ページビューの合計

2020年10月9日金曜日

これからの学びを考える機会として

 昨夜はZOOMで「個別最適な学び勉強会」という学びの機会を頂きました。

感じたことや考えたことを記録代わりに残しておきまduす。

一晩寝かして、少しまとまってきました。


・「集団」の在り方。

日本はまだまだ「作業」「活動」に注目して、「集団への所属感の有無を図る」傾向や風土が根強い気がします。

もう少し“いる”ということに注目しても良いのではないか?という感じが改めてしました。

英語を使うと例えやすいかも。

「doing」よりも「being」。

動きというよりも存在感。

そういうことを大切にして、人同士のつながりを感じながら「過ごす」。

その先に「その子が主体的に」学ぶ機会が創出できるのではないかな?


・教育者あるいは支援者も「集団の一員」

途中でとある映像を見て、そこには大人と子どもが「一緒」に過ごす様子が。

もちろん大人が、一定のリーダーシップを取りつつではあると思いますが、「子どもたち“に”」何かを「させている」のではなく、「子どもたち“と”」何かを通して「過ごしている」というように僕には見えました。

お互いに気づきを得ていく、というイメージかもしれません。


・どれだけ「視点」を持てるか?

主語をどれだけ増やせるか?ということを考えています。

「この子」「あの子」「私」「活動」「時間」…主語を変えていくイメージで、とにかく「視点」を多く持ち、習慣とか前例とかにとらわれず、多様な「考え方」をして、大人は場にいることが大切だと思いました。

だまし絵を眺めるようにして、他に何が見えるかな?みたいなスタンスで、場づくりを心掛けることが必要かと。


・何よりもまずは「楽しい」が必要。

好きこそものの上手なれ。

そもそも学びや学習といったものは何のためにあるのか?

僕個人は「人生を豊かにしていく為」にするものだと考えています。

その「人生の豊かさ」というのはそれこそ多様で、その人自身が選択していくもの。

ただいきなり「あなたはどうしますか?」ということを丸投げしても、迷うばかりだから、初めは「こんな選択肢もあるよ」という提案をして、その先に「こういうのもあるかも」と、その人自身が知っていけるようになれば良いのかも、と思います。

そういう気づきに必要なのが「楽しい」。

その子が自分の人生をワクワクしながら想像していけるくらい「楽しい」学びの機会を。

例え重度の障がいを持っていても、個々の生活や人生を満足感の得られるものにしていく為に健全な「楽しさ」を学習機会に演出していくようなことが必要かもしれません。


学習や学びの根本を忘れずにしていく必要がありそうです。


もっと時間を掛けて、いろいろなものと照らし合わせながら、消化していきたいと思います。

取り急ぎ、記録として書いておきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿