そんな中、学習の場では「字をきれいに書かせる意味は?」という問題が出てくるわけです。
学校では特に「字はきれいに」が強いです。
おそらく「受験」「試験」で読めないものは×というものに繋げて考えている先生が多いのだと思います。
それはそれで進路保障を考えたときには必要な理由です。
学習内容が分かっていても人に読んで貰えない筆跡では、成果物としては不十分というところでしょう。
僕は、いろんな子たちと学習する中で「“きれい”でなくとも“丁寧”に書いた方が良い」と感じています。
その方が漢字とか英単語とかは定着が早い子が多い気がします。
何人かの子どもたちの話を聞いてみると、漢字でも英単語でも教科書に印刷された文字の羅列を記憶しているというより、自分が書いた文字、練習したときのことを紐付けて思い出す子が多いようです。
そうすると丁寧に書いている子の方が、筆跡が安定していて、記憶に紐付けしやすくなっているのでは?と仮定しているところです。
きれいで無くてもいつも似た筆跡で書けることは一つ、大切な気がします。
もちろん、文字を丁寧に書くという作業自体、大まかに言うだけでも、目で見ながら、指先を使う作業に加えて、注意を払いながら行うという必要があります。
ですから、それだけで生活に必要ないろんな要素を見ていくことも出来ます。
他にも情緒も比較的よく表れるものだと感じてもいます。
落ち着かないときには字も落ち着かない雑な感じになりますし、情緒が落ち着いているときには、筆記も落ち着いて行えるものです。
受験とか試験とか、そういうこととは別のステージで、生活に結びつくものもたくさんあるので、僕はどちらかというとそういう観点を持ちながら子どもたちの書字を見守ったりサポートしたりしています。
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