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2017年9月29日金曜日

寄り添い「合う」。だって家族だから。

とあるお母さんから、今日はプールをお休みさせてください、とメールが届きました。

お母さん自身が体調を崩して連れていくことが難しいから、とのことでした。

その中で○○(子どもの名前)に申し訳ない、と触れられていました。

「○○に申し訳ない」

温かいと僕は感じました。
お母さんの愛情深さを感じました。

大好きなプールへ連れていってあげられない、お母さんの葛藤や悔しさ…子どもへ寄り添おうとする姿勢が、なんだか嬉しくなります。

僕は思うんです。
「申し訳ない」なんてことは、これっぽっちもない、と。

お母さんも、風邪を引くこともあれば、怪我をしちゃうこともあれば、疲れちゃうこともあるんです。
忙しい時もあるんです。

あるいは、「今日は、なんか分からんけどムリー」っていう日だってあるでしょう。

それでも良いと思うんです。

子どもにはもちろん寄り添っていって欲しいです。
でも、「寄り添う」というだけでなく、「寄り添ってもらう」みたいなことを、お母さんが、味わう時があっても良いと思うんです。

だって家族だから。

親として子に愛情を注ぐ。
とても大切なことです。
子どもからの愛情を受け取り噛み締めることも、やはり同じくらい大切なことです。

そういうことをしながら家族のつながり感を育めば良いと思うんです。

子どもたちも親に寄り添いたいんです。

大丈夫。
お母さんが愛した分だけ、子どもたちもお母さんを愛してくれるから。

慌てなくても、申し訳なさを持たなくても大丈夫。

とは言え、元気が一番ですよね♪
ゆっくり休んで、また元気な姿でプールに来て下さーい、待ってまーす♪
お大事に。

2017年9月28日木曜日

「オッス」「メッス」

結構しょうもない、くだらないことが好きなんですよね。

もう僕の趣味の押し付けみたいな感じはあるんですが、個人的にはとても「良いなぁ」ということがあったのでご紹介します。

毎週プールを頑張っているOさん。
中学生女子なので、更衣は当然別々なので、女子大生のリサ先生にお手伝いしてもらっています。

始まりはどんなだったか忘れましたが、いつの間にか、リサ先生とOさんの、その日の最初の挨拶が「オッス」から始まるようになりました。

寂しがりの僕はそこに入りたくて仕方ないので(笑)

リサ先生「オッス」(元気よく)
Oさん「オッス」(恥ずかしそうに)

こういうやり取りがしばらく続いて、徐々にOさんも彼女らしく返せるようになってきました。

そこで一捻り欲しくなって、

リサ先生「オッス」
Oさん「オッス」
永田「メッス」
Oさん「?」
リサ先生苦笑。

こういうやり取りをしばらくしていました。

すると何回目かで、
リサ先生「オッス」
Oさん「メッス」
大笑い、ということが起こり始めました。

ここのところすっかり、そのやり取りが定着して楽しんでいたのですが、昨日はいつもと少し流れが違いました。

Oさん「オッス」
リサ先生「メッス」
笑い♪

いつもリサ先生が先に挨拶をするところなのに、Oさんの方から先に声をかけるということが起こりました。

目に見えるところでは同じ事を繰り返しているだけのように見えますが、実はそれぞれにいろーんなことを考えて、感じてやり取りは成立しているんですよね。

さぁ、次はどんなことを仕掛けようか。
こういうことがあると考えるのが楽しくなるんですよね。

2017年9月27日水曜日

共感と同調

「そうなんだ」
「そんな風に思っているんだね」

相手の言葉を素直に受け止める、これが共感の始まり。

だから「そうだよね、分かる分かる」と同調することと必ずしもイコールとは限らないんです。

こういう話の度に僕が使う例え話があります。

「もう辛くて仕方ないんだよ!」
「そっか、辛かったんだね。頑張ってきたんだね」
「もう耐えられない!死んでやる!」
「辛い中でがんばってきて、それでも死にたいくらい辛いんだ…でもね…死んでしまってはいけないと思う」(共感出来ている状態)

「もう辛くて仕方ないんだよ!」
「そっか、辛かったんだね。頑張ってきたんだね」
「もう耐えられない!死んでやる!」
「そうだよね、辛いよね。死にたいよね。それがいいよね」(同調はしているけれど、共感とは言えない)

何が言いたいか。
意見が違う、考え方が違う、同調出来ない、そういうことが必ずしも共感できないということとイコールとは限らないんです。

そこに振り回されなければ、必ず相手とのつながり感は深まっていきます。

2017年9月26日火曜日

きっずクローバー光が丘での挨拶

きっずクローバー光が丘での学習サポート。

火曜日になるといろんなことが起こって、ここのところ行けない日が続いていましたが、久しぶりに行けました。

「あ、先生!こんにちは~。今日は宿題がありません」と笑顔で柔らかく挨拶をぬれるHさん。
そうかぁ、なら今日はゆっくり過ごせるね~。

「ぁあ!会ったねぇ」と先日、別の場所で思いがけず会ったことを(あの時にあったのは先生だよね?)と確認するように声をかけてくるK君。
うん、この前はありがとうね~。

「たがなさん!」と、文字を入れ換えて人を呼ぶS君は、会うなり学校でのことを聞かせてくれました。
セカンドスクール前でドキドキソワソワしているんだね~。

「宿題します」と直向きなM君は、直ぐに学習室に向かい、カタカナプリントを一緒にして、仕上がったプリントを満足気に眺めて「ありがとう」と。
あなたは良い感じで頑張っているよね~。

「先生~、宿題したくなーい。おやつ食べたいけど、宿題しないと食べられないんだょね~。」と、後押しして欲しそうに絡んでくるAさん。
そうか~、なら気持ちが決まるまで少しやり取りしようかね~。

写真で誘導されて学習室に来て、ひらがなのドリルを開き、僕の膝に座ろうとするI君。
君は可愛いよな~、随分甘えるのが上手になってきた。

僕との学習はほとんどしないけど「おぅ、先生。宿題ないからね~。」とすれ違い様に声をかけてくれて、あっという間に自分の世界へ入るY君。
おぅ、それでもいいよ~、声かけてくれてありがとう。

子どもたちがそれぞれ「らしく」アプローチをしてくれます。
今日は、この、子どもたちひとりひとりのアプローチに応えていく。

これが僕の学習サポートの導入。

学習するしないに関わらず。
お互いの様子を味わい合う。

この心地よさ。

2017年9月25日月曜日

「良い話を聞いた」と満足して座り続けるあなたへ

「良い話を聞いた」
「良いセミナーを受けた」

そういう時って妙な興奮状態になって「オレ、変われそう!」とか「私にもできるかも」とか「よーし、やってやる!」とか思っちゃったりした経験がありませんか?

その興奮が危ない!

そうじゃなくて、そういう後だからこそ、冷静に自分を振り返ってみて「何が足りなかったのか」とか「何をするのか」とかを具体的にしていかないと。

勢いに任せても、そんなに続くわけないでしょう?

いや、もしかしたら勢いは大切かもしれません。
踏み切るためには。

で、踏み切った後は冷静に、それを継続するための手段というか方法を考えないと。

でないと、一時したら継続できない、やれていない自分に戻ってしまって、まーた同じ話を聞きに行く、という繰り返しになりますよ。

セミナー中毒ですよね、こういう人たちは。

「セミナー受けてる」「勉強してる」っていう自分に酔いしれているだけ。

何のためにセミナーやら良い話を聞いているのか分からなくなっていますよね?

セミナーや良い話を聞いている。
その段階をハッキリ言うなら「ただ座っているだけ」ですよ。

座っているだけで何故か興奮してしまっていて、「やった気」になっているだけ。

そうじゃなくて、「何が足りない」「何が出来ている」「何をしている」ということを噛み締めて、地に足つけて歩くのが大事。

特に同種のセミナーのことで言えば、ほとんど誰に話を聞いても似たことを言っているだけですよ。
言い回しが違うから腑に落ちる、落ちないはあるかもしれないけれど。

いや、ともすれば「自分の行いの中に上手くいくヒントがある」んです。
自分の生き方なんだから。
自分の働き方なんだから。

それを他人に求めてもずっととなりの芝が青く見える、ということの繰り返し。

座ってないで動く。
聞いて終わらせないで実践。

成功というか、前進するためにはそれしかない。

2017年9月24日日曜日

「お手上げ」なんてことにしない為の準備をしていく

僕の場合、仕事の準備と言えば、「前回の終わり方」の振り返りにかなりの時間を費やします。

それを承けて「さて、今日はどうやって入ろうかね」という導入を考えるわけです。

もちろん、僕の知らぬ間にも子どもたちは様々な経験をするから、単純に前回からそのまま「続き」という訳にはいかないので、「どうやって来ても大丈夫、受け入れよう」というくらいに準備します。

大まかに「こんな感じかな?」という想定はして迎えますが、それと違っても「ほぅ。ならこうしていくか」と、組み立てをその場で変えます。

受け入れるからには、「お手上げ」なんてことにはしないんです。

「良いときにはそれを維持して、悪いときには少しでも良くして」保護者のもとに帰すというのは、とても大切。

僕の基準です。

そのために準備するんです。

2017年9月23日土曜日

(今日も上手くできるかな…)

プールに来るとイキイキと過ごすし、終わった後には楽しかった!と笑顔で答える子が、プール直前に「プールに行きたくない」と言い出すということがたまにあります。

何故か?

(今日も上手くできるかな…)

こんな風に考える子もいます。

上手に出来た、過ごせた自分を思い出して同じように楽しめるかわからないドキドキを感じているのでしょう。

あるいはお母さんの嬉しそうな表情に応えたいけど、(上手くできなかったら…?)と想像を膨らませる子もいるかもしれません。

こういうことって、前情報として「運動が苦手」ということが挙げられる子に多い気がします。

子どもたちは真っ直ぐです。

大人は、何故?と首を傾げるけれど、こういう実にシンプルなカラクリが隠れていることがあるんです。

あるいは、こういうドキドキを紛らわせようとしているうちにすったもんだになってしまうということも。

今日、一件、プールがキャンセルになりました。
先週初めて一緒にプールに入った子です。

彼の中に何があったか分からないけれど。

そういう可能性も含めて僕は、プールに来なかった彼の表情を想像して、来週に備えます。


さて、来週が楽しみだ。
もちろん、来週のプール前にはまた情報を貰ってから入りますよ♪