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2019年1月17日木曜日

稀勢の里、お疲れさまでした。

横綱稀勢の里が引退を表明しました。
「怪我をする前の自分に戻れなかった」
「私の土俵人生に於いて、一片の悔いもございません」
という言葉を会見で仰っていました。

この言葉を同時に述べられるって凄いなぁ、と心から思います。

なんだか言葉の裏の、それこそ血の滲む努力の果てに、進退を決断したのだという、並々ならぬ思いを感じます。

これからは後進の育成に携わるとのことなので、これからもメディアでお目にかかることはあると思います。
いろいろと騒がれることが続いている相撲協会。
頑張って欲しいです。

日本人横綱としていろんなものを背負った2年間だったのだと思います。
こころからお疲れさまでした。



僕も「目指す姿」があります。
そこに向けて「悔いのない」歩みを重ねていきます。

2018年5月7日月曜日

何をどのように残すのか

絵本作家のかこさとしさんがお亡くなりになりました。

「だるまちゃん」シリーズは僕も大好きだし、子どもにも何度も読んであげた絵本です。

こういう方がお亡くなりになるのは残念ですが、紡がれた作品はずっと子どもたち親たちに読み継がれていくのでしょうね。
こういうことを思う度に、作家のようなものを、自己表現を形に残していく仕事というのはとても素敵だな、と感じるものです。

僕自身も何をどのように残していくか、そういうことを考えながら仕事をしていきたいと思います。

少しずつ、いろんなものが動いている4月、5月。

ぐるんぱの3年目。

気持ちを込めて、気持ちを引き締めて、明日も仕事をしていきます。

2017年7月20日木曜日

356人の子どもたち

NHKのニュース7。

治療が終わったにも拘わらず退院できずにいる子どもが、昨年までの二年間に少なくとも356人いたそうです。

どういうことか?

虐待の疑いがある子どもが、病院で治療を受けても退院後に家庭には帰せないと判断になった際、施設への預け入れになるわけです。

しかし、児童虐待が急増し、受け入れ出来る施設が不足しているという現状だそうです。

そうすると、治療が終わっても尚、病院で過ごすことになるのです。

病院はあくまで治療を目的とした施設ですから、そういう子どものために、ずっと人員を配置することも出来ません。

人との接触が、どれだけ子どもたちの発達に影響することか。
こういう仕事をしていようが、いまいが想像は容易いはずです。

今の日本が、そういう社会であるということ、忘れてはいけないと思います。

地域差があるとしても、平均して各都道府県7人強という数。

社会不全のしわ寄せが、子どもに向くのは辛い。
(子どもでなくとも、あってはならないことだけど。)

2017年7月18日火曜日

子どもの命の為に出来ること

本日(2017年7月18日)のNHKのクローズアップ現代の冒頭で聞こえてきました。

昨年1年間で14人の子どもが自ら命を絶ち、これはいじめ防止対策推進法の施行にもかかわらず、過去10年で最も多い数字だそうです。


いじめが認定されたり、されなかったり、「やっぱりありました」だったり…



法によって守れる命、守れない命があるということでしょう。

法とはまた違ったステージで子どもたちの苦悩と葛藤があるということでしょう。


子どもの様子を冷静に見守る観察眼と、子供の成長を温かく見届ける眼差し。

これを持ち続けること、磨くことが僕ら支援者の役割かもしれません。



少し話は変わりますが、医師の日野原重明先生がお亡くなりになりました。

生前、晩年、命の授業に熱心に取り組まれていましたね。


日野原先生の「命は時間」という言葉が僕は大好きです。

お風呂に入ったり、爪を切ったりするのは「自分のために使う時間」。

「命を誰のために使うか、段々と大きくなるにつれて考えなくてはいけなくなってくる」とも仰っていました。



命(時間)を誰のためにどう使っていくか。

「誰か自分以外の人のために命を使うことで、君たちの命は意味を持ち始める」
これも日野原先生の言葉。

僕は妻や息子、愛犬、家族、出会う子どもたち、まだ出会っていない子どもたちのために、丁寧に使っていきたいです。

それを考える喜びや尊さを手放さざるを得なかった子どもたち。




子どもを守れるのなら法制度は整うに越したことはないけれど、子どもたちの命の上に法律が整う、というのはこの上ない矛盾。

いろんなことを考える夜です。

2017年6月6日火曜日

子どもを死へ追いやる大人

中学生が自殺し、後の調査でいじめの実態が明らかになる。

ここまではよくある話。

対象生徒に対して担任も体罰を加えていた、だと?

文部科学副相も「隠蔽」という言葉を使って学校の対応を指摘していました。

いじめた、いじめられた、っていう構造じゃない。

これは大人が子どもを死へ追いやった話。

何かに飲まれている子ども達

中学生が5歳の女児を2階から投げ落として殺害しようとしたとのニュースがありましたね。

面識はなく、「まとわりつかれて腹が立った」と話しているようです。

それで抱え上げて2階に連れていき投げた、と。
1階から「わざわざ」抱えて2階に連れていったようです。

子どもたちの「キレた」が問題視されることがありますが、なんかキレて突発的な行動を起こすのとも少し違う気がしています。

子ども達、と一括りには出来ないけれど、子ども達が何に飲まれて、何を思っているのか…。

2016年12月15日木曜日

放課後の子どもの居場所。居場所があるから「誰と過ごすか」を選べなくなっていると知れば意識が変わる

今日の朝日新聞の朝刊「教育」欄が「放課後の居場所 進む支援」というものでした。

学童保育の様子や在り方、その他の子どもの放課後の居場所について書かれていました。

放課後、休日を「余暇の時間」と僕は言っていて、その時間の支援をしている立場としては、興味深い記事でした。

その上で、僕も子どもの居場所作りに携わっているから個人的な考えを。
本当に個人的なちょっと偏りがあるかもしれない考えを。
色々意見をどうぞ。

学童保育を始め、僕も学習支援でお世話になっている放課後等デイサービスなど放課後の子どもの居場所は様々です。
これらの役割はとても大きいと感じています。

それでも、やはり人が作った制度の中で生まれた場であるから万能ではありません。

それぞれの居場所には集団が出来ます。
その居場所が複数箇所に分散していることがほとんどです。(キャパとしても限界があるし、目的や方針、雰囲気などの違いもあるし、仕方がないですが)

すると、同じ場所にいる子同士は交流がありますが、別の場所にいる子同士は交流が少なくなります。

もちろん「少しでも、その子にあった場所」を選んでいると思いますから、「居場所」というところでは問題があるわけではないでしょう。

でも、そういう所属のようなものが無ければ、もっと自由に子どもたちは「放課後に誰と過ごすか」を選べる気もしています。

僕自身は特に、個別支援をして(しまって)いるから、気をつけて、その時間を有意義になるように意識を持ちます。

子どもたちとは仲良くなっていきますし、あるときには指導する立場に、あるときには友達のように、あるときには家族のように…ある種の演技者として、子どもにとって必要な存在でいられるよう努めますが、やはり同年代にはなれません。

「子ども同士で過ごせたかもしれない」時間を、僕に傾けてくれているわけだから、大切にしたいものです。

そういう中にいる子どもたちを受け入れているのだから、場作り、中身、丁寧に進めていきたいです。

2016年10月18日火曜日

自分の生き方が気に入っています。

僕は仕事のために生きているわけではない、ということはハッキリ周りにも伝えています。

生きていくために仕事をしている、と。

そして、この仕事をしているのは「自分らしく」生きていくため、です。

起きている時間の多くを仕事に費やさずを得ません。
それなら自分の好きなこと、納得できることに時間も労力も費やしたい、と思います。

いろんな生き方があると思うけれど、僕は自分の生き方を結構気に入っています。

2016年8月10日水曜日

選手の活躍は「神がかり」ではない!

オリンピック、日本人選手の活躍が次々と伝えられていますね。

なかなかゆっくり試合の様子は見られていないですが、スポーツは好きなのでワクワクしながらニュースや新聞を見ています。

さて、今回のオリンピックに限らず、選手らが大活躍をすると「神がかり」とか「ミラクル」とか、そんな言葉がメディアで使われますよね。

それに僕は「?」です。

彼らは、努力しているんです。
「本番で実力が発揮できるように」と。

それを「神がかり」だとか「ミラクル」と言って良いのか…

なんか「実力以上のものが出てます」って聞こえるんですよね。
「いつもの○○じゃない!神が憑依しています。お陰で活躍できています」ってことでしょ?(笑)

変に修飾するような派手な言葉を選ぶより「これが○○の力です!」という言葉の方が、僕としてはしっくり来ます。

だって、競技を終えた時から「また4年間頑張っていきます」なんてコメントをするくらいの人たちですよ?

「4年後にオリンピックで活躍する」ために競技を終えた途端に考え出す、そんなに長い期間を努力し続ける決意を持つ…それがどんなに険しいことか、想像に余ります。

僕が「これから仕事を頑張っていきます」と言いながら、目の前の課題を見ていくのとは違います。
4年間、という時間を逆算して追い込んでいくんです。

そういう人たちの努力を「神がかり」とは、どういうこと?
「実力を出すために」努力して、それが結実した人たちのことを「奇跡」というのは違う気がします。

ひねくれているでしょう?(笑)

でも、こういう感覚で言葉を選んでいかなくてはいけないと思っています。

でないと、誰かを、あるいは自分自身を認めてあげることなんか出来ないと思いますよ。

2016年7月27日水曜日

相模原市の事件、容疑者送検時の笑顔が笑顔に見えない

今朝、容疑者送検の様子がテレビで報じられていました。

「不気味な笑顔にも見える」と。

犯行の規模、犯行前の手紙などから、結び付けてそういう表現になるのだと思います。

そういう事と結び付けて考えてみれば「目標を達成した」笑顔、と取れるのかもしれないです。
「不気味な笑顔」と。

報道の通りであるとも思いますし、遺族はもちろん多くの人が恐怖と憤りを抱く表情だとも思います。

少し離れた距離からこの事件を知ることになった僕としては、それらに加えて、あの表情は「苦しそう」にも見えてならなかった、というのが正直な感想です。

苦しいときに「笑うしかない」って場面あると思います。
それに近いように思えてなりません。

事件は許されるものではないです、絶対に。
もちろん僕の中にもいろんな思いが湧いています。

「笑顔」の定義って何なんだろう?
顔の表情が笑えば、それは笑顔なのか?

「笑うしかない」、悲しいし可哀想な状況だと思う。

僕は僕で、変わらず活動を続けた先に、僕の思う笑顔があると信じて歩くのみです。

2016年7月15日金曜日

フランスでのテロで死傷者数以上に失うもの

フランスで、昨年11月以来のテロが起こりました。
迷っていましたが、記事に書いてみることにします。



警戒延期をしない、発表された直後のことだそうです。


ありきたりな記事なるかもしれないけど、僕の考えを。


これって「油断するなよ、いつでもできる」という脅しだと思うんです。
こういうタイミングで繰り返されたらあっという間に市民は疲弊してしまいます。

もちろん、人の命を奪うこともそうでしょうが、それ以上に見えない「支配」を推し進める効果は絶大な気がして恐ろしく感じています。

閉じ込められる、というか…そんなイメージになってしまいそうです。


見えない支配に閉じ込められない努力をする必要があると思います。


そういう意味では批判もあったりしましたがフェイスブックのプロフィール画像をフランス国旗の色に加工するのが流行りましたが、意味はある気がします。
というか、そういうことをせずにはいられない、心理も分かります。
あるいは必要だったのかもしれないとも思います。


大切な人の命が奪われる悲しみと怒りとは別に、支配には恐怖が付きまといます。

そして支配が進むと支配されていることすら忘れてしまいます。

そうならないために、力が及んでいない地域や人とで結束する必要があるのだとも感じます。

遠く離れた国での出来事で、そんな地域に住んでいる僕らがこうやって記事にしたり、悼もうとしてみても「どうせ他人事だろう」と批判も起こるでしょうが、何もしないで批判ばかりしていてもつまらないと思うので、記事に書いてみました。

議論はあって良いと思うけれど、批判ばかりだとスキが出来るだけ。
失うばかり。


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2016年2月27日土曜日

学生に配慮する仕組み

今日はまた朝日新聞から。

4月から障がいのある学生への配慮を大学に義務付ける法律が施行されるとのことです。

入試時には配慮が進んでいますが、入学後についてはまだまだ配慮が行き届いていない、という現状を受けてのことのようです。


たしかに、この問題はしっかりと考える必要があると思います。

仕組みとして学校が整えて、それが少しずつ職員、講師、学生へと浸透して学内の習慣、雰囲気、あるいは文化として定着させなくてはいけない問題だと思います。

入学したはいいけれど、単位が取れない、就職活動が出来ない、もっと手前のことで言うと授業に出るのが段々と億劫になる、といった学生もいます。

初めは対象となる学生も、目に見えて周囲も本人も障がいについて認知している人に限られるかもしれませんが、しっかりと体制と仕組みが出来てくれば、「配慮」していたことが「当たり前」になってくると思います。

もちろん時間のかかる話です。
文化と言うのは一朝一夕にはできないし、それをこれからずっと受け継ぐというのはもっと難しいと思いますから。

でも、大学と学生の抱える問題で、もっというならこれから社会に出ていく若者を育てる場だから、大切に真っ向から向き合ってほしいと思いますね。

この取り組みは個人的にも興味深いので、ちょっとアンテナを張りながら見守りたいと思います。

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2016年2月22日月曜日

何をすべきか、巻き込まれることなく考える。

今日の朝日新聞の朝刊。
地方記事のページに、非行少女の更生支援団体の記事が掲載されていました。

田川にあるという団体なのですが、代表の男性とスタッフの女性が写真付きで紹介されていました。
女性の方は「元非行少女」だそう。
お二人は元々「近所づきあい」から始まった関係だと言います。
夜遊びに出かける少女を声かけて一緒に食事をしたり、出かけたりしてコミュニケーションを取って、次第に非行から脱したといいます。

こういう「近所づきあい」のような地域に根差した、働きかけや交流がやっぱり地盤には必要。

知らない人が「支援に入る」と言っても、まずは信頼関係を築くことが必要になります。
そんなときに「ちょっと知っている」という人が一枚噛めると、ぐっとスムーズになる気がしています。

そういう文化づくり、地域づくりも課題かな。

課題は山積。
でも慌てても良いことはないですね。

「やりたい、やりたい」で突っ走ってもカラ回ることもありますから。
どう動くか、選択肢を並べられるだけ並べて、選択するための思考の時間こそじっくり取る。

昨年読んで自分の腑に落ちた「エッセンシャル思考」の本を、こういう「やること山積み」状態の時にこそアウトプットしていかなくては、と思った次第です。

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2016年2月12日金曜日

10年、後退したと思え

「イクメン議員」の辞職。
もう腹立たしい以外の何物でもない。


ちょっと今日は荒い記事になりますが、たまには。
苦手な方は引き返してください。


人として、親として、男としての自覚がなさすぎる。
何が「育児休暇」だ!
カッコつけるな!

まだまだ男性の育児休暇が文化として途上にある日本で、育児休暇を取得するために、言葉にならないほどの努力をしている男性がいるというのに、それを踏みにじるような行為に、僕は心底腹を立てています。

お前はサルか!

そういうとサルに失礼かもしれないな。
サルだって秩序の中で群れを成しているから。


率先して秩序を守って、あるいは整えるために在るべき立場の人間が、犯した罪は重いと思う。

極端なことを言いうようだけれど、これで子育ての倫理観は、子育ての先進国と言われるような国々から10年遅れると思っても良い。

「妻から政治家としてけじめをつけてこい」ということを言われて今日の会見らしいけれど、「政治家」とか言うな。


女性は命を懸けて新しい命をこの世に生み出す。
それに敬意を表して、育児休暇の時間を過ごすべきだと思う。
そのことに敬意を持てない人は、育児休暇を口にしてはいけないし、そもそも子どもを持つこと自体考えた方が良い。




子育てに対する考え方は個人、家庭で違っていいと思います。
育児に積極的でない父親がいても、否定はしません。
(もちろん、関われるのであれば関わってほしい、というのが個人的意見ではありますが)

でも、子育てはこの世の中にある仕事の中で最も尊ばれるべき労働の一つです。
それを忘れてほしくはないです。
それを踏みにじったり、ないがしろにしたりするような言動はいけないと思います。


子育てのことなども、勉強していきたいですね。
実際的な技術も、倫理観としても。



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2016年2月2日火曜日

ノーバディーズ・パーフェクトプログラム 「自分らしく」を知るには他人を知ることが欠かせない。

ノーバディーズ・パーフェクトプログラムという「完璧な親はいない」「完璧な子どももいない」という考え方のもとに開発された子育て支援プログラム。
日本では2002年ごろに開始されて、少しずつ広がりを見せているとのことです。


親が少人数で子育てについて語り合い、分かち合うというのが基本スタイルのようです。
そして、極端な方向へ話が進んだ際には進行役が、テキストを用いて、議論の方向性の検討を促すのだと言います。
そうして、集まった人たちが意見や考え、体験など話をしやすい状況を用意していくのだそうです。


個人的にはとってもいい取り組みだと思います。
「完璧な親はいない」「完璧な子どももいない」に加えて「正解のあるものでもない」のが子育てだと思います。

正解がないだけに、溢れる情報に翻弄されてしまいがちです。
何かにすがってでも助けてほしいと思うこともあるでしょう。
愛する我が子のために。

大切なものなのに、基準になるものが見つけられない、というのは厄介です。
でもそれが、子育てだと思います。
(僕はこれから始まるのですが)

正解とか不正解以前に、自分がどちらへ向かっているのかも分からないことだってあるでしょう。


そういう時に語り合い、分かち合えるというワークは効果的だと思います。
基準とまでいかなくてもたくさんの声を聴くことで、自分の中の地図にポイントを打っていくことが可能になるでしょう。
その無数のポイントの中で自分に近いものだったり、自分はこの辺かな?という感覚だったりは得られる気がします。


最近、ブログで「選択」ということを頻繁にキーワードのようにして使っていますが、語り合ったり、分かち合ったりしないことには選択肢に気づけなかったり、知らなかったり、選べなかったりということになります。

「自分のスタイル」を作るために効果的なのではなかろうか?と考えます。


僕も今、いろんな人に会い、いろんな声を聴いて、自分の立ち位置を定めています。

子育て、というのも一つ、僕がぐるんぱを始めたのと同じで「生き方」の話です。

どんな生き方でも良いとは思うけれど、「自分らしく」ということを知るためには他も知らないといけないという事なんだろうと思います。


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2016年1月29日金曜日

世論として「死刑にしてしまえ!」なんて言葉はいらない

3歳児の暴行死事件で暴力団組員が逮捕されましたよね。
「ガンをつけられた」が暴行の理由だとか。
直前まで虐待の形跡が見られなかった、との話が出ていたが、理由もなく「ガンをつける」3歳児はいなかろう、と思います。
形跡は残らなくとも子どもにとって男は「怖い存在」であったことは間違いないと思います。
やはり許されるべきではない、と思います。
子どもの命を奪ったことは、身勝手極まりないと思います。
亡くなった子どもについては、その身勝手さによってこれからの時間を奪われたことが気の毒というのはもちろんです。

ただ、それ以上に、
「3歳にして人を憎むことを知ってしまった」
「3年という短い生涯の最期を人を憎みながら逝く」
というのが、あまりにも辛く悲しいです。
「どうぞ安らかに」なんて言えません。

この手の事件があると必ず「こんな奴、死刑にしてしまえ!」という声が、特にネット上では上がってきます。
どうしても許せない、という気持ちがそう言わせるのでしょう。
一つの主張としては仕方ないと思います。

でも僕はそこまでは言えません。
僕よりも10も若い男が、あんな事を「しなくてはならなかった」理由があるのか、と思うと「死刑にしてしまえ!」とは言えません。
「やってしまった」のではなく「しなくてはならなかった」のだと思います。
「死刑にしてしまえ!」という言葉が何を生むのか分かりません。

「やっぱ世間はこんなもの」と男が歪んだモノを持ち続けるだけです。
現行の法律で死刑になる確率は低いです。
恐らくまた刑期を終えて社会に戻ってきます。

そのときに「世間はこんなもの」と思いながら刑期を過ごさせるのか…と思います。

仮に、もし男に死刑判決が下り、執行されたとします。
今の風潮の中で、「世間はこんなもの」と言わせながら死なせるのか?と思います。

じゃあ、いつ反省するのか?
いつ自分のことを振り返らせるのか?

いえ、男の自業自得だということ、僕も分かってはいます。

でも…


死刑になってもならなくても「死刑にしてしまえ!」という風潮の中で刑を執行しても、意味がないのです。

刑は反省があってあるべき。
あるいは救いとしての刑であるべき。



僕は死刑制度反対派でもなんでもないです。
もちろん「死刑で仕方ない」という事件もありますし、僕自身そう思う事件もあります。

でも声をあげて「死刑にしてしまえ!」と言うのは違うと思うのです。

それはそれで、それぞれの中で秘めておけばいいもの。

世論として「死刑」という言葉は必要ないと思います。
他の声の上げ方をしなくては。

犯人の男が一人、世間を憎み続けるだけ。
あるいは憎しみながら逝くだけ。


この記事に関してご批判もあるかと思います。
身内でもない人間がきれいごとを並べているように、聞こえるかもしれません。

でも身内の人が犯人を憎むのと世論として「死刑にしてしまえ!」と言うのでは意味が違います。
僕はそう思います。

広い意味で「人を育てる」という仕事に携わっている以上、この立ち位置は譲れません。

「死刑にしてしまえ!」は不健全。
その言葉の後ろに良いものは育たない。



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2016年1月16日土曜日

北九州市立美術館無料廃止

北九州市の市立美術館は、これまで65歳以上の高齢者について企画展の無料入場を実施してきていたそうです。
それが4月より入館料の8割を負担することになったといいます。

改修費やらの負担を分担するためと言います。
仕方ない、と思う反面やはり残念な決定だと思ってしまいます。




新聞には廃止自体よりも、その告知の方法が雑だということが話題として取り上げられていました。
確かに新聞で読む限り、少々雑だったかな?と思わざるを得ないです。

問い合わせが早速市に寄せられているとのことです。
その問い合わせの内容まではわかりませんが、「置いて行かれた」ということでしょうね。


自分の意向と違う決定が下されるというのは、珍しくも何ともありません。
特に市政、県政、国政…と場と範囲が大きくなればなるほど。

それでも納得するだけの時間が欲しいものなのですよね、人は。



子どもの駄々こねと一緒です。
駄々をこねながら、納得していくものです。


確かに、決定自体も残念ではありますが、運営していくうえで仕方ないことってあると思います。
ブーブー不満も出ることでしょう。
でも、ブーブー言いながら納得するということも出来るのです。

その説得の手間を惜しむと却ってややこしくなります。


場がどんなに移り変わろうが、説得と納得が不在になると自体が悪化します。


子ども相手でも大人相手でも。
手間を惜しんで却って面倒になる、頭じゃみんな分かっているのにね。




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2016年1月8日金曜日

グランドソフトボール、知っていますか?

今日の朝日新聞朝刊に、「視覚障害者野球 存続ピンチ」「グランドソフトボール 全国大会が今夏で幕」と見出しが出ていました。

グランドソフトボールは、視覚障害者の人たちでやる野球と認識していただければいいと思います。
全盲、弱視の人たちで行う10人制の競技です。
他にも細かいルールはいくつかありますが…こちらで確認をしていただければいいと思います
ウィキペディアの「グランドソフトボール」のページに跳べます。


その競技が、選手と資金の不足で全国大会の打ち切りが決まったという記事でした。


記事中にも書かれていますが、パラリンピックの競技にも指定されていないこともあり知名度が低く、他の競技に流れてしまうのだそうです。
それでも、その競技に一心に打ち込む選手、生徒はいるのですよね。

選手と資金が不足すると大会運営が困難になり大会自体が打ち切りになる、大会が無いとなると選手が集まりにくい…という悪循環が生まれてしまいます。

他の競技でも起こりうる話です。

僕らが具体的に直ぐに何かできるという話ではありませんけれど、そういう実態があることはブログを通して発信も出来るのかな、と思って記事に書いた次第です。

スポーツというのは余暇としての意味合いもとても大きいです。

ここで一つ、障がいを持っている人がスポーツ(スポーツ以外の余暇でもそうですが)をするということで想像してほしいことがあります。

スポーツを始める前にどんな葛藤があるのか。

本人たちだって「大丈夫かな?」「やってみたい」という葛藤はあるし、周りだって同じように葛藤があります。
その葛藤は、健常な人が「よーし、やってみよう」と新しいスポーツを始めることとは比になりません。

スポーツを始めてからも一層の楽しみと不安が葛藤を始めます。


余暇に取り組むことも、余暇を継続していくことも、それ自体が存続していくことも、ハードルが高くなるのです。

僕自身もどこでどんな競技をやっているのか、情報自体あまり持っていません。
もっと勉強しなくてはいけないと思っています。

競技に限らず、どんな余暇があるのかということも模索していかなくてはいけないと思っています。


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2016年1月3日日曜日

好きなことを突き詰める

今日の朝日新聞朝刊に「宇宙でも開花 『花のない花屋』」という見出しがありました。
福岡出身の花屋でフラワーアーティストの東信(あずままこと)さんの特集。
花の美しさに魅せられて、花の美しさを多くの人に届けたい一心から活動をしてきた、という趣旨のことが書かれていました。



伝えたい事(あるいはもの)が本当に好きだから届くのだと思いますし、本当に好きでないと届かないと思います。

好きだからこそ、柔らかく新鮮な発想で考えたり向き合えたりするのだと思います。

だって、どんなに考えていても好きなことは飽きないから。

いえ、時間を費やせばいいという訳ではなく。
ワクワクしながら考えることが大切。



本当に好きなことを磨いて、その面白味を人に伝える。

そういう働き方をしていきたいものです。

ワクワクしながら仕事したいですね。


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2015年12月31日木曜日

食べられない、にも支援

写真はベビーザらスのマタニティグッズコーナーの一角。

ノンアルコールカクテルなんかがたくさん並んでいました。
アルコールが摂取できない妊婦さんも食事の時間を楽しんだり、気分を味わったり…そういうことが出来るのですね。

普段、スーパーなどでも見かけますが、こうしてマタニティコーナーに並ぶと、意味合いがぐっと深まる気がします。

我が家の場合、僕自身も家で酒を飲むのが年に数えられるくらいの回数だし、妻の妊娠が分かった6月から僕自身も一滴もアルコールを飲んでいません(エッヘン)!ので、余計にノンアルコール飲料について考える機会が少ないのかもしれません。
でも、こういう商品のおかげで世の妊婦さんの発散が幾分かされているかと思うと、改めて感心しました。


さて、食にかかわることでもう一つお話を続けます。
今日の朝刊にある特集がありました。
福岡県内のある中学校で、今年度から朝食提供をしているとの記事でした。
概要は、1学期には週に一度バナナを提供する日を設け、2学期にはパンの日も設定した、とのことです。
希望の生徒に提供が行われるようで、取材をした日にも30人ほどの生徒が朝食を学校で食べたとありました。
この取り組み、ソーシャルワーカーの提案でスタートしたらしいです。
バナナの場合は輸入時の検疫で開封し、問題のなかったものをフードバンクが管理し、学校がフードバンクを介して輸入業者から貰い受けるとのことです。
週に2000本ものバナナが廃棄処分されていたということで、そういう実態を子どもたちに伝えることも含めての食育プログラムのようです。

上手いこと考える人がいらっしゃるのだと思います。
恐らく、もともとは家庭環境が厳しい状況にある生徒を軸に考えて持ち上がった企画なのではないかと思うのですが、どうせ取り組むなら付加価値を付けてしまえ、とこのブログラムにまでなったのだろうと思います。

成長期、特に朝食の大切さが説かれる時期です。
そういう時期にしっかりと朝食を食べてもらい、食料が廃棄されるという事実も知っていける。

目の前の子どもの実際的な困っている点に支援を行い、その背景を考え、そこから広げた取り組みをして、予防的取り組みにまで発展させる、そういう考え方がこれからもっともっと必要になると感じています。


「(本当は食べたい)(本当は必要だと分かっているけれど)食べられない」
妊婦さんの食から、子どもたちの朝食の話。

そういう人たちを支える仕組みやものが目を向ければ、結構あります。
でも、それに気づけないことも多いのです。
それが大きな課題かな。

2015年最終日、朝から食のお話でした。
来年もしっかり食を管理して、自分を整え、食を楽しみ(比較的平和な日本に生まれた人間の権利と義務だとさえ思っています。感謝しながら頂きたいです。)、歩む活力にしていきたいです。

食のこともか…勉強すべきことは多いな。


さ、いよいよ2016年が目の前まで迫っています。
新年、ぐるんぱも活動を活発にしていきたいと思います。

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