学習サポートをしていると、当然中学3年生の進路選択の場面に立ち会うことになるのですが、「行きたい」と「学力」がマッチしていないケースは、非常に難しいと感じます。
まず、所謂”滑り止め”の受験をする意味。
納得できませんよね。
「第一志望校に受からなかったとき」のための保険だなんて。
正直散々周りの大人からは「行きたいところへ」「本人に合ったところを」みたいなことを言われ続けて…いざ受験という段になったら「現実」「実際的」な選択を迫られます。
しかもそれがかなり「学力」に比重を置いた形で突き付けられます。
「受かるであろう」学校の受験を進められ、「何故?」「その学校行かないよ」という思い。
うん、わかる。
その気持ちは分かる。
でも、親としては「進路が決まらない」とか「中卒」ということは避けさせたい。
親心だと思います。
そして、僕個人としても「進路が決まらず中学校を卒業した途端、家で過ごす」ということは避けさせたいと考えてもいます。
なので、基本的に僕は、一緒に過ごす中で割と早めに「日常的に勉強する意味」「受験っていうのは」みたいなドライな話をポツポツ織り交ぜていくようにしています。
それが良いのか悪いのかなんてことは分かりません。
それでも、学習に立ち会い続けてきた大人として、見通しがある程度持てるのに伝えないのはフェアじゃないと考えて伝えるようにしています。
そして受験が近づいてきたら、「これまで永田が言っていたのはこういう事か」という事くらい感じてもらえたらと思う訳です。
次に受験後のことも気になります。
例えば登校手段。
一般高校は基本的に自分で、徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかを使いながら通っていくことが前提として必要です。
それらを3年間続けること。
そういう事を想像しながら受験を考えることも大切です。
学力としては「何とか滑り込んだ(表現は良くないけど)」としても、3年間通ってそこで生活をしていく際に、ある程度親の手を離れて自分で移動や行動をしていく必要が絶対に必要です。
生活力とでも言えば良いでしょうか?
移動手段だけではありません。
身だしなみ、体力、持続力、集中力、周りを気にしない鈍感力…
自己管理をして、集団生活をしていくこと、ある程度集団に馴染むことも、求められます。
「勉強」「勉強」と学力だけで進路を決める。
それさえ向上させれば一般高校に入って、当然卒業して、高卒資格を得られる…
という訳ではありません。
だから、僕は「一緒に学習する際の様子」も含めて、ご家族の進路相談には乗ります。
保護者の願う進路。
それが少なくとも僕の目から見てどう感じるか、ということを正直に伝える様にはしています。
伝え方はもちろん考えながら。
上手く伝えないと必要以上に辛く苦しい思いをしかねません。
子どもたちの進路に立ち会う大人たちは、それこそ辛く苦しい学齢期を送らせたいわけじゃないと思うんです。
大人側も辛くて苦しい時期を望んではいないはずです。
それを思うと「学力」ばかりではなく「学歴」にこだわり過ぎるではなく…「学力も含んだ日ごろの様子」から進路を考えていく必要があると思います。
そして、職業支援者としては、この価値観、支援観を持って目の前の子どもたち、ご家族と向き合いたいと思う訳です。
知的障がいではない、学習障がいの生徒の進路先が非常に苦しいです。大人としても受験させる覚悟が必要かと思いますが、正直怖いですよね。
返信削除特に学習障がいだと凸凹で、「周りと同じ」ように出来る部分が日常生活ではほとんどなので、学力だけで進路先を選ぶと「居場所感」を持てなくなる可能性もありますよね。本当に、難しいです。
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