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2019年9月30日月曜日

大学生奮闘中!

大学生と一緒に展開している月曜日の学習サポート。

「勉強したくなーい」というのが口癖のような小学校6年生男子。

とにかく楽しそうにお喋りしたり、室内にあるホワイトボードにお絵描きを始めたり…(^^;

「勉強したくなーい」子にとっては、大変ですよね~。

僕は大学生に任せているので、やり取りを基本的には眺めています。

会場の備品が壊れるような使い方をしない限り、ただただ子どもと大学生サポーターの様子を見ています。

大学生を自分のペースに誘い込みたい子ども。
子どもになんとか学習の方へ向いてほしい大学生。

駆け引きが面白いです。
僕から大学生へは「学習塾とは違うから、学習をすること、成果を上げることにとらわれずに、『学習のサポート』になると思う関わりを」と注文を出しています。

まずは信頼関係を作って「この人となら過ごしても良いかな」と思ってもらえて、その先に「この人となら勉強しても良いなぁ」みたいなものが芽生えれば良いと思うので。

「サポート」「支援」…言い方は色々あるかもしれませんが…この類い、基本は“待つ”ところにあると思うのです。

何もせずに待つのではなく、機会を逃さないようにして“待つ”。

そういう仕事だと思っています。

「今!」って思ったときに踏み込んで、内で備えていたものを子どもたちへ手渡すイメージ。

そういう根気強さが必要だと思います。

今日は、ホワイトボードに落書きし始めた子どもを、しばらくは机上に戻すためにどうしたら良いかな?と考えていた大学生。

でも押しても引いても状況は変わらず。

そこで大学生サポーター考え始めました。

大学生からホワイトボードに向かっていきました。
学習内容としては、図形をしていたことが幸いしました。

ホワイトボードに対象な図形を描き始めて、ホワイトボード上でやり取りを始めました。

それに子どもが乗ってきて、気がつけば机上に戻っていました。

スゴいぞ、大学生!

こうやって手立てになる手札を増やしていくんですね。

子どもに寄り添いながら。

大学生サポーター皆さんが、息抜きと学習、お互いを知るためのコミュニケーション…
限られた時間をどのように使うか、子どもを見ながら組み立てられるようになってきました。

楽しみな、頼もしい大学生が集まってくれて嬉しく思います。

2017年11月2日木曜日

悪者に共感することは難しいのかもしれない

座間市で9人の遺体が見つかった事件。
極端だし、身近でもないので例に挙げるものとしては適切ではないかもしれませんが。

あの報道を最初に知って思ったこと。

「なぜ?分からん」

でした。
動機は捜査で明らかになるのかもしれません。
恐らく報道もされていくことでしょう。

その中で僕は流れてくる情報(限られてはいるけれど)の中で、容疑者に共感できるポイントを見いだせるのか?ということを考えています。

亡くなった被害者の方の情報はまだ、報道量としては少ないように感じます。
それでも、被害者側、あるいはその遺族の気持ちのほうが共感はしやすい気がします。


本当に極端な話でした。

こんな極端なケースでなくても、子どもたちと関わっていると、身近にトラブルやケンカというものとは結構遭遇します。

その際、絶対的な悪、みたいなものはなかなかないけれど、《大人から見て》「あなたが悪いでしょう」ということは、たまにあります。

その時、(これまた《大人から見た》)被害者(児)がいると、そちらに「辛かったね」「悲しかったね」と共感を示すことは比較的しやすいように思います。

前者の子どもたちには「諭す」「叱責する」ということが多くなって、「共感する」ということは、ついつい忘れがちにならないか、と考えています。


自分の価値観、とそぐわない「悪者(にされる人)」に共感するということはとても難しいものです。
それでも、その「悪者(にされる人)」だって「心」を持っていて、「心」に従って行動をとっているはずです。
たとえ、その行動が衝動的であったとしても、「心」があるはずなのです。

子どもと関わる仕事をしていく以上、目の前の子どもの気持ちには都度寄り添って、考えて、思いを馳せて、共感をしていけるように心がけたいものです。

2017年1月7日土曜日

「せっかくのジャンパー」S君の大切なもの

「えるそる むなかた」でのサポート、今日は集団遊びでした。

数人の子どもと共に公園へ出掛けました。
高学年の集まりに1人、小学1年生のS君が着いてきました。
同行したい、という旨を伝えてきたので「今日は高学年向けの外遊びだよ」という話をして悩んだ末、「行く」と、選択した彼。
意気揚々とついてきて、遊びに加わるも、土台の体力が違うから飽きて、直ぐに離れてしまいます。

何度か、遊んでは離れ…を繰り返していて、そのうちにベンチに座ってしまいました。

S君「疲れた!寒い!耳がいたい」
永田「ジャンパーのフード被れば良いじゃん」
S君「せっかくのジャンパーだもん」

永田「せっかくのジャンパーなんだから、せっかくのフードを被れば暖かいやん」(フードを被せる)
S君「やぁめて!せっかくのジャンパーなんだから」

そう言うとズボンのポケットから、ハンカチを出して、顔と頭の汗を拭いて…
それからフードを被りました。

永田「お気に入りのジャンパーなんだ」
S君「そうだよ」

僕が見た「機能」としてのせっかくのジャンパーと、彼の「ジャンパーに対する思い入れ」としてのせっかくのジャンパー。

このすれ違いがあったんですね。

子どもの気持ちをもっともっと見ていかないとなぁ。

子供心を持って!