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2017年4月12日水曜日

「2個塗れば良いとぉ?」

放課後等デイサービスえるそるむなかたでの学習サポート。

今日は宗像市内の小学校が入学式の為、お休みの子も多く、えるそるは朝から賑やかでした。
僕も午前中にサポートに行って来ました。

新二年生になったKちゃんとの学習の中で、彼女の成長をものすごく感じる場面がありました。

数のお勉強プリントをしているときに彼女が「先生ぇ~。これ2個塗れば良いとぉ?」と尋ねてきたんです。
Kちゃんの様子を知っている方なら、この質問のスゴさが分かるはずです。

出会った頃は数の概念もほとんどなく、手を添えながら一緒に課題をしたこともあった彼女。
○個塗ってね、と伝えても、それ以上に塗ってしまったり、分からなくて腹を立てたりしたこともありました。

そんな彼女が「2こ ぬりましょう」という問題を読んで、「先生ぇ~。これ2個塗れば良いとぉ?」と尋ねてきました。

それに「そうだよ」と、返事をしたら「わかった」とやり始めて…

3つあるミカンの絵を見て、2つだけ塗りました。
2つだけある食パンは、両方塗りました。
5つある洋服も2つだけ塗りました。

特に、この洋服は高度な問題で、柄の違う洋服の絵が5つ並んでいたのですが、2つ塗ったんです。

さすがに洋服を塗るときには「これで良いとぉ?」と確認してきましたが、その確認してくることもスゴいことです。

新一年生も入ってきて気持ちもお姉さんになろうと、頑張っている彼女。

胸を張ってお姉さんをしてください♪

現状として出来ていることも大切ですが、出来るようになっていくという喜びを味わうことが大切だと思います。

自分の出来るようになっていくこと、他の人が出来るようになっていくこと、それを感じて、味わって、認めていく。

その姿勢のようなものが「お兄さん」「お姉さん」というものじゃないかなぁ、なんて思います。

自分の能力を鼻にかけて、いばってしまうのは、能力があったとしても「お子ちゃま」です。

学んだことを味わって、自分だけのものにせずに分かち合って欲しいと願います。

2017年4月11日火曜日

「ボク、オムツを卒業したい」っていうサインかも?

放課後等デイサービスにも新一年生が仲間入りする時期です。

学習サポートもですが、生活動作もサポートはさせてもらいます。
特に身辺自立に関しては。
着替え、排泄など。

今日出会った男の子はまだ、オムツが外れていない子。

デイに到着して直ぐにトイレに行くも、上手くいかずズボンを濡らしてしまったとのこと。

話を聞くところによるとオムツを下げると出る、らしいです。

話を聞いていて「ボク、オムツを卒業したい」という主張のように感じました。
その子の様子を見ていても、そう感じるところがありましたし。

学習サポートを終えて、その子のトイレについてスタッフさんとお話をしているときに、ちょうど股下をモジモジしている姿にスタッフさんが気付き、トイレを促しました。
トイレに向かう意識はしっかりとあるようでした。

厚かましく「一緒に良いですか?」とトイレにお邪魔して介助に入りました。

お話を聞かせていただいていたので、今回は便座の前に立たせて、オムツとズボンを一緒に脱がせました。
それから腰の辺りを押し出してあげ「シーー」と声かけしたら…

チョロチョロ!

上手くいって子どもとスタッフさんと共に喜びました。

この積み重ねです。
子ども本人も嬉しそうで何より。

身辺自立は、プライドにも関わります。
そこを守り、育んであげることで他の側面、たとえば学習であったり、その他の生活習慣であったりが、グンと伸びることもあります。

さらに支援者という立場の事で言うと、こういう場面に携わるほど、子どもとの関係性、結び付きは強くなります。
「大切なところを一緒にやった人」というのは強いですよ。
「この人となら出来るかも」と思ってくれますから。

僕が彼と会うのは週に一度くらいかもしれませんが、彼の成長にこれからも立ち会えていけると思うと楽しみです。

「先生、これ全部違う?」

新学期がスタートして、子どもたちには早くも宿題が出され始めています。
放課後等デイサービスで学習サポートをしていると、いろんな子の宿題を目にします。

今日は宿題と一生懸命向き合おうとするD君の話です。

算数が苦手なD君。
今日は宿題に、二桁の足し算の筆算が出されていました。

一桁の足し算も指を使ってしているし、それでも間違うことのある彼にとって、それはそれはハードルの高い宿題な訳です。

D君「僕の宿題だから口出ししないでね」

苦手なのを自覚していて、見られるのが嫌なんですよね。
強気な言葉で包んではいますが、目はオドオドしてて…

「わかった、何か困ったら呼んでね」と言っても「呼ばないよー」と。

でも、やってるうちに「なんだよ!」「くっそー」「これでいいや」と、腹を立てたり投げやりになったりしています。

僕に背中を向けながらしていて、時折チラチラとこちらを見て、目が合うと「大丈夫、大丈夫」と。

頑張り屋さんだな~。

15分くらい頑張ったでしょうか?

D君「先生、これ全部違う?」
こう尋ねてきました。

子どもにこういう言葉を言わせるような家庭学習は個人的にはアカンと思います。
どう?出来てる?っていう質問とは本質的に違う質問です。

うん…全部間違っているねぇ。

D君「教えて下さい」
もう涙目です。

よし、1つずつ一緒にやろうか。

まずは一の位から計算する、というそこから伝える必要がありました。
やり方を伝えながら少しずつ僕の手を離れて、なんとか最後の一問は自力で解けました。

やり終えたときの嬉しそうな表情。
D君「これで遊べる!永田先生くん助かったよ」
満面の笑みで学習室を出ていきました。

宿題、もちろん「よっしゃー宿題出た!」と喜ぶ子はほとんどいないでしょうが…
せっかくの放課後、せっかくの余暇の時間、せっかくの自由な時間に、子どもが傷つくようなことがないようには、サポートをしていきたいものです。

2017年4月10日月曜日

時間が長く感じる努力をしていく

新しい体験をすると、脳科学的に時間がゆっくりと感じられるそうです。
なんでも、脳の情報処理に時間を要するからなのだとか。

初めて通る道で往路の方が復路より長く感じるのは、そのせいだそうです。

この春、僕の関わってきた子達も何人か、卒業と進学をしました。
多分、いろんなドキドキをしながら新生活をスタートさせているのだと思います。

彼ら、彼女らには是非「ゆっくりと流れる時間」を楽しんで欲しいと思います。

そして、いろんな体験や感情に触れて「時間がゆっくりと感じられる」為の努力をしてほしいと願います。

2017年4月8日土曜日

昔話から得るヒント

題名は忘れてしまいましたが、こんな昔話があります。

だらしない旦那に愛想を尽かした女性がとなり町の実家に戻ってしまいました。

意地っ張りな二人は、しばらくは「せいせいした」と、妻を呼び寄せるでもなく、旦那の元に帰るでもなく過ごします。

でも、そのうちに妻も旦那が恋しくなり、旦那の方も自分のだらしなさを悔い改め始めました。

だけど、お互い意地っ張りなのも知っているから「まだ怒っているに違いない」と思い込み一歩を踏み出せずにいました。

その様子を見かねた妻の親が気持ちを伝える事を勧めます。

妻は考えて旦那のいる町と実家のある町を行き来する行商に「文」を託しました。
でも、妻は字が書けませんでした。
代わりに妻が行商に託したのは「小石」でした。

受け取った旦那は「バカにしやがって」と、最初のうちは腹を立てていましたが、繰り返し送られてくる小石に意味があるのではないか?と、友人に尋ねます。

その友人は答えます。
「これは『恋しい』ということを伝えたいのではないか」と。

合点のいった旦那は返事を考えますが、文字の読めない妻に分かるようにするにはどうしたら良いか?と頭を捻ります。

その末に旦那は「松の枝」を送り返しました。
「帰りを待つ」というメッセージを込めて。

受け取った妻は、「待つ」のメッセージを読み取り、旦那の待つ家に戻ることにしました。

それからは旦那も真面目になり、妻と二人で幸せに暮らしました、とさ。

「文」のやり取りの部分は教訓深いですよね。
非言語で伝えようとする側、汲み取ろうとする側のやり取りです。

平常時もそうだし、パニックを起こしているときでさえ、無意識的にも物や人を選びながら表出しているということは珍しくないと思っています。

そこに意味を見出だしたり、あるいは意味付けをしていくということも支援者の役割であることがあると思います。

もしかしたらこちらの勝手な解釈と言われるかもしれません。
それでも意味を見出だしたり、あるいは意味付けをしていくということで、支援がしやすくなる可能性はあります。

「分からない」というままだと支援の方向性も定まらずフワフワとしてしまうでしょうから。

昔話、シンプルだからこそ考えさせられることが多いんですよね。

2017年4月6日木曜日

真似の達人になれ!

支援や指導の手立てをどのようにして考えているか?

こういう質問をもらいました。

僕の答えはこう。

「まずは真似をしてみる」

たとえばプール指導の際は、身体の動きを真似してみます。
それで「どこに力が入っていて、どこに力が入っていないのか」を確かめたり、「どこに意識が向いているのか、どこに意識が向いていないのか」を思ったりして、そこから「どうやったら出来るのか」を考えていきます。

これは分かりやすいかもしれません。

学習の時には鉛筆の持ち方、筆跡、姿勢、視線…やはり真似をしてきます。
そこから子どもたちの思考に近づく足掛かりを探していきます。

そして、プールにせよ学習にせよ、それ以外の関わりにせよ、「顔の表情」も真似をしていきます。
これが僕の中ではかなり大切で重要。

表情を真似ることで、その時の感情に近づけはしまいか?と、思うわけです。
それから、「同じステージに立っているよ」というメッセージを非言語で伝えられるようにも思います。

たまに「永田の関わっている子って、なんとなく永田に似ている子が多いよね」と言ってもらえることがあります。

もしかしたら本質的に似ていることもあるかもしれません。
でも、大体のケースに於て、僕は子どもたちの真似をしていますから、その為かもしれません。

「すごい」「さすが」なんて言葉より「似ている」と言われる方がずっと嬉しいんです。

「子どもの立場になって」って言うからには文字通り子どもの立っているのと同じステージに立たないと。

2017年4月5日水曜日

味わい上手のOちゃん

Oちゃんとのプール。
僕もとても楽しい彼女とのプール。

彼女とのプール、何がこんなに楽しいのか…

もちろん彼女が泳法を獲得していく様子も見ていて嬉しいです。

でも、それだけじゃないんです。

彼女は、とにかく「味わう」ということがとても上手です。
彼女の良さです。

僕や学生サポーターのリサ先生とのやり取りを「味わい」ながら楽しみます。
レッスン中に出来たことを上手に「味わい」ます。
出来なかったことも「味わい」ます。

そんな彼女が、背泳ぎで大進歩を遂げようとしています。

このある種の過渡期みたいな時期にいることを彼女自身無意識的にも感じているようで、これもまた上手に「味わい」ながら練習に取り組んでいます。

頑張れ!
頑張ろう!

新年度、彼女なりに楽しみや不安もあるようです。
いろんなものを受け止めながら、今年度も彼女との時間を楽しみたいと思います。