ページビューの合計

2021年7月20日火曜日

夏休みが始まった

小中学生の夏休みが始まりました。

学習サポートを展開している身で言うと、ヘンテコな感じかも知れませんが、宿題たっぷりなんてナンセンスだと思います。

「みんな!めいっぱい遊べーーー!」って本当は言いたいものですw


とはいえ、宿題をやらないと怒られちゃうのは子どもたち。

ということで、今夏も学習サポートは、夏休み中は宿題のお手伝い中心になるわけです。

実際に、どんなサポートをしていくのか?

宿題の代行なんてことはもちろんしません。

まずは学習スケジュールを一緒に立てることが多いです。
どのくらい遊びたいのか?
どのくらい寝たいのか?
どのくらいダラダラしたいのか?
どのくらいなら学習時間が取れそうなのか?
いつくらいまでに終わらせたいのか?
旅行のような既に決まっている予定で、出来ない日があるのか?

とにかくいろんな話をしていきます。

そうしてスケジュールをまずは立てて、それから実際に一緒にいる時間は一緒に進めて。
翌週には、一週間の過ごし方を確認して、リスケが必要なら、さらに練り直して。
これを繰り返していきます。

それから自由研究などの手伝いもしていきます。
自由研究って結構、準備が大変で「こんなことをやりたいらしいんですが」と相談をされることから始まって、一緒に出来そうであれば一緒にやって。


で、お喋りもたーーくさんします。
週に1回あるいは2回会うだけだと、その間にもちろん子どもたちは日常を送っているのです。
夏休みという、とっても素敵な時間を。
その思い出というか、体験というか、いかに退屈だったかw(というような話が出てくることも)をたくさん聞かせてもらいます。



さぁ、楽しい夏休み。
僕も楽しくお仕事をしていきます。

2021年7月17日土曜日

言葉と会話、から考えたこと

ぐるんぱに通ってきている子どもたちの中には、言語理解が苦手な子もいます。

でも、その子たちがみんな、言葉の意味と同じようにコミュニケーション、言語で言うと会話と言うことになりますが、会話の意味というか機能を理解していないか?と言うとそうではないように思います。

いわゆるオウム返しをする子、それから声をかけられると「はい」という相槌で応答してくる子たちが、提案や支持をしても直ぐに実現できないことがあります。

ですが、彼らは、僕の独り言をオウム返ししたり、それに「はい」と相槌を打つことはありません。
自分に向けられた言葉で無いと判断しているのでしょう。

とすると、会話の、相手を必要とするコミュニケーションの社会的機能とでも言えば良いでしょうか?そういう機能は理解していると言うことになります。


「こういう話をしてもこの子は分かるんでしょうか?」と保護者からお尋ねを頂くこともあります。

こういうお尋ねに対する僕の答えは、大体「言葉一つ一つの意味やこちらの意図をそっくりそのまま理解したり、受け止めたりすることは、直ぐには難しいかもしれません。でもこちらが『あなたに伝えたい』という思いを持っていることは伝わっているんじゃないかと思うんです。」

言語理解が苦手でも、会話的なスタイルを設ける。
もちろん提案や支持と言うことを行って、物事を獲得したり、先に進めていったりするときには、絵カードなどを使う方が効率的だったりすることもあります。

でも、それ一辺倒になってしまうのは勿体ないと思います。

人と接する機会、その中では上手くいかないこと、上手く伝わらないこともあるわけです。

“効率的”なことばかりでは、いけない気もするんです。
殊更、人の成長とか発達とか、そういうことについては。

伝わらなくて、イライラしてしまう。
結構じゃ無いですか。
だって、「どうやったら伝わるかな?」がコミュニケーションなんですから。

2021年7月16日金曜日

とあるご夫婦からの応援

ぐるんぱのプールで使わせていただいている施設では、半期に1度、水着やスポーツウェア(型落ちなのかな?)のセールがあります。
安くて、タイミングが合えば僕もここで水着を買います。

今はスポーツウェアをセールしているんですが、プールで毎日のように顔を合わせる高齢のご夫婦がもうかれこれ2年くらい前から、セールの度に「仕事で使えるやろ」と、洋服を買ってくださいます。

本当に本当にありがたい限りです。

大切に着させてもらっています。
今シーズンもご夫婦で一着ずつ、くださいました。

こういう応援も含めて、沢山の方に支えて頂いているので、誠実に、ゆっくりとでも歩みを進めたいと思うし、キツイ時期も乗り越えながら頑張れます。

もちろん、この投稿を見てくださっている皆さんにも、いつも支えてもらっています。

改めて、ありがとうございます。

2021年7月10日土曜日

とある親子の会話

プールの更衣室で、ぐるんぱとは関係の無い親子がやり取りをしていました。


ブーブー!

口をすぼめて、唇を鳴らしている3~4歳の子がいました。

父「それ、やめて」

ブーブー!

父「ねぇ、やめて」

ブーブー!

父「やめなさい。」

子「なんで?」

父「つばが飛ぶから。今、コロナウイルスのことが大変なのは、知ってるよね?ここに来る人がかかったり、ここで広げたりしないために、きれいにしてくれている人がいるの。それを台無しにするようなことをするのは嫌だな。
あなたも頑張りを邪魔されたらいやでしょ?」

子「ううん。嫌じゃ無い」
ブーブー!

^^;

父「そうかぁ、大変だね。人の頑張りを邪魔する人って、応援して貰えなくなるってことだけど、良いんだね?」

子「・・・それはいや!!」」

父「そうやろ。無理しなくても良いんだけど、人の邪魔をするのは、よくないよね」



なんか、良くないですか?

しかも、このやり取りしているお父さんが、一見すると少し近寄り難いくらいにの強面さん。
かなり明るい頭髪に剃り込み。

このギャップには萌えるw

バランス感覚2

さきほどの記事に続いて、バランスという話をもう一つ。

支援をするとき、バランス感覚というのを僕は大切にしています。


どちらかに偏りすぎていないかな?と。

相手に求めすぎていないか?
こちらだけが頑張りすぎていないか?


例えば、プールではいろんな方が利用する場を使わせてもらっているわけですが、ルールやマナーはもちろん定着するように練習を取り入れていきます。

その一方で、多くの人と交わる機会があるという場は、ある種の文化が成立しているので、その文化に、無い価値観は取り入れて欲しいと思うこともあります。

例えば自閉症と知的障がいを持つ子がいたとして、ルールやマナーは守れるようになっても、周囲から「ん?なんだ?」と思われるような場面がよくあります。

そのときには「こういう子もあなたたちの住む地域にいるんですよ」「今、こういうことを練習しているんですよ」ということが伝わるような工夫をしながら、過ごしていきます。


そういうのって大切だと思いませんか?

異文化交流みたいなものです。

自分の価値観にないものが来れば驚きます。
なじむのに時間がかかることもあります。

それでも“何”がということが掴めるようになってくると、新しい文化とか習慣が根付くように思います。

バランス感覚

物事が成立している以上、そこにはバランスがあるはずなんです。

良いバランスで成り立っている。
バランスが悪いなりに成り立っている。

そういうものだと思うんです。

雰囲気が悪い場があったとして、あるいはばつの悪い人がいたとして。

その場、その人との間柄には、何かしらのバランスがあるのです。

そして、何かを変えようと思うとき、当然そのバランスが変わるわけです。


そのバランス感覚に敏感であることは結構大切な気がします。

特にそのバランスに自分がかかわっているのであれば、なおさらです。

“何か”が変わって、そのバランスが変わろうとしているのに、それに気づかず呑気にしていると痛い目を見ることになったりすると思うのです。
実際に痛い目を見るかはとも書くとして、驚くことになります。

バランスが変わった、変わり始めていると感じたら、「ん?」と周囲に気を配るだけでもしてみると割と驚きを小さく済ませられるかも知れません。


2021年7月6日火曜日

話をするから生まれる

今日の午前中は、ぐるんぱの事務所に来客。

僕と同じようにフリーランスで、療育活動を提供する濱武さんと、宗像市内の相談支援員さん。

たっぷり1時間半、お話をしました。

お互いの価値観というか支援観というか子ども観というか・・・そんなものについて話をして、とても有意義な時間を過ごさせてもらいました。

話をしていると、「こんなことも面白いかも」とインスピレーションが湧いてきます。

出来るか、出来ないか、というよりこうやってワクワクしながら仕事をしていくと、自ずと次のステップが見えてくる気がします。

自分らしく、ぐるんぱらしい路線が見えてくる気がします。

スピーチをするために読むから

昨年、11月から就労支援事業にも携わっているわけですが、朝礼時に、スタッフが順番にスピーチをすることになっています。

当然僕がスピーチをすることもあるのですが、僕は基本的に普段から目を通している書籍の記事から、個人的に興味のあったものを紹介するスタンスを取っています。

こうやってアウトプットすることまで含めて想定して記事を読むと、読み方が変わるのだな、と実感しています。

「世界では、こういうことがあってるらしいですよ」
だけでなくて、
「世界では、こういうことがあっているらしいですよ。僕らも~」
と言う具合に、スピーチに使うことを想定しているから、より自分事に還元するような意識を持ちながら読めるようになった気がします。

世界のどこかで、まるで他人事のような出来事でも、般化して自分たちの立場やサイズに合うように知識として蓄えていくようなイメージです。

活字を読むことがより面白くなっている今日この頃。


2021年7月1日木曜日

大人心が分かっていない

プールの生徒とのやり取り。

子「先生は大人心が分かってないよね~」


永田「子ども心が分かってない?じゃなくて?(^^;」

子「うん。今の(更衣室で全裸で腰を振って踊ってた)を見て、直ぐに止めさせんとか、大人心じゃないね」

永田「大人心が分かるようになると、直ぐに止めさせるんかね?」

子「決まってるやん!ほら分かってない。」

永田「なら止めさせた方が良い?」

子「オレはどっちでも良いけど、先生はしばらく無理やろうね。まずはこれを見ても笑わないようになってからじゃない?」

なんとも分からないやり取りをしていました。

このやり取りを聞いていた周囲の人もニコニコしていたから、多分、あの人たちも大人心が分かっていない人たちなんだろうな~。

いえ、僕もほどほどで止めさせることはあるんですよ?苦情が来て、プールを使わせて貰えなくなると困るし。
でもほどほどなら良いよね、誰にも迷惑になってなければ良いよね、っていうバランスの中でやっているつもりです。