1985年生まれ福岡県宗像市在住。西南学院大学国際文化学部卒業。 2008年福岡県警察に入職するが突発性難聴を発症し退職。 難聴や精神の落ち込みを様々なサポートで乗り越え、支援者という立場に回りたいと考え、2009年障がい児者支援団体に就職。障がい児者に療育的プール活動と学習支援活動を提供する指導員として勤務。 2016年福岡県宗像市で療育活動を提供する知的・発達障がい児者支援団体「ぐるんぱ」設立。知的・発達障がい児者、その他困り感を抱える子どもたちへの療育的プール活動と学習支援活動、福祉事業所顧問、保護者学習会主催などの事業を展開。一般企業へも発達障がい啓発・対応研修も行う。 「オムツの取れなかった10歳児がプールを始めて3か月でオムツが取れた」「家庭学習が定着した」「自傷・他害行為が減った」「従業員の仕事効率が上がった」など各家庭や社会生活に寄り添う支援を実践。 お問い合わせは、下記のいずれかへどうぞ。 メール:gurunpa.munakata@gmail.com 電話:090-5724-0660 ぐるんぱHP:http://gurunpa-munakata.jimdo.com/
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2020年1月2日木曜日
正月休みに感じるのは息子の成長
2019年7月17日水曜日
息子のひた向きさに励まされ
息子がスキップを覚えました。
トトン、トトン、トトン…と、リズムよく足を踏み鳴らせるようになりました。
それを嬉しそうに「お父ちゃん、見て!」「お母ちゃん、見て!」と伝えてきます。
スゴいね、楽しそうに見えるよ。
と伝えると「スキップってね、嬉しいときにすると」と。
そう、そうやって気持ちとか感情とかを伴いながら、情緒豊かに過ごしておくれ。
父は願っています。
「晴ね、こんなのも考えてみたんだ」と言いながら、その場でくるくると回りながらスキップを踏んでみたり、後ろ向きにスキップしてみたり、アレンジもしています。
彼を見ていると、本当に毎日を一生懸命に、ひた向きに歩んでいるな、と感じずにはいられません。
今朝は、保育園へ送り届けたときにもスキップで、お友だちの元へ向かいました。
お父ちゃんも1日お仕事を頑張ってきます。
今から赤間保育園で、サポートです。
2019年6月14日金曜日
ベビーカーを押して車道を歩いているママの話
晴哉もすっかりベビーカーを卒業したけど…
先ほど車で、ベビーカーを押す若いお母さんとすれ違いました。
すれ違うときに少し目が合って会釈をされました。
それも申し訳なさそうに。
何故だと思いますか?
そのお母さん、車道を歩いていたんです。
ベビーカーを押しながら。
日の里は、基本的に素敵な団地です。
住民も概ね穏やかで、親切な方ばかりだし。
ただ、歩道が荒い。
起伏も激しいし、路面もガタガタ。
そういうところが多いんですよね~。
僕も晴哉をベビーカーに乗せて散歩するときは苦労しました。
僕は腕力もあるから、「よっ!」とベビーカーを持ち上げたり、片手に晴哉を抱えて、空いた手でベビーカーを持つことも出来ました。
でも、妻は必ずしもそういうわけにいかなかったです。
押していてもタイヤが路面に引っかかって進まなくなることもありましたし、引っかからなくてもガタガタと小刻みにベビーカーが揺れ続けることも気になっていました。
恐らくずっと車道を歩いている訳ではないでしょう。
あのお母さんも、危ないことは百も承知なんです。
だからあんな表情をしていたんだと思います。
一時的にでも、車道を押さないといけないと判断したのでしょう。
子どもって宝じゃないですか。
多くのパパママが、授かった喜びを噛み締めながら過ごしているし、そうやって子育てしていきたいって願っているはずなんです。
あんな風に申し訳なさそうにしなくても、安心して気持ちよく歩ける町になったら良いな~。
直ぐにどうこう出来るものではないでしょうけれどね。
ただ、息子がまだ3歳なのに、ベビーカーを卒業した途端に、こういう経験とか感覚って薄れるんですよ。
だから、なかなかリアルでタイムリーな声が届かないのかも、と思ったのと、自分が何かの折りに思い出せるように残しておきます。
2019年5月21日火曜日
シールペタペタ
息子にも突然訪れました。
妻の仕事道具のシールを見つけ、おねだりの末、見事に手に入れました♪
せっせとせっせと。
オモチャに貼り、テーブルに貼り…
車に貼ってステッカーにしていました。
テーブルに貼った分は高速道路だそうです。
息子曰く「ビュンビュン道路」
良いなぁ。
なんか、見ていてほっこりなる。
楽しめ楽しめ。
2019年5月6日月曜日
身近な人が愛情を注ぐということが、最初の防衛になるという話
昨日、大学時代の友人と奥様とゆっくり話をしていたときのこと。
我が家は、現在3歳児の育児真っ最中。
先方は、10ヶ月の子どもの育児真っ最中。
ということで、会話も子育ての話とか子どもの話になりがちです。
友人と奥様は全く別業種ですので、完全に家族としてのお話です。
「子どもたちを虐待やDV、それから犯罪から守るための最初の防衛策は、愛情を注いで子育てしていくことだと思う」
こういう旨の言葉が奥様から発せられ、「そうだよね~」と納得しました。
我が家も友人宅も、子育てを楽しんでいる方だと思います。
もちろん色々ありますが。
それでも、子どもの存在への愛しさと、日々直面する子どもとの出来事にも愛しさを感じています。
また、恐らく僕も友人たちも、親から健全な愛情を受けながら育ってきたのだと思います。
でも、いろんな環境、状況、境遇の中で育ったり、子育てしたりする人が世の中にはいます。
それをここにいたメンバーは、ある程度分かっています。
だから、ここで言う「子育て」は必ずしも我が子についての話という訳ではなくて、近所の子であったり、孫であったり、仕事であったり、地域であったり…とにかく、「その子の周りにいる大人が、愛情を持って子どもと過ごす、関わる」ことだという認識を共有しながら、話していたように思います。
「子育てに正解はない」ということがよく言われます。
それは、確かにそうですが、「子どもに幸せに人生を歩んで欲しい」と願うことは、忘れたくないし、子育てする人には忘れてほしくないと、思ったりはします。
この「奥様の子育て観」が「僕の子育て観」に近いだけ、そう言われればそれまでですが、こんな風にどこかで思いながら子育てに向かうお母さんと話をすると、ホッとするし励まされるし、勇気を貰います。
教育も必要だけど、その教育を受けるための土台というか、もっと言えば自分で考えたり判断したりしながら身を守る、大切なものを守るということをするための土壌作りこそ、子育てなんじゃないかな?
そんなことを昨日の帰り道に考えながら運転していました。
2019年5月4日土曜日
刺激たっぷりの連休
連休2日目、今日は夕方に家族で愛犬も連れて、また福津市の宮地浜に行っていました。
(午前中は例によって息子とプールに行っていました(笑))
今日は、海辺で息子と共に裸足になって歩きまくっていました。
乾いた砂浜、潮が引いた後の乾ききっていない砂浜、足の甲まで波が来る砂浜、それから流れ着いた海藻を足で踏み踏み…
それぞれの感触の違いを存分に味わっていました。
「気持ちいいねぇ」「冷たいねぇ」「ヌルヌルしてるね」と、とっても楽しそうでした。
いわゆる住宅街に住んでいると、普段は外を歩くときには、余程じゃないと靴を履いたままになります。
アスファルトだし、いろんなものが落ちているし…
でも、裸足でいろんな刺激を受けるのって大切だと思います。
今のご時世、学校の帰り道も寄り道、道草も良しとされない風潮があります。
僕が小さい頃はまだ、寄り道もしていたし、どぶ川に入ってザリガニを捕まえて、それを手に持って帰るということもしていました。
今だと「危険!入るな」みたいな立て看板があってもおかしくないところに、ズブズブ入って遊んでいました。
他にも、落ちている小石でアスファルトに落書きして帰ったり…傘が壊れるまで振り回して帰ったり(笑)
とにかくいろんなことをしながら帰り道も楽しんで、帰りついたと思ったら直ぐに外に遊びに出ていました…
今の子どもたちは、今の子どもたちで、素敵な過ごし方をしている子たちが多いのも確かです。
でも、「行儀よく」が求められる感じがしています。
遊びもそうだし、生活の中で様々な刺激を入れて、感じて、自分自身のことについてたくさん気づきを得て欲しいと思ったりします。
この連休、目いっぱい息子と体を使って遊ぼうと思います。
明日は、朝から大学時代の友人家族らと共に海の中道でピクニックの予定。
遊びまくるぞ~!と、子ども並みに張り切っている永田です♪
写真の二枚目は、じぃじに双眼鏡をねだって、小さなオペラグラスをゲットしてご満悦な様子です。
2019年5月1日水曜日
ミニカーを人に見立てること
息子が「見て~!あぶく立ったしてるよ♪」と声をかけてきました。
見に行ってみると、ミニカーを写真のように並べて「あぶく立った♪煮え立った~♪」と歌ってくれました。
ミニカーを擬人化しているわけですね。
アニメなんかだと一般的です。
例えば乗り物を擬人化したものとしては、機関車トーマスが代表的ですね。
この半年、1年くらい、この手の遊びがどんどんと増えてきています。
我が家は犬を室内外している影響もあって、「愛犬を喋らせる」的なものが、僕が見た最初の擬人化だった気がします。
動物から始まって、ぬいぐるみの擬人化が次でした。
その後は、アンパンマンの影響でしょうか?食べ物を擬人化して、いつだったかは「えーーん、食べられちゃうよー!助けて―」「いーよー、晴が助けてあげるからね」なんて言って食べたくないものを脇にやっていたこともあり「ぅおぃ!」とツッコミを入れたことがありました(笑)
そして、最近はディズニーのカーズにハマっている影響か、乗り物の擬人化をしてよく遊んでいます。
そこから普段の息子の様子をさらに結び付けてみると、感心することがいっぱいです。
例えば、こんな風に僕には見えます。
・生物と非生物の区別が出来ている。
・動物は僕らと同じように感じたり考えたりしていると、ある程度理解しつつ、そうであって欲しいと願っている。
・「いのち」の学びの入り口に立っている。
・身の回りのモノ、生き物へ愛着を持つことが出来るようになってきている。
この辺りは、この遊びを通して学んでいっているのかな?と見えます。
他にもいろんなことを学んだり考えたりしながら遊んでいるんだろうなぁ…と思います。
いっぱい遊んでのびのびと育っていって欲しいです♪
2019年4月30日火曜日
我が子の願いを“どのように”叶えるのか
2019年4月11日木曜日
保育士さんの積み重ね
泣いて登園する日が続いていました。
それが昨日から笑顔を見せて登園してくれるようになっています。
以下、Facebookに投稿した分のコピペです。
(お、急にどうした😄?)
僕「うん、見せて~。どんなことすると~?」
晴哉「こうすると~。見てて~。」(ニコッ)
晴哉「うん、A先生、優しいと~🎵」
と言うか、確か1人じゃないかな?
先生の真似をする、で笑顔ですよ!
きっと、たーくさん、それぞれの子どもたちの保育について検討を重ねていらっしゃるのだろうなぁ。
ありがたい限りです。
2018年2月15日木曜日
「りすさん、いぇんいぇん」
ちょっと今日はプライベートなことを。
息子、保育園の進級を控えて、1つ上のお兄ちゃんお姉ちゃんたちのいるクラスに、保育時間中に交流しにいっているようです。
お友達も違う、先生も部屋も違う。
違うことだらけで戸惑うのでしょうね。
この2週間、毎朝泣きながら登園です。
「りすさん、いぇんいぇん」と泣いちゃっていることを本人も訴えてきます。
保育園からの連絡帳にも「りす組さんで、涙を浮かべたのをこらえながら」ということが書かれていることがあります。
でも、連絡帳には(安心して見守ってあげてくださいね、お父さん、お母さん)というメッセージを感じるのと、とても素敵な先生方なので、お任せしていきたいと思います。
息子が保育園から帰ってきて、僕らの親も帰ってきて顔を合わせたときには、目一杯心も体も抱き締めてあげようと思う日々です。
もうね、我が子の頑張りも涙も笑顔もワガママも寝顔もくしゃみの後の忍たま乱太郎のしんべい並みのハナ垂れ顔も風邪を引いてちょっぴりしんどそうな顔も…
全部、全部、彼のことが好きでたまらないので、「りすさん、いぇんいぇん」の彼の気持ちに寄り添って、励まして、慰めて、褒めて…親として一緒に歩んでいきたいと思います。
2018年1月11日木曜日
子どもの背景には必ず家庭があることを忘れずに
2018年1月4日木曜日
息子とたっぷり過ごした三が日
今年は息子とたっぷり年末年始を過ごしました。
ゆっくり過ごすと成長ぶりも色々と気づくことが多かったです。
まずは「上」とか「下」といった概念が芽生えてきたこと。
自宅の2階は「上」だし、1階は「下」だし高いところにあるものを取って欲しいときも「上」です。
2つのものを上下に並べてみても「上」と「下」になってきました。
それから、我が家の玄関には、僕がたまに仕事に持っていくキャスター付きのスーツケースを置いてあるのですが、それをコロコロと転がしてたまに遊ぶ息子。
その際、カーペットなどを巻き込まないように、通るコースにある障害物を予め動かしてから遊び始めることが増えてきました。
予測、見通しも立てられるようになってきたようです。
それから、それから…
つい先ほど、公園に落ちている枝を拾って、僕の方へ突き出して「アンパンマン」と、地面に描くことを要求してきました。
この時は短くて太めの枝を選んでいました。
その直後、地を這っている虫を見つけて、それを突っつくために細くて長い枝に持ち変えていました(笑)
彼なりにしたいことのイメージを持っているのかな?
たくさん彼の成長を感じることの出来た休日でした。
今日からボチボチ支援スタートです。
2017年11月2日木曜日
悪者に共感することは難しいのかもしれない
2017年8月29日火曜日
朝から夕方まで一歳児と過ごしてみて気付くこと
息子が体調不良の為に保育園をお休みしていました。
仕事も夕方までお休みして、1日一緒に過ごしていました(18時~支援。妻とバトンタッチです)。
保育園をお休み、と言っても息子はすこぶる元気(子どもって余程じゃないとぐったりしないですよね。僕も子どもの時分はそうでした)
なので、元気な息子を1日遊びながら気づいたことをツラツラと書いていくことにします。
もう、父親目線満載の誰も楽しくも学びもない完全日記的記事になります(笑)
・オノマトペの達人
擬音語の多さにびっくりします。
カ行が上手に発音出来ないでいますが、出せる音を駆使して、外から聞こえる音を実に上手に真似をします。
・見立て遊びの達人
見たもの、体験したことをよく覚えています。
それを、まるで目の前にあるかのように再現してくれます。
今日はブロックを「トントン」と言いながら指で叩きながら包丁で切るような動作をしてから僕の口に運んできました。
・しっかりと仕訳が出来る
途中で汗をかいていたのでシャワーを浴びさせようと脱衣所に連れていったとき、洗濯籠に貯まっている洋服を見て「ちゃーちゃん(お母ちゃん)」「ちゅーゃん(お父ちゃん)」と言いながら服を持ち上げます。
それがほとんど間違えることなく、どちらの服か言い当てるんです。
恐るべし一歳児。
・身体を使った遊びも大好き
部屋に転がしているサッカーボールを蹴ったり、その上に座ったり。
片足立ちにチャレンジしてみたり、「ばん!」と言いながら床を踏み鳴らしたり。
・真似が大好き
部屋で仕事をしていた僕が伸びをしたら真似をして「んー!」と伸びをして、面白いのか何度も繰り返していました。
愛犬がワンワン吠えたら「めっ!」と注意しに行ったり、大人の真似をたくさんします。
なんかたくさん発見があって書ききれないけれど、思いがけず二人で過ごした時間は喜びでいっぱいでした。
段々と夕方から夜にかけて忙しくなってきたので、我が子と過ごす時間が短くなってきました。
仕事をする身としてはありがたい限り。
でも息子との時間もやはり愛しいのです。
という訳で、9月以降たまに保育園を休ませて一緒に過ごす日を作ろうかな、と思っています。
こういう時に調整が出来るのはフリーの特権♪
2017年5月1日月曜日
恋愛とか性とか
今日は僕が子どもたちと関わる上で感じてきた恋愛や性のことについて書いてみます。
プール指導をしているときというのは、当然僕も生徒も水着です。
水着というのはご存知の通り、洋服に比べて薄かったり、露出が多かったりします。
そうすると性差というものを感じやすいし、意識もしやすい現場ではあります。
また、プール指導はどうしても体に触れながらしないといけないという場でもあります。
物理的な距離も縮まるし、指導を重ねると信頼関係というか絆みたいなものも育まれて、精神的な距離感も縮まります。
(特に生徒が異性の時には、体に触れることについて細心の注意を払っています。水中で例えば腹部に触れなくてはいけない時には手のひらを出来るだけ使わず手の甲側を使うということもあります。他にも手で触れても、こちらの腕以上の部位の接触は出来るだけしないようにするなどしています。)
まぁ、とにかく距離感が縮まりやすい時間なわけです。
ここでお尋ねなのですが、みなさんが学齢期の頃とかに「異性の憧れの先生」とかいませんでしたか?
「〇〇先生ってカッコいいよね~!きゃーー♪」
とか、
「○○先生って、美人で優しくていいよなぁ」
くらいのものです。
記憶の片隅にこんな思い出を持っている人は案外多いはずです。
僕も記憶にあります(笑)
そういうことが稀に起こるわけです。
そういうのってすぐ分かります。
「あ、この子、なんか僕のことを異性として見てるな」と。
「恋愛に近い感情を持ってるな」と。
恋愛とか性とかいうのはとっても難しくデリケート。
感情とか認知とか目に見えない部分が大半を占めますから。
そして「悪いことではない」というのが難しさを生みます。
「人を好きになる事」というのは良い感情です。
けれど、恋愛関係として深みを持たせていくことが可能かというのは、また別問題。
本人の抱える特性や事情、背景もあるし、そもそも相手がいること。
「友達としては好きだけど、恋人としてはちょっと…」ということはよくある話。
「生徒としては良いけれど、恋愛の相手にはなれないよ」ということは伝えなくてはいけない部分。
でも、その伝え方を間違えると「私を受け入れてくれない」という風になってしまいます。
丁寧に伝えていかなくてはいけません。
「人を好きになる」という感情は否定せず。
僕も中学生くらいの頃かな?
片思いしていた女の子がいて、振り向いてもらえなくて、徐々に「この人とは恋愛関係が深まることはない」というようなことを、ぼんやりと感じながら、気持ちが少しずつ冷めて、また次の恋をしていった、という経験があります。
そういうことです。
人を好きになっても良い。
でも、恋愛関係が深まるかは別。
恋愛だけでなく、性というもう少しデリケートなことについても同じ。
(恋愛と性は全くの別物ではないですが、ここでは別に書いていきます)
男性の性の象徴はやはり性器ということになるでしょう。
女性の方は視線に振れやすいというところで胸でしょう。
(動物生理学的にも異性を引き付ける要因であることはよく言われますよね)
プールというのはやはりそれらも強調される場です。
ぴっちりとした水着ですし、それは仕方がないのです。
だから、学びの場になるとも思っています。
行動や視線、態度…
不特定多数の人がいる中で、誤解されないための振舞い、適切な距離感を伝えていきます。
それは、もちろん子ども一人一人によって違う伝え方になります。
プールという場で取り組んでいるのは、こういう事。
他にも保護者の方から相談されることもあります。
特にマスタベーションのことなど。
誰にでも話したり、相談したりできることではないですものね。
やはり、そういうプールという場で関わる相手だから、ということで相談されるのかもしれません。
で、マスタベーションということについて。
難しいことではありますが、これは出来れば同姓の大人が伝えていくのが良いかな?というのが個人的な考え。
男子の方がその辺は必要性に迫られることが多いと感じています。
この場合、男親あるいはそれに近い立場の人がいればその人が教える。
構造化して、時間、場所、流れなどを伝えます。
「準備」や「片づけ」も自分でしなくてはいけませんので、これらを伝えることが大切です。
女子の場合は、女親やそれに近い人というのは、同じなのですが、まずは、マスタベーションについての考え方は男性よりも個人差が大きいというのが現実でしょう。
男性のほとんどが経験していくのと比べると、経験しない、あるいは経験としてあっても、習慣的にはしない、という人の割合がとても高くなります。
男性の性欲というのはある種、排泄欲に近いものと言われます。
女性のそれとはそもそも欲求の質が違うのです。
ですから、女子の場合はマスタベーションを認めるか否か、というところからまずは考えて、認めるならやはり時間や場所についてしっかりと約束事を決めて構造化を図ることが大切です。
男女ともに、決めたところ、時間以外にはしない、という約束や、他人の象徴に安易に触れてはいけないなど、練習することはたくさんあります。
「嫌よ嫌よ」も好きのうち…なんて言い回りがあったりもしますが、そういうことで済ませられないデリケートな話です。
不適切な行動に対しては毅然とした態度で、「いけない」「やめて」ということを伝えなくてはいけません。
講釈を垂れるのではなく。
体験として、経験として、伝えることは伝え、練習することは練習をする。
そういうことが必要なのが、恋愛や性の問題。
これは何も障がい児者に限った話ではなく、誰にでも言えることだけれど。
永田の恋愛とか性についての、支援者としての立場はこういうところです。
何かお尋ねがあればいつでもどうぞ。
2017年1月24日火曜日
11ヶ月の息子の入浴について
息子ももう11ヶ月。
最近は、週のうち4~5日は僕が入浴をさせています。
風呂の中でもじっとしていないので、僕が身体を洗ったりしている間は、僕の足下で「あひるさん」やら洗面器やらで自由に遊ばせています。
シャワーがかかろうが、多少滑ろうがお構いなしで遊べるたくましさがついてきました♪
彼を洗うときも、わざとシャワーを頭から浴びせる場面を作って水慣れも順調です。
浴槽に入っても、基本的には縁につかまり立ちをさせて、一緒に遊んでいます。
洗面器で湯をすくって、頭からザバー!!ってしてやったり(笑)
水鉄砲で湯をかけたり。
とにかく楽しんでいます♪
少し前から仰向けで浮かぶ練習も始めてます。
湯の中で仰向けにされたら、じっとしていられるようになってきて、じっとしていれば、呼吸も問題無いことが、段々と結び付いてきたみたいです。
(最初は動こうとして、却って湯を飲んで慌てることもありましたが)
仰向けで目をキョロキョロして、僕と目を合わせる余裕も出てきました。
昨夜のこと。
僕が思いがけず湯の中でバランスを崩して、大きな波を立ててしまいました。
その波に持っていかれて、晴哉がうつ伏せでドボン!
「おっと!」と思って救出に。
そしたら、身体が浮いた時点で顔を横に捻って呼吸していました。
直ぐに引き上げましたが、感心してしまいました。
もちろんまだ「息を止める」なんて事はできないから、湯を飲んでしまってはいました。
それでも「ケホッケホッ」と咳き込むだけで泣きはしませんでした。
乳幼児のお風呂での事故で、大事に至るのは、顔が水にかかり慌ててしまい、パニック状態で水を大量に飲んでしまうことが、大きな原因です。
その事もあり、少しずつ段階を踏みながら練習してきましたが、思いがけず成果を確認出来ました。
あと半年~1年くらいかけて、浮かんでいる状態で身体を自由に動かせるということを身に付けさせられないかな?とおもっています。
そうすると、今回みたいにうつ伏せで水に落ちても、自分で仰向けになる、ということに繋げられるかもしれないな、と思っています。
1つずつ。
一歩ずつ。
大きくなっていって欲しいと願っています。
※ここまで来るのに、本当にいろんな準備をしてきています。
安易に真似して事故に繋がることのないようにお願いします。
2016年12月31日土曜日
急に寝付きの悪くなった生後10ヶ月我が子へ伝えてみたこと
お昼寝の時間はちょっと少なめで、日中にブリブリ活動する息子の晴哉。
その代わり、夜の寝かせ付けで苦労したことはありません。
1度寝てしまうと数時間(日によっては明け方まで)起きません。
でした。
それが、この数日、寝付きは悪いし、夜中にも何度も起きる、という感じでした。
心当たりが無いこともないんです。
実は、段々と寝相が激しくなってきまして、ベッドから落ちてしまいました。
(落ちないように土手を作っていましたし、万が一それを越えて落ちてしまっても怪我しないように布団を下には敷いていました)
寝かせ付けした後に家事をしていたら、落っこちてしまったのが数日前。
そこで、寝室のベッドの下に家族みんなで布団を敷き寝ることにしました。
寝る場所が変わったからでしょうか?
途端に寝付きが悪くなり、夜中にも泣いて起きることが続きました。
で、考えてみました。
彼が何故泣くのか?と。
で、僕の至った考えが以下の通り。
泣き方から不安そうな感じを受け取ったので、「なんで寝る場所が変わったのか説明してあげないといけないかも」と思いました。
10ヶ月の赤ちゃんに説明?と思うかもしれませんね。
でも大切なことだと僕は思いますし、この考え方に妻も賛成してくれました。
だって、生後10ヶ月だって「人」ですからね。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、一生懸命生きている彼にも、敬意を持つ必要性を感じています。
話をする役は僕が引き受けました。
大体に於いて、僕が寝かしつけの役目を担っていることもあるので。
で、今夜寝かし付けの場面。
寝室で寝かせたら、また鳴き始めました。
晴哉「うわーーん、うわーーん!」
永田「晴、お話があるから泣きながらで良いから聞いてね」
晴哉「うわーーん!」
永田「晴、寝る場所が変わって驚いたよね?」
晴哉「うわーーん!うわーーん!」
永田「寝る場所が変わったのはね、あなたを守るためだからね」
(この瞬間から急に泣き声が小さくなりました)
永田「何日か前にね、あなた、ベッドから落ちちゃったでしょ?あなたが毎日毎日少しずつ大きくなって、出来ることも増えてきて、身体も上手に使えるようになってきて」
(すすり泣き)
永田「お父ちゃんもお母ちゃんも、あなたの成長をとっても喜んでいるんだけど、少しあなたの成長に追い付いてなかったみたい。それで、『大丈夫』と思っていたら、あなたがベッドから落ちるような状況にしてしまったの。」
(完全に泣き止んでいました)
永田「それで、お父ちゃんとお母ちゃん、反省してね、考えたの。『もうあんなビックリするようなことさせたくないよね、ケガさせたくないよね』って。それで、ベッドの下でみんなで寝ることにしたんだよ。あなたが安心して眠れるように。お父ちゃんとお母ちゃんも安心して眠れるように。そうしたら、昼にもみんなでニコニコ出来るからね。だから、安心して寝てね。寝る場所が変わってもちゃんと側にいるからね。いいかい?大丈夫だからね」
(指をしゃぶって寝入りました)
本当に解釈のレベルだけど、僕は話したことが伝わったと信じたいです。
よく「この子、よく分かってる」と、赤ちゃんに向けて話をしている大人いますよね?
うちもそうです。
よく夫婦で「本当によく分かってるね」なんて言い合っています。
仕事でも、重度の知的障がいを持っている子相手でも、「よく分かってる」的な話をすることってあります。
なのに、説明をするときになると「言っても分からない」ということを考え出すんですよね、何故か。
「分かってる」んじゃなかったの?と思うわけです。
そりゃ、言葉の一語一語が分かるかどうかは知らないけれど、伝わるものはあるはずです。
それをその時々で「分かってる」「説明してもらうと分からない」と使い分けるのは、周囲の都合で、怠慢だと思うわけです。
僕はこれからも晴哉に対しては、何かあれば説明をしてあげたいし、そうやってやり取りを今のうちから重ねてあげたいと思っています。
今、夜中の2時。
少なくとも昨日よりはよく寝ています。
「親バカ」かもしれませんが、伝わって、幾分か安心してくれたんじゃないかな?と思います。
「親バカ」で良いです。
「バカ親」にはなりたくないから。