昨夜はZOOMで「個別最適な学び勉強会」という学びの機会を頂きました。
感じたことや考えたことを記録代わりに残しておきまduす。
一晩寝かして、少しまとまってきました。
・「集団」の在り方。
日本はまだまだ「作業」「活動」に注目して、「集団への所属感の有無を図る」傾向や風土が根強い気がします。
もう少し“いる”ということに注目しても良いのではないか?という感じが改めてしました。
英語を使うと例えやすいかも。
「doing」よりも「being」。
動きというよりも存在感。
そういうことを大切にして、人同士のつながりを感じながら「過ごす」。
その先に「その子が主体的に」学ぶ機会が創出できるのではないかな?
・教育者あるいは支援者も「集団の一員」
途中でとある映像を見て、そこには大人と子どもが「一緒」に過ごす様子が。
もちろん大人が、一定のリーダーシップを取りつつではあると思いますが、「子どもたち“に”」何かを「させている」のではなく、「子どもたち“と”」何かを通して「過ごしている」というように僕には見えました。
お互いに気づきを得ていく、というイメージかもしれません。
・どれだけ「視点」を持てるか?
主語をどれだけ増やせるか?ということを考えています。
「この子」「あの子」「私」「活動」「時間」…主語を変えていくイメージで、とにかく「視点」を多く持ち、習慣とか前例とかにとらわれず、多様な「考え方」をして、大人は場にいることが大切だと思いました。
だまし絵を眺めるようにして、他に何が見えるかな?みたいなスタンスで、場づくりを心掛けることが必要かと。
・何よりもまずは「楽しい」が必要。
好きこそものの上手なれ。
そもそも学びや学習といったものは何のためにあるのか?
僕個人は「人生を豊かにしていく為」にするものだと考えています。
その「人生の豊かさ」というのはそれこそ多様で、その人自身が選択していくもの。
ただいきなり「あなたはどうしますか?」ということを丸投げしても、迷うばかりだから、初めは「こんな選択肢もあるよ」という提案をして、その先に「こういうのもあるかも」と、その人自身が知っていけるようになれば良いのかも、と思います。
そういう気づきに必要なのが「楽しい」。
その子が自分の人生をワクワクしながら想像していけるくらい「楽しい」学びの機会を。
例え重度の障がいを持っていても、個々の生活や人生を満足感の得られるものにしていく為に健全な「楽しさ」を学習機会に演出していくようなことが必要かもしれません。
学習や学びの根本を忘れずにしていく必要がありそうです。
もっと時間を掛けて、いろいろなものと照らし合わせながら、消化していきたいと思います。
取り急ぎ、記録として書いておきました。
0 件のコメント:
コメントを投稿