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2018年5月11日金曜日

「心」って例えばこういう見え方をするのだと思う、という話

僕は、子どもを授かってから明らかに変わったということがあります。

いくつかあるけど、自覚として強いものの1つが道選びです。

僕、面倒臭かったり、気が急いていたりすると近い、あるいは早い道を選びがちなのですが、子どもを授かってから、リスクの低い道を選ぶようになりました。
これは間違いありません。

例えば、「ここを突っ切れば3分早いけど、少し細い道」より「見渡しが良い、信号がある道」を選ぶようになりました。
例えば、「下道で行くとギリギリかな」という距離を移動する際も、ギリギリになって気が急いて注意が散漫になるくらいなら、有料道路の料金を払って余裕のある運転を心掛けるようになりました。

これって僕の中では、「僕に何かあっては子育ての責任を果たせなくなるという責任感」とか「子どもと永く時間を重ねたいという想い」とかのような親「心」だと思います。

他にも仕事に夢中になれるのも、それに伴う勉強もしているのも向上「心」だろうと思います。
子どもたちとふざけ合って支援の時間を持つのも遊び「心」です。


「心」は間違いなく「行動」に現れるのだと思います。

支援をしていく上では、子どもたちの「行動」を観察して「心」を察し、温もりのある関りと支援を考えていきたいと思います。

2018年5月9日水曜日

なんて読むの?

「放課後等デイサービスえるそるむなかた」に来ている5年女子RとY。

R「先生~、学習サポートしてるから読めるよね~?」
そう言って「向日葵」と書かれた本を指差して“お誘い”をしてきました。

彼女が持っているのは「向日葵ってなんて読むの?」という本。
中身は漢字で花の名前が随分とたくさん書かれているようでした。

R「ねぇ、読めるよね~?」

同室にいた他の子達も興味津々です。
永田は読めるのか?という空気が部屋に満ちていました。
「読めて!」「先生でも読めないかも」という2つの期待をひしひしと感じました。

永田「あぁ、それは『ひまわり』やろ?」

R&周りの子「ぉお!さすがやん」

永田「こんなんチョロいチョロい」(鼻高々♪)
↑これがまずかった(笑)

R「ま、これは読めて当然だよね。じゃ、本番ね」
と言われ引けずに「かかってこい!」なんて言ってしまいました(笑)

彼女が適当に開いた見開きに書かれている花の名前を10個読めという挑戦状を叩きつけられました。

(まずい、これはまずい)

見たことない漢字の並び…いや、そもそもこんな字、見たことねぇし(汗)というものがズラリ。

R「あ、今焦ったろ?」
(見抜かれてる(^^;)

永田「んなことないよ、読めるよ!…多分」

男児Y「じゃ、読めなかったら学習サポートやめてね」

はぁ!?なんじゃそれー!?

永田「うん、いいよぉ。余裕よ」
(ヤッベ…。)

R「でも、これかなり難しいから3問合えば良いことにしちゃあ!」
(ナイス!)

永田「いいとぉ、そんな緩くて」
(僕はバカだ(^^;)

R「いいよー、じゃ、いくね」
(ありがとう、君は天使だ)

Y「ええ!?それ甘くない?」
(お前はだまっとれぇ!)(笑)

R「いいけん、いくよ!これ!」
(そ、いいけんいこう(^-^)/)

永田「読めん」(即答)

R「自信もって読めてないやーん。これ、ヒヤシンス」
(むっず!当て字か!ヒヤシンスだと?カタカナたい、そんなんは!)

R「はい、次!」

永田「読めん」(即答)

R「これはパンジー」
(パンジーもカタカナ!次!)

永田「へぇ、そんな書くんか」
↑もう完璧に忘れた(笑)

Y「本当に先生、仕事無くなるっちゃない?」
(お前はだまっとれぇ!)2回目(笑)

そのあと、4つは読めて、ギリギリでノルマクリア(^^;

Y「いぇーい、先生無職!」

永田「残念!ね?R?」

R「うん、4つ読めたけんね」

永田「ほらー!うぇーーい!」

Y「つまんなーい」

フフフ♪楽しかった。

その後はどの子も落ち着いて宿題をこなしていきました。
永田をやっつけた満足感を抱えながら。

2018年5月8日火曜日

笑い声たっぷりの打ち合わせ

今日の午前中はメイトムで顔合わせ&打ち合わせでした。

「手をつなぐ会」の役員さん3名と6月に行われる「手をつなぐ会」の総会についての話し合いでした。

と言うのも、総会の後にプレ勉強会なるものがあるらしく、その場でお話をする機会を頂きました。
今年度は、約30分永田から話をして、その後に質疑応答ということになりました。

ぐるんぱの活動のこと、子どもたちのこと、支援のこと…リクエストをたくさん頂きました(^^;

30分かぁ…。
何をどう伝えるのが良いのか…あるいは、話せない分資料で補うか…。
しっかりと練りたいと思います。

やっぱり、せっかくだから、僕だから話せることということにはこだわりたいし…。
この妙なこだわりが面倒くさい(笑)

「手をつなぐ会」では7月にも「まなぼう」という企画を用意していて、そこでも恐らく永田が今年度は時間を頂けることになりそうなので着地せずに「To Be Continue」にしてしまうか(笑)

という具合の話し合いをしておりました。

打ち合わせした3名の役員さんの内、お二方は顔見知りの方だったということもあり、笑いの絶えない打ち合わせでした。

しょっちゅう脱線してあれやこれやと笑いながらで、「こんな感じでお願いしま~す」みたいな雰囲気がクセになりそうなメンバーでした(笑)

いえ、当日は「こんな感じでお願いしま~す!」に毛を生やすくらいの準備はさせて貰います。

ただ、打ち合わせでこれだけリラックスさせてもらえると準備もしやすいです。
きっとそういうお心遣いだったのでしょう。

ですよね(笑)?
いずれにしても、よろしくお願いします!
素敵な機会をありがとうございます。

そんなこんなで1学期は忙しく終わりそうです。

プールの仲間が増えました。

先週土曜日、中学生の男の子S君とプールをスタートしました。

初回のプールは、まさに『自己紹介』といった感じでした。

初めての場所で慎重に覗き込むような仕草で周囲を観察していたと思ったら、のびのびとした姿を見せてくれる瞬間もあり、僕自身も朗らかな心持ちで過ごせた素敵な初回でした。

入水してからも何をどんな風にやるの?ということをしきりに気にしていて、それに応えると「あ、分かった。ありがとう。ちょっとね、気になったから聞いてみたんだ」という具合にまた返してくれます。

他にも「こんなことが出来るよ」と泳ぎを披露してくれました。
クロールも平泳ぎも盛大な水しぶきを上げながらでしたが、これも含めて彼の「自己紹介」だと思います。

それから僕の印象は、とても丁寧に人と接する子、という感じでした。

「分かったかな?」「分かってくれるかな?」「伝わったかな?」という相手を思い図るようにして確認しながらコミュニケーションを進めていくのです。

これは僕ら大人も見習わなければ。

相手に触れるときにも、何故触れるのか?ということを伝えてくる子です。
実に丁寧。

それに対してこちらは、彼が伝えてくることの中身と、何故そういう伝え方、表現、表出なのかということを考えていき、支援の方向性を見出だしていきたいと思います。

さ、これから楽しもう!
よろしく!S君!お母さん!

2018年5月7日月曜日

何をどのように残すのか

絵本作家のかこさとしさんがお亡くなりになりました。

「だるまちゃん」シリーズは僕も大好きだし、子どもにも何度も読んであげた絵本です。

こういう方がお亡くなりになるのは残念ですが、紡がれた作品はずっと子どもたち親たちに読み継がれていくのでしょうね。
こういうことを思う度に、作家のようなものを、自己表現を形に残していく仕事というのはとても素敵だな、と感じるものです。

僕自身も何をどのように残していくか、そういうことを考えながら仕事をしていきたいと思います。

少しずつ、いろんなものが動いている4月、5月。

ぐるんぱの3年目。

気持ちを込めて、気持ちを引き締めて、明日も仕事をしていきます。

2018年5月2日水曜日

失敗はしても良い。でも…

失敗はしても良いし、失敗してこそ学べるものもあると思います。

僕も基本的にはそう考えていますし(だから取り敢えずはやってみるんですが)、一般的にもそういうことをよく言われているのを耳にします。

ただし、子ども(とは限らないけれど)の中には「失敗をトラウマとして抱えていってしまう」子もいるという事実を見落としてはいけないと思います。

そういう子が失敗を重ねていくと、物事に取り組むための意欲や勇気が育たなくなるのでは?という危機感を覚えます。

そういう子への配慮として「上手に失敗を体験させる」ということが必要だと思います。
失敗も“経験”であることには変わりないですから、そもそもの経験を奪わないように、こどもがくじけてしまわないようなサポートをしながら、“経験”を積ませていくのです。

これって結構僕の中では大切。

話して一発で頭で理解できるというものでもないから、地道に子どもとの関わりを通して伝え続けていかないといけないものです。

そうして「意外と取り返しのつかない失敗ってそうそうないんだな。ならやってみよう」っていうような意欲とか勇気が持てるようになれば良いのかな?なんて思ったりします。

「一緒にしてるっちゃろ?」

僕と学習している子どもたち、「準備不足だろ^^;」とツッコミたくなる子が実に多いのです(笑)

「消しゴム貸して」
「鉛筆貸して」

と、当たり前のように言ってきます。
中には机の上にペン立てがあり、そこに自分の鉛筆があるにもかかわらず、そういうことを言ってくる子もいます^^;

一応は「えぇ~また?準備しておきぃや」「そこにあるやん」とは言うし、あるものは自分のを使ってもらうものの、その実、内心ではこの手の一言をとても愛おしく、嬉しく受け取っています。

ある子に尋ねてみました。
「なんで毎回僕からツッコまれるのに鉛筆とか消しゴムとかを僕から借りると?」と。

すると、その子の回答はこう。
「いや、別に理由はないっちゃけどさぁ。一緒にしてるっちゃろ?そしたら別にいいやん?」だそうです。

そうか。
“一緒に”ね。
その通りだ。

多分、“一緒に”学習して、“一緒に”過ごしているうちに、境界線みたいなものが曖昧になるのでしょうね。
その子にとって僕と一緒にする学習は「僕の勉強」だけど「僕“だけ”の勉強ではない」ということなのでしょう。
だからモノの所有に関しても境界が緩くなるのでしょうね。

学校の教室でも子どもたち同士の消しゴムなどの貸し借りを目にします。
もしかしたら、これも子どもたち同士の間で“一緒に”学んでいるという意識が育っている証なのかもしれませんね。

個別あるいは少人数で行うぐるんぱの学習サポートですが、その中で子どもたちと“一緒に”を作ってこれていたのかな?と、子どもから随分と励まされました♪