当事者も気づきにくくなっていることが多いと思います。
それを指摘するのではなく、当事者が気づける余裕が出るまで気長に、目に見える問題点をサポートしていって、当事者が問題の本質というか根本に気づいたときに初めて「じゃあ、そのことについて一緒に考えていこう」と提案していくことを目指したいと思っています。

もちろん、こちらから見た問題の根っこに当事者が気づくときには、こちらとしても支援の道筋は、日々の関りと並行して考えていっておかなければならないとも思っています。

ゆっくりと。
慌てない支援をしていきたいと思います。


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2015年12月14日月曜日

何かが動き出している予感!メイクハッピー&ピースにお邪魔してきました

宗像市田久に拠点を置く「NPO法人 メイクハッピー&ピース」という団体があることを知り、ホームページを拝見したら、学習支援をはじめ子どもたちのことを考え活動をされているようで、突き動かされるようにして、ホームページにあった連絡先に電話をしてみました。

すると、割と若いと思われる男性が電話に出られて、こちらの事情をお話しすると「今日なんか、ご都合よろしければ会って、少しお話しませんか?」と願ってもいないお申し出を頂きまして、当然「是非とも」ということになったので、14時というお約束で事務所を訪ねさせてもらいました。

代表の仲西さんが対応くださって、ぐるんぱのことをお話しさせてもらって、メイクハッピー&ピースのことを聞かせてもらって、お互いの考え方や持っている思いとか、課題…とにかくいろんな話をしてきました。

気が付けば2時間(笑)
有意義な時間でした。

アプローチの仕方、切り口はそれぞれにありますが、子どもや家族の力になれたらいいな、という根っこが一緒だと自然と呼吸が合うのだな、と再認識。

今の時代、顧客獲得で競争し合って、同業者を「ライバル」視する業界が多い中、福祉教育にまたがる分野というのは「お互いに連携して」という風潮がとても強いし、現に必要な業界だと思っています。

支援者の側が同業者を「ライバル」だと言い始めると、それこそ本当はもっと他のアプローチが必要だったり、支援が必要だったりと、もっと上手に関われる人たちがいるのに、「俺たちが」なんて意固地になっていると、結局そのグループが孤立していくことになって、今度はそのグループを含めて支援が必要になりかねないものです。

孤立しないように、みんなが「得意なことは頑張って、苦手なことは得意な人に甘えて」と出来れば、上手くつながって、上手く回っていくような気がしています。

そういう空気感を作っていきたいと思っているので、今日のつながりはとてもありがたいものでした。

切り口、持ち味はそれぞれに違うのだし、違って良い、そういう考えで輪を作っていけるから協力関係が築けると思います。


今日、また仲西さんの方から「こういう集まりがある(まだ許可を頂いてないので集まりの名前は伏せておきますが)」とご紹介いただいたので、また明後日は宗像市で活動を頑張っていらっしゃる方たちとお会いして、勉強させていただいて、つながりを作ってきます♪

さ、少しずつ何かが動き出している予感がしてきました。

改めて仲西さん、今日はありがとうございました。
これからどうぞ素敵なお付き合いの程よろしくお願いいたします。


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2015年12月13日日曜日

「もう ぬげない」

妻が絵本を見つけたというので、読ませてもらいました。

ヨシタケ シンスケ「もう ぬげない」

子どもの気持ちをうまーく代弁して表現している絵本だと思いました。

一見すると「もう!」何やってるの!?忙しいのに!」と言いたくなってしまう子どもの意味不明な行動も、子どもなりに、プライドやら理由、それに立派な葛藤があって「あぁ、オレもそうだったな」「あぁ、分かるかも」と子どものころの忘れていた感覚を思い出させてくれる良書だと思います。

想像力豊かに、大人とは違った視点で物事を膨らませていく子どもたちの無邪気さ、たまらないです。


読書が趣味なので、たまーに本の紹介もしていきますので、よろしくお願いします。

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今日は珍しくおすすめの本をご紹介してみました。

2015年12月12日土曜日

産婦人科はパパも学ぶことがいっぱい

今日は、ぐるんぱのことというよりかは、半分プライベートなお話です。

僕の妻が今妊娠していまして、来年2月下旬に出産の予定です。
今から、楽しみにしていますし、「パパ、頑張らねば」と気合も入っているところです。

今日は、妊婦健診の日で午前中に同行しておりました。
土曜日ということもあって、産婦人科の待合室には子供連れ、パートナー連れの妊婦さんがいっぱいいらっしゃいました。
産婦人科の待合室って、ほとんどの方が妊婦さんで、穏やかな空気に満ちているので、僕は好きです。
たまに聞こえてくる子どもや赤ちゃんの泣き声も大抵大らかで、聞いていて不快にならないものがほとんどなので不思議です。
(仕事柄、子どもの泣き声はたくさん聞いてきましたので、いろんな泣き方があると個人的には感じています)

これも仕事柄かもしれませんが、自分のいる空間の作りなんかには割と細かく目を配る方ではないかと思っています。
産婦人科の待合室、診察室などもちろん、男性の僕が入れる空間に限ってですが、勉強になるなぁ、と思いながら眺めています。

椅子の高さ、通路、手すり、明かりは入るけれど周囲からは中が見えにくい窓、兄弟児向けのスペース…勉強になります
受付の方や看護師さんの声の掛け方、フォローの仕方、心遣いも感心しきりです。

あと、これは忘れてはいけません。
他のパパさんたちの気遣いの仕方、これは本当に勉強になります。
当然、10組の夫婦がいたら、10組の関わり合い方と、20人なりの考え方があると思うし、あって良いと思うのですが、「パートナーが妊娠している」という共通点を持つ男の人の気遣い心遣いも様々です。
「僕ならこういうところサポートするのにな」ということもあれば、「あ、あの妊婦さんはあぁいうサポートが必要なのか」と気づかされることも多々あります。

やっぱり考え方とか視点にはその人の癖があります。
その癖とか傾向は自分で知っていると良いと思います。
補うための勉強もできますし、他の視点は無いか考える基準点にもなります。

「人の振り見て我が振り直せ」
これって、単に言葉の意味の通りとっても良いかもしれないけれど、自分の視点を増やしてごらん、という示唆的意味もある気がしているのです。

さ、見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと、ジャンジャンアウトプットしていきますぞ!


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2015年12月11日金曜日

スクールソーシャルワーカー的役割を目指す

今朝の朝日新聞の社会面の記事に、スクールソーシャルワーカーについて書かれたものが掲載されていました。
スクールソーシャルワーカーの現状、今後の見通し、課題などについて触れられていたのですがとても切実な話題だと思います。
僕自身、ぐるんぱとして活動をするにあたってスクールソーシャルワーカー的役割をも果せたらというのは頭にあります。
学校の先生方とはまた違った視点で子どもたちを見て、いろんな切り口で子どもたちの日常生活をフォローしていくことが必要だと感じています。

そうなるとぐるんぱの意義は?と問われそうですが、ぐるんぱとしてはスクールソーシャルワーカーさんよりかも長期的にかかわることが可能だと思っています。
一人の子どもなり、一軒の家庭と関わるうえで、それぞれの成長と変化を見届けていく必要があり、行政の制度に則った立場では、長期的にということがどうしても難しくなると考えています。
中期的には関わることは可能であると思いますし、ボランティア的にかかわり続けようと試みる人も出てくるかもしれません。
それはそれで良いのかもしれませんが、長期的に責任を持ちながら関わりたいと思っています。

僕の考え方としては「ボランティアとしてでも関わり続けたい」というのは子どもたちとの距離が少々近すぎると思っています。
子どもなり家庭にそこまで入れ込んでしまうと、家族と近い視点になってしまい、必要な支援を見落としはしまいか?とも思ってしまいます。

そういう意味で、ぐるんぱとして、長期的に出会った子や家族と責任もって関わる方法や方針は当面変わらないのかな、と思います。
とは言いつつ、僕自身だって関われる子どもたちの数は知れていますので、スクールソーシャルワーカーとして活躍する人が増えればいいなとも思いますし、彼らの立場が確立されて補償もしっかりとしたものが用意できる制度が整えば、もっともっと「生きやすい」と感じる子どもなり家族は増えるはずです。


子どもや家庭の一面だけを見て「もしかしたら」というのは、レッテルを貼ることと何ら変わらないと思います。
自分の視点だけでなく、多くの人と連携しながら、情報を共有し、擦り合わせをしながら事実を把握して、何がそうさせるのか考察、検討して、問題の本質を見つけて働きかける必要があると思います。

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2015年12月10日木曜日

宗像市の学校の日

今日は、朝から地域の小学校の訪問をしてきました。

宗像市は毎月1回10日(休日の日は前後しますが)に、市内の小中学校の一斉公開日を設けています。
12月、ぐるんぱが活動をスタートしてから最初の学校の日ということになります。
半分広報活動、半分子どもたちの現状視察、というところでした。

学校の日は、学校側も地域の人を含め外部の人が出入りすることを前提に準備してくれているので、先生方の対応も慣れたもので、丁寧でした。
保護者の方の数としては、思ったよりかは少ない印象でしたが、それでもポツポツとお見掛けしました。


今日はそれぞれの学校に長くいたわけではなかったですが、バタバタと3校お邪魔しました。それでも、それぞれの学校の特色は十分にうかがえました。
子どもたちのカラーもそれぞれだったのを肌で感じられたのは良かったです。

とある学校で、少し先生とお話しする機会にも恵まれて、ぐるんぱのことと僕のことをお話し視させていただきました。
「そういう方が必要だと思います。名刺とか連絡先とかありますか?」と仰ってくださって、名刺をお渡ししてきました。
すると、「特別支援学級の各クラスの担任に情報を共有し、状況見て上の方にもこういう人が来たということを伝えますね」とまでおっしゃってくださいました。

やはり、ニーズのあることだという手ごたえはつかめました。

直接お仕事につながるのか分かりませんが、まだまだ認知度のないぐるんぱの永田淳哉としては、人に存在を知ってもらえることが第一です。
そういう意味でも収穫の多い一日でした。


家庭だけで抱え込んでしまったり、学校だけで悩んでいたり…そういうことがやはり常態化しているケースがあるという話も聞けました。
本当に、そういうケースは孤立させないことが大切だと思います。

こっちとしては発信は続けていきますが、必要としていない人たちのもとへ行くほど傲慢にはなれません。
必要としている人がノックしやすい環境、雰囲気作りを進めていきたいです。


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2015年12月9日水曜日

言わんとすることを汲み取る

今、ぐるんぱとしての支援がいつから入ってもいいように準備をしているわけですが、その一環として勉強する時間も確保するように努めています。

本を読んだり、新聞を読んだり…

ネットに比べるとどちらも当然信ぴょう性なんていうものは比にならないくらいしっかりしたものだということは、言うまでもありませんが、鵜呑みにしないことは大切だと思っています。

あくまで筆者の視点があることを忘れない。
読んだものに対して、自分なりの考え方を整理していくことが大切だと思います。

「ふーん、そういうこともあるのか」「ふーん、そういう視点で考えている訳か」と。
「いやいや、僕はこう思うぞ」「あ、確かにそうかも!」

と字面を追いかけてすべて「そうか」「うん、わかったぞ」というのが危ないと思います。


これは僕自身が仕事を始めた頃に陥った落とし穴です。

何の知識もないまま障がい児者の支援活動を仕事として始めて、先輩たちの足を引っ張るまいと、意気込んで本を読み漁っていた時期がありました。
先輩から、「こういう本も読んでおくといい」と言われたらだいたい読んでいました。

でも、勉強の仕方を知らなかったのですね。
大学出たてで、働くための勉強の仕方を知らなかったのだと思います。

気がついたら、頭でっかちでした(笑)

例えば「自閉症とは」「ダウン症とは」「発達障がいとは」みたいな本を読んだら、その本に書いてあることに子どもたちを当てはめようとしていました。

本に書いてあるのはあくまで「障がいの個性としてこういう一面があるよ」という事だったのです。
それを「障がいのある人たちはこうなんだ」と無意識のうちに解釈し始めていたのだと思います。
ですから、目の前の子どもたちと上手くコミュニケーション取れるはずがありません。

支援が自分の思い描くようにいかないものだから、ふてくされたりしたこともありました(笑)

「何のために勉強してるかわかって勉強している?」

と先輩から問われて気づきました。

目の前の子どもたちを少しでも知って、仲良くなるために、支援できるようになるために、勉強していたはずなのに、気がついたら勉強のために子どもたちを見ていて逆転してしまっていたのです。

その一件があって、僕は勉強の仕方を改めました。
もちろん、読み漁って得た知識も引き出しにはなっていったのでしょうが。

子どもたちの行動を見たり、一緒に過ごす中で「なんでこんなことをするの?」「なんでこうなるのだろう?」という疑問があって、その行動なり様子の理由に近づくためのヒント探しに勉強をするということに切り替えました。

本に書いてあることもあれば無いこともありました。
そのことに気が付いたのもこの時でした。

では、本に書いてなかったことはなんなのか?

それは子ども自身が持つ個性だということです。
障がいがあっても、それとは別にその子自身の個性が、障がいの個性とは別にあるということです。

そのことに気が付けた経験として僕の中で、今でもとても大切にしている感覚です。


本などに書いてあることを鵜呑みにするのではなく、目の前の子どもを見てから必要なことを考えていく、それはこれからも大切にしたいことです。

100人いたら100通りの個性があるのですから。


鵜呑みにしない、と言えばもう一つ。

子どもの言葉も鵜呑みにしてはいけません。

子どもを疑うということではなく、子どもだって気を使ったり、強がったり、いじけてみたり、すねてみたり、本音が言いにくくなっていることがあるのです。

「共感」は健全的であるべきです。
子どもが「学校行きたくない」と言ったとして、その裏に「本当は行きたいけど…」というのが隠れているかもしれないと汲み取ることも必要です。
反対に「学校たのしいよ」と言っている裏で「本当は辛いけど…」というのが隠れていることだってあるのです。

子どもの表情、声のトーン、行動…言葉になっていないことも含めて子どもの声を聴きたいものです。

極端な話ですが、共感が不健全な方向へ進むとこうなります。

「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうか、わかったよ」

「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうだったんだね、僕も一緒に死んであげる」

これは共感ではないですよね?

「僕、もう辛いから死ぬ」
「そうか、それだけ辛かったんだね。でも、死ぬなんて言わないで、一緒に考えられるかもしれないから話をももっと聞かせて」

と健全的に建設的に相手に寄り添う事こそ共感だと思います。
目の前の相手の言葉になっていないことも汲み取ることをしていかないとならないと思っています。

普段から、普段の様子をよくお互いに知っておき、いつもと「なんか違う」というところにアンテナが反応できるようにしておくといいかもしれません。

感覚というか、直感のようなものは馬鹿にできません。
経験と知識の積み重ねがないとこういうものは働かないので。


そうするために活きた勉強をしていく必要があると思うし、これからも自分に課していきたいと思います。


明日は、宗像市内の小学校の学校公開日なのでお邪魔したいと思います。
お会いした方はどうぞよろしくお願いします。



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2015年12月8日火曜日

最良のあいさつを!

今日は朝から名刺の新調と、ぐるんぱの案内書を作っていました。

名刺は「ラベル屋さん」というフリーソフトを使って、案内書はWordを駆使(苦使?)して作成しているのですが、「あぁでもない、こうでもない」と試行錯誤していると、今までとは違った発想で機能を使い出すものだから、自分でも驚きました。

ホームページをグリーンを基調として作っているので、それに合わせようと思いまして。



今までも似た仕事をしてきたとはいえ、ぐるんぱの永田淳哉としてはこれからなので、覚えていただくために、それぞれに写真を挿入しようと思っていますが、デザインの草案はこんな感じです。

案内書の方はA4ペライチですが、持ち歩きやすさということも含めて、このスタイルにしました。
これだったら、例えばどこかに掲示していただくのもしやすいと思いまして。

これからこれを差し出したら「あぁ、お話は伺っています」と、いろんな方に言っていただけるように活動的になっていきたいと思います。

このブログを読んでくださっている方で、ご希望の方がいらっしゃいましたら、もちろんお送りいたしますので、下記の連絡先よりご連絡くださいませ。


今日、夕方に愛犬の散歩をしていましたら、部活動に励む高校生がとても気持ち良い挨拶をしてくれました。
あのような挨拶が出来るだけで、印象が良くなります。

挨拶は人と関わる上で、一番最初に交わす言葉です。

自分の持てる最良の声と表情で相手に送りたいものです。

今回作った名刺と案内書も、ぐるんぱの挨拶です。
手に取ってくださる方が興味を持ってくださるよう、より良い形を目指して仕上げていきたいと思います。

明後日12月10日は、宗像市内の小中学校の地域への公開日ですので、お邪魔してきます。
お会いした方、学校の生徒たちに最良の挨拶を届けることから、ぐるんぱはスタートしたいと思います。




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2015年12月7日月曜日

どんなに科学的進歩があっても

「お腹の中から」音楽を聞かせたほうが胎児の脳は発達する!?

この見出しに引かれて記事を読んでみて驚きました。
毎月購読しているビジネス雑誌クーリエ・ジャポンの記事の見出しに上のように書いてありました。
仕事柄、また、妻が妊娠中ということも相まって「退治」とか「発達」という言葉にはついつい目を止めてしまいます。

気が付いたらこういう習慣が身に付いていたし、それを嫌だと思わないし、それどころか興味深く記事に目を通せるところからすると、やはり子どもの発達とかに興味があるのだろうな、僕は。

さて、見出しの中身には胎教としての音楽について書かれたものなのですが、定説よりも早い時期から音楽を胎児が認知しているという件についてです。

ただし「お腹の中」というのは文字通り、母体の内側で音楽をかけて胎児に聞かせるのだそうです。
専用のスピーカーを母体の膣内へ入れて、音楽をかけると、定説よりも早い時期から胎児が反応をするのだとか…
このこと自体は、より近くから音楽を聞かせた方が認識いしやすい、という割と分かりやすい理屈だと思います。


それが不妊にも効果があるかもしれないというから、不思議なものです。着床率が上がるのだそうです。



僕自身、日ごろから非科学的なものよりも非論理的なものを疑え、と自分に言い聞かせています。

科学でまだはっきり証明できていないことでも、主張する人の話などを聞いて論理的に納得できればとりあえず信じてみることにしています。
論理的に納得できないことは聞き流すだけの話です。

反対に、科学で証明できていないものを様々な角度から検証して裏付けを取っていくことこそ、科学の本質だと思っています。


生きていれば不思議なことってたくさんあるものです。
それ全てに科学的理由をつけることは不可能に近いものがあります。
今の時代でも心霊や死後の世界など、一部の人が主張する世界観については科学的に証明は出来ていません。
それでも主張する人たちにとってはそれが事実なのです。

同じように子どものやり取りで「心」とか「気持ち」というものを大切にしようとするといまいち科学との紐づけが出来ないコミュニケーションが少なからずあります。
それでも、やり取りをしている双方には、「こうすれば上手にコミュニケーションが取れる」という経験則に基づく論理があるわけです。

それを「科学的に何が起こっているか?」と問われると、上手に説明できないです、僕は。

(そういう風に考えているから上手にこの子と付き合えないのですよ)

という言葉を飲み込みながら、「なんででしょうね、仲良くなることじゃないですか」くらいしか言えません。
相手の方では、腑に落ちないものだから硬い表情をしていますが、当事者同士は、当事者同士の論理と経験に基づいて付き合いを重ねて、深めているのです。


こういうなんでも科学的に物事を考えようとするのは現代人の一種の癖だと思います。
ビッグデータなんて言葉が使われるように、膨大な情報をインターネットで収集や管理できて、それを駆使することでビジネスなどをうまく回していくという風潮がそうさせているように思えます。

例えば人付き合いのことで言えば、ビッグデータよりも長い時間をかけて付き合いの中で集めたロングデータの方が余程役に立ちます。

自分の中で論理的に貫けるものがあれば、自分の信じる道を歩むだけです。
人付き合いでも仕事でも、遊びでも。



妻の胎内にいる我が子について言えば、もう外界の音を認識できる時期だから、僕らの笑い声、きれいな音、音楽をたくさん聞かせてあげたいものです。

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2015年12月6日日曜日

縄文時代の福祉から考える

新聞に面白い記事が掲載されていました。
もともと考古学者で我が子がダウン症であったことがきっかけで、古代の障がいについて興味を持ったという、上角智希さんが講演したということでした。

そもそも古代の障がいに興味を持つという視線が新鮮だったのですが。

縄文時代の入江貝塚から小児麻痺と思われる20代の女性の人骨が見つかったということも話されたそうです。
自由に歩けなかったであろう人が、あの時代に20代まで生きたのは周囲のサポートがあったからに他ならないと言います。
実際、その通りだと思います。

もともと人をサポートするってそういうところに原点があると思うのですが、法制度を整備に整備を重ねて、不自由さを生んでいる気がします。

僕が展開を目指すことは、「弱者を食い物にして」という声が出てきかねないことですが、法整備によって不自由になった隙間を埋めることが出来たら、と思うのです。

いろんなお声は、受け止めます。
そして秤にかけ続けます。

その中で必要だと思うものは貫くし、「そうだよな」と思えば潔く引っ込めます。
そうして必要とされるものを目指していきます。


縄文時代のサポートというのがどんなものだったか今日の記事だけでは想像しかねますが、恐らくその女性のケースで言えば、その人のことをものすごく考えながら周囲も働きかけをしていたに違いないし、本人も生き抜くために周囲との協調性というものを身に着けていったに違いないと想像します。

そうやって相互に寄り添う姿勢がとても大切だと思います。

今、たとえば街中で「みんなの○○」なんて言って、「誰にでも優しい」みたいなものが溢れていますが、この「みんなの○○」というのが危ないと思っています。

どこかに「こうしておけば良いだろう」という匂いが漂っている気がしてなりません。

絶対、そんなことってあり得ませんから。

もちろん施設として、設備としてそういうものを設置する意味とか意義は僕も承知していますが、思考が停止してしまうのが怖いということです。

「これで大丈夫」と言って精査をやめてしまうのは良くないです。

「これでも適応できないケースがあるかもなぁ」と思いながら改善していくことを考え続けなくてはいけないと思います。

例えばですが、トイレに「おむつ交換台」が設置されている場所がありますよね?

それも子供用なのです。

お年寄りで自分で交換できない人もいます。
それこそ麻痺を持っていてオムツに排泄する人もいます。
それ以外にもオムツを使用する人はいることでしょう。

あのおむつ交換台では本当に子どもしか交換できないのです。

そしてプライバシーが全く守られない、開けっ広げな場所に交換台がついている場所もあります。

「うちはこれだけバリアフリーに取り組んでいます」と酔いしれている場合ではありません。

もちろん無いよりかはあった方が良いです。
それは間違いないことです。
そして一人一人に合わせたものを用意するのも不可能だというのも分かります。

でも、おむつ交換台を大人も対応できるサイズで設置するとか、出来れば個室になるような作りだといいと思います。簡易的な間仕切りでも構いませんし、とにかくプライバシーを守るとか、そういうちょっと考えて作れば利用できる人がぐっと増えることだってたくさんあるのですから、考えることをやめてはいけません。

僕も、出会った子や親、その他の人と付き合いをする際には「これでいいや」と思わず常に精査し続ける視点を持ちたいと思っています。

ちょっとでいいです。
周りを見回してみてください。


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2015年12月5日土曜日

いつ、どこで、誰と、何を

今日、我が家の一室を仕事用に整理をしました。
プチオフィスの完成です。
自宅で仕事をするからこそ、気持ちの切り替えを行うために空間づくりは必要だと思っていました。
仕事をするためのスペースがないとズルズルと過ごしてしまいかねないですからね。

この空間づくりというのが、子どもたちと関わる上でもとても大切なことがあります。

いつ、どこで、誰と、何をするのか?
これを整えるだけで、幾分も普段の生活をしやすくなるということです。

僕の先ほどの部屋の整理の件を例に取ります。

この場合、

いつ:仕事をするとき(就業時間というものがないため、こういう表現になりますが)
どこで:仕事部屋で
誰と:一人で
何をする:仕事をする

ということになります。


これを整理すると、先の見通しが立てられるというわけです。

子どもの場合は、
いつ:平日
どこで:学校で
誰と:友達や先生と
何をする:お勉強をする

という風になります。

もちろん、それを細かく見ると、算数をするだとか、掛け算をするだとか、テストをするだとか、になってくるわけです。
そして、いつ、どこで、誰と、何をする、を自分自身の力ではっきりさせることが苦手な子がいることもまた事実であり、忘れてはならないことだと思います。

そういう事を含めて支援の場では「構造化」なんて言い方をすることもありますが、そんな難しく置き換えると却って身近でなくなり、定着しないこともあのではなかろうか?と僕個人としては思うところです。
言葉の話です。
僕らは、手帳でスケジュールを管理するときに「よし、構造化はこれでばっちり」だなんて思いながらしているわけではありませんが、していることの本質は同じです。

いつ、どこで、誰と、何をする、ということ、普段強く意識しないまでも、困らない程度に皆さん、頭に整理して生活をしているのではないでしょうか?
そういう感覚でいいと思うのです。

その整理の仕方として、頭で覚えられる人もいれば、手帳に書き込む人がいるように、その子その子の特性や個性に合わせて、見通しが立てられるようにしてあげることで十分な支援になりうると思います。

実生活になるべく直結していく支援をしたいというのは、現場の人間としては多くの人が課題に掲げる問題だと思います。
そうするためには、思いっきり「訓練」という雰囲気を出すのは、どうも違う気がします。
もちろん、内容によってはそうすべきものもありますが、日常的な生活における支援というのは、それとは少し違ったものを考えていかなくてはいけないと思います。

でないと「○○さんだから出来る」「この子は○○が好きだから」というように、出来ているのは限定的だという事で、支援者がいないと出来ないで、いつまでも自立が出来ない、ということに陥る危うさがあります。

日常生活に直結できるようなやり方を出来るだけ探し、実践し、いつ、どこで、誰と、何をする、を整理する習慣を身体と感覚に覚えこませて、徐々に「誰とでも出来る」というところを目指すことがあってもいい気がしています。

障がいがあろうが、地域で生きる以上、特別扱い、というものにも限度があります。
その子その子が出来るだけ、社会や地域になじむ方法を模索しながら、提案なりしていくことを心掛けたいと思います。


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2015年12月4日金曜日

相手に興味を持つこと

6日に福岡国際マラソンが開催される関係で、世界的なアスリートたちが福岡入りをしているとかで、新聞記事に取り上げられていました。
ケニアの選手らが、福岡市内の小学校で子どもたちと交流をしたのだそうです。
こういう交流記事、個人的にとても好きなのです。

異文化交流、特に生活している国の違う人同士が交流しようとすると言葉の壁が生まれますよね?

言葉が通じない、って一つの障壁です。
言葉が通じないので、別のコミュニケーションを取り始めると思います。
(まぁ、前述の交流会なら通訳がいらっしゃったのでしょうけれど)

例えばこのケースのようにマラソンというツールを通して異文化交流を図ると、お互いに緊張はするけれども徐々に楽しめるようになってきます。
新聞にも選手と子どもたちが笑顔で写っていますし。

言葉が通じなくても共通項を見出せば、互いのことを知り合うことはできるのです。

その共通項を通して関りを持つと、「何と言っているのだろう?」「伝わってるかな?」と疑問も出てきます。
疑問を持つということは興味を持つことです。

相手について興味を持つということが人との交流ではとても大切だと思います。

よく「愛の反対は無関心」と言いますよね。
つまり相手に関心、興味を持つことが愛に繋がるのだと僕は思います。

町を歩いていてもいわゆる「ちょっと変わった人」っていると思います。
でもなかなかその人に興味を持つほどには関わろうとしないと思います。
だから「変わった人」以上に、その人に対して認識が変わらないのです。

ほんの少し興味を持ったら、もしかしたら「あぁ、あれが気になってるのか」と見えてくることだってあるかもしれません。

こんな難しい話に限ったことではないです。
好きな人のこと、恋人のことを知りたいと思いますよね。
付き合いたてのカップルが時間を惜しむように話をしたり、メールなどで連絡を取り合うのも相手のことを知りたいからです。

逆に言うと自分のことについて質問をしてこない人は…(笑)これ以上は言いませんが(笑)


相手に疑問を持つことさえすれば、その間に障壁があっても越え方が見つかるかもしれません。

僕一人で出来ることなんて限られています。
それでも出会った人、出会った子には興味を持って接したいです。
もちろんすべての人と上手に付き合えるほど器用な人間ではないですけど、人に無関心にはなりたくないです。


福岡は夕べから大荒れの天気です。
風も冷たくなりこの時期になりようやく冬の様相が深まってきました。
くれぐれも風邪など召されませぬようお気をつけてお過ごしくださいませ。


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2015年12月3日木曜日

ブログは共感をしていくもの

今日は福岡市の福岡東映ホテルでカメライターかさこさんの講演会アンドランチ会に出席してきました。
約2時間の講演会とその後のランチ会で出席者同士の交流会というものでした。

講演会の内容はセルフブランディングとブログ術のお話が中心でした。

自分を価値付けして、発信していきましょー!ということですね。

こうやって一言で言ってしまうととっても平ぺったくなってしまいますけど(笑)、具体的にしていくことを分けてみていくと本当にすることの多いこと多いこと。

特に、僕自身ブログは学生時代からずっと書き続けているけれど、自己満足で終わってきたところがあります。
読み手を意識した文章を書いていく、という意識改革をしなくては、と思いました。
「楽しかった」「うれしかった」あるいは「苦しかった」「辛かった」という体験を、「楽しさ」「嬉しさ」「苦しさ」「辛さ」を伝える文章で読み手が共感できる文章にするということが、一つポイントになるように僕には聞こえ、そう解釈しました。

これって、読み手に共感するという事なんですよね。
書き手に共感してもらうよりも先に、読み手のことを思って共感しながら発信するという感じでしょうか?
すごく新鮮な感じがしますが、実は僕がこれからしていこうとすることとすごくつながっている気がします。

本当に困っている人って、「困っています。」って言い辛くなってる人がほとんどだと思うのです。
そこへスッと寄り添って、あるいは本人すら気づいていないところも含めて共感していくことが必要なことも多々あります。

その練習として、こちらから発信と共感を受け身にならずにしていくブログの書き方がある気がします。
あるいは、書き方によって、「こういう人と一緒に我が子のことを考えていきたい」と読み手に思わせることが出来ることもあるかもしれません。


自分本位でない仕事をしていきたい、というその雰囲気やニュアンスを伝えることがブログで出来るのではないか?と、可能性を見出すとともに、これまでの自分のやり方を大きく見直す機会をいただきました。


他にも、出席者の方とつながりを持てたこともとてもよかったと思っています。


これから出会う人、出会う子のために勉強すべきことは本当に多いです。


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2015年12月1日火曜日

名刺を作っております

いよいよ始動したぐるんぱですが、これまで前職のこともあり、どうしてもなかなか出来ずにいたこともあります。
開業届などと言った事務的な手続きももちろんですが、いろんな人にお会いした時にお渡しした名刺が出来上がっておりませんでした。
どんな活動をしていくかという計画や構想は練ってきておりましたが、実務的な部分がなかなかじっくりと時間を取ることが出来なかったので、ここぞとばかりに取り組んでおります。

インターネットって本当に便利ですね。
名刺作成用の無料ソフトが簡単にダウンロード出来てしまうのですから。
その無料ソフトのテンプレートを基にしてアレンジを加えてデザインを考案中です。
あぁでもない、こうでもない、と一人格闘しています。

出来上がったらここでも画像で紹介したいと思います。

もちろん、ある程度軌道に乗ったらしっかりと外部に発注して、完全にオリジナルの名刺というのも作らねばとも思います。
でも、こういう「最初は自分で作る」ということも大切だと思っています。

自分で立ち上げるぐるんぱ、試行錯誤しながら納得いくものを作っていきたいのです。
特に最初は、自分の中にある想いを形にするという大変さと大切さを実感していきたいので。

今月は勉強かねていろんな人に会う予定にしています。
今日、明日中に仕上げて、お会いする方々にお渡しできればと思っています。

生活が一変した不安がないかというと、もちろんありますが、今しか経験できないこと楽しいこと、辛いこと嬉しいこと、不安なこと…しっかり味わっていきたいと思います。
この体験もまた、これから出会う人に還元するべく。

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