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2017年4月10日月曜日

時間が長く感じる努力をしていく

新しい体験をすると、脳科学的に時間がゆっくりと感じられるそうです。
なんでも、脳の情報処理に時間を要するからなのだとか。

初めて通る道で往路の方が復路より長く感じるのは、そのせいだそうです。

この春、僕の関わってきた子達も何人か、卒業と進学をしました。
多分、いろんなドキドキをしながら新生活をスタートさせているのだと思います。

彼ら、彼女らには是非「ゆっくりと流れる時間」を楽しんで欲しいと思います。

そして、いろんな体験や感情に触れて「時間がゆっくりと感じられる」為の努力をしてほしいと願います。

2017年4月8日土曜日

昔話から得るヒント

題名は忘れてしまいましたが、こんな昔話があります。

だらしない旦那に愛想を尽かした女性がとなり町の実家に戻ってしまいました。

意地っ張りな二人は、しばらくは「せいせいした」と、妻を呼び寄せるでもなく、旦那の元に帰るでもなく過ごします。

でも、そのうちに妻も旦那が恋しくなり、旦那の方も自分のだらしなさを悔い改め始めました。

だけど、お互い意地っ張りなのも知っているから「まだ怒っているに違いない」と思い込み一歩を踏み出せずにいました。

その様子を見かねた妻の親が気持ちを伝える事を勧めます。

妻は考えて旦那のいる町と実家のある町を行き来する行商に「文」を託しました。
でも、妻は字が書けませんでした。
代わりに妻が行商に託したのは「小石」でした。

受け取った旦那は「バカにしやがって」と、最初のうちは腹を立てていましたが、繰り返し送られてくる小石に意味があるのではないか?と、友人に尋ねます。

その友人は答えます。
「これは『恋しい』ということを伝えたいのではないか」と。

合点のいった旦那は返事を考えますが、文字の読めない妻に分かるようにするにはどうしたら良いか?と頭を捻ります。

その末に旦那は「松の枝」を送り返しました。
「帰りを待つ」というメッセージを込めて。

受け取った妻は、「待つ」のメッセージを読み取り、旦那の待つ家に戻ることにしました。

それからは旦那も真面目になり、妻と二人で幸せに暮らしました、とさ。

「文」のやり取りの部分は教訓深いですよね。
非言語で伝えようとする側、汲み取ろうとする側のやり取りです。

平常時もそうだし、パニックを起こしているときでさえ、無意識的にも物や人を選びながら表出しているということは珍しくないと思っています。

そこに意味を見出だしたり、あるいは意味付けをしていくということも支援者の役割であることがあると思います。

もしかしたらこちらの勝手な解釈と言われるかもしれません。
それでも意味を見出だしたり、あるいは意味付けをしていくということで、支援がしやすくなる可能性はあります。

「分からない」というままだと支援の方向性も定まらずフワフワとしてしまうでしょうから。

昔話、シンプルだからこそ考えさせられることが多いんですよね。

2017年4月6日木曜日

真似の達人になれ!

支援や指導の手立てをどのようにして考えているか?

こういう質問をもらいました。

僕の答えはこう。

「まずは真似をしてみる」

たとえばプール指導の際は、身体の動きを真似してみます。
それで「どこに力が入っていて、どこに力が入っていないのか」を確かめたり、「どこに意識が向いているのか、どこに意識が向いていないのか」を思ったりして、そこから「どうやったら出来るのか」を考えていきます。

これは分かりやすいかもしれません。

学習の時には鉛筆の持ち方、筆跡、姿勢、視線…やはり真似をしてきます。
そこから子どもたちの思考に近づく足掛かりを探していきます。

そして、プールにせよ学習にせよ、それ以外の関わりにせよ、「顔の表情」も真似をしていきます。
これが僕の中ではかなり大切で重要。

表情を真似ることで、その時の感情に近づけはしまいか?と、思うわけです。
それから、「同じステージに立っているよ」というメッセージを非言語で伝えられるようにも思います。

たまに「永田の関わっている子って、なんとなく永田に似ている子が多いよね」と言ってもらえることがあります。

もしかしたら本質的に似ていることもあるかもしれません。
でも、大体のケースに於て、僕は子どもたちの真似をしていますから、その為かもしれません。

「すごい」「さすが」なんて言葉より「似ている」と言われる方がずっと嬉しいんです。

「子どもの立場になって」って言うからには文字通り子どもの立っているのと同じステージに立たないと。

2017年4月5日水曜日

味わい上手のOちゃん

Oちゃんとのプール。
僕もとても楽しい彼女とのプール。

彼女とのプール、何がこんなに楽しいのか…

もちろん彼女が泳法を獲得していく様子も見ていて嬉しいです。

でも、それだけじゃないんです。

彼女は、とにかく「味わう」ということがとても上手です。
彼女の良さです。

僕や学生サポーターのリサ先生とのやり取りを「味わい」ながら楽しみます。
レッスン中に出来たことを上手に「味わい」ます。
出来なかったことも「味わい」ます。

そんな彼女が、背泳ぎで大進歩を遂げようとしています。

このある種の過渡期みたいな時期にいることを彼女自身無意識的にも感じているようで、これもまた上手に「味わい」ながら練習に取り組んでいます。

頑張れ!
頑張ろう!

新年度、彼女なりに楽しみや不安もあるようです。
いろんなものを受け止めながら、今年度も彼女との時間を楽しみたいと思います。

2017年4月4日火曜日

1日頑張るための手続き!?

キッズクローバーでの学習サポートの日でした。

あべこべ言葉がブームの男の子の話。

彼はわり算の筆算が苦手。
説明してあげても「分かりづらくしてくれてありがとう」という感じ(笑)
でも、その後からは自分で解いていけるようになる、という面白い子です。
定着が弱い、と言うほどではないのですが、何度かわり算に関してもやり取りをしてきています。

そんな彼に今日もわり算の説明をしました。
いつもならこれでやり始めるのですが、今日は、「また分かりづらくしてくれたな。仕方ないから頑張るか!」と言ったきり全然取りかかる雰囲気がありませんでした。

どうした?と尋ねたら、「先生は今日何時までいるわけ?」と。
11時までと伝えたら「あと15分だな。よし、15分経ったらやろう。先生がいたらややこしいからな」と言いながら、春休みの様子をいろいろと聞かせてくれました。

時間にもなったところで、「そろそろ時間だろ?早く帰らないと!」というので、帰る旨を伝えました。

「あぁ、これでやっと頑張れる。」と彼は言いました。

その後に「聞いてくれてありがとう。この後、まだ長いけどこれで頑張れるわ。」と。

彼なりの長い1日を頑張るための手続きのようなものだったんですね。

あべこべ君の本音を見れた瞬間でした。

2017年4月3日月曜日

「分かる分かる~!」っていうことが共感で、共感しなきゃダメ!っていう風潮がある気がするけど…

共感するのが良しというか、共感するのが当然、みたいな風潮が気になっています。

たしかに相手に共感していく、というのは相互理解を深めていく上では必要不可欠ですから、共感をしていくということはやはり、大切です。

でも、最近の「共感推奨」の風潮は、どこか健全さを欠いている気がして…

どういうことかと言うと、この風潮、「受け入れるのが良し」というように感じられてなりません。

僕の考える共感って「受け止める」って感じなんですよね。

だから「そうなんだぁ。…でもさ…」という受け手の意見があっても良いと思うんです。

「うん、うん、分かる!」
「そうだよねー!」

って首を縦に振ることが共感、そういうニュアンスを含んだ話を耳にすることが続いています。

共感しなきゃダメってことでもないし、相手に合わせるだけが共感でもないと思います。

相手を受け止めて、相手と共により健全な方向性を持って、一緒に考えていく。
それが寄り添うってことだろうし、共感するってことじゃないかな?

という投げ掛け。

2017年4月1日土曜日

人から離れていく練習

子どもが大人から離れていく(日常的な行動としても、成長して自立していくこととしても)時には安全を確認しながら、あるいは「ちゃんと見守ってくれてる?」を確認しながら、少しずつテリトリーを広げていくようにしていくのが健全かな、と思います。

前も後ろも見て慎重に、それでいて勇気を持って一歩を踏み出していく…

そういう感じをイメージして、子どもたちが、僕から離れていくというところを目指していきたいと思っています。

関係性が構築できていないと成されないものだと思っています。

今日は、彼のそういう一面を見ることが出来て一安心。