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2016年8月11日木曜日

今していることが何に繋がるか分かっていますか?

支援、って一言に言ってもいろんな形があるわけで…

僕の場合は大抵、子どもへの直接的な働きかけをすることに重心を置いています。

僕自身、いつも「今やっていることが何に繋がるか」ということは意識するように心がけています。

子ども本人のどういう面に繋がるのか。
保護者の生活のどういう面に繋がるのか。
周りの環境のどういう面に繋がるのか。

それさえ意識していれば、自分のすることに軸を据えられると思います。
逆にそこが曖昧だと揺さぶられたときに動揺してしまったり、自分のすることに自信が持てなくなってしまいかねません。

先日の記事にも書いた、医療、福祉、教育の連携ということになると、なおさらだと思います。

それぞれの役割と出来ることは当然違います。
自分たちが何をして、他の人たちが何をして、みんなで何を目指しているのか、それを確かめながら歩むことが大切です。

そうしなければ支援が支援として機能しなかったり、レスパイトがレスパイトにならなかったり、指導が指導にならなかったり…

バラバラとまとまりのない集まりになって、何のためにしているのか見えなくなって、モチベーションも下がって、質も低下して…と悪循環になるでしょう。

前提としての自分の立場。
その場、その瞬間の自分の立場。

それを意識していられれば、ぶれずに関わりを持てるはず。

2016年8月10日水曜日

選手の活躍は「神がかり」ではない!

オリンピック、日本人選手の活躍が次々と伝えられていますね。

なかなかゆっくり試合の様子は見られていないですが、スポーツは好きなのでワクワクしながらニュースや新聞を見ています。

さて、今回のオリンピックに限らず、選手らが大活躍をすると「神がかり」とか「ミラクル」とか、そんな言葉がメディアで使われますよね。

それに僕は「?」です。

彼らは、努力しているんです。
「本番で実力が発揮できるように」と。

それを「神がかり」だとか「ミラクル」と言って良いのか…

なんか「実力以上のものが出てます」って聞こえるんですよね。
「いつもの○○じゃない!神が憑依しています。お陰で活躍できています」ってことでしょ?(笑)

変に修飾するような派手な言葉を選ぶより「これが○○の力です!」という言葉の方が、僕としてはしっくり来ます。

だって、競技を終えた時から「また4年間頑張っていきます」なんてコメントをするくらいの人たちですよ?

「4年後にオリンピックで活躍する」ために競技を終えた途端に考え出す、そんなに長い期間を努力し続ける決意を持つ…それがどんなに険しいことか、想像に余ります。

僕が「これから仕事を頑張っていきます」と言いながら、目の前の課題を見ていくのとは違います。
4年間、という時間を逆算して追い込んでいくんです。

そういう人たちの努力を「神がかり」とは、どういうこと?
「実力を出すために」努力して、それが結実した人たちのことを「奇跡」というのは違う気がします。

ひねくれているでしょう?(笑)

でも、こういう感覚で言葉を選んでいかなくてはいけないと思っています。

でないと、誰かを、あるいは自分自身を認めてあげることなんか出来ないと思いますよ。

2016年8月9日火曜日

連携するって批判することじゃないでしょ!

福祉、医療、教育。

僕自身の活動について言うと福祉と教育にまたがった辺りに位置するのだと思います。

自分の持っている技術と知識の中で、噛み合わせていくことはしていきたいと思っていますし、ある程度は出来ている部分もあると思っています。

でも、自分一人で、誰かのことをバッチリサポート出来るとは思っていません。

それぞれの得意としていることも違いますし。

だから、いろんなところと連携を、という話になるわけです。

福祉同士、教育同士、医療同士の連携はしやすいものです。

問題は違う分野との連携。

難しいけど大切です。

それをするためにはお互いの視点を確かめないといけないです。

どういう視点で対象者を見ているのか?と。

それぞれの視点と観点があり、対象者を見ていること、見えていることが違うことは前提として置いておかなくてはいけません。

その前提を忘れて、自分の観点だけで「お宅、しっかりしてください」なんて、言って良いわけありません。

それをするのはハッキリ言って、意識が低すぎます。

考えて欲しいものです。

2016年8月8日月曜日

くだらない質問をしてくる人は相手にしません!

今日は少しいつもとは質の違う記事を。
たまーに、こういうこと書きたくなるんですよね。

自分に酔いしれているのか、「私の方を向いて」という構ってちゃんなのか、空気が読めないのか、ただ単に暇なのか…

全然わからないけれど、くだらない質問、答えにくい質問なんかしないで欲しいものです。

僕の言うくだらない質問って何か?

例えば初対面の人との会話で「失礼ですが、おいくつですか?」と年齢を聞くことがあると思います。
それは良いです。

僕が嫌なのは、それに対して「いくつに見える?」と聞き返してくるパターンです。

そういうときの僕の思考↓

何て言って欲しいの?
気を使って若い年齢を言わせたいの?
それとも少し上に見られて「大人っぽい」とか言って欲しいの?
面倒くせー!
分からないし、あなたのことが知りたいと思って聞いてるのに興ざめ。

と、途端に相手への興味が薄れます。

他にも個人の感覚や価値観について聞かれるのも面倒です。

「これ、どういう意図でこんな風になってると思いますか?」みたいな、自分の取り組んだことへの思い入れについて語りたいが為に、答えにくい質問をして「そうじゃないんですよ。実はこういう意図を含ませているんです」と一人で話し出すパターン。

そんなときの僕の思考↓

うわー、答えにくいな。
そんなあなたの思いまでは図りかねますよ。
答えて違ったらどうしよう。
答え聞いたときどうリアクションすればいいの?
「へぇ、すごーいですね」?
「なるほどー」?
…もう知らん!

で、「え?どういう意図なんですか?」
と、切り返すしかないんですよね。

こういう質問をする人の「どう答える?」みたいな、どや顔も腹立たしいと思うことありませんか?

これが若い大学生くらいで、例えば初対面の合コンなんかで「いくつ?」「いくつに見える?」キャッ!キャッ!っていうやり取りなら良いんです。

これを良い年した人がやると、本当に嫌になるんですよね(笑)

僕もくだらない質問ってしてきただろうし、しちゃっていることもあるかもしれません。
でも、自分の言葉には責任を持って、言ったこと、尋ねたことがくだらないものでないか、振り返ることはしていって、品位を持って言葉を使いたいと思います。

相手とコミュニケーションをしっかり取っていけば少なくとも減っていくはずなんです。
くだらない投げ掛けをしたら相手は必ず引きますよ。
その表情を見ずに一方通行で投げ掛けることばかりしているから、いつまでもくだらない質問や投げ掛けをすることになるんです。

相手を見てコミュニケーションをしていきたいですね。

2016年8月7日日曜日

イベントの運営側に立つということ

今日はJR東郷駅前にて、地域交流・活性化のための場所と機会創出を目的とした「CoCokara ひのさと」、という施設のオープニングイベントで終日駆け回っていました…

まぁ、イベント自体の反省点やら、これから運営していくに当たっての課題も山積だとは思いますが…ここで言っていても仕方がないので、一つずつ消化していくことを目指していきます。

さて、僕個人の体験のあしあととして。

積み重ねることが大切、と普段から子どもたちに向けて言っていますし、ブログでも書いてきています。

でも、「イベント」というものについて、そのことに向けて実務を積み上げる、ということはこれまであまり経験してきていないことは自覚もしていました。

日常の積み重ねとは、また一味も二味も違う感じでした。

自分の力不足も感じつつも、たくさんの収穫もありました。

日常とは違うものをじっくり味わう機会になりました。

非日常を味わって日常の在り方を考える、仕事にも通じるものを体験できました。

くたびれたー!で終わらせず、今日のことが僕自身の中に落とし込んでいく作業をしていきます!

因みに、「CoCokara ひのさと」では、副館長という立場で、携わることになります。

僕自身、施設にいることも増えます。
宜しくお願いします!

もちろん、ぐるんぱの活動はこれまで通りしていきます!
こちらもどうぞ宜しくお願いします!

ハッピークローバーの座談会にお邪魔してきました

今日は、福津市の親と支援者の会「ハッピークローバー」さんの座談会にお邪魔してきました。

ぐるんぱの活動、考え方を話させて頂きました。

併せてご相談も。

いろんな家族のいろんな話を聞くこと自体が、僕の勉強になります。
僕にとっての「活きた勉強」です。

個別以外の活動についても話が及んだので、もちろん、放デイの学習サポートの話もさせて頂きました。


土曜日の午前中は「えるそる むなかた」さん。
午後には福津市の「といろ」さん。

この2事業所には学習サポートプラスアルファで、関わらせていただいています。

プラスアルファ、というのは日常生活、放デイでの環境作りなども含めて、というところです。

スタッフさんとも本当にいろんなお話をしながらお仕事させていただいています。

放デイでの学習サポートについては、それぞれの事業所に直接お問い合わせください。


ハッピークローバーさんの企画にはこれからもたまにお邪魔したいと思います。どうぞ宜しくお願いします!

2016年8月5日金曜日

隠れいじけ虫に注意

人って本来は成長したい、と願っているものだと考えています。

子どもも大人も。

そう思えない、というのなら、それは僕から言わせると「いじけてるでしょ?」ってところ。
「どうせ…」と。

失敗体験がそうさせているのか、誰かと比べてしまっているのか…勿体ないことです。

話を戻します。
成長したい、という気持ちが健全に働いていると継続するためのエネルギーが湧いてくると思うのです。

特に僕は子どもと関わる仕事なので、その意識は子どもにも向けていきたいと思っています。
「本当は成長したいんだよね」と。

駄々をこねようが、すねていようが…「成長したい」という気持ちを少し出しにくくなっているだけだと信じながら。

その一方で、一見「成長したい」と健全に思えているようで、そうでないケースもあって、こちらは少し注意が必要です。
周囲が見落とさない気配りが必要です。

例えば、かけ算の練習をしようと思ったら、足し算が出来なければ話になりません。

それを足し算が定着しきっていないのに「かけ算?すごーい!やってみたい!」と興味を示すという子がいます。

そういう場合、「足し算が出来るようになったらね」とか「足し算が出来ないとかけ算は出来ないんだよ」と教えて上げるのが教える側の役割だと思います。

アクセルばかりでなく、ブレーキを踏むことを覚えさせるように、ちょっと待ってね、というのは必要です。

それを「興味を示したから」というのは教える側も面倒になっている以外の何者でもないとさえ思います。

「あなたにはまだ早い」と伝えてごねるようなら、それは「これは私には出来ない。他のものなら出来るようになるかも」と、すり替えているだけです。

好きなものを探す、という意味では、他のものにチャレンジしてみるのも良いでしょう。

でも、学習など積み重ねが必要なものに於いて、それは有り得ません。

階段を一段ずつ上らなければなりません。

「あ!こんなのに興味あるんだ!それならそっちから取り組もう!」は、無計画過ぎます。

僕は剣道をしますが、基本練習をしてそれから試合に向けて練習をしていきます。

素振りには興味を示さないからいきなり試合やらせてみるか!とはなりません。

そういうことです。

でないと、興味本位の一過性で、継続など出来なくなるのです。

地力をつけるにはちゃんと段取りを踏まないと。

成長したい、と思っているのか、他で紛らわしをしようとしているのか。

その見極めは、教える側の役割です。