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2016年9月30日金曜日

体系的に話をしていく

息子に歯が生えはじめてきました。
白い小さなものが歯茎から顔を覗かせています。
それ以外にも、日々成長を感じています。

健診に行くと、様々な発達について医師の見解が聞けるのも面白いです。

物事を体系的に伝える術が短い時間の間にてんこ盛りなんです。

やはり、仕事で話をする以上、主観で物事を見たとしても、それを伝える時には客観的に、聞く人も納得できるよう、体系立てて話をする必要があります。

自分の見立てを他の人にも伝えられてこそプロだと思いますし、それでこそ輪が広がるというものでしょう。

継続的に付き合えば付き合うほどに細かいものが感覚的にキャッチ出来るようになってきますが、それらを感覚のままにしていても、サポートの輪が広がることはありえないのです。

だから勉強して、論理的に話せるくらいになっておかなくてはならないのです。

勉強、頑張ります。

楽に長く人付き合いを

郵便の再配達を依頼して、配達に来てくださった局員さんが顔見知りの方でした。

仕事先で顔を合わせる方だから、自宅で会うのは初めて。

お互いに「あっ」という感じ。
そしてちょっとした小話を玄関先で交わしました。

こういうお付き合いというか交流って意外とバカにできないと思っています。


ちょっとした積み重ねでお互いのことを知っていけると思います。
顔色、声、姿勢…いつもの様子を知っていくんです。

その「いつも」と違う感じがするときに気に掛ける。


人付き合いが希薄になっている、とか言われていますけど、そういうことで十分なんじゃないかな?と。
いろんなところに顔を出したり、声をかけに行ったりするのももちろんあっていいのですが、それがないから希薄というのはちょっと乱暴かなと。


そして、こういう交流の仕方でいえば、僕の周りは比較的充実している気がしています。

僕に直接関わりのない人たちを眺めていても、バス停で待っている人たちが時折言葉を交わしていたり、スーパーで会釈し合っていたりしますし。


あるいは、ぼくもあまり好きではないですが、電話やメールといった一見すると見えにくいところで人付き合いを重ねている人となるととても多くなるはずです。

忙しい中で取れる手段でちょっとしたやり取りをしていて、実際に顔を合わせた時にそれなりのコミュニケーションが取れて、お互いの様子が知れればいい気がしませんか?


効率的、とかそんなことではなくて。
無理して長続きしないお付き合いよりか、楽に長く付き合えば良いんじゃないかな?と思います。

2016年9月28日水曜日

ワクワクさせられるか?

何かを出来るようになるためには、練習が必要です。

その練習って、楽しいものばかりではなくて、嫌だったり、辛かったりすることも多いです。

そんな時に絶対に必要になるのが「ワクワク感」です。
「これが出来るようになったら、こんな風になれる」と、出来るようになった自分を想像してワクワクすることが必要なんです。

支援でも教育でも、何かを練習させたり、身に付けさせたりしようと思ったら、まずは対象の人に、その想像をさせることが大切、という風に考えています。

想像して、成長することをワクワク出来るか?
これが出来るのと出来ないのとでは大違いです。

僕も、子供たちをワクワクさせられるか?を考えて活動していきたいと思います。

2016年9月27日火曜日

何故出来ないのか探る

例えば、字を書く、というとき。

ペンを持つ、書くスペースを見る、ペンの行き先を見る、手を動かす…。

細かくしていけばキリがないですが、いろんな要素が集合して、字を書くことが出来る訳です。

僕らは日常では、無意識に1つの動作として捉えている節がありますが、実はそうじゃないんですね。

こうやって、細かく見ていくことが療育の入口だという風に思っています。

細かく見ていく中で、どの要素が欠けて、動作としての躓きになっているのか探っていくわけです。

字を書くということが上手く出来ない時に「何故出来ないか」によって、やり方は全く違ってくるんです。

ペンを持つことなのか、座ることなのか、ペン先を見るのか、紙を見るのか…。

どの部分が抜け落ちているのかを探って、その取りこぼしきている部分に働きかけさえ出来れば必ず前に進みます。

そういう目をもっともっと磨いていきたいと思います。

2016年9月26日月曜日

引き出しを作るには、やったことを封印してしまわないこと

支援に於いて「自分には引き出しが無いから出来ない」と言って何もしなければ、引き出しは増えません。

上手くいくとか、いかないとかの差は大したことありません。
するか、しないか、の差に比べたら。

上手くいかなくても、してみたことは必ず自分の引き出しになっていきます。

だって、今、目の前にいる人との関係性では上手くいかなかったかもしれないけれど、他の人との関係性では、上手くいく方法だったのかもしれないじゃないですか?
あるいは、人とは言わず、場面が変わるだけでも上手くいくかもしれません。

1度や2度、一人や二人に上手くいかなかったからといって、その引き出しを閉めっぱなしにすることも無いんです。

それは、自分の引き出しにしておけばいいんです。

支援って、言ってみれば人付き合いの延長線上にあるものだから、人同士の相性だってありますから、何が上手くいくか?なんてことは、なかなか分からないです。

だから、やったことは全部自分の引き出しにしてしまって良いんです。

「あのときは上手くいかなかったけど、今回はどうだろう?」くらいに前向きで良いと思います。

あの時、上手くいかなかったから、と封印してしまうのは、もったいないです。

2016年9月25日日曜日

失敗を乗り越えたら良いものが出来ているはず

成功体験、ということについて先日書きました。
今日は失敗の仕方について。

失敗にも価値を持たせられるか?
それがとても大切だと思います。

生半可に取り組めば、失敗すら中途半端です。

本気で取り組めば、失敗にも価値が生まれると思います。

本気で取り組んで、失敗を前向きに捉えられると良いのかもしれません。
難しいですが。

僕自身、不器用で本当にいろんな場面で失敗してきています。

でも、思うんですよね。

「本当に許されない失敗ってほとんどないな」と。

人の命に関わるとか、そんな失敗にはまだ出会ってませんし。

ほとんどの失敗が一時的に恥をかくくらいで済んでいるんです。

それならいっそのこと、「失敗はする」くらいに前提に据え置いて、本気で失敗も含めて取り組む方が良いと思います。

そして、成功するまでやれば良いんです。

失敗を経てから仕上げたものって、乗り越えているわけだから、必然、良いもののような気がしませんか?

2016年9月24日土曜日

役割をもう一度確認

福祉と教育は、明らかに立場も役割も違います。
福祉で出来ない部分を教育で、教育で出来ない部分を福祉で。

絶対的にその区別は必要です。

で、僕自身、障がい児教育と障がい福祉の中間的位置で仕事をしているわけですが、自覚としては「福祉より」だと思っています。

学力を上げる、という事で言えば学校の先生方や塾講師の方達には、指導力は及ばないです。

ですが、教育という視点から手が届かない、という時にはしっかりと引き受ける準備があります。

つまり、「学習に向かうため(教育へ繋ぐため)の準備」が僕の役割です。

準備をしていき「学習の機会を創出する」というイメージです。

一緒に練習をして、学校なり家庭でも学習に向かえるだとか、人との関わりを重ねられるようになるだとか、そういうものを身に付けてほしいのです。

福祉の場で出来ることに限界はありますし、教育の場でも出来ない部分を請け負い、福祉で出来ない部分を教育に返して…。

そういう連携が欠かせないんだとおもいます。