僕もプライベートでは1児の父親です。
我が子のことは心から大切に思っています。
ですが、当然四六時中一緒にいることはできないわけです。
そうすると、彼と関わってくれている方たちに、お預けしている間のことについては委ねる必要があります。
この「委ねる」というのは、案外子育てでは大切だと思います。
学校、学童、祖父母、病院、習い事…息子を託す、というところでぱっと思いつくのはこういう場所です。
それぞれの場所に僕ら夫婦とは違った価値観を持った人たちがいるのです。
そして子どもを育んでくれているのです。
あるいは病院などは見立てや治療もしてくれるのです。
それぞれの立場と価値観で、それぞれの責任の下、様々なかかわりを持ってくださっています。
そこへ預けているのですから、判断やかかわりについても委ねるのが筋というものだと、僕は考えています。
何しろ、僕自身ができないものをお願いしているのですから。
出来るのであれば託す必要はわざわざないのです。
委ねることができず、相手の価値観に疑問があるということであれば、託さず自分でやる。
そういうある種の覚悟が子育てでは必要だとさえ思っています。
仮に僕自身が、それぞれの場所へ「我が子のことは1番分かっているから、こうしてください」と口を出すと「託す意味がない」というものです。
託すことができないのであれば、自分で多少の苦労をしながらもそばにいる必要があるでしょう。
委ねることに慣れていないと、ドキドキしたり、ヤキモキしたり、ソワソワしたり、イライラしたりすることだってあるかもしれません。
親心としては当然あるものです。
僕も多少はあります。
でも、そこをグッとこらえて「委ねる」のです。
そうすると、託された側は自身の責任で役割を全うしてくれることでしょう。
それぞれの専門性が違うのですから、違った視点や意見もあるでしょう。
それを承知して「託す」「委ねる」ということに挑戦してみてください。
↓ここから下はハッキリ書きます。
「大変なんです」ということで、誰かを頼ったり託したりするのであれば、委ねることまでセットでしてみてください。
オブラートに包まずに言うと「あなたのやり方だけでやってきて大変だったんでしょう?他の方法で上手くいくことがあれば良いじゃないですか」ということです。
それを「甘いからうまくいっているだけ」「家ではそうはいかないんだから止めてくれ」みたいに思って制止するのであれば、預けない方が良いです。
もっと言うと、「本当に状況を改善したいのですか?」という問いさえ突き付けられかねない問題です。
厳しいことを言うようですが「大変な中頑張っている」という自分を評価してほしいというだけで終わってしまいます。
関わろうとしてくれる周囲の人たちの根っこには「少しでも役に立てるのであれば」があるはずなんです。
「大変な中頑張っている」ということはちゃんと知ってくれています。
その「大変な中」から脱するための手段として立場によっては淡々と物事を進める人もいるでしょう。
そこに「大切な我が子をこんな“熱”のない人へ預ける」ことへ抵抗を覚えることもあるかもしれません。
でも、支えようとする人たちの多くは、「子ども」の中に「家族も含めた周囲」を含めて考えていくものです。
曲がりなりにもそれぞれのプロ。
おそらく、その人からすると、それが「必要」なのです。
この記事を見て嫌な気持になったり、苛立ちを覚える方もいるかもしれません。
けれど、僕自身はそう思います。
「委ねる」ことが出来ている人は、間違いなく輪も広がるし、より子育てが尊いものだと感じられるようになっていっているように思います。
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