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2018年1月7日日曜日

新品のゴーグル

昨年末の最後のレッスンでゴーグルのバンドが切れてしまって、年明けと共におニューのゴーグルを手に入れたT。

T「新しいゴーグルをあるよ」
永田「あ、そうやったね。そういえばこの前壊れちゃったんやったね」
T「このゴーグルね、くもり止めが4倍も長持ちするんだよ。かなり長持ちしそうやろ?」
永田「マジか!?それ、スゴいねー。しかも前のゴーグルよりカッチョいいね」
T「そうやろ?自分で選んだんだ。道具に負けないようにしないと」
永田「張り切ってるね(笑)まぁ、今年もじっくり泳…」
T「先生!いくよ!」
永田「あ、はーい!」

新年、いろんなものを新調する方も多いと思います。
そういう時って嬉しくなりますよね。

僕も新しい手帳はキレイな字で書き始めます(笑)

彼のゴーグルは意図せず買い直さなければならなくなったのですが、プール初めでは、効果絶大でした。
いつも300メートルほどをゆっくりお喋りしながら喋る彼が、なんと500メートル泳いだのです。

ワクワクっていうのは大切。

2018年1月6日土曜日

“支援”だから

僕が思うに、支援というのは、あくまで“支援”であり、それは“補完的”であるべきだと思うのです。

やはりベースは家庭です。

それがほとんどの子どもにとっての幸せだと思うし、そうであって欲しいと願っています。
ただ、その家庭というのが実に多様で、支援者の役割も多様になってしまうのですが。

僕も実際に日頃の学習やプールを通して見えてくる子どもの姿から「うーん、どこまで踏み込むかな…」と思いながら、かなりいろんな事に踏み込んでいるように思います。

踏み込んだからには投げ出さず、関わったからには責任を持って“支援”をしていきます。
だけども、やはり“補完的”であるべきとも考えていますので、支援開始当初はこちらで担ったことも、少しずつ家庭に戻せるものから戻していきます。

タイミングであったり、家族の心の準備であったりを待ちながら。

そう。
“待つ”というのがとても大切だし、辛抱がいるものです。

これを支援者の自己満足で「家庭より自分の方が」なんて傲りを抱いてしまって、家庭を置き去りにしてしまうようではいけません。

なんだか厳しいことを言っているように捉えられてしまうかもしれませんが。

「誰の子なの?」

ということです。

家族は支援を受けながら歩んでも構いませんが、支援任せにしてはいけません。

支援者も同様で、家庭が機能している内は、あるいは機能している部分は家庭に子どもを置いておくべきなのです。

その距離感の中で、信頼関係も絆も温かさも育んで、願いや目標などを共有していけたら良いと思うのです。

これが正解だとは言わないけれども、少なくとも僕の支援観の柱のひとつであることは間違いないというものです。

2018年1月5日金曜日

1年前と比べて

今日は小学生のEちゃんもプール初めでした。

今年最初のプールは、それはそれはとても穏やかなプールでした。
彼女がプールを始めて1年余り。
去年のプール初めとは色々と違いました。

この1年の彼女の頑張りを見守ってくださっていた周りの方が、僕だけでなく、彼女へも「おめでとう」「今年もよろしくね~」と声をかけてくださるようになりました。

彼女の方も“顔見知り以上”の人が増えて、安心感を持って過ごせるようになってきており、「おめでとう」という言葉かけに対してペコリと頭を下げて挨拶を出来るようになりました。

もう、それだけでこの1年余りの彼女の頑張りを確認出来る気がしました。
そして、また一年、一緒に頑張れる元気と勇気が湧いてきました。

言葉こそ出ないけど、きっと彼女の心の内では、「今年もよろしくね、おばあちゃん」という感じだったのではないかな?あの表情は。

ここは特別な場所だけど…

今日は未就学児のS君とプール初めでした。

プールで泳ぎ終えた後、更衣室に向かう途中にあるトイレの前で尿意を訴えてきました。
その訴え方がとても面白いものでした。

水着が濡れていてなかなか脱げませんでした。
しばらくはもがきながら、なんとか自分で脱ごうと頑張っていました。

だけど、段々と我慢の限界が近づいてきて…彼の口からこんな言葉が出てきました。

「先生!手伝ってください!おちんちんは大切な場所だけど、先生なら触っちゃっても怒らないから早く!脱がせてください!漏れちゃうよ!」

なんていう頼み方(^^;

でも、とても大切な感覚だと思いませんか?

まだ小さな彼の中に見た、大きなふかーいモラルと愛情。

2018年1月4日木曜日

息子とたっぷり過ごした三が日

今年は息子とたっぷり年末年始を過ごしました。

ゆっくり過ごすと成長ぶりも色々と気づくことが多かったです。

まずは「上」とか「下」といった概念が芽生えてきたこと。
自宅の2階は「上」だし、1階は「下」だし高いところにあるものを取って欲しいときも「上」です。
2つのものを上下に並べてみても「上」と「下」になってきました。

それから、我が家の玄関には、僕がたまに仕事に持っていくキャスター付きのスーツケースを置いてあるのですが、それをコロコロと転がしてたまに遊ぶ息子。
その際、カーペットなどを巻き込まないように、通るコースにある障害物を予め動かしてから遊び始めることが増えてきました。
予測、見通しも立てられるようになってきたようです。

それから、それから…
つい先ほど、公園に落ちている枝を拾って、僕の方へ突き出して「アンパンマン」と、地面に描くことを要求してきました。
この時は短くて太めの枝を選んでいました。
その直後、地を這っている虫を見つけて、それを突っつくために細くて長い枝に持ち変えていました(笑)
彼なりにしたいことのイメージを持っているのかな?

たくさん彼の成長を感じることの出来た休日でした。
今日からボチボチ支援スタートです。

2018年1月2日火曜日

家族と仕事が大好きなんだね

妻から「家族と仕事が大好きなんだね」と、なんだか嬉しくなる言葉を貰いました。

そう。
本当にそうなんだと思います。

ちょっと必要があって、僕のGoogleフォトに保存されている写真を妻に見せていました。

「見たら、家族の写真か、仕事の様子か仕事に使えそうなものとか、ばっかりだった」
「本当に家族と仕事が大好きなんだね」

と。

僕にとっての、ぐるんぱにとっての応援団長である妻に認められたような気がして、今年もしっかりと仕事へ向かいたいと思いました。
家族のことも想い続けたいと思いました。

2018年1月1日月曜日

アンパンマン好きの男の夜のヒトリゴト

息子とアンパンマンのビデオを見ていました。

「アンパンマンとジャムおじさん」という話で、アンパンマンの小さいころ(そんな時期があったことに驚きました)の話です。
上手に飛べなかったアンパンマンが、「風と仲良くなる」ことで上手に飛べるようになる、という回想です。

話の大筋は以下の通り。

まだアンパンマンは上手に飛べなくて悔しい思いを繰り返している。

ある日、アンパンマンとパン工場のみんなでワゴンにパンを載せて配達に行くことになる。

その道中、険しい山道でワゴンが崖から落ちてしまう。

咄嗟にアンパンマンはワゴンを追いかけて崖に飛び込む。

ジャムおじさん、バタコさん、チーズはアンパンマンを案じて崖に向かって叫ぶ「アンパンマーーン!」と。

→この叫ぶ際、バタコさんとチーズは目に涙を溜めて困り顔、不安そうな表情で崖を覗き込むのですが、ジャムおじさんだけはキリッとした表情で覗き込んでいました。
アンパンマンが戻ってくることを信じて、待とうという決意のように見えました。

アンパンマンは、ワゴンを抱えて無事に崖下から戻ってきました。

パン工場のみんなはアンパンマンが無事に戻って来たことに安堵の表情を浮かべる。

アンパンマンは「ボク、上手に飛べたよ」と満面の笑みでみんなに報告をする。

ジャムおじさんが、嬉しそうなアンパンマンにかけた言葉が、そのアンパンマンの「飛べたこと」への共感を示す言葉だった。

→“ワゴンとパンを守った”という出来事に注目してしまうと、つい「ありがとう」とか言ってしまいそうだと思いませんか?
それを「そうだね」と、アンパンマンの喜びに寄り添うのですから、すごいと思います。

アンパンマンはやっぱりスゴいと思うんです。
でも、それって実はジャムおじさんが共感の達人で、そんなジャムおじさんが願いと想いを込めてアンパンマンを生み出したからなのかもしれないと思いました。

アンパンマン好きの男の夜のヒトリゴト。