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2020年3月4日水曜日

【YouTube】離席へのアプローチ

今回は離席について。

詳しくはご覧ください。
文章の方がいい方は、別記事にもアップしています。

2020年3月3日火曜日

離席、ということについてのアプローチ


多動傾向のある子どもにつきまとう「離席」の問題。

僕と学習をしている子の中にもいます。
“ついつい”離席をしてしまうという子が。

でも大抵、離席の回数や時間は減ってきます。
それは、僕なりに見立てを立てて、そこへアプローチをしていくからです。

「教科学習」というところだけを見るとどうしても置き去りになるところです。

教科学習の内容理解や定着については、正直、後からでもどうにでもなる問題だと思います。
それよりもこういう離席の理由など、学習するための土台を支えるものへアプローチを重ねていくことが大切だと思っています。
でないと、「積み重ねる」ということが出来ません。

では、実際にそこへアプローチをするために踏んでいく手順をご紹介します。


もちろん日ごろの観察から、理由が分かるということもあるかもしれませんが、ますは見立ての仕方から。


1.「どんな感じがして立ってしまうの?」と、まずは聞いていく。

これで具体的に落ち着かない理由が聞き出せることもあります。

例えば、「足がムズムズする」みたいな言葉が出るかもしれません。
あるいは、「背中が落ち着かない」とか「お尻が痛い」とか…
もしかしたら「目が痛くなってくる」なんていう意外な話が出てくるかもしれません。

今、書いた例は、実際に僕が関わってきた例です。
子どもたちは意外な理由を隠しながら頑張っているということが分かると思います。
周囲の目からはなかなか見て捉えることが出来ない理由があるかもしれないのです。



さて、話を戻します。
話を聞いていく中でなかなか出てこないとき、次に何をするか?


2.「ちょっとじっとしてみて」と座ってもらう。

話で聞き取りが上手くいかないのであれば、実際に再現をして探るということもあります。

「ちょっと座っててね」と伝えたきり、何の声もかけず、待ってみます。
すると自然に動きたくなって身体を動かし始めます。

この時に“どこから動き始めたか”“どう動き始めたか”ということを確認していきます。

そこにアプローチの方向性が現れるはずです。



基本的にここまですれば、アプローチの方向性は見えてくると思っています。

では、先ほどの例をもとに具体的な手立てを紹介します。


先ほどの「足がムズムズする」というパターンの場合。
足への刺激入力という方向で考えます。

この時に提案したのは、足元に足つぼマットを置いておき、踏んで刺激を入れられるようにしておくということを試しました。
他にも、こういう道具がNGであれば、「行儀が悪い」と言われがちな貧乏ゆすりを許容していくということも試しました。

そういう風にムズムズするところへ刺激を入れるということをしてみます。
動くということは刺激を入れたいということだという考え方です。


「背中が落ち着かない」「お尻が痛い」という場合。
背もたれの固さを変えたり、あるいは背もたれを外したり、ということがあります。
クッションやタオルなど手触り感や厚さ、硬さを変えてみたりしました。

他にも背中が落ち着かない理由として、姿勢保持のための筋力が不足しているということもあり、座面に低反発クッションを置き、座位を保持するサポートをしたこともあります。


「目が痛い」という場合もあって、これは僕自身も聞いた時には驚いて、アレコレと考えました。
結果、明るさが原因であることが考えられました。
要は、彼にとって学習する環境がまぶしかったのです。。
そこで、照明を一つ落として暗めの環境を用意したり、机に布を布いて、光の反射を防いだりして、環境を整えていきました。



それから本人の言葉として出てこなかったですけれど、「ちょっとじっとしてて」と伝えた後、身体全体を動かし始めた子がいました。
それで、ゆらゆらと揺れる刺激を欲していることが感じられたので、それまで4つ脚だった椅子を、座面が回転するキャスター付きの椅子に変えてみました。
それから、学校でも4つの脚についているキャップを1つ敢えて外して、カタカタと動くようにしてもらったこともあります。


こういうような手立てをして離席を解消したり、減らしたりしてきました。

難しかったのは、音が原因だった時です。
本人の嫌な音がしていた時のことです。
それが複数確認された時でした。
こういう時には、耳栓やイヤマフをするという方向になってくると思います。
あるいは、好きな音楽や音を流すということになるかと思います。
これは出来る環境とそうでない環境がはっきり分かれるので、様々なところへ配慮の依頼を都度していくということをしていかないとならなかったので、なかなか大変でした。


この音の件もそうですし、他の事例でも一時的にでもこういう「刺激」に着目して、そこをコントロールすることで離席が減ったということを、まずは僕と当人とで実感が持てるまで続けていきます。
その後に、その実績を引っ提げて、学校などへ合理的配慮の依頼をしていきました。

いずれにしても、理解を求めるための働きかけは必要かもしれませんが、一時的にでも協力を仰げて、「出来た」という経験を当人が積むことが出来れば、それが自信になって、情緒が落ち着き、離席が減るということがかなうかもしれません。

その先に、進路選択や人生の豊かさが待っていると僕は考えています。


「問題行動」と言われるようなことを押さえつけるようにして、抑え込むようにしていくばかりではなく、その背景にある理由を考え、そこにアプローチすることは、離席問題に限らず不可欠だと思うのです。

2020年3月2日月曜日

いざこざを通して見える息子の成長

4歳になった息子の晴哉。

最近、これまでとは違った様子が見られます。

大体に於いて、我が家では僕が息子を保育園に登園させます。
すると、登園時に彼のお友達が僕の周りに集まってきて、次から次へとおしゃべりを浴びせてきます。

「ねぇねぇ、晴のおとうさん、見て!」
「あれやって!あれ!」(とってもくだらない一発ギャグを何度か披露したのがウケたためせがまれます)

これまで「晴のお父ちゃん、面白いやろ!?」と得意気にしていたのが「晴のお父ちゃん!」とお友達の前に立ちふさがるようになってきました。
でも、それでめげる4歳児たちではないので、晴哉もタジタジになってしまいます。

そこで、周りの子の話などを邪険に扱うこともしたくないので、一通り落ち着いたら最後は必ず晴哉とハグとタッチをしてからお別れをするようにしました。
そして、見えなくなる間際で彼にだけ手を振る、ということも。

すると、満面の笑顔で「お仕事頑張ってね」と僕を送り出してくれるようになりました。


これを続けていたら、次第に友達の前に立ちふさがることもしなくなり、余裕の表情で待つようになってくれました。



幼児期のお友達とのトラブルって、所有権を争うものが圧倒的に多い気がしています。
上のエピソードはこれに当たります。



それから成長と共にルールみたいなものを掲げ始めて、「あ!それいかんとよ!」みたいな発言が生まれて、それがトラブルになることもあります。

最近の晴哉はこちらも見られるようになって面白いです。

「今日ね、○○ちゃんが△△って言ったとよ?悪くない?」と。

その多くが、僕ら両親が晴哉に「その言葉は嫌だな」ということを伝えてきたものです。
彼にとって一番身近な社会が家族ですから、その家族、社会でのルールを掲げて、彼なりの主張をします。

そして僕ら両親に共感を求めてきます。


トラブル…というよりいざこざかな?

主張をぶつけ合って、徐々に折り合いのつけ方を知っていく、とても大切なことです。
相手のことも知りながら、どうしたら解決するのか手探りをして…



いざこざは、長引くときもあれば、すぐに折り合いがつくときもあります。

僕は、保育者のサポートで以て、満足感を得られると、譲歩したり妥協したり、子どもたち同士で折り合いをつけられる道を見つけていくのだと思っています。


いざこざやトラブル。
幼児期に起こるものは、余程でない限り当人たちに任せたいものです。
あるいは、一時的にいざこざの流れを預かるにしても当人の体験として返してあげられるように配慮したいものです。

もし預かるのなら、「あ、こういう方法もあるのか」という気づきと共に返して、彼らの引き出しになるようにできれば良いのかな、そういものを目指したいな、と思っています。

そうすることを繰り返していくうちに、幼いうちは感情的で力づく的な解決方法に偏りがちだったのが、少しずつ言葉を駆使して思考を巡らせて解決に向かおうとするものになっていきます。


いざこざの原因も、解決への道筋も、成長が見られて父としては嬉しい限りです。

子どもが癇癪を起したときの具体的な対応

発達障がいの有無というところに限った話ではありませんが、癇癪への対応というのは丁寧に行いたいところです。

そもそも癇癪を起す原因があるはずですから、そこについてはそれぞれ検討をしていく必要があります。
この辺りについては、その子理解を深めて、不要な癇癪を起さなくて済むようにする、というのが配慮というものだと個人的には感じます。

それでも、癇癪を全く起こさないようにするというのは、不可能ですから、「もし、癇癪を起したら」というところで、具体的な手立てについてご紹介します。


1.落ち着くまで待つ

2.一人になれる空間を提供する

3.説明をする


対応としてはこの辺りではないでしょうか?

順に説明します。

まず、落ち着くまで待つ、ということです。
癇癪を起している間というのは、「もう!そんな話なんか聞きたくないよ!」というパニック状態に近いですから、癇癪の真っ最中にあーだこーだ言っても無駄です。
それは子どもに限らず僕ら大人だって同じはずです。
この時に、無理に聞かせようと思っても上手くいかないのに、無理やり話をしようとすると、大人の方も熱くなって、収拾がつかなくなるばかりです。
まずは、落ち着くまで待つ、というのは鉄則だと思います。

癇癪の起こし方によっては、自身や他者を傷つけたり、モノを壊して危険な目に合ったり、あるいは落ち着いてから周りを見たときに「やっちまった」みたいな体験に繋がらないよう、制止が必要なことはあるかもしれませんが。

本などによっては「無視をする」という表現が使われていたりすることもありますが、これは大げさに反応を示さないということだと思ってください。
無視をされても子どもは寂しさや辛さを募らせるばかりだと思います。

癇癪を起こしたら要求が通る、という誤学習に繋がることは避けたいですが、気持ちは受け止めてあげる必要はあると僕は考えています。


次に、一人になれる空間を提供するということですが、これは、外部からの刺激が多い状況下で、落ち着く機会がなかなか訪れないとか、それこそ人や物を傷つける危険が隣り合わせであるとか、そういう場面では、こういう配慮も必要です。

ただし完全に一人ぼっちにさせるわけではなく、こちらの存在感というのはどこかで感じられるような配慮が必要だと思います。
例えば「落ち着くまで一人でいていいよ、ここにいるから、必要なら声をかけてね」と伝えておくなども良いかもしれません。


そして、落ち着いてきたときに、癇癪のきっかけになった出来事について一緒に考えたり、こちらの事情を説明したりするということが良いと思います。
その中でお互いに癇癪の理由をハッキリとさせて、どういう配慮や工夫が必要か?ということを一緒に考えるべきです。

当人の気持ちとか考えを置き去りにして、「こうしましょう」というのではあまりに乱暴で、別の癇癪を生むだけです。


癇癪が悪いわけではありませんが、放っておいても「良い癇癪」の起こし方になるということは稀なので、癇癪を乗り越えた先に素敵な体験を結び付けたいものです。


そして、集団で保育をするような現場では、この対応を一貫して、他の職員とも共有したり、他児に対しても同様に対応をしていくことが必要です。
でないと、「あの子は…」というような不公平感、不満を生むことに繋がります。

休校中のお共に持ってこい!家族でお勧めブロックゲーム


このゲームはなかなか面白いです。
空間認知を刺激しながら、手先も使いながら…

大人も子どもも楽しめます。

対象年齢は8歳、となっていますが、我が家では4歳の息子と楽しむことが出来ています。

絵カードの利用について

視覚支援として、絵カードを使うことは多いと思います。
自閉症スペクトラムのような視覚優位と言われることの多い子への支援としても代表的です。

それに加えて、そもそも人間は視覚情報に頼るところが大きいので、特性のある子への支援とは別に、
多くの子どもたちの保育、子育てにも有効であることが多いです、

ですが、「絵カードってどんなものを用意すればいいの?」という話になると難しいことが多いのも事実です。

ネットなどから無料で使用できるイラストなどもありますが、そのイラストが対象児に効果的なのか?だとか、絵カードをしようする目的に沿ったものなのか?
と迷う事ってあると思います。

僕の場合は、既にその子との付き合いがあり、必要と判断したときには、基本的に手作りをするようにしています。
その時に、どんな風にカードのイラストなどを用意していくかということを紹介したいと思います。

まず、カードを用意する際に押さえておかなくてはいけないのは、「カードを利用してどういう姿を目指すのか?」ということです。

短期的にどういう姿になって欲しいのか?長期的にはどんな姿を目指すのか?

そういう事は最低限必要だと思います。
そして、「今はこういうカードを使っていって、次第にこんな風にしていきたい」という計画的なものを出来れば持ちたいものです。


僕の基本的なスタンスとして「支援は必要だけど、無い、あるいは少ないに越したことない」というところがあります。

ですから、「今、この手立てで落ち着いているから、いいや」ということはあり得ません。
今ある支援をどうやったら減らしていけるかな?ということを考えながら支援をしていきます。

絵カードの使用に関しても同様です。



絵カードの類は、「具体的であればあるほど伝わりやすい」というのは分かりやすいと思います。
ですから、「文字だけ」よりも「文字とイラスト」となりますし、もっと具体的にしようと思ったら「写真(+文字)」という風になります。

さらに細かく言うのなら、「背景の有無」という事にもこだわることになると思います。
当然、不要な背景であれば無い方が具体的、という位置づけになります。
事例によっては、写真を用意して、さらに背景を切り取って、対象物の写真のみを白紙に貼ることでつたわるようになったということもあります。


そうやってまずは、今の段階に即したカードを用意する必要が当然あります。

そして、そこから少しずつ象徴的な方向へ向かうということを、僕は目指すことが多いです。

写真からイラスト、それから文字へ…という具合にです。
例えばトイレのカードであれば、トイレの写真からトイレのイラスト、「W.C」みたいな記号、文字…のように。


こうする理由は、社会生活、地域生活に適応をしていくためです。
ショッピングモールなどでトイレの案内を写真で示しているなんていう事はほとんどありません。
トイレを象徴するマークであったり文字で表記されているわけです。

それを自分で見つけて、向かうことが出来れば、それはとても便利です。


そういう理由から、僕は段階的にカードを作り替えることを勧めています。

それから余談ですが、稀に「今のその子の段階を知るため」に象徴的なものを用意しておいて、理解できるのか?ということを試みることもあります。
文字からイラスト、そして写真とさかのぼって、「あ、この子はこのくらいの段階で理解をしていけるんだな」という確認していくことがたまにあります。
頂いていた情報というのは、基本的に情報提供者の視点が入っていますから、僕との関係性の中でも必ずしも情報と一致するとは限らないですから。
違和感を感じたときには、そうやってためすことがあるのです。


こうやってカードの導入をしていっています。

2020年3月1日日曜日

エピソード集めの大切さ

子どもたちの特性云々を知っていくことは、適切な支援や保育をしていく上では欠かせません。

けれども「特性って言われてもなぁ」という人もいると思います。


そんな時に僕はどのようにしているか?ということを紹介したいと思います。


ですが、その前に、特性を知ることが適切な支援や保育に欠かせない理由を考えていきます。

「特性も個性の一部であり、それを知ることが『その子理解』を深めることです。それが出来なければ手立ても講じられない」

ハッキリ言って、これに尽きるわけです。


もちろん特性ある子と過ごす上で、事前情報というのはあると思います。
事前情報は、書面と簡単な引継ぎ等で伝わることが多いです。
それだけだと物足りないと感じることが多いですよね。

例えば発達検査の結果。
そこに「こだわり」だとか「視覚優位」だとか「多動」だとか書かれていても、実際の姿を想像できるかというと、初めのうちは難しいと思います。
慣れると字面からでも、その子の様子などを想像していくことが出来るようになって、事前準備がより的確なものへとなってきますが。

でも、それらの特性が日常生活の中で、どのように表出するかというところが現場では気になるところです。
書面から思い描いていくことは難しいかもしれません。


そこを支えるのがエピソードです。
子どもの様子を伝える様々なエピソード。
これがとっても大切です。


では、エピソードでどのように活用するか?ということですが…

気になるエピソードが複数あったとします。
そこには必ず特性が現れているはずなんです。
その子の良さの際立つエピソードであれば、そうさせる特性があるはずですし、困り感のあるエピソードであれば、困り感につながる特性があるはずです。

良いエピソードは良いエピソードで集めて並べてみます。
続いて困り感のあるエピソードは、それで並べてみます。

そうした後に、それぞれの共通項や例外を考えていくのです。

その先に手立てのヒントがあります。


一つ事例を紹介します。
自閉症スペクトラムの子です。
事前情報として書面に「変化や変更に弱い」ということが書かれていました。
実際のエピソードとして、「急な時間割変更などがあるとパニックを起こした」「年度の切り替えなどで学年やクラスが変わると情緒が不安定になる」ということが挙げられました。

ですが、その一方で「旅行が好き」というエピソードが出てきました。
「旅行に行くと、ものすごい楽しんで普段の臆病気質がどこかへ行ったようにして、新しいことへチャレンジする」というのです。
旅行というのは変化の連続です。
むしろ非日常なわけですから、それ自体が変化です。

そこには、「変化変更が苦手」という共通項と「旅行だと新しいことにも挑戦できる」という例外があるのです。

では、変化や変更に対応できない日常と、それだけ苦手な変化をものともせず突き動かす旅行の差は何か?と考えるのです。

基本的には旅行の中にある楽しさがそうさせるのでしょう、そういう要素を日常に織り込むことが出来れば、変化に対しても対応したり、あるいはそれ自体を楽しみ始めるかもしれないということです。


他にも「視覚優位」である子が、公園とかで虫を追いかけるのが好きだというエピソードと共に会議の場で取り上げられました。
そこで「周囲の目もあるから出来るかは分からないけれど…」と前置きしたうえで「普通売られている虫網よりも捕獲する網の部分を小さくしたりして難易度を上げてみるのは?」みたいな、その子の特性による欲求を満たせるような手立てを提案したことがあります。

子どもの様子の中には「その子に必要なこと」が現れます。


それをエピソードを集めることで炙り出して、手立てに繋げていくのです。

手立てを考える際にはぜひ取り組んでみてください。


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