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2020年12月23日水曜日

「風邪を引かないようにね」

ぐるんぱを宗像で立ち上げて、間もなく丸5年。

生徒の第一号さんは、当時中学一年生でした。
そんな彼も今年、高校三年生。

約5年、学習サポートでお付き合いを重ねてきました。

今日、彼との最後の学習サポートを終えました。

春から専門学校生です。

身体に気を付けて、彼らしく歩んでほしいと思います。

「風邪を引かないようにね」

僕が今日、彼に最後にかけた言葉はこれでした。

何て言うか…自然に、本当に自然に出てきた言葉がこれでした。
僕と彼が過ごした時間って、こういう感じだったのだな、と改めて振り返っています。

いわゆる“節目”と言えるような時期まで、1人の子どもの成長に立ち会えたことを本当に嬉しく思います。

2020年12月21日月曜日

誰でもお仕事出来る仕組みを目指して

 就労継続支援B型事業所「こみこみ」では、ラーメン店を運営しています。


ラーメン店、というと難しい作業を思い浮かべていたりしませんか?


多機能型事業所こみこみの、就労継続支援B型では、道具や環境、に配慮しながら、作業に取り組んで貰える工夫をしています。


例えば、「玉ねぎのみじん切り」もこんな道具を使うことで、誰でも同じ作業結果を出せます。

こういう作業の積み重ねで一杯のラーメンやチャーハンが出来上がります。


「私でも出来るかな?」と思う方も是非!見学や体験に来てください!


一緒に「こうしたら出来る」を発見しましょ!


2020年12月15日火曜日

指導員募集

ぐるんぱのプール活動を手伝ってくださる方を募集致します。

土日の日中。
平日は16時以降。

待遇はおたずねください。

採用については、面談後に決定致します。

興味のある方は是非ご連絡をください。

2020年12月14日月曜日

目の前の課題が、何につながっているのか?

分かりやすいのが入試。

入試対策、を謳う“学習支援”は増えてきているように感じています。
ですが、その先のことまで考えられたものの提案は少ないように感じます。

入試。
入学試験。

それがあるということは、それを終えた後には、入学があり、そこでの学校生活があると言うことです。

それも含めて伴走するのが“学習支援”ではなかろうか?と個人的には考えています。

入試の合否に、つまり合格させることが目的になった学習支援をしていても、入学後に困り感を抱えてしまいます。

学習支援中の「様子」を見て、一緒に考えられることを考えていくことも必要です。

一般的な学習塾と違い、「支援」掲げるわけですから。
問題が解ける、解けない。
そういうところの支援が必要なケースもあります。

ですが、ノートの取り方とか、目の使い方とか、聞き取り方とか・・・
そういう「様子」から見て取れるものを一緒に考えていくことで、入試の先の学校生活をもサポート出来る可能性が出てきます。

せっかく“支援”とするなら、そこまでやってこそ、だと思うのです。

2020年12月7日月曜日

1人飯を楽しむ

我が家の昨夜の夕食は、アサリのバター炒め。
そして、今日は14時過ぎに一旦帰って来て、その夕べ調理の過程で出た、貝の出汁も出たオイルを野菜と絡めて火を通して、パスタソースにしました。

写真に残さなかったけど、これがめちゃくちゃ美味しかった😁💓

一人で自宅で、(気分的に)贅沢なお昼でした。こういう時間をたまに持つと、心身ともに健やかに穏やかになれます。

久しぶりに仕事とは一切関係ないお話。
永田、元気にやってます❗

2020年12月1日火曜日

違うことをすると違うことが見えてくる

 今日はデイ・ワークセンターこみこみのスタッフとして就労部会に参加してきました。

就労部会では事業所間での情報共有と学びの機会として、事例検討が行われます。

今までとは違う視点、支援に出会えて、素敵な学びの機会となりました。


これから出会う青年たちとどのように伴走していくか?を考える手札が増える実感を持ち帰ることが出来ました。

手札、というと語弊があるかもしれません。

手立てに傾倒することなく、人生の選択肢を提案していくということや世界を拡げるという支援の根っこに繋がるものに、時間を掛けて落とし込んでいきたいと思います。


こういう機会も、こみこみでの支援も…僕自身が行う支援の幅や奥行きを作るために必要なものになっています。


今までと違うことに着手すると、当然違うものが見えてきます。

そういう当たり前のことを再確認できている気がします。


2020年11月27日金曜日

「お母さんは、一番大事なんよ」

 一緒に学習をしている中学生のT君。

口癖のように「オレ、お母さん大好きっちゃんね」と言います。

僕から見てもとてもいい関係のように見えます。

お母さんも彼のことが大好きなんでしょう。

とても温かいまなざしを感じます。


じゃ、お父さんは?w

と言うと…「好かん」らしいですw


話を聞いていると…多分似ているんでしょうね。

お母さんの取り合いみたいな印象を承けます。


なんか僕は、彼の話を聞くととてもほっこりするのです。

2020年11月20日金曜日

より良い業務体制を目指して

 11月2日には、多機能事業所こみこみが開所し、12日にはB型の出張所として登録もしているさつまラーメンがオープンしました。

いざ運営を始めてみると、想定外のことも色々と起こりまして…

「支援の質」というところに重きを置くために、それから私たち支援者自身もイキイキと業務を行っていけるように、というところに立ち返り、業務体制の見直しを行いました。

新しく場を作ったり、新しい展開をしていこうとするときには、必ずと言って良いほど“山場”が現れます。

この“山場”を越えながら、事業所として、職場として、会社としての“らしさ”を作っていくのだと思います。

一山越えて、またまた、こみこみの“これから先”のことが益々楽しみになってきました。

2020年11月19日木曜日

「この子、緊張していたんですよ♪」

今日、プール活動で来たCちゃん。
特別支援学校小学部在籍の3年生です。

昨日、授業参観があったようで、運動会の代わりというところなのでしょう。体育の授業を見学したとのことでした。
サーキットを組んで、さまざまな動きを披露する形式だったようです。

家でも練習をしていたらしく、お母さんは当日を楽しみにしていたそうです。

「そしたら、この子、緊張していたんですよ♪照れて恥ずかしがって、面白かったです」

と様子を聞かせてくださいました。


出来た、とか、出来なかった、とかでなくて、成長の様子をそうやって捉えるお母さん、とっても素敵だな、と思ってしばらくお話をしていました。


彼女とは、彼女が幼稚園の頃からのお付き合いです。

僕自身も、彼女が緊張していた、という話を聞いて「おぉ、そうですか!それはすごいですね」と話が盛り上がりました。

少し前の彼女は緊張なんて無縁で我が道を行くみたいな、ところもある子でしたから、周囲の目線とか期待とか、うまく出来るかな?とかいろんなことを彼女なりに感じていたのでしょう。

出来た、出来なかった、とかそういう評価とかジャッジみたいなことでなくて、心模様とか葛藤とか、そういうものが見られる、授業参観って、素敵だなと思いました。

2020年11月6日金曜日

貧乏揺すりを止める前に

一緒に学習しているこの中には、貧乏揺すりをしがちな子も少なくありません。
それ以外にも、いろんな“癖”がついつい出てしまう子もいます。

僕は基本的には、その“癖”を見守ります。
止めることはしません。

止めても、何の意味も無いと思うからです。
止めるならそれ相応の理由があるときだけです。
誰か他者が困ってしまうとか、危険があるとか。
それでその子の居場所がそこになくなる可能性がある、居られなくなる、みたいな理由があるときだけです。

止めずに、「なんでこういう“癖”が出てしまうのか?」を考え始めるのです。

ストレスなのか?それとも特性によるもの?快感?


どんな“癖”であれ、その場にとどまっていると言うことは、それでその瞬間のバランスを取っていると言うことですから、わざわざ崩すようなことをしなくて良いと思うわけです。

行動には必ず意味があります。
意識的であれ、無意識であれ。

それを見ながら子どもの心模様を見ていくことを支援の根っこにしたいと思います。

2020年11月5日木曜日

いよいよ始動!宗像の多機能型事業所こみこみ

多機能型事業所こみこみの指定通知も頂き、11月2日より事業所として動き始めました。

来週には利用者の契約も入り始めて、“いよいよ”という感じです。



就労Bで運営をしていくラーメン店も、店内の工事も、表の外観工事も順調です。

来週木曜日11月12日にオープンです。

味にもこだわりますが、やはりお客さんもスタッフもイキイキなって、こちらは「調理を楽しむ」「接客を楽しむ」「店舗運営を楽しむ」をして、お客さんには「食事を楽しむ」「コミュニケーションを楽しむ」「時間を楽しむ」ということがしてもらえる場作りに、僕個人としてはこだわりたいです。
その実現のために支援の手立てを考えたり、環境を設定したりしていきたいと思います。


それから就労B型は、ラーメン店が目玉のようにして映るかも知れませんが、店舗運営意外にもパソコンを使った作業も用意していますし、シール貼りのような内職作業も用意しています。
特性や性格、その日の体調・・・いろんな方がいます。
その人が、その日、そのときに出来る作業、仕事に取り組んでもらうことが出来る仕組みも用意しています。

就労というのは学校生活とはまた違い、学童期以降の長い年月関わるものです。
ですから、長い目で見て「続けられている」ということが自身になったり、そこで積み上げたものそのものが、その人の生きがいになることを目指したいです。



自立訓練の方も、スタッフ間でミーティングを重ねて、様々な利用者を想定して、いろんなプログラムを提供出来るように準備をしています。
運動プログラム、学習的要素、パソコン、ソーシャルスキル、ライフスキル、ビジネスマナ・・・

自立訓練は、就労へのステップや社会復帰へのステップです。
一人一人が思い描く「これから」は違います。
そこに必要なことを順序立てて取り組んでいきます。




就労B型も自立訓練も、まだ利用者の受け入れが可能です。

見学、お問い合わせ大歓迎です。

ちょっとでも気になる、ということがあれば是非ご連絡をくださいませ♪



2020年10月17日土曜日

例年とは違う配慮と工夫で行われた保育園運動会

今日の午前中は、息子の保育園の運動会の参観に行ってきました。

例年とは違い3~5歳のいわゆる以上児クラスのみ。
午前中だけで終わるというプログラムでした。

実は今年、父母の会の会長をしているのですが、例年は父母の会としてもお手伝いがいくつかあるのですが、それもかなり縮小されました。

少し前に園の先生とお話をしていたときも、実施の有無、やるならどのようにして開催するか…いろいろと苦慮していらっしゃる様子が見られました。

それでも実施を決めてくださり、本当に多くの工夫と配慮を重ねて頂き(そのためには例年以上の会議も重ねていたことと思います)、僕ら保護者は我が子の成長を見る機会を貰えました。

本当にありがたいことです。
感謝しかありません。


少し用具の出し入れなど、お手伝いする場面もありましたが、聞こえてくる先生方の声の温かいこと。
先生同士のコミュニケーションも、例年と違うためかいろいろと大変そうではありましたが、それが子どもたちに向けられることは無く、ただただ子どもたちは、それぞれの自分らしくあれば良いという、安心感の中で待機したり演技や競技したり出来ていたように、僕の目には映りました。

これこそ工夫と配慮です。

先生方、本当にありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。

2020年10月15日木曜日

なぜゲームに向かうのか

スマホゲーム、ポータブルゲーム…ツールは様々ですが、ゲームに夢中になる子どもは少なくありません。
僕が関わっている子どもたちの中にも、ゲームが好きな子がいます。

中1の男の子と話をしているとき。

「小遣いを(スマホゲームの)課金に使っちゃいけないと言われる…」と悔しげに語り始めました。

親に禁止をされるから、いろいろと“抜け道”を考えもするようです。
なんでも『ギフト』と呼ばれるシステムがゲーム上にあり、ゲーム上の友人に課金アイテムを譲渡できるシステムのようです。

友達に“おごり”、その友達から同額程度の課金アイテムを『ギフト』で受け取る。

実際には、お金のトラブルが怖いからしない、とのことでしたが(この感覚を持っているのは少し安心)、なんとか課金アイテムを得られないか思考を巡らせているようです。


さて、僕の関心としては、「なぜそこまでしてゲームに注力して、強くなりたいのか?」というところです。

チーム“感”。
そこへの貢献“感”。
それと、ゲームで勝つことで得られる優越“感”。


「俺、学校では、運動も下手な方だし、勉強も出来んやん?ゲームも下手なんよね、正直。アイテムな無いと全然勝てないんよ。でも課金アイテムあったらゲームで勝てて、同じクラン(チームのことらしいです)の人たちから『サンキュー』とか『ナイス』って言われるし、『かっこいい』って言われるとうれしいんよね」

だそうです。

現実の日常生活の中での、劣等感や孤立感が、「お金さえ掛ければなんとかなるかも」というゲームに向かわせるのでしょう。


個人的には、とても悲しいし、そうでないところへ向かって欲しいと願っています。

でも、その彼の感じていることと話してくれたことを否定しても、何にもなりいません。

なので、あの手この手を尽くして、彼がゲームで得て満たそうとしている“感じ”を、一緒の時間に味わえるようにしていく工夫を講じていきます。

ぐるんぱの学習支援は、こういうことも含んでいます。

2020年10月13日火曜日

“うっかり”を演じながら

小学校3年生の男の子とのプール。

彼は、“忘れもの”が目立つ子です。
何か一つ取り組むと、何かを忘れてしまうことが多いです。

更衣の場面でも、途中で一緒になった方から挨拶をされると、荷物の片付け忘れや、靴下の脱ぎ忘れみたいなことが生じます。

プールでも、泳ぎ方の確認をするとゴーグルをかけ忘れて泳ぎ始めて「うわぁ、忘れてた」ということが、ままあります。


そこで、“うっかり”を緩やかにするために、僕が“うっかり”を演じてみています。
彼が忘れがちなことを僕が演じます。
それを彼が笑いながら指摘してきます。
彼自身が「先生、靴下!」「先生、タオル忘れてる」みたいに口に出します。
そして僕は「あぁ、うっかりしてた。一つずつ確認しないとね」と自分に言い聞かせるふりをして彼にメッセージを送ります。

これをしていくと、自分の忘れがちなことを、僕への指摘を通して確認できるので、そのことを忘れなくなってきました。
少しずつ振り返りをするようになってきました。


ずっとプールがお休みだったのですが、プールを再開してまた、こういうやり取りが戻ってきました。
笑いながら、楽しみながら。

プールだけど、泳ぐこと以外にもたくさん狙いを持ってやり取りは可能なんですよね。


2020年10月10日土曜日

人を感じることが出来れば、意欲が沸いてくるもの

学校の授業になかなか参加できていない、という中学男子。

一緒に学習の時間を過ごしていても、しばらくは着席できず周囲をぐるぐると歩き回っています。
声をかけずにいると、直に少し離れたところに一人で腰を掛けてしまうこともあります。

ですが、それは「声をかけずにいると」という場合です。

「学習とかせんでも良いから、こっちに来て、もう少し近くで一緒にすごそうよ」と声をかけると、直にこちらに来ます。

それから僕はしばらくは、積極的な関わりは意識的に減らします。

「傍で過ごす」ということに応じてくれたので、この先は少し彼に舵取りを委ねて、「彼がどう過ごしたいのか」を見極めます。

すると、彼は話をし出します。
自分の好きな話を取り留めもなく。
僕はその話を興味深く聞き、相槌を打つのみ。

彼の表情がイキイキしてきます。
一人でウロウロとしているときには無表情だったのが、です。

彼の話は興味深いですが、マニアックすぎて僕には少し…というかメチャクチャ難しいです。
それでトンチンカンな質問や初歩的な質問をしたり、曖昧な相槌をしてしまう僕に気遣ってかみ砕いて話をし直してくれたりします。

相手が同じレベルで会話が出来るとか、理解を示してくれるとか、彼にはそういうのは重要ではなくて、彼自身を受け入れる姿勢を示してくれることが、彼には重要なのでしょうね。


彼は、そうやってある程度(かなり)喋って、満足感を得ると、促さずとも持参した学習道具を開いて、学習をし出します。
そして、分からないところは自分で調べて取り組みもします。
それでも分からなかったり、更に興味を持ったりすると、僕に尋ねてきます。

学校では登校しても、もう何ヶ月もほとんど学習が出来ていない、教室にいてもほとんど席に着かず教室の片隅に作られた“休憩スペース(という名の一人になる部屋で、僕はそれが彼を孤立させるものになっているように見える)”でほとんど横になって過ごしていると言う話です。

でも、こうやって僕との週に2時間の学習では、確実にワークを2ページ取り組めています。
短時間、ということはあるかもしれません。
でも、遅刻して早退してくることも少なくない彼。
その短い時間でも学校では出来ていないということを考えると、出来ない理由があるはずなんです。
あるいはしたくない理由が。


僕が、していることと言えば、ただ彼のお喋りに耳を傾けること。
それで学習機会が作れるのです。
「やらせる」ではなく、「一緒に過ごす」先に彼が学びを得ていきます。

2020年10月9日金曜日

告知はしつこいくらいで良い

「こんなに告知やら宣伝をして迷惑かな?」で、お知らせを止める人は、「そうまでして成功させなくても良い」という裏返しの表れ。

「成功させたい」と思うなら、ルールが許す範囲で、あの手この手していけば良い。

実施して、上手くいくかいかないか、というのは、また別の企画力の問題。
上手くいかなかったなら、それは練り直し!
練り直せば良いだけ。

でもその前に、周知してもらわないことには、そもそも企画が無いのと一緒。

デイ・ワークセンターこみこみ、利用者募集中です。

いよいよ来月開所の見込みとなった「デイ・ワークセンターこみこみ」。

就労継続支援B型と自立訓練の多機能型です。
どちらも利用者をまだまだ募集中です。

B型の方は、ラーメン店の店舗運営、というのが一番の特色ですが、ラーメン店の運営と一言で言っても「仕込み」「調理」「接客」「清掃」「帳票作成」など作業内容は幅広くあります。
利用者の希望はもちろん、機能面などを職員で見立てながら、お仕事をお願いしていきます。
機能の評価を得意とする理学療法士と、僕自身が培ってきた経験とを合わせながら環境設定を丁寧に行い、気持ちよく仕事をしていける環境を整えていきます。
他にも、当事業所の名前の由来にもなっている「コミュニティ」も大切に、地域とのつながりも創出していき、開けた事業運営を目指します。
知的障害、発達障がい、精神疾患(鬱、アルコール依存症なども可)などのために、一般就労が困難という方が対象となります。


もう一つの、自立訓練は、対象が少し異なります。
一般就労を含めて就労に向けた訓練や、安定した日常生活を目指す人が対象となります。
例えば、ケガや病気で長期入院していた方の日常生活、社会復帰のためのステップとして利用いただけます。
事業所内には運動器具も入れていきますし、周辺は散歩などにも適した環境ですので機能訓練も行っていく予定です。
また、就労という次のステップを見据えたときには、ワークライフバランスを取っていくことが、とても大切だと考えています。
そのために、余暇活動の開拓などのお手伝いもしていきます。
就労などは、短期的な話ではないので、息抜きを上手にしていきながら、「その人らしく」働き続けられることが必要ですから。

また、どちらの事業も、必要に応じてパソコン教室やビジネスマナーの勉強会や相談会なども開催しながら、豊かな日常に向かえるサポートをしていきます。

人間、生涯発達ですから♪


10月19日以降は、見学もして頂きやすくなります。

利用も見学も、お問い合わせは相談お気軽にどうぞ。

これからの学びを考える機会として

 昨夜はZOOMで「個別最適な学び勉強会」という学びの機会を頂きました。

感じたことや考えたことを記録代わりに残しておきまduす。

一晩寝かして、少しまとまってきました。


・「集団」の在り方。

日本はまだまだ「作業」「活動」に注目して、「集団への所属感の有無を図る」傾向や風土が根強い気がします。

もう少し“いる”ということに注目しても良いのではないか?という感じが改めてしました。

英語を使うと例えやすいかも。

「doing」よりも「being」。

動きというよりも存在感。

そういうことを大切にして、人同士のつながりを感じながら「過ごす」。

その先に「その子が主体的に」学ぶ機会が創出できるのではないかな?


・教育者あるいは支援者も「集団の一員」

途中でとある映像を見て、そこには大人と子どもが「一緒」に過ごす様子が。

もちろん大人が、一定のリーダーシップを取りつつではあると思いますが、「子どもたち“に”」何かを「させている」のではなく、「子どもたち“と”」何かを通して「過ごしている」というように僕には見えました。

お互いに気づきを得ていく、というイメージかもしれません。


・どれだけ「視点」を持てるか?

主語をどれだけ増やせるか?ということを考えています。

「この子」「あの子」「私」「活動」「時間」…主語を変えていくイメージで、とにかく「視点」を多く持ち、習慣とか前例とかにとらわれず、多様な「考え方」をして、大人は場にいることが大切だと思いました。

だまし絵を眺めるようにして、他に何が見えるかな?みたいなスタンスで、場づくりを心掛けることが必要かと。


・何よりもまずは「楽しい」が必要。

好きこそものの上手なれ。

そもそも学びや学習といったものは何のためにあるのか?

僕個人は「人生を豊かにしていく為」にするものだと考えています。

その「人生の豊かさ」というのはそれこそ多様で、その人自身が選択していくもの。

ただいきなり「あなたはどうしますか?」ということを丸投げしても、迷うばかりだから、初めは「こんな選択肢もあるよ」という提案をして、その先に「こういうのもあるかも」と、その人自身が知っていけるようになれば良いのかも、と思います。

そういう気づきに必要なのが「楽しい」。

その子が自分の人生をワクワクしながら想像していけるくらい「楽しい」学びの機会を。

例え重度の障がいを持っていても、個々の生活や人生を満足感の得られるものにしていく為に健全な「楽しさ」を学習機会に演出していくようなことが必要かもしれません。


学習や学びの根本を忘れずにしていく必要がありそうです。


もっと時間を掛けて、いろいろなものと照らし合わせながら、消化していきたいと思います。

取り急ぎ、記録として書いておきました。

2020年10月6日火曜日

“何をするか?”ではなく“どう考えるか?”

プールでも学習でも、もちろんそれ以外のことでもそうですが、活動自体について何をするか?と考えること自体も大切かも知れませんが、それ以上に「活動を通して見える姿から、どう考えるか?」が支援者としては大切なように思います。

例えばぐるんぱのプール活動では、1時間の中でどのようにしてレッスン自体を展開するか?というある程度の定型を用意しています。
(もちろん、それを子ども毎、その日毎に少しずつアレンジはします)
似た内容(例えば泳ぐプログラムとしては同じことをする)でも、その活動から見えるもの、その活動を通して狙うことは違います。

同じことをしていても狙いが違う、そうすると支援としては全く違うまなざしを持ちながら子どもたちと関わっていき、時間を過ごすことになります。

分かりやすく言うなら、「ダイエット目的で泳ぐ」と「好きな趣味で泳ぐ」とでは、同じ「泳ぐ」という活動を通しつつも狙いが違うわけです。
そうすると負荷の掛け方だって、変わってくることは分かりますよね?

支援でも、同じ活動をしていても支援者がどう見て何を狙うかということさえハッキリしていれば、集団の中で多様な支援を展開することが可能になります。
「この子にはここを」「この子はここを」と気に掛けるところを変えることで、必要な配慮が行き届き、みんなで過ごすことが可能になるはずです。

そのためには、やはり支援者がさりげないエスコートで、子どもたち青年たちを中心にしながら場を作っていくことが大切なように思います。

2020年10月3日土曜日

「プールたのしい」「プールたのしい」

 先日の記事にも記載した通り、今月から少しずつプール活動を再開していきます。

ようやくレッスンを行えるくらいまでに規制が緩みました。

まだ、他のサークルや教室との兼ね合いで、お休みいただく時間があるものの、保護者の皆さんにご連絡したところ、「楽しみです」「嬉しいです」「待っていました」とお返事を頂けることはとても励みになります。

そんな中、昨日、再開一発目のレッスンを実施しました。


中学生のEちゃん。

お母さんと共にプールに現れた彼女は、とても足軽で、一目で「嬉しそう」というのが分かりました。

いざプールに入ったら、とても落ち着いた様子で、今までやっていたことを一切忘れずに、まるで先週もプールをしたかのように、しなやかに過ごしていました。

バタ足、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール、バタフライ…

これらを組み合わせながら、45分くらいの入水時間の間に700メートルも泳いで帰りました。

レッスンを終えて、ロビーで合流すると、彼女はロビーで跳ねながら、お母さんの顔を覗き込むようにして、お話していました。

何を言っているのかな?と思って近づくと「プールたのしい」「プールたのしい」と繰り返し口にしていました。


もう、この姿は感動しました。

本当に再開できてよかったです。


お母さんも彼女の様子を見て、うっすら目に涙を浮かべていました。

僕にとっても長い長い数か月でしたが、きっと彼女にとっても長い長い数か月だったのでしょうね。

本当にお待たせしました。

また楽しみながらお付き合いしていきましょう。

余暇をひろげて、深めていきましょうね。

2020年9月25日金曜日

プール再開します

ずーっとお休みをしていたぐるんぱのプール活動。

プール施設の制限も緩和されてきて、ようやく一部再開。
まだ施設の制限や混雑具合、他のサークル活動との兼ね合いで、まだ出来ない時間帯もあります。

それでも、再開していく旨を保護者に連絡をしていったら、皆さん本当に喜んでくださいました。

正直な話、僕の収入にも直結する話なので、プールを打ち切って他の事業、ということも悩んでいました。

でも、周りの理解や協力や我慢などを頂きながら、ようやく漕ぎ着けました。

さ、久しぶりの子どもたちとの再開、楽しみます!
そして、噛みしめます!

2020年9月17日木曜日

(もったいない)を脇に置いて

小学校低学年の男の子と一緒に、福津市のなまずの郷公園に行ってきました。

鯉のエサを買って、一緒に餌やりをしました。
僕らの他にもう一組親子がいて、同じように餌やりをしていました。

その親子を見ていると餌やりの前にお約束事を決めていました。

お母さん「一回しかエサを買わないからゆっくりあげなさいね」
子ども「はーい」

と。
多分、僕も場合によってはそういうお約束をすると思います。


で、今日の僕らは、と言うと(もったいない)を脇に置いて、彼の好きなようにさせました。

するとバラバラバラバラ~…
と一気に(笑)

100円で買ったエサを一瞬でやり終えました(^^;
正直、思ったよりもずっと思いきりが良かったので…(あ、もっとゆっくり楽しもうぜ)と思わないでもなかっですが(-_-)
本人は満足そうな表情。

大盤振る舞いした池には、大量に鯉が群がっていました!

これはこれで面白い光景でした。

だけどそれで終わりませんでした。

教え子「あ、これ写真に撮る!」と言い出しました。
彼はバッグからカメラを出して…と、構えている間に餌はなくなり、鯉はまた静かさを取り戻して…まぁ、そりゃそうですよね(^^;

永田「よし、そしたらもう一つ買うか。で、僕が撒くから写真に撮りぃ」と提案。

彼がカメラを構えるのを待って、エサを少しずつ…

教え子「もっと一気にしてみて!」と

(マジですか、また一瞬ですな(-_-))

永田「よし、了解!ほれぇ!」


バシャバシャ!!!

教え子「うぉーー、これこれ!よし撮れた!」

とても満足そうな顔をしていました。
そして、帰りに歩きながら、ボソッと「ありがとう」と口にしてくれました。

こちらこそ、そんな嬉しそうな顔を見せてくれてありがとう!だぜ!


とっても良い時間でした。

2020年9月16日水曜日

 学習サポート中における心理的配慮

学習サポートをしていく上で、特性に合わせて教材を提供することはもちろん大切ですが、ぐるんぱの学習サポートの場合、学校外の、インフォーマルなサービスですから、そもそも一緒に学習をする子どもたちが「自信をなくしている」「悲しい体験を繰り返してきている」ということも少なくありません。

なので、彼らの心理面をサポートしていくことがとても大切だと日々感じています。
どんなことを意識的に取り組んでいるのかご紹介します。

1.大人は欲を出さない。

「お、良い感じ!」という手応えを感じるとついつい「もう少しだけ」と欲を出していまいがちですが、それはハッキリ言って邪魔です。
「お、良い感じ」で結構じゃありませんか。
誰のための学習か?ということです。
大人側が成果や満足感を得るための学習機会なんて不要です。


2.話を聞く。

子どもたちの話にはしっかりと向き合います。
これだけで学習サポートは成立し得ます。
だってそもそも「自信をなくしている」とか「悲しい体験を繰り返してきている」とかがあるわけですから。
そういう心のコリを解して、背負っている荷物を少しでも下ろす手伝いをすれば、元々持っていたであろう「なりたい自分」に向かうエネルギーが湧いてくるかも知れません。


3.言葉を掛けすぎない。

子どもと関わる大人の多くが「伝えたい」「教えたい」みたいな思いって、あると思います。
それを言葉にして全て伝えようとするのは、無粋です。
目の前の子どもは、そんなにも鈍感ですか?
まるで「まだ伝わっていない」と思っているかのように、言葉を掛けまくる大人がいます。
信じましょう(笑)
それに教えるというより、子ども自身が考える時間を奪わないことが大切だとも思います。


4.楽な姿勢を許容する。

のびのび、これが学習でも大切です。
学校で全てを許容するのは難しいかも知れませんが、放課後の学習でしたらいいじゃありませんか、多少ウロウロしたって、寝そべったって、膝を立てていたって。
それで、その子自身が取り組めるであれば。
そこで大人側の価値観で「行儀良く」みたいにすると、学習とは違うところで問答する羽目になって、「学習“も”コミュニケーション“も”上手くいかない」という結果になりかねません。
姿勢については、その子の感覚や筋力、いろんな要素が影響してきますから、無理強いしようとしても上手くいきません。
子どもによっては「一緒にやろうよ」→「いやだよ」→「そんなこと言わないでさ」と誘いながら取り組むことがあります。
その時にも、今言った、その子の感覚や筋力というものをある程度頭に入れて「これなら出来るよ」とか「これならできるかも」というところに気づいてもらうことを心掛けます。
それまで「出来ない」を積み重ねてきた子どもなら、それでも「気づき」となっていくこともあります。

そもそも子どもたちは、自分の好きなことだと自分の好きな姿勢で、黙々と学びを重ねていくものです。
よくよく見ると大人の求める定型でないにしろ、みんな学びを重ねています。

2020年9月11日金曜日

少しずつ、でも大きな変化。

Eちゃんとの学習で描いたイラスト。
「服をきる」ということを表すために描いたものです。

色を塗ったのは彼女です。

この色使いに僕は彼女の大きな変化を感じました。

彼女はこれまで、こういう絵を提示した場合に着る前と後では洋服の色が変わっていました。
それが今日は、前後で一致した色を塗りました。
これは初めてのことです。

僕の拙いイラストを状況の変化として捉えて、同じ服を身につけたことを言葉以外の色塗りでも表現したのではないかな?と思うのです。

言葉の意味を文字とか音とかではなく、もっと深いところで理解が出来るようになってきた変化ではないか?と僕は学習している間には感じました。

(もう少し時間をおきながら前後の様子も振り返ってより確かなものにしていきたいと思いますが。)

でも、一緒にいる間に感じたのはそういう類いのものでした。

話したい、伝えたい、受け止めたい…つながりたい

小学校6年生の女の子Eちゃんとの学習サポート。
言葉が少ない彼女とは、お絵かきと塗り絵を交えながら、「~する」という表現を一緒に考えています。

僕が絵を描き、彼女が色を塗り、それが何をしているのか?ということを考え、言葉にして、声に出して、文字に書き出していきます。

彼女と過ごす時間は、毎回とても穏やかな時間が流れます。


僕との時間は一週間に一時間ですが、彼女の時間は当然それ以外にもたくさんあるわけで…時には、到着したときにシクシクしていることもありますし、どこかイライラしていることもあります。

それでも一緒に過ごしている間に穏やかさを取り戻していくのが大体です。


彼女と過ごしていて思うのは、「やらせよう」と思っても身になるものはほとんどないよな、ということ。

彼女が「~したい」と思えるようなコミュニケーションや仕掛けを用意していき、彼女自身が言葉を介して他者とつながりたいと感じられるような時間にすることを心がけています。


彼女に限った話ではありません。

子どもが言葉を覚えていくとき、そこには身近な人とつながって、もっともっとコミュニケーションを豊かにしたいという願いがあるからのはずです。

あるいは言葉が必要と感じることもあるかもしれません。
必要で、「なんとか伝えたい」と思うから、生まれ出るものだとも思います。


「これをしなさい」「こうしなさい」「こうですよ」という詰め込むようなものはこの手の学習には無意味です。
試験のためではないのです。
彼女の人生を豊かにするためです。

彼女が楽しみながら、じっくりと一緒に考えていくことが大切だと思うのです。


心穏やかなときほど、彼女は言葉がスムーズに出てきます。
こちらの意図も伝わりやすくもなります。

これは子どもたちと関わっていく基本かな、と。


仕事でもそれ以外でも。

2020年9月9日水曜日

アピールしなきゃ知って貰えない!という当たり前の事。

僕の場合は、このブログなんかは特に「ぐるんぱのことを知って欲しいから」です。

フェイスブックは、仕事を含めて「僕個人の人柄を知って欲しいから」です。

Twitterは、「フェイスブックとは違う人と繋がりを得たり、考え方を仕入れるため」です。 

こういうのを総合して個人としては仕事を獲得してきました。


ただただ発信しているように見えることもあるかもしれませんが、僕なりの基準をもって使い分けをしています。

趣味とか楽しみだけでこれらを使うなら、垂れ流し状態でも良いのかもしれません。

でも、個人で仕事をしていくという場合は、それでは伝わりません。

「結局お宅は、俺に何をしてくれるの?」ってことになるわけです。

個人で仕事をしていこうと思うなら、そのくらいのことはしていかないといけないと思います。
個人的には。

「なんだか恥ずかしいな~…」という人は、個人では仕事が出来ないです。
そしたら会社員をするしかない、という簡単な話。

会社員なら、会社の担当部署が、あなたに代わって宣伝してくれます。

そういうのも初めは全て自分でしないといけません。

ある程度、仕事をし出すと噂やら評判で人が集まるようになるかもしれません。

それでも新たなニーズを発掘し続けるためには、完全に自身での発信を止めてはいけません。
必要に応じて続けなくては、正確には伝わりませんから。

「あなたのニーズを満たせるかもしれません」という自分の存在をアピールすることが、個人で仕事をする上では最も大切な気がします。

とにかくアピールすること。
正直、独立前と同業種で独立したところで、既存の会社と同レベルの仕事が出来るか?というとそうではありません。
どんなに仕事が出来る、と言われても「会社の看板と規模」によるところは大きいはず。

一からのつもりで、謙虚に誠実にひた向きに発信と受けた仕事をこなしていくという覚悟がなくては個人事業は出来ないと思います。

2020年9月7日月曜日

「大したことなかった」は結果論。次はどうなるかはまた分からない。

 台風10号の被害、この宗像に於いては大したことありませんでした。

「なんだ大したことなかったじゃん」

というように考えている人もいるようです。

でも、それって「今回“は”」なんです。

「今回“も”」大したことなかったのですが、次回は分からないという事を忘れてはいけません。

対策も用心もするに越したことないのです。

あなた自身が何ともなくとも、周囲に危険を及ばせないためにも対策と用心は必要です。

まだまだ台風のシーズンは始まったばかりですし、毎年来るものです。

そもそも日本は地震大国。

加えて近年は、台風や豪雨、暴風などの災害級の天候と気象です。

それらが重なることだってあり得るのです。


「何事もなかったのは今回まで」という心づもりでいないといけません。

神経質に、身動き取れないほどに自身を縛る必要もありませんが、忘れてはいけません。


取り越し苦労、結構ではありませんか。

台風や豪雨…こういう時に必ず「自分だけは大丈夫」と思って安易に様子を見に行く人もいますが、それも「今までは」だという事を忘れてはいけません。

そういう行動で犠牲になる人が少なからずいます。

安易な気持ちで危険を冒すと、周囲も危険にさらします。

訓練をしている消防関係者であったって人間です。

万が一の時に備えて働いている方たちをも危険にさらすのです。


一人一人が自覚と責任ある行動をとることが防災の基本だという事を、この台風が去った今だからこそ今一度考えて見て下さい。

2020年9月5日土曜日

台風10号。未曾有の規模の台風に用心しすぎると言うことはない。

今日までは仕事をしますが、明日と完全に仕事を外します。
どのくらいの規模なのか想像が及ばない感じで、不安ばかり募っています。

ただ、不安を募らせても対策として実務的な作業を積み重ねないといけません。

朝から、買い出しと、庭の片付け、貯水の準備…バタバタとしていました。

近所のスーパーからは、ミネラルウォーターやガスボンベ、パンなどが姿を消しています。
加えて、トイレットペーパーなどを買い込んでいる人の姿も目立ちます。
さすがにこれだけの警戒情報が流れると、数日分の蓄えをする人が増えますね。

それからスーパーで段ボールを持ち帰る人の姿もちらほら。
窓ガラスの強化でしょうか?
我が家はシャッターを閉めて、シャッターのないものにはテープを貼るということを行います。

それから冷凍庫の整理も少しずつ行っています。
万が一停電になってしまったら、冷凍庫の中が溶けて大変ですからね。

そんなこんなしていたら時間もあっという間で、天気予報に目を向けるとゆっくりと着実にこちらへ向かってきています。

どこまで用心すれば良いか分かりませんが、用心のしすぎと言うことはありません。
どうぞみなさん、ご無事にお過ごしください。




2020年9月4日金曜日

驚きがあっても拒否だけで終わらせない。

先の記事で相手に拒否感だけぶつけても勿体ない、という記事を書きました。

言葉が多くなって見えにくくなってしまったかも知れません。

簡潔に言います。

「相手の信じてきたものを否定した先に、自分の信じるものを押し通す」それでできあがるものの品位というのは底が知れているという気がするのです。

閉鎖的で内向的で、他者を受け入れない文化。
そうなるのは自明の理です。

そうしないために、頭と心を柔らかくしていきたいものです。



あるいは相手のことがどうしても理解できないこともあるかも知れません。

そういうときには「なんでこんな考え方をこの人はするのだろう?」と考えることからです。
興味を持つことです。

興味を持つこと、それって大げさに言うなら、相手に愛を示すことです。


愛という言葉を乱用するとチープに聞こえるかも知れませんが、愛のある場を実現しようと思ったら、愛を示していく、興味を持っていくことしかないと思うのです。
その積み重ねです。

時間がかかっても、非効率だと言われても、僕はこういうことを実践していく実践者でありたいと思います。

相手に寛容さと興味を持たなくては、その先にできあがるのは閉鎖的なものでしかないでしょう?という話。

こういう仕事の仕方と業種の中に身を置いていると、いろいろな価値観を持っている人と出会います。

「子育て観」「教育観」「子ども観」「社会観」…

福祉と教育では取る立場と専門性が違います。
医療と福祉も、福祉と保育も…どれもこれも微妙に違います。

その上、「ここからここまで」っていうような線引きが学問と違って、現場にはなくて、狭間のような位置に身を置いている人もいます。
一人一人の価値観でその場で判断をして動くと言うこともあるかも知れません。

僕なんかはまさにそんなイメージかも知れません。
基本的には今ぐるんぱは一人でやっていますし、対象にする子どもも多様ですし、福祉の立場を基本的には取りながら“学習サポート”を提供したり、余暇活動の一環としてプール活動を提供していたりします。
隙間を縫うイメージですので。


“活動”とするか“仕事”とするかでもスタンスは変わるでしょう。

もちろん仕事以外でもプライベートな生育歴や自身の子育て、そういうものでも価値観は変わってくるでしょう。

一人として全く同じ価値観を持っている人はいないと言うことです。

活動や事業に「共感する」ということを言ってくださる方は、僕の周りにもたくさんいます。
それでも“全て”ではないはずなのです。

共感してくださる方であっても、僕の取る行動の中で、(今のはどうなの?)と思う場面はあるかも知れません。
逆も然りです。

僕が共感する人の行動でも、その人の全てを盲信的に観ることはありません。
「いいなぁ」と「そうかな…?」と思うことがあるわけです。


価値観が重なるところは良いのです。
問題は「そうかなぁ?」となったときです。

そのときに「信じられない!」という拒否感だけで相手を批判しても勿体ない訳です。
(僕だって「信じられない!」と思われることがあるだろうし、誰かの話や行動を観て「信じられない」と思うことはあるにはあります)

驚きつつも「ほぉ、そういう考え方もあるのか」「あなたはそういう学びをしてきた人なのね」と言う具合に、驚きの後には相手に寛容さを示すことが必要なのだと、個人的には思います。

もちろん、議論は起こって良いと思います。
そこで相手をコテンパンにするのではなく、相手の意図するところの本質を探るような配慮をしていかなくては、相互理解は深まりません。

相手の価値観や学び、専門性、立場を否定するだけでは、差別と変わりません。
多様性だとか個性だとか、そういう言葉を大切にするってそういうことからなのではないかな?

相手に寛容さを示しながら自分の歩みを進めていかなくては、結局その先に出来るものは閉鎖的なものでしかないと思うのです。

2020年9月3日木曜日

本当に言いたいことは…?

中学生の男の子。
先月から久々に学習を一緒に再開した子です。

今日はお父さん向けの愚痴が止まりませんでした^^;

「ゲームをしたい」本人。
「ゲームを少し控えさせたい」父。
そのすれ違いに対する「なんでなん!?」

このよくある構図でけんかをしているようですw

…と、これが話題の表面に見える訴えです。

ですが、話を掘り下げていくと別のものが見えてきます。

お母さんの存在、です。

どちらもお母さんが好きなんです♪
お母さんを自分のそばに、というのをお互い持っているように僕には聞こえました。

「我が子に関わる姿を見せて妻の気を引きたい」父。
「そもそも大好きなお母さんと結婚していることが信じられない」子どもw

子どもの話を聞く限り、そんな姿が目に浮かんで仕方がありません。

そりが合わない、と言いつつ、素敵な家族なんだろうな、という感じがしています♪

2020年9月1日火曜日

“一通り”“ある程度”って大変なんだよ、この野郎!的な話

いろんな子どもたちと学習をしていて思うのと、自分が子どもの頃を振り返っても思うのだけれど…

高校くらいになると進路選択の兼ね合いで「文系」とか「理系」とかで分かれるけど…

その前の小学校くらいから既に「文系」「理系」の得意不得意はあるよね、と。

小中学校が大変なのは、“一通り”“ある程度”っていうことを求められるからだな、と。

可能性を広げたり、気づいたりするためには、この“一通り”が必要なのかもしれないけど…

大人になって、専門的に好きなことを学んだり、仕事のことを深めていったりする勉強の方が、子ども時代の“学習”よりも楽なんだ、多分。

子どもの“学習”に伴走するときに、それは忘れちゃいけないな、と最近よく思う。


ちょっとした息子の言葉を拾う

4歳の息子。
恐竜、虫、花、石、天体…博物学に夢中になるお年頃ですよね。

ちょっと前に恐竜図鑑をせがまれて買いました。
その付録でDVDが付いてきました。

もう何度か見ているのですが、これまで「恐竜のDVDが観たい」といってDVDの再生を要求してきていた息子が、ここのところ「恐竜のことを知りたい」と表現するようになってきました。

多分彼の中で「見方」が変わったのだと思います。

こういう変化も気をつけて見てあげたい。

完全に職業病w


僕が生きているのは「生きるべき」ではなく「生きたい」から

自分でこうして仕事をするようになってまもなく5年になります。

一時期は僕もToDoリストを作って仕事をしていましたが、最近はそういう作業を止めました。

リストまでは作っていませんが、「すべきこと」ではなく「したいこと」にフォーカスして、自分の行動を選択するようにしています。

というのも「すべき」とは言うものの、“本当に”「すべきこと」の少なさに気がついたからです。
僕が“本当に”「すべきこと」は「したいことをする」なのだと気がつきました。

「したいこと」に向かうときの方が、「すべきこと」と“思っていた”ものに追われている時よりもずっとエネルギッシュで、パワフルにスムーズにものごとに取り組めます。

そして、そもそも、その“思っていた”ものに時間と労力を割いていくと、死ぬときに後悔しそうでw

やりたい仕事、会いたい人、一緒にいたい人、食べたいもの、行きたいところ…そういうものを頭に置いて、何をするのか選択をすると、自分がとってもエネルギッシュにいられます。

僕はいろんな人から「タフだよね」といわれます。
(口内炎が出来たり、ちょっと肩が痛かったり、ギックリ腰をしたり…ちょいちょいあるから家族は「また?」と思っているかもしれませんw)

でも、そういうことがありつつ、ほとんど自分の歩みは止めません。

だって「したいこと」があるから。

休むのも「休みたい」時です。

そういう風に生きているから、「タフ」だと思われるような生活が出来ているのだと思います。

なので胸を張って言えます。

「僕はいつ死んでも後悔しない生き方をしています」
と。

生きることも「生きるべき」ではなく「生きたい」からです。


2020年8月29日土曜日

職業支援者だからこそ取りやすい手立て

中学生の男の子。

学校生活が上手くいっておらず、学習機会がどんどん減っていると言うことで、保護者が心配しているケースです。
実際、遅刻や早退、欠席が増えており、学校に行っても離席が多くなっていて授業を受ける、という感じではなくなっているようです。

本人が「やりたいけれどやれない」ということを口にしていたこともあり、一時期は「それならゆっくりで良いから一緒にやろうよ。0か100というものが求められるようなものではないんだから、10でも1でもやって帰れば良いじゃないか」という声かけをしていた時期もありますが、なんだかしっくりきませんでした。

そこで思い切って路線変更しました。

僕との学習でも離席をしようがお喋りしようが「勉強しよう」という類いの言葉は使わないようにしました。

離席したら、それを僕はひたすら目で追い(彼は離席すると身体を揺らしながら近くを歩き回ります)、彼がこちらを見たときには、うっすら口元で笑みを作り“見ているよ”のサインを送ります。

また、彼のお喋りはとてもマニアックで、僕もなかなか理解できないような話題が含まれていることもしょっちゅうです。
(プラモデル、戦闘機、列車、船、ネットで見つけたある地方のローカル番組にハマっていてそれについてのこと…などなど)

そういう話題についていけずとも、ただただ聞き手に徹します。
突然話し始めるから、何の話題なのか掴むのに時間がかかることもあります。
そうやって分からなくとも、「うんうん」「そうなんだね」と相槌を打ち続けます(内心は、??何の話?と僕はパニックに近いんですがw)。


こういうことを2ヶ月半、続けてきています。
彼は週に2回は僕と過ごすので、もう、かれこれ20回くらいはそのようにして過ごしているかも知れません。

結局支援として何もしていないのでは?という疑問や焦りがないわけではありませんでしたが、彼が安心したり満足したりすることを目指して、時間を使ってきました。

それが少しずつ成果として現れてきているのかも知れません。

ここ2~3回、途中で離席をすることはあるものの、学習量は増えてきました。

いつも設定時間の数分前に到着する彼に、この2ヶ月半は「今○時だよ」と設定時間になったことだけは告げてきていました。
最初は声をかけても、聞こえているのかいないのか分からなくなるほど、反応が薄く、時間の間ズルズルしてしまうこともありました。

でも、少しずつ少しずつ、そのズルズルが短くなってきて、今日は60分の間に、45分は着席してワークの問題を解いたり、教科書を黙読したりしていました。
45分と言ったら、学校の授業1コマとほとんど変わらないほどです。

もしかしたら、まだ学校のようにチャイムでハッキリと区切られたようなリズムには乗りにくいかも知れませんが「これだけの時間、学習に取り組める」ということの証明にはなります。

その事実を彼自身に言葉にして返して、自分自身に対するイメージを変えていくことが当面のこちらのすべきことかな、と思っているところです。

彼が自分を好きになれるようにする、これがこちらの狙い。

ついつい“目に見える(見えやすい)何か”を手立てとして講じたくなるものですが、これをしたり出来たりするのは、職業支援者だからだと思います。
家族でしにくいことこそ職業支援者が手立てにしていきたいものです。

2020年8月28日金曜日

動作の要素を見ていく癖をつける

例えば授業の板書をノートに写すと言うことを取ってみても、「見る」「覚える」「書く」ということが必要です。

黒板を見る
書いてあることを覚える
ノートを見る(ノート全体、運筆の前後の軌道)
ノートに書く

という具合に作業はいくつもあります。

加えて、

着席しておく
姿勢を保持する

ということも必要だったりします。
(僕個人はさほど気にしないので、机に突っ伏すような姿勢でも許容することもあります。)


同じ、板書をノートに写すということが苦手でも、どの段階で躓きがあるのか?で当然アプローチの仕方は変わります。

運筆が苦手でスピードが追いつかず、ノートが書けない子に「ちゃんと見て書く」と言っても、その子は見ていて、書くものは分かっているけれどスピードが多い付いていないわけですから、アドバイスとしては的外れなわけです。

極端な例を挙げましたが、このことを見るのはとても大切だと思います。
それが見えると、“学習”の取り組み方も変わります。

いわゆる教科学習でなくても、こういうことが見えると机上で遊びをしながら学習サポートが成立することもあります。


子どもを対象にした支援とかサポートと言われるものは、いずれ外せるものは外していく、ということを意識しておかないといけませんから、それに向けたものを提供していくことが大切です。

その子の一生に寄り添うくらいの心持ちで仕事はしていますが、彼らが成長していき、世界が広がっていく中で、どこにでもついて行くわけにも行きませんし。

2020年8月23日日曜日

しりとりを通して見える成長

一緒に学習をしている小学校高学年の男の子。
軽度の知的障害を持っている彼は、「お友達とたくさんおしゃべりしたい」という願いをよく口にしていました。
でも語彙が少なく、上手く友達に自分の伝えたいことが伝わらないという現状がありました。

そこで、学習サポートの時間の一部を使って、尻取りをしています。
それも一緒に学習を始めた3年前から、学習の度に毎回少しずつ。

毎回、紙に交互に言葉を書き合う形式を取っています。
(短期記憶の問題とか、平仮名、片仮名、漢字の表記の違いを使い分ける目的とかのため)

そんな彼、最初の頃は本当に言葉が出てこなくて、出てきても全て平仮名で書いていましたが(当時は低学年だから当然だったのですが、習った漢字とかカタカナが使いこなせていませんでした)、最近は、目を見張るような語彙力を見せてくれます。
また、表記もほぼ間違わずに書きます。
たまに耳で覚え間違った単語を書きますが、その修正も可能になりました。
これも以前は、ガンコに「こうだよ!」と怒り出すこともありましたが、「そうなんだ」と新しいことを知ることに意欲的です。

それから、彼自身の成長だから、尻取りの効果があるかは分かりませんが、「友達とね~」と彼の話の中に友達とのコミュニケーションの話題が増えてきたこともとても喜ばしいです。

単なる暇つぶしや遊びで無くて、意図を持って行うと尻取りでもいろんなことを狙ったり、成長を見つけられたりするものです。

それを通して学習サポートを展開するのが、楽しくて仕方ないのです。

2020年8月20日木曜日

「ぐるんぱに行きたい」

ちょうど1年くらい前に、2ヶ月間だけ学習サポートで関わっていた男の子。

当時は保護者の意向が強く、彼の中では「お母さんが行けって言うから」来ていた感じでした。
けれど中学校に入学して、学習が難しく(彼は小学校の時には特別支援学級に在籍し、中学校では通常級に在籍していることもあり)、本人から「ぐるんぱに行きたい」と言い出したとのことでサポートを今月から再開しました。

嬉しい限りです。

久しぶりに会った彼は、やっぱり彼のままで、なんだかホッとしました^^


いざと言う時に思い出してもらえて、彼のそばに居られるという事。

そんな彼へ学習サポートを“どう”提供するのか?
彼と“どう”過ごすのか?

丁寧に考えながらこれからの時間を共有していきたいと思います。

2020年8月18日火曜日

“流れ”に乗るようにして、これからの在り方を探る

盆休みも明けて、昨日から通常運転に戻っています。
(といっても、相変わらずぐるんぱのプール活動はお休み中なので、完全な通常運転とは言えないかも知れませんが)

これまでも考えてこなかったわけでは無いけれど、いよいよ本腰を入れて、これからのぐるんぱの在り方について考えなくてはいけないと思い、いろんなことを調べたり、人に話を聞きに行ったりすることが多くなっています。

それに付随して、いつもとは違う仕事を請け負ったり、勉強をしたりもしています。

ぐるんぱのこれまでのことを振り返って、ついついそれと比べてしまうこともありますが、これまで“流れ”に乗るようにして事業展開もだし、僕自身も生きてきました。
多分“流れ”を敏感に感じてそれに柔軟さを見せるのが僕自身の良さであるとも感じています。

なので、この数ヶ月の出来事も“流れ”と考えて、その“流れ”の先を目指すことが必要なのかも知れません。

“流れ”に乗ることは、これまでの積み重ねたものを捨てるわけでは無い、という手応えは、そこそこ感じられています。



Amazonの欲しいものリスト公開しています。
ぐるんぱの活動に必要であったり、展開していく上で欲しいと考えているものです。

2020年8月10日月曜日

「出来るようになっているでしょう?」

ご家庭の事情もあり、数週間ぶりに学習をした小学校高学年のS君。

数週間合わないと、本当に久しぶりな感じになるのでしょう。
会うなり「僕ね、もう5年生になったんだよ。お兄さんになって、計算も上手になったよ」と。

7月の上旬にはあっているから、学年が進級してからも会っているんですけれどね♪
それでも「そうなんだね。またよろしくね」と伝えました。

「なら、今日は見てて!分からないところは聞くかも知れないけれど、出来るようになっているから!」

と、持参してきた小学校から出されている夏休みの宿題である算数プリントを広げて始めました。

プリントの作りが彼には少し難しいようで、手こずる感じがありましたが、「この問題は出来るから少し待ってて」と頑張っていました。

そして時間はかかりましたが、自力で一問解けました。

「ほら、出来るようになっているでしょう?」とうれしそうに胸を張っていました。

自分で自分の成長を感じながら、数週間過ごしていたのだな、と思うと本当にこちらまでうれしくなりました。

2020年8月8日土曜日

“待つ”って“間を持つ”こと

中学生男子との学習。

“待つ”というのは、実に大変な作業です。
特に“いつまで”が見えないと辛く、歯がゆいものにもなりがちです。

ですが、“間を持つ”という風に考えると、途端にその時間が一つの手立てになります。


支援者や周囲が“待たされる”ではなく、“間を持つことをしている”という見方を出来るようになると、みんながラクになります。

なんと言えば良いのでしょうか?
「積極的に何も(見えること)はしない」みたいな(笑)?

こういう時間はたくさん子どもを観察できて面白いです。
情報をとにかくとにかく集められて。


そうして“間を持って”いくと、“その子”のことが見えてきます。

すると、支援は上手くいきます。

今日は、40分“間を持つ”ことで、彼が「自分で学習できた」という実感を持って帰らせてあげることが出来ました。

その“間”に、本当によくお喋りをしました。


教科学習を進めること≠学習支援

です。

支援者がいなくても自分の興味関心や意欲をもって、世界を広げていけるようになる、その土台を作るのが、ぐるんぱの学習支援。




療育活動の今後の展開に、こんなものを探しています。


2020年8月6日木曜日

Amazon欲しいものリスト

今、コロナのこともあり、これまでの活動とはまた違う展開も考えています。
その中で、どうしても必要な物品があります。
Amazonの欲しいものリストを利用して一覧にしてみました。

持ってるけど使わない!
ぐるんぱを応援してやる!

という方がいらっしゃれば是非。
大切に使わせていただきます。

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/DT9YT7OKFBSB?ref_=wl_share

浜辺に願いを

昨日の午前中、放課後等デイサービス えるそる むなかたのサポートの一環で、子どもたちを海へ連れて行くのに同行しました。

すると途中で、4年生の男の子が波打ち際に棒切れを使って「コロナ」と書いていました。
そして、波が寄せてきて、書いた文字が消えて…
男の子「コロナ、消えた!これで大丈夫!」

と。

子どもたちなりに、この状況に窮屈さや不安を覚えており、大人を気遣い生活をしています。

もう、なんと言うか、素直で健気で…彼の“願い”なんでしょうね。

こういう子どもたちがたくさんいます。
彼らのこういう“声”に耳を傾けるくらいのことはしてあげたいと思います。

そしてもう一人、同じく4年生の別の男の子は、水着で砂浜に寝転び、せっせと自分に砂を掛けておりました。
それも股間に(^^;

男の子「ほら~!この中でオレのチ◯コが1番大きいばい!先生のよりもでっかくなった!先生の小っさ!」

と😂(爆)

これも小柄な彼なりの“願い”なんでしょうね~。

どっちも好きなんです❤️

2020年7月31日金曜日

よっしゃー!を引き出したくて

特別支援というと「無理させない」とか「負荷をかけない」とかみたいな発想になって支援を考えていく支援者も多いですが、僕の場合は立場もあるせいか負荷を「どんな掛け方なら乗り越えられるかな?」という発想で、まずは課題設定をします。

それから、自分の見立てとのズレがあることもあるので、対象児者にとってその課題が簡単であれば、もう少し負荷をかけますし、難しいようであれば、逆算するようにして、一つずつ支援の手立てを講じて、「出来た」を体験できるようにしていくことが多いです。


今、とある高校生の学習を見ているのですが、高校から出される課題がとにかく簡単。
量的にも質的にも。

コロナでの休校以来、とにかく彼にとっても簡単な課題が続いていて、学習機会が減り、学習時間も短縮されて、そんな中で彼の本来持っていたはずの能力が損なわれていっているようにすら見える現状があります。

集中力、意欲、体力、ユーモアなど…


コロナのことがありつつも、通常授業に戻る周囲と、未だに授業短縮と登校日の削減の彼の高校。
夏休みも返上の周囲の学校と、彼の学校は通常のスケジュールで夏休みを実行する現状。

日中、一人になることも多くなり、ゲームばかりして過ごしているとのこと(兄弟は学校に行っているし、地元の同級生も学校…同じ高校の友人の元へ電車を使って遊びに行く訳にも彼の事情はいかず…)。
そのせいか、語彙もとげとげしいものが増え、言葉は減り、姿勢保持も大変そうで、心のどこかで常に焦りを抱えているような姿さえ感じさせます。


慌てる必要は無いですが、彼の持てる力を損なうような時間の使い方はしていきたくないと思っています。
コミュニケーションを十分に取りながら、笑顔も引き出しながら「あぁでもない」「こうでもない」をしながら、その先に「よっしゃー」というガッツポーズを彼が心の中で出来るような時間を提供していきたいと思っています。

2020年7月29日水曜日

鉄棒一歩ずつ

高校生のOさん。

ずっとプール活動をしてきていましたが、コロナでプール活動をお休みしたのを機に鉄棒の練習をしてきています。

最初は「つばめさん」すらままならなかった彼女ですが、ここまできました。

1つずつ、上手くいかない理由を一緒に考えて確認しながら。
めげずに毎週毎週少しずつ。

本当にすごい。

2020年7月25日土曜日

鉄棒継続中!

鉄棒の練習。
4ヶ月間、毎週一時間程度の積み重ねもここまで来ました。

初めは「つばめさん」も出来なかった彼女。
体を腕で支えて、体を丸められるまでに!
あと少しだ!

2020年7月17日金曜日

虫取少年の見ているものは?

虫取をして一緒に過ごす子がいます。
彼の視覚能力には驚かされます。

まず、虫の発見がすごい早い!

そして、動いてるものだけではなく、落ちているものでも、その能力は発揮されます。

「あ!」と言って駆けて行った先に落ちていたのは千切れた蝶の羽!(一枚目写真中央)

2枚目は木に擬態しているカメムシの仲間だそうです。
これも数ートル離れたところから見つけるから、僕は何度も「ん?どこどこ?」と確認しなくてはいけませんでした(笑)

2020年7月12日日曜日

ゼロ距離も必要だよね

今年度中学に進学した男の子との学習。
兄弟児が病弱であることとか、保護者の仕事柄とか、諸事情でお休みしていましたが、今月、数ヶ月ぶりに学習サポートを再開しました。

保護者からも「まだコロナのことは頭にあるけれど…」と前置きはありつつ、彼の近況を聞く限り“待ったなし”という感じ。

それで再開し、訪問してきたわけですが…

当日、保護者は仕事のため不在。
家には、彼と僕の2人だけでした。

家にお邪魔して荷物を置いたところで彼が「先生、握手していい?」と。

もちろん。

手を差し出して握りました。
とても力強い握手をしてきました。

また宜しくね、と伝えると「はい、宜しくお願いします!」と。
以前は敬語とか丁寧語とか使わなかったというか使えなかったという感じの彼がほんの数ヶ月で言葉遣いまで変わっているくらいですから、大変だったのでしょう。

大変だった?

「はい、めっちゃ大変でした」

そうかぁ、そんな時に来てあげられなくてごめんなぁ。

「いえ、大丈夫です。お母さんから聞いてるかもしれないけど、勉強がめっちゃ大変で…」

うん、聞いてるよ。
また一緒にやっていこうね。

そう、声をかけて頭を撫でてやると(中学生男子ですが必要かな、って感じて)、目に涙を浮かべていました。
本当に大変だったのでしょうね。

「頭を撫でてもらうのって久しぶり」
とちょっと照れ臭そうに言っていました。

そう、中学生ともなると、撫でてもらう機会はほとんどありませんよね。
親にだって、そういう甘え方はなかなか出来ないお年頃でもあります。

「もう一度握手していい?」

彼の精一杯の甘えでしょう。
もう一度ギュウッと。

それから最近の彼の困り感をヒアリングしながら、方針を決めていきました。

コロナ云々で、接触も良しとされない風潮がありますが、子どもたちにはゼロ距離のコミュニケーションが必要なんですよね。

それは年齢とかにも関係なく。
オンラインだけでは守れないものの1つでしょう。
やはりぐるんぱは、この路線。

こういう僕のこだわりが、事業主としての事業展開のスピード感を奪っているという自覚はあるのですが(笑)
性分ですな。

2020年7月4日土曜日

「がんばれ」ってどういうことなのか

中学生の男の子。

昨年度、学校生活になじめたような馴染めなかったような…学校にも行けたり行けなかったり、遅刻したり早退したり…そういうことが目立っていた子です。

休校期間中には、さすがに退屈して「学校にそろそろ行きたい。家ばっかりはつまらない」と言っていました。
一人っ子で兄弟もおらず、両親も共働きで休校期間中は、家に一人になる時間もかなり多かったようです。
それは退屈だったでしょう。
僕との学習を週2日していて、それが「喋れるから楽しい」と後半は言い出していましたから、その退屈加減は相当だったのでしょう。

休校期間が明けて、1か月。

遅刻する日や欠席する日、帰ってきてしまう日…やはり、というか今年度も学校生活は彼ペース。
彼自身も悩んでいるように見えます。
本当は行きたいのに行けない。
「情けなくなる」という言葉さえ出てきます。

先日も、朝、家を出たけれど数分で折り返してきて「行きたくない、そんな気分じゃない」と言って、その日は休んだとのことでした。
そして、それから自分で後悔しています。

この後悔があるからか、周りの大人は「だったら、気持ちが落ち着いたら行けばいいでしょう、まずはあなたのペースで良いから」という立場を取る人が多いようです。

でも彼にとっては「だったら」ということで済む問題でもないようです。
彼の中には「でも…」が強くあるのでしょう。

彼のお母さんからも、彼からもほぼ同じような話が聞かれます。
さて、僕はどういう立場を取るか…

考えた末に僕が彼に向けた言葉は「まぁ、そういうこともあるわな。僕も仕事嫌だな、って思っちゃうことあるし。気持ちか身体かがそれだけくたびれてるんやろ。良いんやない、これまでもずっと話してきてるけれど、ずっと100なんてことはないんだから。100の日も80の日も10の日もあるし。その中で“あなたの生活全体”とか“あなた自身”のバランスを取りながらでいいよ。」と伝えました。

少し彼の眼の色が変わりました。
それまで俯いていた顔が上がりました。

「でも、みんな『がんばれ』っていうよ」と不安そうに返してきました。

「まぁ、それぞれの立場とかあるし、お父さんお母さんにはやっぱり我が子への願い、みたいなものもあるしね。僕も基本的には『きついならしなくていい』という立場はとらないしね『きついならどういうやり方ならできそう?』って尋ねるやろ?それって『どうやったらバランスが取れる?』ってことなんよね」

そういう話をしました。

ここのところずっと鬱屈として、学習もとてもスローペースで、学校から出された英語の宿題プリントも2週間かけて1枚終わらせるというくらいのペースだったのですが、その日はお話の後サクサクと取り組んでいました。
もちろんお喋りも楽しみながら。

「がんばれ」が「求められていることに応える」だと彼は思っていたのかもしれません。

このケースに限らず、大人が子どもに願いを持つこと自体は悪いとは思わないけれど、それがどういう意図で、どういうことなのか、というのが伝わっているかは、たまに確認することは必要なのかもしれません。


2020年7月3日金曜日

ストレッチの効果~体温上昇~

この10日ほど、ストレッチをする時間を増やしています。
すると、身体に変化が表れ始めました。

体温が上がり始めました。
0.3度ほど上がってきました。

汗のかく量も増えて、夜の眠りも深くなったように感じます。

体調も良いです。

疲れにくい身体を作って、日常生活をより良いものにしていきたいと思います。


ストレッチのレッスン受付中です。
090-5724-0660までお尋ねください。

2020年7月2日木曜日

ベクトルが定まり始めた

今月は新しい子どもとの学習が2件スタートします。
そして長らくお休みをしていた子どもが学習で戻ってきます。

それから受験を備えた子が2名、回数を増やしたいというお申し出を頂きました。

目一杯プールのレッスンをしていた時期に比べるとまだまだ少なくはありますが、子どもたちとの時間が少しずつ増えてきました。
僕は断然この方が調子が出ます(笑)

なんだかこの数か月、頭が鈍く思い感覚がありました。

頭の働かせ方と、向かうべきことやすべきこととの間でマッチングが上手くいかず、エネルギーのベクトルが定まりませんでしたが、少しずつ、「新しい生活様式」に沿った仕事の仕方やぐるんぱの活動の在り方を見出せるようになってきた気がします。

ギアがようやくかみ合ってきた。
こういうところは不器用で、やたらと時間がかかります。

でも、子どもたちにパワーをもらいながらまた、バリンバリンにエンジンをかけていきたいと思います。

2020年7月1日水曜日

ストレッチのレッスンスタートします

発達支援をしてくる中で、特にプール活動に於いては、子どもたちや青年たちの“身体”を見てきました。
それに合わせて学びもそれなりにしてきました。

その応用でストレッチレッスンをしていきたいと思っています。
こちらは、対象を障がいや困り感の有無に関係なく、老若男女問わず提供していきます。

目指すところは“疲れにくい身体作り”です。

個別のレッスン、集団のレッスン、ご相談に応じます。

個別では、その人の生活をヒアリングして、重点箇所を中心にしつつ全身のケアを目指します。
集団のレッスンでは、参加者の様子を見つつメニューを都度組んでいきます。

気になる方は是非お問い合わせください。

2020年6月28日日曜日

9月末まではプールはお休みです。

ぐるんぱの生徒の保護者にもお伝えしたところで、こちらでも。

実は、と言うこともないのですが…

3月からずっと、ぐるんぱのプール活動を休止していました。
利用していたプール施設は6月から営業再開してはいましたが、利用制限や地域の方々との折り合い諸々の兼ね合いで、今月もお休みにしていました。
1ヶ月様子を見ましたが、来月以降もレッスンとして施設を利用することは困難と判断して、9月末までお休みにすることにしました。

楽しみにしてくれていた子どもたち、青年たちには本当に申し訳ないです。

ですが「今月は出来るかな?来月は出来るかな?」というフワフワした感じだと、僕の動きとしても制限が出てしまうという実際問題もありました。

給付金関連も受けられるものは受けてきましたが、それだけで繋ぐというのにも当然限界があるので、例年利用客の増える9月末までは、プール活動を思いきって休止にして、ニーズの高まっている学習サポートや保護者向けセミナーや相談活動を中心にしていくことにしようと思います。

そして、9月末に改めて判断をするという形を取ることにします。

最近、投稿頻度が落ちていて、心配してくださる方も現れ始めたので、ぐるんぱの近況報告として。

因みに僕個人はとても元気です。

資格試験のために勉強したり、動き回ったり…相変わらずという感じですのでご心配なく!

暑くもなってきたから、皆さんも気をつけてお過ごしください!


ということで、学習サポートやご相談などお受けいたしますので、詳しくはお尋ね下さいませ!

2020年5月16日土曜日

いつもと服装が違う、その理由は?

学習サポートで関わっている中学生。
いつもはかなり薄着の彼。
そんな彼が季節外れの厚手の洋服を着て現れました。

でも、こちらから聞くことはしませんでした。

まずは様子を見ていくことに。

動きが多い。
喋りも多い。
いつもよりもずっと。

ただ、決して悪い感ではなさそうなんです。
いつもと違うだけ。

でも、きっと何かあるはず。

休校の終わりも見えてきてドキドキし始めたとか、あるいは、それがちょっぴり憂鬱とか、雨も降っているし、なんとなく気分が違うとか…

いつもと違うということ=調子が悪い、ではないかもしれない。

だからただ静かにその様子を見て、その理由を考えて…彼と一緒にいるだけにしてみました。

2020年5月5日火曜日

子どもの日2020、AM

コロナのこともあり、今年は休みを作りやすい連休になっています。

今日、子どもの日も僕はお休みをいただきました。
昨夜、息子の晴哉が寝る前に「お父ちゃん、明日もいっぱい面白いことしようね」と声をかけてきました。
「うん、そうだね。一緒に考えて面白いこといっぱいしよう」と約束して就寝。

今朝、永田家の朝は早い。
休みであろうがほとんど変わらない生活リズム。
夜は息子は21時頃には完全就寝(本当はもっと早く寝かせてあげたいけれど^^;)、朝は6時には、だいたい家族全員が起床。

朝「お父ちゃん、昨日さ、面白いことしよう、って言ってなかったっけ?」と晴哉が起きぬけに声をかけてきました。

いつもなら「そうだね、朝ごはん食べたら一緒に考えようか」と少しこちらのエンジンがかかるのを待つところですが、今日は子どもの日。

この日は全力で息子に付き合うことを決めています。
朝イチから頭を巡らせて、面白いことを提案して付き合う事にました。
晴哉も4歳。
体力もグングンついてきて、タフになってきました。

そこで普段は近所で済ませる愛犬の散歩を、車で少し移動して、さつき松原の遊歩道を散歩することに。
晴哉大隊長率いる探検隊になりきり、木々に囲まれた遊歩道を“探検ごっこ”をしながら賑やかに散歩しました。
とても面白かったようで、ニッコニコの晴哉でした。
もう一人の息子、愛犬とわも普段歩くアスファルトとは違う落ち葉でフカフカの散歩道でご機嫌でした。
遊歩道を出て、田んぼの脇を歩いているときも“探検ごっこ”は続きます。
写真のような用水路を見て、大隊長は「この川には、黄色とオレンジの色の魚がいるとよ。見つけたらカッコいいとよ」となり切っていて、二人で釣りをする真似をしました。

帰って朝食を食べ、少し休憩した後、今度は部屋でバランスボールを使って体操をしたり、室内ジャングルジムや畳の縁を使ってプチサーキットを作って遊びました。

その後、トミカのミニカーで遊んで、庭で砂遊びをして。

さらにさらに…公園へ出かけてひとしきり遊び…

ようやく午前中が終わりました。

午後は、ズームを使って初節句を迎える甥っ子と顔を合わせる予定で、これも晴哉は楽しみにしています。

いろんなことを考えこみがちになりますが、今日だけは目いっぱい晴哉と遊んでやります!


2020年5月1日金曜日

レポート課題に取り組む新高1の子の話

今春、私立高校へ進学が決まったH君。
1年半ほど学習でお付き合いをしてきています。
この緊急事態宣言の影響で、入学も先延ばしにされています。
けれど、高校から課題プリントが送付されてきて、取り組んでいます。

教科のプリントと、レポート形式のプリントと、彼一人で取り組むにはなかなか難儀するであろう課題…(^^;

昨日はレポート形式の課題を持参して「行き詰まったら助けて」と。

レポートは「最近の気になるニュースを1つ取り上げて、そのニュースの概要と感想をまとめなさい」というもので、B5サイズのプリントに枠線があり、その中にまとめるものでした。
字数制限も無いし、途中に図を描いても良いとのことでしたから、分量としては負担になるようなものでは無いのですが、ニュースの選定と、それをまとめる作業、彼なりの感想を書くこと、これらは大変そうでした。
特性と経験の不足により分からないことが多いのです。
自信が持てないのです。
彼との付き合いでは、この自信を持てるように経験を作る手伝いをする、が僕の役割だと決めています。

さて、彼がスマホを使ってニュース記事を探し、選んだのはコロナウイルスが日光で死滅する可能性について書かれた記事でした。

書かれている内容は、理解したようです。
でも、それがどういうことか?ということは、変換が難しいようです。

「日光でコロナウイルスは死滅する」は分かる。
でも、例えば「どういうところは死滅しやすくて、どういうところは死滅しにくくて残るのか」という想像が難しいようです。

記事の要点はまとめられるけれど、そこに自分の考えを反映させるのは難しい、ということが起こっています。

まだいくつか類似の課題があり、僕と一緒に取り組む予定もあるので、自信の芽生えに繋がるような関わりを目指したいと思います。


ところで、この子のように学習サポートを休校期間中も続けることにしている子が何人かいます。
時間、換気、手洗いうがい、座る位置、マスク、お互いにそういうものに気を付けながら、僕の自宅の一室で学習を行っています。
民間なのに、この期に及んでまだ個別の支援をしているの?学習塾だって休んでいるじゃないか、という声があるのも承知しています(直にメールで1件来ましたし…)。

でも特別支援が必要な子にとって、中長期に及ぶ中断というのは、特に深刻になることがあります。

そういう意味でご家庭の意向があれば、出来る限り対応を目指したいと思っています。







2020年4月28日火曜日

何故パチンコ店も自粛する必要があるのか?清掃経験者としてパチンコ店での感染リスクをお伝えします。

パチンコ店への自粛要請も出る中(これも本当に遅かったと思います)、自粛に応じない店舗の公表に大阪府が踏み切ったのは数日前の事。

未だに営業している店舗もあり、ネットでは「パチンコは横並びだから大丈夫なんだ」という声まで残っているから驚きです。

僕は、パチンコ店での清掃をしています。
独立して収入が安定するまで、と思って始めたものですが、実はまだ在籍していて出勤する日がありました。

基本的には閉店後の清掃ですが、閉店と同時に作業開始なので、閉店ギリギリまで遊戯する客の様子を目にすることもありました。

そこで如何にパチンコ店での遊戯がコロナウイルス感染へのリスクが高いかお伝えしたいと思います。
この期に及んでまだ遊戯に行く人間がいるので、改めて整理して是非家族なんかは止めていただきたい(もう、この段になっても行く人は依存症で、その場合は、難しいとは思うのですが…)。
パチンコ店も早急に休業、という雰囲気を作る一助になれば、と。

遊戯台に隣り合って座ったときの距離はせいぜい1.5メートル。
座ったまま、互いの遊戯台を覗き合って、何やら会話できるくらいの距離しかないということを自覚してください。

・不特定多数の人が、台を共有している。
遊戯するための資金が尽きたら、当然客は帰るなり、別の台に移動するのですが、その台を店員や営業中の清掃スタッフが拭き上げる前に座っている人が多数います。
コロナの問題が出始めてから、拭く頻度を増やしたようですが、遊戯台全体を拭くのではなく、「触れている可能性の高い場所」のみを部分拭きしているだけ、のことがほとんどです。

・店内の大音量により会話は皆、声を張っている。
営業中は、店内は大音量です。
その為、客同士、店員との会話はみんな大きな声を出さないと届きません。
「マスクしてたら、口元も見えないし、声がこもるんだから外せ」というクレームまで出たというから驚きです。
こんな事態で自分の感染だけでなく、相手にもマスクを外せという人がいるという場所だと知ってください。

・インフルエンザでも遊戯に来る依存症者もいる。
毎年インフルエンザの流行時期に耳にする話です。
顔を真っ赤にしながら遊戯している人がいる、との話は店員さんやらから耳にします。
インフルエンザでも遊戯にきてフラフラになって医務室へ連れていったこともある、とのエピソードも聞いたことがあります。
出勤、出校も停止になるインフルエンザだろうが、遊戯に来る人がいる場所だと思ってください。

・遊戯台に向かって咳やくしゃみをする人がいる。
僕は、清掃時に台を拭き上げることもしますが、正面の台に向かって咳やくしゃみをして、唾などを吐きかける人もいるのです。
しかも、台までの距離は腕を伸ばさずとも届いてしまう距離、飛沫など台にぶつかった後は、周囲に拡散すること間違いありません。
下手したら横を向いて大きなくしゃみをする人だって居かねないのです。

・基本的に窓もない。
周囲はの防音の配慮のためか、換気に適した大きな窓もないです。
換気システムは取り入れて「十分な換気」を謳っていますが、ほぼ密室なのは間違いありません。

学校や会社が休業になっているのです。
パチンコ店では感染しない、というくらいなら、ここまで大がかりな対策をする必要もないという、ごく当たり前の事に目を向けて頂きたいものです。

それからパチンコ店でのトラブルというものは一定数あります。
パトカーや救急車が閉店間際に来ることもあります。
そんな中に、警官や救急隊員が入って、感染リスクを背負うなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるというものです。

多分、この他にもリスクとして挙げられるものは、遊戯したことのある人でしたら言えるでしょう。
遊戯ではなく閉店後の清掃スタッフとしての視点だけでもこれだけ列挙出来るのです。

この時期のパチンコ店営業は、断固として止めさせなければと思うのです。

2020年4月24日金曜日

筆算というものを通して僕が見ているモノ

筆算について。

計算自体は、電卓があるし、最近ではスマホにも計算機機能は備わっているし、必要に応じてより難度の高い計算も可能なアプリもありますから、それを使えばあっという間です。

それでも筆算を学ぶ理由とは?

筆算って、基本的に「位」とか「桁」が大切になってきます。
そして「桁」ということを考えるときに欠かせないのが「0」です。

この「位」「桁」「0」という考え方を強化していくという意味で、筆算は大きな意味を持っている気がします。

数の仕組みとか概念とかって、計算機の出番が来る前の思考の巡らせ方の土台になるものだと思います。

足し算なら足し算、引き算なら引き算、掛け算なら掛け算、割り算なら割り算…どんな筆算でも一定の規則に沿って書き進めていくわけです。
これをしていくだけでも、規則性というものが数とか数字の世界ではかなり重要だということが自然に身に着いてきます。

また、学習サポートで算数や数学に取り組んでいるときに、筆算を子どもに書いてもらうと、その子の躓きがどこで起こっているのかも見えやすくもなります。

今書いたように「桁」という考え方が弱いのか、「0」~「9」という数字や数についての理解が不足しているのか、「九九」を覚えていないことが原因なのか、単なる計算ミスなのか…他にもありますが、そういうアプローチすべきところが筆算を通すと見えやすくなる気がしています。


それから少し視点を変えて、数的な課題じゃないことについて触れると…

筆算って「面倒くさい」という子がとっても多いんです。
筆算すれば計算ミスをするリスクが一般的には減ることが多いのですが、それを上回って「面倒くさい」があるのです。

この「面倒くさい」を考えたいですね。
何故「面倒くさい」と感じているのか?と。

その子にとって
プロセスが多い・長いから?
視覚的に情報量が多くなるから?
筆記が大変だから?
筆算しても計算ミスをしてしまうから?
単に性格の問題?

こういうことも学習サポートをしている側としては考えたいです。

学校教育の中で自然に習い、多くの子が何気なく習得していきますが、そこに含まれる意味というか考え方というか・・・こういうのは、大切なものが多い気がします。



知人がSNSで筆算のことについて投稿しているのを見て、「あぁ、今家庭学習する子どももそれに付き合う大人も多くなってるから、僕の視点を含めて少し書いてみようかな」と思ったので、記事にしてみました。

2020年4月19日日曜日

透明のマスクを開発出来ませんか?

テレビでニュースを見ていたら、手話通訳さんが出ていて、記者会見などの場でもマスクを外して手話をしているんです。

これは手の動きと併せて、口の動きも見せるためです。

周りはマスクをする中でも、仕事上外さざるを得ないという数少ない職種の1つではないでしょうか?

こういう専門職の方が感染してしまうのももちろん困ります。

そしてこういう状況がある、ということは、です。

日常的に口を読んでいる方にとって、マスク必須の生活は、大きな負担なんです。

マスクをしていても口の動きが分かるようなアイテムや仕組みがあれば良いなと思います。

昔は夢みたいなものが現実になる現代。
そんなものも開発出来るんじゃないかな?と。

2020年4月16日木曜日

運送業にも滅菌抗菌の対策を届けて!

生徒のお宅で、お父さんが運送業に従事している家庭があります。

コロナウイルスの影響で、医療物資の配送も増え、日用品も通販で入手しようとする人も増えて一般家庭への配送も増え…

とにかく大変だということです。
帰宅できず会社で寝泊まりする日もあるとか。

これだけ大変でも、諸事情で比較的高齢のドライバーは配送業務から外さざるを得ないらしく、その皺寄せは中堅、若手のドライバーへ寄せられているらしいのです。

免疫力の問題、万が一感染した場合重症患者を出さない工夫としては仕方ないのかな、と思います。

メディアでは医療崩壊の話題が取り沙汰されていますが、そこを支える業種もパンク寸前なのかもしれません。

配送業界がパンクすると、医療物資の配送も滞り医療崩壊を引き起こします。
日用品も通販で入手困難になります。

これはとても深刻な問題です。

コロナウイルス以外にも当然、病気、ケガは起こるのですから、医療には待った無しです。
日用品が通販で届かなくなれば、またみんな外出が増え、感染リスクは高まります。

悪循環。

運送業の人たちは、ほとんどマスクをするくらいで、服装は通常の制服です。

段ボールに付着したウイルスは丸1日、金属やガラス面に付着したウイルスは3日生き続けるとの話もあります。

それらに触れる機会の多い運送業界へも滅菌抗菌の服や手袋など、より精度の良いマスクを、行き渡らせる必要性を感じます。

各世帯に2枚のマスク、なんて段ではないと思いませんか?


これ以上深刻な事態にならないように、早く収束に向かわせないと。
「オレは平気」なんて無責任なことをいっている場合じゃないです。
どんなに短く見積もっても潜伏期間は2週間ほど。
みんなで協力して封じ込めないと、ダラダラとこんなことが続くと、本当にみんな倒れてしまいます。



ついに保育も縮小

来週から宗像市の保育所も縮小です。

詳細は宗像市のホームページにも記載されていますが、「やむを得ない家庭のみ」の保育受け入れとなるようです。

我が家の4歳の息子も当然、家庭保育です。


そんな中、幸いなのが外国ほどに外出を制限されていないことです。
(それが良いのか悪いのか分かりませんが、子育てをするということを考えたときにはありがたいです)

出来る限り、自宅の庭や前の道を活用して活動の機会を作ってあげたいと思います。

たまに公園へ散歩しに行くくらいはしても良いかもしれませんが、せいぜいそのくらいの外出ですね。

幼児期にいろんな経験を積むのは大切だと思うのですが、益々状況が厳しくなればそれも儘ならないかもしれませんね。

なんとかそこは守ってやりたいと思いつつ、無力さも感じずにはいられません。

出来るだけ早く収束に向かうよう、心掛けた生活をする、それしかありません。


2020年4月11日土曜日

公園も閉鎖へ


今日は仕事が早く終わったので、午後に息子を連れて公園へ行きました。
本当は、福津市の「なまずの郷」に行く予定でしたが、行ってみたら公園が閉鎖されていました。
一昨日だったと思うのですが、福津市でもコロナウイルスへの感染者が確認されたとのことですので、それを承けての対応かもしれません。

いよいよ身近な公園まで閉鎖です。
子どもたちは過ごす場が減るばかりです。

報道では散歩や軽い運動は大丈夫というようにも言われていますが、それでもなんとしてでも収束に向かわせたいということなのでしょう。
なまずの郷は比較的大きな公園ですので、人も集まります。

仕方がありませんね。

それで近所の小さな公園で遊んで帰ってきました。

息子と遊んだり、庭あそびをしたり…

それはそれで貴重な時間にはなっています。

みなさん、どうぞ気を付けてお過ごしくださいませ。

2020年4月9日木曜日

息子の登園時に感じる子どもへのコロナウイルスの影響

4歳の息子と彼の通う保育園のお友達を見ていて感じること。

仕事が少し減っている分、早めにお迎えに行ったり、日によってはお休みをする、ということをしつつも、ほぼ毎日保育園へ通っています。

入園から数えて保育園で迎える4回目の春です。

この春の時期、子どもたちの心はたーくさん揺れます。
進級、クラス編成、先生方の配置…たくさんの“ちょっと前までとは違う”が起こるからでしょう。
息子もこの手には弱く(^^;去年や一昨年は、1ヶ月以上大泣きしながら登園していました。
今年度も絶賛不安定中です(笑)

彼の通う保育園は、3~5才児は、異年齢保育も実施しているので、彼のクラスは卒園と進級に伴って、一部お友達の入れ替わりがあり、先生については退職等で少しの配置替えがありましたが、大好きな先生は昨年度に引き続き担任してもらっています。

それでも不安定さが見て取れます。
普段なら平気なちょっとしたきっかけで泣いちゃったり、登園時にタッチやバグが増えたりして離れたがらなかったりします。

周りのお友達を見ていても、そんな傾向が見えるので、そういう時期だとは思います。
大人だってそういうものでしょう。


ですが“大泣き”する子が今年は少ない気がします。
涙ぐんだり、離れ難そうにする子はいますが、昨年、一昨年と比べて登園時に「うわーーん!」という泣き声が少ない気がします。

コロナウイルスの影響で大人たちの生活も、見通しも立たず不安に包まれている方も多いはずです。
いつもとは違う生活パターンの方も居るでしょう。
社会的に見ても、明らかに平時とは違います。
張りつめた感じが漂っています。

そのためじゃないか?と思うのですが、涙ぐんだりシクシクなったりすることはあるものの、大泣きしてお父さんお母さんを困らせちゃいけない、みたいなことを肌で感じている子は多い気がします。

「なんだか大変そう」
「僕も頑張らなきゃ」
「私もお手伝いしなきゃ」
という声が聞こえてきそうです。

実際に息子のお友達からも
「コロナで大変だからお休みの日もお家で遊ぶんだよ」
「晴くんのパパもコロナで大変?」
「みんなマスクしてるよね」
というような言葉を掛けられますし。


確かに朝の時間に大泣きされたり駄々をこねられたりすると大変な保護者も多いでしょう。
でも、大泣きしなくて助かる、というのは健全ではない気がします。

もちろん、こういう時期でなくても、全てを叶えてあげられないという事情はありますが、今、子どもたちも普段ならしていない“踏ん張り”をしちゃっているように見えて仕方ありません。

毎日でなくても良いし、長い時間でなくても良いから、“思いのまま”表現出来る時間や、それが出しにくくなっているのであれば“引き出す”ような機会が子どもたちに、必要な気がしています。

思いのままされると大人も怒っちゃう、ことあると思います。
人間ですから。
そういうのがあった方が人間的で家庭的だとも思います。

それでも「踏ん張ってくれているのは分かっているんだよ」を心のどこかに留めながら怒るのと、そうでないのとでは全然違うと思います。

子どもたちの心の中にも蔓延しかねない
この騒動。
本当に早く収束に向かって欲しいです。

2020年4月7日火曜日

自転車の練習スタート

プールが休館になり1か月以上が経過しました。

今日は午前中、普段はプールで関わっている小学校低学年の男の子と、自転車の練習をしました。
弟の方が先に自転車に乗れるようになって、どこかに羨ましさを持っているようです。

割と怖がりさんで、新しいことには、だいたい最初のうちは拒否感を示すみたいです。

それで三輪車やキックボード…そういう遊びを全般的にできずに過ごしてきたみたいです。

自転車も持っていたけれどほとんど乗ったことはなくて…

ペダルをこぐ練習から取り組みました。
最初は上手く前に回せず、反対回しをして空回りを繰り返していました。

僕がハンドルを支え、彼がペダルを漕ぐ。
前に回せたときに合わせて、僕が自転車を押す。
空回りをしたときには止める。

こうして“ペダルを前に回すと自転車が進む”を体験として重ねる方法を、今日は取りました。
徐々に、自転車の進むのと足の動きが一致してきて、“踏み込む感じ”も感覚として掴んできて…

まだまだ手を離れませんが、ペダルをくるくると漕ぎ続けることが出来るようになりました。

少しずつ。
今しか、今だから出来ることをしていきましょう。

2020年4月3日金曜日

憶測と断定の読み分けくらいはしましょう、という話。

コロナウイルスの件に限らずですが、言葉にはいろんなニュアンスがあります。

断定と憶測。

このくらいは読み分けないと確かな情報は得られないし、真偽の定かでない情報に踊らされます。

情報の発信元というのを確認するというくらいの事は当然として、そこに書かれている内容が、どういう文章なのか?ということを読み取らないからデマに踊らされたり、風評被害みたいなことが生まれるわけです。


現代社会では、ネットでいろんな言葉や文、文章に触れると思います。
すると、もう断定と憶測みたいなことと合わせて、確かな事実、予告、個人の思想や希望、展望…混在しているわけです。

こういうことを整理して読み解き、確かな情報を得ていくことが、情報化社会では欠かせなくなります。

僕は比較的SNSをよく利用している人間だと自覚しています。
この辺りは気を付けたいと思っています。
そしてもう国内がパニック状態だからか、「それ本当?」みたいに思う話が沢山流れてきます。
鵜呑みにしちゃダメです。
(もちろん、僕のブログだって、僕個人の体験や考えが中心だということを忘れずに読んでくださいね)


本件に併せて最後に一言。
それから大人はもちろん、この一連の休校騒動で子どもたちもネット、メディアに触れる機会が増えているので、そういうネットリテラシー、メディアリテラシーみたいなことを知ったり考えたりするのも学びだと思います。
見聞きしたことを鵜呑みにすることが学びではない、という最高の学びをするチャンスでもあるかもしれません。

忍者修行?

これは実践した遊びではないのですが、散歩で近所の公園を通りかかったとき、小学校低学年と思われる子どもたちが数人遊んでいました。

彼らが何やら楽しそうだったので眺めていたら、その辺に落ちている石粒や砂を拾っては、上空に向かって投げていました。

その落ちてくる石粒や砂をキャッキャ言いながら避けたりしていました。
「うわー、痛ってー!当たった!」
「オレ今、全然当たらんかった!」
「お前速くなったっちゃない?」
「あ、そうだ!落ちてくる石を木で打って避けてみよう!…あ!砂が目に!目潰しだ!くっそ!」
「大丈夫か!?この修行に耐えたら強くなれるぞ!」

なんて具合で修行ごっこをしていました(^^)

見る人が見たら、「危ないからダメ」と言われそうな気もしますが、楽しそうだったのでしばらく眺めてしまいました。

2020年4月2日木曜日

年度始まりを9月に、というくらいの社会の枠組みを作り直す機会なのでは?

今、この時期にこんな風に言ってみても、「後出しじゃんけん」でしかないというのは承知しているけれど…
前年度、数週間早く学校が終わり、今年度も自治体によりますがスタートが、数週間単位で遅くなるわけです。

その学習の進行ということについて言うと、しわ寄せが、子どもたち、現場の先生たちに行くことは間違いないわけです。
夏休みを削るとか、土曜日の授業を増やすとか、課外授業で補填するとか…子どもも先生たちも大変でしかないと思います。

もう一層、日本も学年ということについては、欧米に倣って9月始まりに切り替えるみたいなくらいにすれば、少しでも不安が和らぎはしないか?と。

「学習内容を終えられるのか?」
「うちの子、受験生だけど大丈夫なの?」
「学校始まったら、宿題とか多いのかな…?」

どれも僕の身の回りで実際に聞いた声です。

9月始まり、ということについては度々議論されてきているわけですから、枠組みを見直すチャンスだと思ったりします。

もちろん、仮にそうなったときには、その問題とは別立てて、当面の子どもたちの過ごし方については考えなくてはいけないけど。

マスク2枚配布とか言っている場合じゃない。
本当に。
もっと根本的に、抜本的に今の社会状況を見つめ直して、安心を作り上げないと。

極論かもしれないけど、社会としては機能不全を起こし始めていて、ニュースでも新卒採用取り消しの問題とかまで出てきているのだから、義務教育もそれ以上の教育現場も企業も…そのくらいの作り替えをするタイミングではある気がします。

肺炎予防のため、重症化させないために歯磨きも忘れずに

新型コロナウイルスの件で、手洗いうがい、手指の消毒みたいなことは、もうどこに行っても見聞きするし、浸透もしてきていると思います。
その一方で歯磨きについて触れられることが少なく感じています。

口腔内の清潔に保つというのは大切です。

唾液を飲み込む際に、当然口腔内にある細菌類も体内に飲み込んでしまう、ということは起こるのです。

直接コロナウイルスに感染するということもそうですが、免疫力が低下することがそもそも心配なので、他のウイルスや細菌からも身を守ることが必要です。
ですから、そういう意味でも口腔内は清潔にしておきたいものです。

それから咀嚼の弱い人、嚥下の弱い人は、食べ物や唾液を誤嚥ということもすることが多くなります。
高齢者や乳幼児なんかもそうかもしれません。

誤嚥した際に、口腔内の細菌類も一緒に気管に入ると、いわゆる誤嚥性肺炎になるわけです。

それだけでなく、睡眠中にも唾液が気管に流れるということが起こり得るのです。
この唾液に細菌類が含まれていても同じです。

うがいと共に歯磨きも丁寧にして口腔内を清潔に保つように心がけましょう。
特に面倒くさがる子どもたちについては、ご家族で見守って、守ってあげてください。

2020年3月31日火曜日

支援をしていて思う。

支援をしていて思う。
知識や経験ももちろん大切。手立ての選択肢がグッと広がるから。
でも、想像力はそれら以上に養うべきだと。

相手の様子から、思いを巡らせられてこそだと思うから。
相手の生活、人生、そして想いに寄り添う、と思ったとき、想像力は欠かせない。

そこが足りないと独りよがりになりかねないと思う。

ちょっとした呟き。

Eちゃんと言葉の学習中に思う。

今春、特別支援学校の中学部に入学する女の子と今、言葉をテーマに学習サポートでお付き合いしています。
普段はプールでの付き合いが中心の子で、プールの出来ないときには学習、ということでこれまでもやってきてはいますが。

主に書く、読む、ということを通して過ごしています。
お絵かきや文字を書くこと自体は、もともと好きなので、合間に休憩を取っても、自分で好きな言葉を紙に書いています(写真)。
言葉を綴る度に、それに関連するものを思い出すのでしょう。

表情豊かにさまざまな言葉を書いています。

彼女を見ていると、「彼女にとっての言葉とは?」「表現とは?」といろんなことに思いが向きます。

“学習”ということでなく、“生活”に根差したものにしたい、そう思います。

読み書き、話す、聞く…言葉といっても切り口も色々ですが、“彼女”を捉えてバランスよくアプローチしたいものです。

あそびは“なりたい自分”の表現?

週に2回ほど関わっている放課後等デイサービスにて。
今度小学校2年生になる知的障がいと自閉症を持つ男の子と工作をして来ました。
折り紙を渡されて、「リボン描いて」「時計描いて」とおねだりをされて、描いてあげると、それを切って身に付けていました。
時計、何時にしておく?と尋ねると
「3時、おやつ」と返ってきたので、3時に合わせて針を描いたら、他の指導員のもとへ行き、午前11時におやつをねだっていました(笑)
実はこの直ぐ傍に別の子もいて、それぞれ別の工作に取り組んでいました。

事業所の利用を始めてまだ数ヶ月の彼は、彼の持つ特性もあり、他の子と一緒にボードゲームをしたりボール遊びをしたり、というような姿はほとんど見られないのと、やっていても直ぐに離脱してしまうという感じなのですが、今日は1時間以上も他児と並んで工作をしていました。
その中で、限られた道具(ハサミやテープ、のり)を順番に使ったり、リボンを頭に留めたら、相手の顔を覗き込んで見て欲しそうにアピールしたり(笑)
汚してしまうから、と毎回似たような洋服で通所してくることの多い彼ですが、実はお洒落で、遊びを通して“なりたい自分を表現しているのかな?と思いました。

2020年3月29日日曜日

ちゃんと季節は巡ってくれる


世間が、人間がどんなにわーわー騒いでいても季節っていうのは変わらず巡ってくれるんです。

2020年3月28日土曜日

つばめさんが出来た!~鉄棒の練習2回目~


高校生のOさんとの鉄棒の練習。

普段のプールのレッスンで使用している施設がコロナウイルス感染拡大防止のために休館になり、鉄棒の練習に切り替えて関わりを継続しています。

まずは「つばめさん」の獲得、ということから目指してきたわけですが、2回目にしてコレ!

誰がどう見ても「つばめさん」でしょう?

順に、手の添え方、腕の幅、手首の向き、ジャンプの仕方…いろいろと調整をしながら出来るようになりました♪
とっても得意気に「撮った?ママに見せてね」と。

とっても大好きな家族に見てもらいたい、そういう気持ちも彼女の原動力でしょう。

クルリと回れるようになるまではもう少しかかるかもしれませんが、いろんなアプローチを重ねて、彼女の満足そうな嬉しそうな表情を引き出せるような時間を重ねていきたいです。

2020年3月27日金曜日

きょうだいげんか

今、とあるご家庭で兄弟児で学習を見ているケースがあります。

時間も90分という設定にして、3人で同じ時間に同じ空間でしています。
会話も楽しみながら、学習をしているという状況です。
男3人でガヤガヤとやる学習はとても面白い場面がたくさん生まれます。

合間にちょっとした兄弟間でいざこざが生まれたりもします(笑)

このいざこざも概ね特性が招くものというのも支援者としては面白く見ています。

兄は視覚優位、弟は聴覚優位、そういう気質を持っています。

弟には兄が話を聞けない、理解できない、というように映るみたいで小ばかにします^^;
兄には、弟が板書をしない不真面目な奴に映るみたいです。

こんな風に見えると兄弟げんかも観察の対象だったり、支援を考えるヒントになったりするものです(笑)

研究ってすごいなぁ

「母音と子音の組み合わせ、それから複数の音節がリズムを持って繰り返す」

これが生後半年くらいしてから現れる規準喃語の特徴と言われています。
「マma・マma」とか「ダda・ダda・ダda」なんかがそれです。

この規準喃語以前の「あー」「うー」とかとは質が違って、母音と子音の組み合わせの音声と音節あるいはリズムが現れること。
言語コミュニケーションを獲得するにあたってとっても大切な過程です。


ここまでは、以前、何かで読んで知っていました。

最近読んだ本に、こういうことが単に発声器官の発達だけではない、と紹介されていました。
手足のリズミカルな運動が高まる時期に、喃語についても大きく変化してくるらしいのです。


「研究」ってすごいと思います。

2020年3月24日火曜日

気持ちが乗らないときの時間の使い方

先日もここに書いた中学生との学習でした。

今日も、あまり乗り気ではなかったようで、学習場所に現れてから直ぐに「帰る」と言って、背を向けようとしました。

「ちょっとで良いからしておいで」

お母さんに促されました。

(多分、ちょっととかみたいな時間の話じゃないよな~)

そしたら本人が
「長い時間かどうかは、今の僕の問題じゃないんだよ。気分が良くないし乗らないんだよ。」
と。

ここ最近のやり取りで昼夜が逆転しかけているという情報がありましたから、
「昨日は何時から目が覚めてたの?」と尋ねてみました。

「昨日はね、もう1時過ぎから目が覚めてね、そこから日が昇るか昇らないかまで寝られなかったんだよ。だから昼間もダラダラと寝てるのか起きてるのか分からないような感じだったんだよ。このままだと今夜もきっと変なリズムになっちゃうよ!」

と苛立ちながら話し始めてくれました。

「そうか~、それはしんどいね~」

と返すと

「しんどさは無いんだけど、このままじゃ嫌なんだけど、気持ちも乗らないから帰りたいんだよ」
と。

「うーん、そうね~、そしたらどうにかしたいって思ってるんよね?」

そうすると、彼は“こうしたい”“こうなりたい”を5分くらいかけて、自分の言葉を探すように、選ぶように話をしてくれました。

まだまだ話したそうでしたが、暗くなってきて、気温もぐんぐん下がっていることを感じたので、
「そしたら、寒くなってきたから、もう少し中で話し聞かせてよ。」
と誘いました。

まずは、ある程度“堰(せき)”を切ったような、勢いにも似た、話したいという“流れ”を作りたかったので5分取りました。
これが奏功して、「うん、聞いてくれる?」と。

「うん、もちろん」

そうして中に入りながら「夜中目が覚めたら何してるの?」と尋ねました。

「なんか、こう言うとさ、変かもしれないけど、少しでも合理的に、って思って、僕の時間にしようと思って、好きなことをしてるかな。テレビの録画したものを見たり。本を読んだり。昼間にダラダラと自分らしくない時間過ごしてるから」

と。

そこから40分ひたすら、彼の夜間の様子について聞かせてくれました。
お気に入りのテレビの話などを中心に。

そうしたところ、40分経った時点で、「ところで先生との時間、あと何分ある?」と聞かれたので「あと20分くらいかな」と答えました。

すると「ならあと5分だけ話し聞いてもらって良い?少しだけ勉強して帰ることにする」と。

良い!それで良いよ!

なんかとっても良い表情で話もして、そのままの感じで学習にも向かいました。

時間の長短なんて問題じゃないし、問題が解けたかどうかなんていうのも、正直どうでも良いです。

自分で彼が時間の使い方を選択して、満足して帰れたことが今日の収穫!

「またね」

と笑いながら車に乗って帰った彼を見たら僕もホッと嬉しくなりました♪

支援の中にアドラー心理学の勇気づけを取り入れてみる


今日は少しアドラー心理学のことについて。
少し前には、子育てに有効だということで、流行にもなり、書店でも目にする機会が増えた言葉です。

その中でも、僕が支援の中で「確かにな」と納得して取り入れている考え方があります。
それは「勇気づけ」です。
アドラー心理学は「勇気づけ」の心理学とも言われています。



例えばテストの点数のことについて褒めるとなると「〇点取った」という結果について褒めるということになります。
そうすると必然「良い点」が求められてしまいがちです。

この褒めるということももちろん意味を持つことはあります。
特別支援の中でも褒めることの大切さはよく言われます。

ですが、これだけにはしたくないと思っています。

結果だけに着目して、褒める褒めないということに偏ったコミュニケーションでは、「褒めてもらえるかな?」という評価を気にするような不安を育てることになりかねません。

そこで、物事に取り組む過程にも着目したいと思っています。

例えば、同じテストについて子どもとやり取りをするとき、「ここが今回はよく出来ていたよね?もしかしてここの勉強は頑張って練習とかしたんじゃない?」というような回答を作り上げる過程に寄り添うのです。
そうすると点数によらない、子どもの努力を「認める」ということに繋がります。
そうして、「あなたが“ここを練習する”と自分で見つけて練習したというしたことが嬉しい」とこちらの気持ちを伝えるところまで行えると良いのかな、と思います。
点数という結果ではなく、過程に着目することで、「傍にいるよ」「あなたのことを見ているよ」というメッセージにもなります。

こういうことの積み重ねで、子どもたちに「勇気づけ」を行うのです。
人との「一体感」「信頼感」「貢献感」「自己受容」ということを得ていけるのだと思います。
それは、学習場面など限定されるものではなく、様々な困難に向き合ったり克服したりするのに役立ちます。


仮にテストで0点だとしても、「こんなに難しかったのに気づいてあげられなくてごめんね」という寄り添い方も出来るわけです。
そして、次に一緒にどうしていくかということを考えていけるのではないでしょうか?



「出来た」「出来なかった」ということではなく、こちらの気持ちを伝えてみてはいかがですか?

2020年3月22日日曜日

事前告知で子どもも過ごしやすく

予め、スケジュールや行う事の内容について説明をする「事前告知」。

発達障がいを持つ人への有効な手立てとして代表的なものです。
事前に伝えて見通しを持たせる、ということで落ち着いて行動を取れたり、達成目標から反れそうになった時に指針を示すことがしやすくなります。

では、どんな場面に使えば良いのか、例を挙げてみたいと思います。

・その日の予定を説明する。

・行動や場面の切り替えのタイミングについて説明をする。

・適切な行動や不適切な行動について説明する。

・急な変更が生じるかもしれない、というような可能性を示す。

というような場面で使うことが多いと思います。

それに加えて、さらにその子の特性に合わせて、必要に応じて絵カードなどのツールと併用して行うとより効果的です。

また、二重告知という使い方も必要なケースもあるかもしれません。

「あと5分で次の活動に移ります」という告知。

それに対して、二重告知は「残り5分になったら『あと5分です』ということをお知らせします」と告知のことを告知しておくという方法です。

子どもによっては、「あと5分」という告知すら唐突であるように感じるかもしれないので、そういう伝え方も必要であることがあります。


具体的な場面をいくつか紹介しましょう。

・買い物で子どもが、予定にないものを欲しかった時にも事前に買い物で買うものを伝えておいて「さっき伝えた中にあったっけ?」という確認の仕方が可能になります。
そうすると「わがままを言わない!」と声を荒げずにやり取りをすることが出来るかもしれません。

・外出の予定があって、雨の場合には内容が変わる可能性がある、という場合にも「晴れたら予定通り。雨なら別の活動(具体的な活動)になるよ」ということは、する方も多いでしょうが、事前告知ですね。

・「タイマーが鳴ったら、次の活動に移るね」ということも事前告知です。

日常的にしている方も多いかと思いますが、手立てとして意識して使うことで、支援の引き出しになっていくことでもありますし、効果も高まります。
なんとなく使うのとは、その効果は全然違うと思います。

満足感を得ることを目指したい

学習サポートの中学生男子。

僕が今、関わっている子どもたちの中でも特に気になっている子。

この春、彼は2年生になります。

1年間、学校生活に馴染めないまま終わって、授業参加も不安定で、友達との交流もかなり限定的になっていました。

小学校時代には、仲良く交流していた友人とも距離が生まれているようです。

加えて、年度末の休校騒動で、家にこもる生活になってしまっています。

“活動”が減っているのは、彼だけではないとは思うのですが、この1年間の生活で彼の事を気に掛ける人が減ってしまったことがあるためか、人との交流が、彼は特に少なくなっているように思います。

最近では中学生くらいでも持っていることが珍しくなくなってきているスマホ等も持っていないので、友達との連絡手段も無いようです。

そんな彼は、最近、昼夜が逆転しかけています。
夜は23時過ぎに寝ているようですが、もう3時前には目が覚めて、寝られないというのです。

そして朝になるころには眠くなって、ダラダラと過ごして、夕方、夜までエンジンが上手く掛からず…そして“活動”が出来ず体力をもて余して就寝時間を迎え…目が覚めて…
悪循環です。

学習サポートも、僕は“学習”にこだわることはしないので、散歩を提案したり、お喋りをしてみたりするのですが、何をしても気持ちが乗らないようです。


本人も歯がゆくイライラを募らせています。

満足感が足りないのでしょう。

到達目標、達成目標みたいなものは要らないと思っています。

なんか彼が満足して、安心して眠れる、に繋がることを考えていきたいです。



2020年3月20日金曜日

コロナウイルス感染者が宗像にも出た!とか騒ぐ前に

昨日、宗像にも感染者が出たと報道がされました。

確かについに出たか、という感はありますが、冷静でない人の多さには驚きます。

このウイルスの感染力を見くびっている訳ではありません。
ですが、慌てている人に言いたいのです。

「ちょっと待てよ」

と。

第一報をテレビの速報のテロップで知った人も多いようで、あっという間にSNS(僕はFacebookを中心にしています)のタイムラインには、「どうしよう」「この時期に海外渡航なんて『自分は感染しない』とでも思っていたのかね」みたいな言葉が並びました。

ですが、宗像市のホームページには、感染が確認された方の行動や経緯が、第一報からまもなく(1番早く報じたのがとこかは特定できませんが、僕の耳に入り直ぐにネットで検索した時には)掲載されました。

宗像市のホームページ掲載情報によると、この方はとても冷静で社会的に見て、実に常識的で、最善に限りなく近いbetterを行動として選択しているように、僕は感じました。

僕は仕事の都合で、移動先で人から聞いたということもあり、多少のタイムラグがあったことは認めますが、それでも1日、2日も空いたというわけではありません。

数時間です。

なのに「感染者が確認されました」というだけで大騒ぎをする人の多さには本当に驚きました。
情報に不安を煽られているという以外の何者でもないと思います。

(あぁ、これでまた休館、みたいなところが増えなければ良いけれど…)くらいのことは僕の頭にも過りましたが、感染が爆発的に広まることはほぼ無い、と思います。

飛行機に同乗した人の感染、という可能性はあるかもしれません。

ですが、パニックになって、感染が確認された方の批判をするようなケースでもないと、僕は思いました。

僕も立場としては感染から身を守らなくては子どもたちを危険に晒しかねません。
それは承知しています。
だから、息子の体調不良、というだけでかなりの仕事をキャンセルにしました。

それでも…だから、かな?
ワーワー騒ぐ前に確認すべきことを確認してから、必要な行動を取ることは心がけています。

このウイルスの怖さは“未知”。
気持ちは分かるけど、落ち着きましょう。

より情報の確かそうなソースにあたり、あれこれ言い出す人の発言と事実とを混同しない、ということが身を守るための1番の近道です。

そもそも「バイオハザード」みたいな世界観で、人間がゾンビになるようなウイルスではないですから。
体質として病弱な人には、本当に危険で驚異となりますが、多くの人にとっては風邪に近い症状なのですから。
拡散(ウイルスも社会的影響も)防止したければ、冷静に。


2020年3月18日水曜日

着替えについて

着替えは、日に2回は行う動作です。
寝間着から活動着、活動着から寝間着。

この1日2回の動作で介助が必要であると、ご家庭では1回5分とすれば、日に10分は時間を取られることになります。
ここが自立すれば、毎日10分は親子で「しなくてはならないこと」以外の時間に費やすことが出来、向き合うことが出来ると思うのです。

そこで、着替えという動作を身に着けるために考えたいことをいくつか挙げてみたいと思います。


・腕や足を通しやすい、着替えやすい服を選ぶ

・まずは前と後ろの確認から練習し、それが出来るようになってから表裏の確認を出来るようになることを目指す

・洋服の裾を入れる練習

・ボタンなどの練習や工夫

こういうものを一つずつ確認していくことを目指したいと思いながら普段の支援では取り組んでいます。


そして、本人の練習としては、目で必要なことを確認していくことが必要なので、注目するべきところを伝えて見ることを促します。
次に、手で持つということを促します。
着る順番については、手元が隠れないようにという事には気を付けることが定着するまでは大切かもしれません。

ここまでは比較的大きな動きになります。
それが定着してからいよいよボタンやファスナーという練習になってくるようにすると良いと思っています。

それから着替えの練習をする際の姿勢ですが、最初は座っていていいと思います。
床にペタンと座って着替えて良いと思います。
それから椅子に座って、とか立って、とか必要な姿勢を少しずつ練習をしていくようにしましょう。

一気に欲張っていては出来るものも出来ない可能性が出てきてしまいます。

2020年3月15日日曜日

【YouTube】困り感を具体化していく


改めて書字動作について考えてみる

文字を書く、これもまたなかなか大変な作業です。
自転車の乗り方を一旦覚えると、出来なかった頃の苦労とか気持ちを忘れてしまうのと同じで、ついつい簡単なことだと思い込んでしまいます。
でも…実はこういう動作の組み合わせです。

・まずは文字を覚えるということが当然必要です。

・目を使って「今ペン先のある場所を確認する」「ペン先がこれから向かう先を確認する」「ペン先の通ってきた道筋を確認する」とことを経て、文字のバランスや書面のバランスを整えていく必要があります。

・ペンを動かすためには、手首や指先の細やかな動きが必要になります。

・姿勢を保持するために、体幹の筋力も必要ですし、利き手の肘から手首にかけての机(などの盤面)への接触部分で身体を支える必要もあります。

・黒板の板書や教科書を写すなどの作業をするときには、目と共に首を動かす必要がありますし、見たものを記憶して写すという作業も加わります。

・あるいは、周囲に絶え間なく流れ続ける音声の中から必要な情報を選び取って、聞き取り、それを書くということが必要な場合もあります。


ざっと大きく括ったとして挙げても、これくらいのことはパッと出てきます。
それらを組み合わせて「書く」ということが出来上がります。
実に多くのものを含んでいます。

「書字が苦手」と言っても、つまずきの内訳は、それぞれだということです。

学習サポートではそういうことを見ながら子どもとの時間を重ねてもいます。
僕と学習をしている子の中には、板書が苦手だとか、筆記をすること自体が苦手だという子も少なくありません。
それぞれつまずきの理由も違います。
なので、そこへのアプローチも違います。

手立てとして考えていくものとしては、一緒に学習する時間や日常生活の中で取り組めるものが中心になりますから、特別な訓練という時間はほとんど取りません。
僕の場合、例えばこういうことについて検討をしていきます。
という、その一部をご紹介してみたいと思います。

・筆記具の選択。
鉛筆か?ペンか?
鉛筆なら濃さは?
ペンなどの太さや握り心地は?
消しゴムの大きさは?硬さなどの持ちやすさは?
筆記具の量は、ペンの本数種類、本人が把握と管理を行えて、使いこなせるか?

・筆記面の検討。
紙の材質で、ペンとの摩擦が変わりますから、「書きやすさ」に直結します。
書くことが大変な子は「書きやすさ」が大切です。
色も例えば「真っ白」で良いのか?まぶしくて…ということもあるかもしれません。
筆記面の面積についても、大きすぎないか?小さすぎないか?ということは考えたいですね。

・書く量と時間の調整。
自由に筆記する時間であれば気にすることもありませんが、授業のように限られた時間で筆記を求められる場合には、書字速度も求められることが多いです。
その為、どこまで本人に書いてもらい、どこからプリントなどで対応するか?あるいは代筆するのか?ということを考える必要があります。
「疲れる」ということを全く排除することもできませんが、軽減することはできないか?ということは考える必要があります。
「書く」ということ自体が目的になることは非常に少ないと思いますので、これは結構大切なように思います。

・ワーキングメモリーの弱い子は、音声の場合は、音声をメモするときの、音声の速度や間も重要ですし、書き写す場合には、元になる情報の書いてある面と筆記面との距離、視線の移動距離やそれに掛る時間も見ていきたいです。

・座りやすさを考える。
「疲れる」ことを軽減して、必要な時間や量書くことに向かえる状況を整えられないか考えることもあります。
椅子の高さや座面や背もたれの固さ、それから足元の感触なども検討材料になることがあります。

こういうことを考えて学習の土台を整えていきたいな、と思います。

そして、「書きやすさ」と共に「表現したい」という意欲も書き立てる工夫をコミュニケーションの中で、ある種の演出を試みます。
「表現したい」「書きたい」という意欲や気持ちが芽生えることが「書く」ということではとても大切だと思います。
それから書写や書道の場合には、伝統についての理解や興味を深めるということも必要かもしれません。


「書字動作」と言っても、目に見えるモノばかりではありません。

書きやすさ、そして読み手の読みやすさ、など書くことの目的まで見据えて、全体像を考えて書字については考えていきたいものです。


例えば鍵盤ハーモニカの練習をするときに見たいところ

鍵盤ハーモニカというのは、保育園、幼稚園、小学校…練習の機会の比較的多い楽器であるように思います。
その割に、とても難しい楽器だというようにも思います。
実際、つまづいてしまう子が結構います。

僕も子どもの時分には、つまづいてしまいました。


僕の場合には、息を吹くことと指を動かすことを同時にするのが難しかったというタイプです。


そうです。
鍵盤ハーモニカというのは、同時にいくつもの作業をしていかなくてはいけない、高度な楽器です。

それを教えるというか、指導する立場で、「出来る」「出来ない」みたいなジャッジをするだけでなく、「なぜ」出来ないのか?ということを考えなくてはいけません。
あるいは出来ている子たちは、「なぜ」上手くいくのか?を考えなくてはいけないこともあるでしょう。

そこで、少し、比較的着目しやすい点をいくつか挙げて、鍵盤ハーモニカの練習について考えていきます。


鍵盤ハーモニカを弾く姿を思い描いてください。

右手は鍵盤を弾き、左手は管を支え、息を吹き込み、目は鍵盤と指揮者と楽譜を確認して、姿勢は保つ、みたいなことが必要です。

一言で「鍵盤ハーモニカが弾けない」と言っても、つまづきの理由は一人一人違います。


それこそ鍵盤ハーモニカを弾くこと自体は高度な作業なので、そのつまづきの理由を分けて、別に練習をしていく必要があるかもしれません。


運指が上手くいかないのであれば、指先を動かす練習から必要かもしれません。
息を吹くことが苦手であれば、「ふーー」っと息を吹く練習からいるかもしれません。
視線も慌ただしいから、どこを見ればいいんだよ、と細かく、伝える必要があるかもしれません。
そもそも、多動傾向がありじっとしていることが苦手であれば、弾くときの姿勢に配慮がいるかもしれません。
鍵盤ハーモニカを練習する場面を想定したら、周囲の子どもたちも練習していることが考えられますから、聴覚過敏で鳴り響く音が苦手であれば、取り組み自体を考えなくてはいけないかもしれません。
もし、取り組むのであれば耳栓をするだけで、弾けるようになるかもしれません。

あるいは、音楽は楽しい、表現の一つであるということを体感することから必要かもしれません。


本当に、いろんな視点で子どもを見ていく必要があると思います。



2020年3月12日木曜日

鉄棒にチャレンジ

コロナウイルスの影響で活動で利用させてもらっているプールも休館になり、一切お休みの子もいますが、中にはプールとは別の活動に切り替えてお付き合いを継続している子もいます。

高校生のOさんもその1人。

彼女のお母さんのお膳立てもかなり受けながら実施が叶ったのは、鉄棒の練習。

プールが行えない間、数回に渡って実施していきます。

前回り、ここまでいけたら…

と、思うところですが、欲張らずゆっくり楽しく、怪我をしないように取り組みたいです。

昨日は、特別支援学校へのお迎えからはじまり、レッスン1時間、という流れ。

お迎えに行ったときには少し恥ずかしそうにしていましたが、車に乗ったらいつものようにたくさんお喋りしてくれました。

大好きな男の子の話、食べ物の話…

元カレ(自称)は面白くも少し寂しい女子高生とのお喋りドライブでした(笑)


ドライブでしっかりと心を解して、目的の鉄棒のある公園へ到着。

彼女の現状を把握するために鉄棒に自由に触れさせてみると、鉄棒に触れる機会も少なかったことが伺えました。

なので、無理せず、遊びも入れて、お喋りも入れて、ゆっくりとすることに。

「永田さん、鉄棒出来ると?見せて」と途中で言われたので、見せると「スゴいね、うちも出来るかな?」と。

うん、僕も魔法使いではないから“絶対”とは言えないけど、出来ることが増えたら嬉しいよね、と返しました。

ニコリと笑って大きく頷いていました。


そこから二人で試行錯誤と息抜きを繰り返して、おそらく初めてであろう“つばめさん”に成功。
写真だと分かりにくいかもしれませんが、足もしっかり浮いています。
数秒保持が出来ました。

「腕とお腹が痛いね」と言いながらも満足そうに笑顔を向けてくれました。

初日はこれで十分。

また昨日の様子を承けて、次回の準備をしていきたいと思います。


この取り組みは僕にも大きな学びになりそうです。

サポートブックを活用して引き継ぎをスムーズに

新年度の引き継ぎに際して、サポートブックを活用することを考えたことがありますか?

サポートブックとは簡単に言うと…

・子どもの様子、特性など個性を項目ごとにまとめて記載した資料

・関わる人たちで共通理解を持つための資料

・口頭では伝えきれない子どもの多様な様子を伝えるための資料

という感じのものです。


これを用意すると、より早くスムーズに子どもの安心感に繋がる環境やコミュニケーション、それから手立てを用意することが出来るようになるかもしれません。

以下のようなものを記載してみると良いかもしれない、というものをご紹介します。

・プロフィール
子どもの生育歴をまとめてみてください。

・個性
子どもの特性、癖、こだわりなど、診断名+αで、実際的な様子を記載してみてください。

・好き、嫌い
子どもの好きあるいは嫌いな、モノや場所、場面を整理してみてください。

・長所
子どもの素敵なところをたくさん書いてみてください。
因みに個人的には、短所の記載は不要かな、と。
読み手に不要なレッテルを貼らせるきっかけになってしまいますから。

・コミュニケーション
言語でコミュニケーションが可能なのか?カードなどのツールやジェスチャーがあった方が良いのか?
その子の認知について記載してみてください。

・感覚
例えば痛みなどに敏感なのか鈍感なのか?特性に近いところかもしれませんが、こういう情報も支援者側にはありがたいものです。

・身辺自立
日常生活のなかで、どんなサポートが必要なのかを記載してみてください。

・その他
子どもと関わる人にしっていて欲しいことなどを、必要に応じて書いてください。


それぞれエピソードがあると、よりイメージしやすいかもしれません。

2020年3月11日水曜日

家の時計は正確に。

とあるご家庭で学習サポートをしていて、ふと気がつきました。

この対象児、時間、時刻に対する意識と感覚が、あまり身に付いていません。


その一因が見えた気がしました。

家の時計の示す時刻が違うのです。

正確な時刻を示すのは、リビングの掛け時計A。
もう1つリビングにある時計Bは、10分遅れています。

これはお父さんの仕事の都合に合わせて、敢えてずらしているようです。

それから、子ども部屋にあるものは、25分ずれていました。

これは単に電池が切れて入れ換えた後に調整をしていないから、だそうです。
(わざわざ電池を入れ換えているのに…と思わず笑ってしまいました(^^;)

ただ、これでは、時間感覚はなかなか身に付きません。

本人にとっては混乱するだけかもしれません。

「○時になったら」ということが家では通じにくいわけです。
見る時計によって変わるのですから。

こういうところも大人の都合はあるかもしれませんが、気を付けてみると困り感が解消されるかもしれません。

子どもたちから励まされて

放課後等デイサービス えるそる むなかたで外遊びに同行。
子どもが持ってきてくれました。

集団ヒステリーのようになっている大人。

もしかしたら、子どもたちの方が余程冷静で、大人を励ましてくれているのかもしれない。

ありがとう。

2020年3月10日火曜日

環境を整えてメリハリをつけられるかもしれない、という話

コロナウイルスの影響で休校になり、家庭で過ごす時間が増えている子どもも少なくありません。

また、家庭で親子で過ごす時間が増えているところも少なくありません。

そうなってくると、僕のもとにもいろいろと相談が寄せられます。

今日寄せられた声です。
学習とか休憩とか食事とか…限られた空間ともて余す時間の中でメリハリをつけることが難しくなってきている、と。


例えば、学校であれば、チャイムで時間の区切りが分かりやすくなっていますし、移動教室や机の配置で授業や給食の時間が分かりやすくなっています。

メリハリをつけやすい、仕掛けがいろいろとあるのです。
(その中でも、過ごしにくさを感じていたり、欲しい配慮はあるものですが)

では、家庭ではどんな風にすれば良いのでしょうか?


時間で区切る時には、タイマーを利用するというのが一般的です。
あとは、時間で音やメロディの流れる時計を利用するというのも良いかもしれません。

照明の使い分けも良いかもしれません。

それから今日お話としてお返ししたものは、テーブルクロスの活用です。
机上での活動というお話からの相談でしたので。

お食事の時、学習の時、机上で遊ぶとき…テーブルクロスを使用したり、色などで使い分けたり…

こういうことで習慣作りの導入にはなるかもしれません。

あるいはランチョンマットの使用くらいでも食事の時には良いと思います。

こういうのも視覚的な支援の1つです。


支援は、減らしていけるに越したことありませんが、手立てを講じていくことで、お互いにイライラしちゃう、みたいなことは減らせるような気がします。

せっかくの時間。
ただただイライラとぎすぎすと過ぎていくなんてもったいないですから、こういうのも活用してみるのも良いかもしれません。




スケジュール表を眺めることからスタートでOK

心をしなやかにする、ということは大切だと思っています。
その土台になる最初のステップが「生活リズムを整える」ということです。
しかも「その子、その家庭に合った生活リズム」です。

発達に偏りがあるとか特性があるというように表現される子どもたちにとって、一般的に言われる「規則正しい生活」というものが、合っているかどうかというのは分かりません。
あるいは家庭にもあっているかが分かりません。
今の時代多くの家庭で共働きで、夕食や就寝が遅くなる、ということが少なくありません。

そういう家庭に、「規則正しい生活を」とアドバイスしたところで、親も子も急かされている気分になったり、窮屈な思いをしたりして、却って親子関係をギスギスしたものにしかねません。
なので、まずは「その子、その家庭に合った生活リズム」を守ることを目指していただきたいと思います。

ご家庭の中で、継続しやすい、守っていきやすいリズムを考えて、それをもとにリズムを作って見て下さい。
「規則正しい生活」という言葉に振り回される必要はありません。

そもそも生活が、それぞれ違うのですから、一般的に言われる「規則正しい生活」が出来ていないからと言って、保護者は我が身を責める必要はないと僕は思います。


さて、「その子、その家庭に合った生活リズム」を守っていくということを目指したとします。
けれども、特性ある子どもたちの中には、ただただ口頭で言い聞かせるだけでは、こちらの意図することが伝わらなかったり、分からなかったりすることがあります。

「生活リズム」を守っていく上で欠かせなくなるのが時間感覚です。
ですが、そもそも時間は見えない、というものもありますし、時計を用いたとしても、それだけでは理解しづらい場合があります。
それから、過集中傾向のある子どもは、何かに夢中になって時間を忘れてしまうということもあり、時間感覚を身体で覚える、というようなことも困難である場合もあります。

そこで、予定表など視覚的にサポートをしたり、口頭で順序だてて説明したりすることが必要になるのですが、これらの手立てを駆使したからと言って直ぐに出来るようになるとは限りません。

ですから、初めは予定表を眺めるだけでも良いですし、口頭で話をして聞き流すというところからでも構いません。
まずは、そこからです。
「時間」とか「予定」とかそういう概念的なものの存在をなんとなく感じるところからです。

これらが意識の中に芽生えてきたり、意識することに慣れてきたら、一緒に時間の過ごし方とか予定を考えてみると良いです。

そうして、成長と共に徐々に自分で選択をして、計画を立てて、実行に移すということが出来るようになって来ればよいのです。

僕の考え方として、この自分で選択をして、計画を立てて、実行に移すということは、小学校高学年から中学生くらいまでに出来るようになって来ればいいのではないか?というところです。

周囲の子どもたちと比較して焦る必要はありません。

焦らずにじっくりと身に着けて来たら、そのうち、日常的に計画立てて準備をしたりすることが出来るようになってくることもありますから、そういう落とし穴には気を付けながらサポートをしていきたいところです。


先ずは、計画表を見るだけでも良い、そのくらいの気構えで子どもたちと向き合ってみてください。

2020年3月7日土曜日

“価値観”を育むための取り組みとして

例えば性教育の話。
知識を詰め込めば良いという訳ではありません。
自分、他者の存在とか人権とかを大切に思って、その先に姓に対する価値観があるわけです。
そして、そういうものは一朝一夕に身に付くわけではなく、じっくりと育むものです。

例えばお金の話。
お金でモノが買えるとか、硬貨と紙幣があるとか、そういう知識を詰め込んでいて、買い物をするだけでは、お金の価値観が分かっているとは言えません。
労働の対価として頂くことのあるもので、大切にしなくてはいけない、という価値観も含めて備わってようやくお金の事が分かっていると言えるのでは無いでしょうか?


そういう価値観を育むためには、知識のかなり前に体験というものを得ていくことも大切です。
お風呂で身体を丁寧に洗ってもらうとか、そこから姓の学びは始まっているのです。
そういう体験があるから自分の身体も他人の身体も大切に出来るのです。

お金のことも同じです。
お金をもらう、使うとか以前に大切にしようという意思の芽生えが必要です。
その入り口が貯金箱や自分のお財布なわけです。
こういうものを持つと嬉しくて、それ自体をまずは大切にして、その大切なものの中に入れるからお金も大切にしようと思いが芽生えるのです。


ということで、今度、生徒の学習サポートで、お金の学びのために一緒に手芸をして小銭入れを作ることにしました。

療育ってこういうところから(あるいはもっと手前があるのかもしれないけど思い付かなかった)始めると、遠回りで時間がかかるように見えるかもしれないけど意味を持つと僕は思っています。

たまには自分のための道具も


学習サポート時、最近は紙の消費が多くなっていたことが気になっていました。

それから最近は動画作成の時にも文字を残せたら、と思っていました(編集力が無いので)。

そういう理由から、下敷きを4枚買って、パンチで穴を開けて、リングでまとめて、持ち運びしやすい、ノートと同じサイズのめくれるホワイトボードを作りました。

これがなかなか良いんです。

水性ペンと濡れタオルで、何回でも書き直しも出来るし。
下敷き4枚×両面あるので、1時間の学習サポート中は余裕です。

保存は必要ないけど、その時だけはメモしたいことなど。
ちょっとした計算などにも。

保存はスマホのカメラで撮っても良いし。


紙とこれを使い分けて、節約と効率を。

簡単に作れるので、お仕事をしている人にはオススメのツールです。

心のしなやかさを育むための3つの要素と、その充実のためのステップ


発達に偏りや特性のある子どもたちは、様々なトレーニングをしていたりサポートを受けたりしながら、スキルや経験を獲得していくことも少なくありません。

その一方で、支援やサポートを受けながらも失敗をしてしまうということがどうしてもあります。
もちろん特性ある子どもたちだけでなく、失敗をするということは誰しも経験していくものです。

こればかりは、その子理解を深めて、適切な支援やサポートと言われるものを提供していても、遭遇してしまうことはあります。


そういうときに大切なのが「心のしなやかさ」だと思うのです。

これを育むためには?というのが今回のお話です。

まず、失敗しても必要以上に情緒を取り乱さないだとか、立て直すための感情コントロールが必要です。
つぎに、人を頼るというようなライフスキルも必要でしょう。
それから、とにもかくにも経験をしていかないことには、「心のしなやかさ」を育む機会も生まれないので、チャレンジ精神が必要です。


この3つが「心のしなやかさ」を育む要素である、ということで今回は進めていきます。


この3つの要素を充実させていくために、どういうことを心掛けると良いのか?ということを順に説明していきます。


まずは、「その子に合った生活リズム」を守っていくという事です。
一般的に言われる「規則正しい生活」というものでなく、「その子に合った」というところです。
子どもの特性、ご家庭の事情、そういうものを考慮しないと、継続がこんなので、僕は「その子に合った」という表現を使います。
そして、「その子に合った」生活リズムを守ることが大切だと考えています。
これが情緒や感情のコントロールを安定することに繋がります。


次に、「誰かと一緒に、あるいは頼って成功体験を得る」ということをしていきます。
よく耳にする自分を信じる力である「自己肯定感」とは違って、「心のしなやかさ」は自分の力だけでなく、周囲のことも信じることが必要です。
ですから自分だけでなくて誰かと協力すれば上手くいく、失敗したときには支えてもらうということの経験を積むことを考えていきます。
これをすると子ども自身が自分で選択できる幅が広がっていきます。
こういうことがライフスキルを増やしていくことに繋がります。


この2つの段階を経ると、落ち着いて物事に取り組めて、自分で選択したものに取り組んでいこうというチャレンジ精神が培われます。
このチャレンジ精神で以て、様々な経験を増やし、成功を積み重ね、時には失敗をして、そこで人の助けを得ながら「心のしなやかさ」を育む良い循環が生まれると思います。



今言った順で充実を図ることが必要と思います。
生活が安定しないままでは、落ち着きません。
落ち着かないうちは、誰かと一緒に、だなんて無理です。
一人では、チャレンジ精神もそのうちにポッキリと折れてしまいかねません。


このことは、比較的日常生活で誰とでも目指せる取り組みだと思います。
本人も周囲の人も、日常生活におけるそれぞれの役割を果たすという中で実践が可能です。


そのうちに、もう少し細かく説明をすることを目指したいと思っています。