7月、放デイでの学習サポート等も増えて、本当にいろんな経験をさせて頂きました。
事業所毎に役割も、求められていることも違って、それぞれに頑張っていらっしゃる姿も見させていただきました。
僕の役割も様々でした。
療育的な関わり、学習のサポート、学習計画の作成…
明日から8月。
夏休みはあと1ヶ月続きます。
僕は僕で自分の役割を確認しながら積み重ねることをしていきたいと思います。
1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
7月、放デイでの学習サポート等も増えて、本当にいろんな経験をさせて頂きました。
事業所毎に役割も、求められていることも違って、それぞれに頑張っていらっしゃる姿も見させていただきました。
僕の役割も様々でした。
療育的な関わり、学習のサポート、学習計画の作成…
明日から8月。
夏休みはあと1ヶ月続きます。
僕は僕で自分の役割を確認しながら積み重ねることをしていきたいと思います。
今日は、午前中「えるそる むなかた」さんで、午後は「といろ」さんで学習サポートでした。
「学習サポート」、という名目で入っていますが…やっぱりそれ以上のことも考えたいです。
机上での勉強だけでなく、子どもたちの生きやすさにであったり、世界を拡げることであったり…
そういうものに繋がる関わりを持ちたいです。
それに繋がらないものは、僕の中でサポートとは言えないし、半端なものに責任だけ負う、なんてのも正直嫌です。
自分の責任で、子どもと真っ向から向き合いたいものです。
幸い、「えるそる むなかた」さんも「といろ」さんもそれをやらせてくれています。
放デイでの僕の役割というのは、僕自身これからもずっと考え続けていきたいとは思います。
大人ももちろんですが、子どもも本当にいろんな体験を日々重ねています。
そこに想いを馳せて、前向きに共感を重ねて、出会う子どもの育みに関わりたいものです。
今日は、本当にいろんなことを考える夜になっています。
今日、学習サポートに入る中で、ひらがなのなぞり書きをする子のサポートに入りました。
ちなみに初対面でした。
文字の形は認識できているけれど、文字になっていない、という段階です。
大体の形や、書くための手の動きとしては間違っていないけれど、文字にならず、収まるべきスペースにも収まらない…そんな字を書く子です。
手を添えて一緒になぞる練習をしました。
手を添えていても、突発的に動いてはみ出ることがあるし、急いで書こうとする癖があるようでした。
また、目も課題以外のところに向いたり、その場から離れようとすることもありました。
それを「学習がきらい」と捉えて無理をさせない、ということもあるのかもしれません。
その場の対応としては。
ただ、僕はそんなことをしたくないし、そんなことをしていてはサポートになりません。
僕はその様子を「本当は上手にやりたい。でも上手くできなくて自信が持てない。上手く出来ないことへの苛立ち」と捉えます。
そこで、添える手の力を少し強めて、目線が反れたときには「ちゃんと見てごらん」、その場から離れそうなときには「まだ終わってないよ。ここで終えたらまた、上手く出来ない経験しか残らないよ」と声をかけて、とにかくキレイになぞらせることを心がけました。
すると、一緒にやれるんですね。
キレイになぞれているときには、落ち着くんです。
はみ出るとやはり、離れたくなる(笑)
これはもう、「上手くやりたい」と思っているとしか、僕には思えないんですよね。
なんとかこうにか課題を終えて、最後に「出来たよね?」と確認をしました。
すると「出来た」と返してくれました。
一朝一夕にはいかないけれど、多分これを続けていけば、直に落ち着いて取り組めるようになるのでは?という手応えがありました。
「成長したい」と子どもは願っています。
そう信じながら関わりたいです。
それを後ろ向きに解釈を重ねて、課題を途中で止めてしまったら、残るのは「出来なかった」という体験だけです。
それで自信が持てるはずもありません。
自信が持てなければ、課題に向き合うのは苦痛でしかなくなります。
だから、僕はどうにかこうにか、というやり取りになっても最後までしてあげたいと思います。
これを「学習サポート」と言うべきかは分かりません。
療育的かもしれません。
でも、これで繋げていかなければ「学習」にはなりません。
ただ、学力を上げるだけではダメです。
本人の生きやすさに繋がるサポートをしなくては。
ぐるんぱの、僕の、サポートの在り方はこれしかないと思っています。
ストレス、って嫌なことをして溜まるもの、というイメージがないですか?
でも、楽しいことをしていても溜まるんですよね。
旅行で気分転換、ストレス発散、と言っても、日常のストレス発散しつつ、旅行でストレスを受けるんです。
だから、旅行疲れしたら、帰ってから休息を取るわけです。
体力的な話だけでなく。
何かをすれば、どこかに負荷がかかるということでしょう。
何が溜まって、どうやって発散させるべきか、そういうことを無意識に選んでいると思います。
多くの人が。
でも、無意識的にそれが出来ていない人は、たまに意識的に、考えてみないといけない気がします。
あるいは、周囲が考えて提案してあげることも必要かもしれません。
自分に、大切な人に注意深くいたいものです。
夏休み、楽しむことは結構だし、必要だとも思います。
でも詰め込み過ぎも考えものです。
日常から離れすぎない過ごし方を考えたいですね。
特に子どもは、その辺、無自覚に詰め込みたがります。
夏休み始まって1週間、大人の方でコントロールしてあげたい時期ですね。
いろんな場で子どもと関わる機会を頂くと、そんなことを考えることがあります。
夏休みは「えるそる むなかた」さんに通常の土曜日のサポートに加えて、水曜日の午前中も学習サポートでお邪魔しています。
今日は全部で7名の子どもと学習をしました。
2~3名ずつ学習ルームに来てもらってしっかりと、それぞれの課題に向き合って貰いました。
やはり放デイの学習サポートだと、「宿題」、これがご家庭でネックになっているとのことで、これを終わらせるということが1つ目安にはなりがちです。
今日も基本的には宿題を一緒にしていく、ということになりました。
ただ、「えるそる むなかた」さんでは、宿題は他のスタッフとも出来ることもある、ということをお話頂いたので、子どもによっては夏休みにも宿題とは別課題に取り組むことが出来そうです。
調べ学習、点つなぎ、色塗り…
1人1人、当然段階も課題も違います。
「この単元は出来る」「この単元は苦手」
そんな話ではなく、子どもたちの思考の源、身体の使い方、そういう根っこに働きかけてサポートをしていきたいと思います。
こうやって学習サポートをしていくと、学校から出される課題と、こちらから見える彼らが抱える課題が一致していないと感じるときもあります。
教育と福祉、その観点の違いが課題設定の差を生んでいる気もします。
上手く連携を取って、噛み合ったときにはきっと、すごい成果が出るのだと思います。
子どもの成長としての成果が。
想像するとワクワクが止まりません。
今朝、容疑者送検の様子がテレビで報じられていました。
「不気味な笑顔にも見える」と。
犯行の規模、犯行前の手紙などから、結び付けてそういう表現になるのだと思います。
そういう事と結び付けて考えてみれば「目標を達成した」笑顔、と取れるのかもしれないです。
「不気味な笑顔」と。
報道の通りであるとも思いますし、遺族はもちろん多くの人が恐怖と憤りを抱く表情だとも思います。
少し離れた距離からこの事件を知ることになった僕としては、それらに加えて、あの表情は「苦しそう」にも見えてならなかった、というのが正直な感想です。
苦しいときに「笑うしかない」って場面あると思います。
それに近いように思えてなりません。
事件は許されるものではないです、絶対に。
もちろん僕の中にもいろんな思いが湧いています。
「笑顔」の定義って何なんだろう?
顔の表情が笑えば、それは笑顔なのか?
「笑うしかない」、悲しいし可哀想な状況だと思う。
僕は僕で、変わらず活動を続けた先に、僕の思う笑顔があると信じて歩くのみです。
今朝の事件には驚きました。
フェイスブックには既に書きましたが、関わる人も、施設自体も孤立させないための体制と文化作りが急務だと感じます。
矛盾するようだけれども、もちろん孤立させないようにしながら、セキュリティも考えなくてはいけないと思います。
まだ僕自身、上手く言葉に落とし込めずにいるのですが、この事件の報道の在り方に違和感を感じています。
この違和感が、多分、障害を持っている人と日常的に関わりを持っている人と、そういう関わりが非日常である人の差か?などと考えてみています。
なんか言葉が多すぎるような、足りないような…
事件の何が重大さなのか、見えづらくなっているような…
とにかくモヤモヤしたものが、報道を見聞きする度に頭に浮かんできます。
いえ、1人1人が考えるべきものなのでしょうね。
1人1人が、それぞれの立ち位置で考えてみれば良いのだと思います。
報道は万人に情報を届けるものですから、違和感を感じることも当然なのかもしれません。
そういう意味で、僕は報道の仕方を考えてほしいと思いますし、受け取る側もいろんな受け方をしていかないと、いけないのだと思います。
今日は午前中「えるそる むなかた」さん。
午後は「といろ」さん。
それぞれ2時間ずつ、学習サポートとして子どもたちと携わらせて頂きました。
当然、それぞれの事業所で別々の子どもたちと過ごすことになるので、面白くてたまりません。
「イヤイヤ」あり「構ってー」あり「ワイワイ」あり…
子どもの数と一緒に過ごす時間だけ気持ちに触れます。
「えるそる むなかた」さんでは、関係が出来てきた子どもに加えて、体験利用の子どももいて、賑やかな学習サポートになりました。
今日は人数が多かったこともあり、スタッフさんにも協力頂き、複数人同時に学習しました。
下級生のお世話をしたがったり、比較をし出したり…普段ぐるんぱの個別の生徒との付き合いでは見られない様子が見られて面白かったです。
「といろ」さんでは、初のサポートだったので、お互いの自己紹介的時間になりました。
こちらは少人数での関わりだったので、じっくり。
子どもの現状をしっかり見ることが出来ました。
これから、あの子達にあった方法を用意していきたいと思います。
学習のみでなく、やっぱり生活に結び付くものを提供していきたい、どちらの事業所もその点が僕の意向と合致しているので、とても気持ちよくお仕事させていただいています。
これからもどうぞ宜しくお願いします!
もちろん子どもたちもね!
楽しく、いろんな気持ちを共有していこうね♪
夏休みの始まり。
つまり1学期が終わったということですね。
学期末と言えば通知表、良い悪いで僕も一喜一憂していた記憶があります。
その通知表が今と昔とでは大きく違うところがあります。
「よくできる」「できる」「もう少し」
これが今の評価区分。
以前は違っていました。
「できる」「もう少し」「頑張ろう」
だったのです。
もちろん学校や自治体によって言い回しが違うかもしれませんが、概ねそういう感じでした。
今は「出来ている」部分を分けて、「苦手」というところを一まとめにしていて、以前は、「苦手さ」をどのくらい苦手なのかを分けて評価していたということです。
僕自身の個人的な考えではありますけど、「よくできる」と「できる」を分ける必要があるのか?という感じがします。
特に小学校の通知表などは。
100歩譲って中学校は受験もありますが…(それでも理解はし難いです)
それより「とても苦手なのか」「惜しい」感じなのかを知る方が良い気がします。
それによってサポートの仕方が変わりますから。
「出来ている」子たちは「勉強の仕方を含めて出来る」でしょう?
教育現場では、個別に、手厚い、という風潮が高まるのに、現状を保護者に伝える面でぼかしてしまっているのでは?と思います。
だから必要なサポートが届くまでに時間が掛かることが出てくるのです。
「うちは必要ないだろう」と。
自己肯定感云々の風潮から生まれたもののようですが、ぼかしているだけで、正確な現状を知らなければ、「見て見ぬふり」「臭いものに蓋をする」のと変わらない気がします。
自己肯定感は、「ありのままの今の自分を受け入れること」から始まるのではないですかね?
良いところ、コンプレックス、諸々を見ないと。
「苦手さ」をぼかすのが、自己肯定感に繋がるとは、思えないんですよね。
いろんな意見があると思います。
お待ちしてます(笑)
昨日の記事にも上げたように、今日は「げんきっこくらぶ ほっぷ」さんにてお手伝いをさせていただきました。
プールとその前後の関わりです。
楽しかった、の一言に尽きるのですが、もちろん難しさも感じました。
自分のしてみたいこと、を子どもたちに押し付けないようにしなくては、と思います。
その子、その子で必要なことは違いますが、その場、その場でも違う、ということを再度、頭に入れながら関わりを持てたら、と思っています。
この夏、これまでとは違う仕事の仕方、過ごし方を出来ます。
忙しさに飲まれて、ただ疲れた、ってだけにならないように、瞬間瞬間を味わいながら仕事に向き合いたいと思います。
いよいよ夏休みスタートですね。
楽しみもあれば、子どもたちの過ごし方に困ることもある…いろんな思いで今日の終業式を終えたことでしょう。
ぐるんぱは夏休みも基本的には通常の支援活動です。
その他、放課後等デイサービスの応援にも入っていることもあります。
どうぞ宜しくお願いします!
明日はまず、以前記事にもしたように「げんきっこくらぶ ほっぷ」さんにてサポートです。
プールを含めてその前後でも子どもたちと関わらせていただきます。
屋外プール。
あっという間に真っ黒だろうな…
さ、夏休み!
子どもたちにも自分にも、いい時間にすべく頑張っていきます!
「僕(わたし)のことを分かって!」
これは意識的にも無意識的にも、大なり小なりみんな持っている気持ちです。
みんな自分のことを認めてほしいと願っているんです。
その願いは、いろんな形で表出します。
ストレートに分かりやすく表出することもあれば、ちょっと斜めの変化球気味に表出することもあります。
同じ事を言いたいのに、人とか場面とかによって表出の仕方は変わります。
それは不思議なことでもなんでもなくて。
理解出来ないこともあるでしょう。
でも、根っこは「僕(わたし)のことを分かって!」なんです。
そういう時、「理解しなきゃ」と無理に思う必要もなくて、まずは「そうなんだね」とまるごと受容することが大切なのではないかな?
言いたいことが分からなくても、「そんな風に表現するんだね」からでいいから。
まるごと受け止める。
そんなことを考える夜です。
「知らない」ということは、本当にいろんな負を呼び込むと思います。
不安。
恐れ。
迷い。
怒り。
寂しさ。
…。
とにかくたくさんの負があります。
その中でも「つまらなさ」というのは、厄介です。
「知らない」と「つまらない」んです。
芸術ニュースについて盛り上がっている場で知らなければ、話についていけずつまらない、ということになります。
自分の専門外の分野の本を読んでもつまらない、ということになります。
新しい環境に身を投じても、しばらくはこれまでの流れを知らないから、つまらない、ということになります。
ユーモアも知識の裏付けがあってこそ生きます。
知らないとユーモアも通じなくなります。
知らないとつまらない、これは何にしても同じことです。
つまらない、と思うならそれについて知る努力をまずはしてみないといけません。
つまらない、夢中になれるものがない、というのは、あなたが知らないから。
深めかたが足りないから。
そして1つ言い添えるなら、その深めたり知っていったりするのに必要なのが学齡期に触れるいろんなもの。
勉学であったり、人付き合いであったり。
「つまらない」は「詰まらない」。
突き詰めるまで、煮詰まるまでやってみるのも一つ。
そう思う。
今日は、宗像市のお隣、福津市の放課後等デイサービス「といろ」さんにお邪魔して打ち合わせをさせていただきました。
夏休みより土曜日の午後に学習サポートに入らせていただくことになりました。
これから打ち合わせを重ねて良い場作りをしていきたいと思います。
福津市にもご縁を頂いて、これから益々拡がることを想像したらワクワクが止まりません♪
また追々、こちらでの様子などもご報告出来ると思いますのでお楽しみに。