子どもたちが春休みに入り、毎日楽しいお話を聞かせてくれながら学習やらプールやらをしています。
当然ですが、楽しいことをして、そのことを嬉しそうに話すときの子どもたちは「らしさ」がいっぱいです。
体験そのものも子どものカラーが出ますが、その中での感じ方、その共有の仕方などもオリジナリティあふれる報告が続いています。
あるいは、「〇日から良好に行きます」みたいな話を聞かせてくれる子もいます。
「学習に来ている」「プールに来ている」と目的は様々ですが、こういう話も存分に共有してから活動に入るようにしています。
子どもたちの「らしさ」を知ってこそだし、そもそも「話を聞いてくれない人の話を何で聞かなきゃならんの?」となると思うのです。
関係を築いてこその支援です。
「話が止まらなくなって、活動が出来なくなることってないのですか?」みたいなことを訪ねてくる大人もいます。
「概ね大丈夫です」とお答えしています。
相槌の打ち方などもテクニックがあると思います。
それだけである程度その場は展開が可能です。
それに、慌てて「しなきゃ」と思って、「せっかく聞いてもらおうと思ったのに」という子どもたちの楽しみを台無しにするというのも、野暮だと思うのです。
こういう時は特に野暮な大人にはなりたくないなぁ、とおもったりします。
0 件のコメント:
コメントを投稿