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2018年1月15日月曜日

息子のごっこ遊びの進化が止まらない

明日で晴哉1歳11ヶ月。

最近の彼の遊びの進化が面白くてたまらない親バカです。

部屋の中に跨がって足で押し進むタイプの汽車の玩具があります。

少し前まで、息子にとってそれはやはり「汽車」でしかありませんでした。

それが彼の想像力の成長に伴って「乗り物」になりました。
あるときは「ピーポー(救急車)」になり、あるときは「ポッポー(本来の汽車)」になり、あるときは「バイク」になり、あるときは「父ちゃんの!(車)」になり…

ここ数日は「ゆーびんや(郵便屋)さん!(の)バイク」になっています。

そして郵便屋さんに扮した彼は家族にお届け物をしてくれます。

最初は積み木やブロックを配達してくれました。
それが、何も持たず「はい!」とだけ言って渡す振りをしてくるようになりました。

「はい、ありがとう」と最初のうちはただ受け取っていましたが、「これは何ですか?」と尋ねたら少し考えて「みかん!」と答えてくれました。

これは「お届け先」が複数あるときは、どこにでも同じものを届けるところからスタートしましたが、「お届け先」が都度「これはなんですか?」と尋ねていたら、そのうちに「お届け先」によって荷物を変えるようになってきました。

僕には「みかん」、妻には「バナナ」、じぃじには「リンゴ」、ばぁばには「」桃 という具合に。
しかもその時々で入れ替えが行われます。

見えないものをお届けして回る。
なかなか難しいと思うのです。

更に、届けたものを食べさせようとしてくれます。
「モグモグ…おいしい!」と伝えるととても満足そうです。

彼の郵便屋さんごっこがどうなっていくのか楽しみです!

「やります!」風が一番迷惑

「まだ自分には…」
「したことがないから」
「質を上げてからでないと…」

こういう言い訳は自分の成長の妨げになります。

「まだ自分には…」
→じゃ、いつになったら出来るの?

「したことがないから」
→じゃ、ずっと「したことがない」ままですね?

「質を上げてからでないと…」
→じゃ、どうやって質を上げるつもり?

「量より質」という言葉はありますよ。
そういう考え方も。

でも、それってある程度の素地が出来上がってからの話だと思います。

不格好でも、泥臭くても、まずは数をこなす、量をこなす、というのはとても大事です。

最初に挙げた言い訳は、一見すると「謙遜」とか「謙虚」とかに映りますが、実は「勇気が無いだけ」であったり、「面倒臭いのを悟られたくないだけ」であったりするのだと思います。

そして、その後ろには「そうまでして成長しなくて良い」「そうまでして出来るようになろうとは思わない」という気持ちがあるのだと思います。

それはそれで良いんですよ。
だけど、それなら上手くいかないことで悩む資格も無いですし、「自分はそういうつもりではない」とハッキリと示せば良いのですよ。

「出来る」のは、それなりに数も量もこなして、苦虫を噛んだりもしながら得たものです。

出来る人に羨望や嫉妬を向けるのならやれ!って話です。

そういうのってみっともないと思いませんか?

「やります!」風が、一番迷惑。

2018年1月13日土曜日

「この子と一緒に死んじゃおうかな」っていう言葉に直面したことがありますか?

家族の想いや思い、支援者として、という大きく言って二本立ての記事です。

この手の話題は言葉選びが凄く難しいし、整理して書くのも難しいのですが…

「この子と一緒に死んじゃおうかな、って年に一回くらい考えちゃうんです」

っていうことをお話するお母さんと出会うことも少なくありません。

気丈に振る舞っていたり、元気ハツラツとしたように見えるお母さんが、こんなお話をもらすことがあるのです。

そもそも命を、子どもを育てるってとっっっても大変な事で、とっっっても尊い事なのです。

それに加えて子どもに障がいがあると、提示される選択肢がマイノリティであったり、そもそも選択肢が無いということもあったりします。
少なくともご家族には、そう映るという場面があると思うのです。

障がいの有無というところは、支援者にはどうしようもないことです。

でも、障がいを持っていることを孤立の原因にさせないことは、支援者として手伝えることだと考えています。

「こういう(支援)仕事って大変でしょう?」と言われることがあります。

まぁ、大変ですよ。

でも、仕事には、その仕事毎の大変さがあるものでしょう?
職業支援者からしたら、大変さは家族とは違うものでしょう?
大変さ、をどう捉えるかによりますが、多分比じゃないですよ。

もう、まとまりも無くて、何が言いたいのか見えなくなってきてしまいましたが…

「この子と一緒に死んじゃおうかな」って考えてしまう機会を減らすことは支援者として出来るかもしれないのです。

支援者の怠慢で「この子と一緒に死んじゃおうかな」と思わせてはいけないのです。

支援で以て、輪を作って、孤立という言葉を当事者、当事者家族、支援者から遠ざけなければいけません。

それを「重い」とか「面倒」とか「そこまでしないとダメ?」なんて思う人は辞めれば良い。

出来ることには全力を尽くせ、って話です。

一人で無理だと思えば協力を仰げば良いのです。
出来ないことを無理してポシャるのは、プロではないから。

だけど、出来ることには全力を尽くさなくては。

自分の怠慢が対象児者の孤立に繋がりかねない、という緊張感と、ある種の危機感をを持って仕事をしていかないと、質はいつまでも粗いままだと思うのです。

もちろん僕もまだまだ脇が甘いのだと思います。
だから、研鑽するし、考えるのです。

それから、「どう働くか」は「どう生きるか」に繋がると思うのです。

2018年1月11日木曜日

子どもの背景には必ず家庭があることを忘れずに

職業支援者である以上、保護者抜きで子どもたちと出会うことはほぼありません。

もちろん保護者抜きで子どもを「見かける」こともありますし「会う」ことはあります。

でも、責任を持って関わるような「出会い」となるには保護者の存在が欠かせません。

事業所を通じて子どもたちと出会うこともありますが、事業所では職員が保護者代理のような存在で、事業所内での子どもたちの様子を職員から聞きながら子どもとの出会いを重ねますし、必要に応じてそれぞれの家庭についての情報提供も求めていきます。
更に必要があれば、直接保護者宛てにお手紙などを書いてやり取りもさせてもらうことがあります。



家庭は子どもたちを支える土台であり、子どもたちを育む土壌です。

それを知らずに支援など出来るはずもありません。

その土台や土壌に取って代わるのが支援ではありません。
土台や土壌が、ふかふかで豊かであり続けるようにサポートしていくのです。

親子関係、兄弟関係、学校生活、地域生活…家族や家庭が孤立してしまうと、土台も不安定になるし、土壌も痩せてしまいます。
そうなってしまわないように支えていくのです。

家庭が豊かだと子どももしなやかです。

子どもと向き合う時も、家庭のことを頭の片隅にでも置いておくと、子どもとの歩調合せも捗る気がします。

子どもは家庭に所属しているし、子どもの背景には必ず家庭があることを忘れずに。

2018年1月9日火曜日

人は何かを待っている

大学生時代に、繰り返し繰り返し見ていた映画があります。

トムハンクス主演の「ターミナル」。

安くなっているのを見つけて思わず購入してしまいました。

大学生当時もストーリーが好きだったのですが、あのときの目的は英語の勉強の一環でした。

音声を英語と日本語に切り替えて見たり、字幕も日本語と英語を切り替えたりして、いろんな組み合わせで見まくっていました。

当時、あの作品に関して言えば字幕無しで、聞き取れるようになったし、台詞も8割ほどは言えるようになったものでした。

そんな懐かしさに引かれて購入したのですが、時間も経ち、今の仕事をして、全く違う立場になって見ると、これまた面白いのです。

全編通して「待つ」ということがテーマになっている本作。
この仕事もまた「待つ」ことが仕事だとよく思うものです。

子どもたちが何を待っていて、僕は何を待つべきなのか…

そもそも「人」が何を待っているのか…そんな哲学的なことも思います。
(この仕事、哲学することは結構大切だと考えています)

それから、僕の今の立場から言うと「法の隙間」という表現も大きな引っ掛かりです。


と、言いつつ、待つことと踏み出すことと整理しながらコツコツと。

2018年1月7日日曜日

子どもたちの創造性と遊びの伝承

写真が掲載できないのが残念なのですが…子どもの創造性に触れて年明け早々に驚かされた、というエピソードをご紹介します。

僕がお世話になっている放課後等デイサービスえるそるむなかたの子どもたち。数人の中で少し前からブームになっているのが折り紙。

始まりは折り紙で作った独楽からではなかろうか?と思っています。
初めから熱を帯びたようなものではなくて、一人の子が持参した折り紙製の独楽に「お、なんそれ?」と数人がちょっと興味を示していました。
真似をして作る子が現れました。

折り紙独楽ブームは、一旦、数日で下火になりました。

けれど、それを機に折り紙に頻繁に触れる子が、現れ始めたように思います。

これが11月中旬頃。

細々と細々と折り紙への情熱を、恐らく子どもたち自身も意識的に膨らませたというものではなかった、のではないかと思います。

なんとなく折り紙っていろんな事出来るな、くらいには思っていたかもしれませんが、表面的には静かに子どもたちの中で「折り紙に触れ続ける」くらいのものでした。

だけど、この「続ける」ことで、きっかけを待っていたのかもしれない、とも思います。

そのきっかけが何だったのかはまだ確認出来ていませんが、「紙相撲をした」「強い紙相撲を作りたい」「大きい、重いものが強い」「よし、大きくしてみよう」くらいにシンプルなものだったかもしれません。

子どもたちの中で「巨大紙相撲作り」がブームになりました!
(メインは高学年の男女二人が競っていたようです)

その思いが表出して支援員の目にも触れるようになってきたのが12月に入って直ぐの頃でした。

僕の目に入ったのは、折り紙を7×7に張り合わせて作った紙相撲。
これでも僕は驚きました。

49枚を張り合わせるだけでも相当な労力ですからね。

そして、冬休みまでも、冬休みに入ってからもコツコツと試行錯誤を繰り返していたのでしょう。

年が明けて、僕のもとに支援員さんから報告が届きました。

「小1のS君と同じくらいの大きさのものが出来てます!」と。

写真を送ってもらったら、確かに大差ない巨大紙相撲が出来上がっていました。

19×19の361枚を張り合わせたようです。

これはスゴい。
本当にスゴい。

まるでモザイクアートのようにいろんな色が混在する1枚になった折り紙から作られた巨大紙相撲。

作り上げた子どもも得意気でしたが、お兄さんたちの創作に大興奮の低学年の子どもたち。

こういう経験が、多分遊びを伝えていくのでしょうね。
更なる工夫を生んで「こんなことを先輩はしていた」「僕らはこんなことをした」「じゃあ君たちは?」みたいな、言葉にならない、やり取り、経験としての伝承が。

楽しみですね♪

新品のゴーグル

昨年末の最後のレッスンでゴーグルのバンドが切れてしまって、年明けと共におニューのゴーグルを手に入れたT。

T「新しいゴーグルをあるよ」
永田「あ、そうやったね。そういえばこの前壊れちゃったんやったね」
T「このゴーグルね、くもり止めが4倍も長持ちするんだよ。かなり長持ちしそうやろ?」
永田「マジか!?それ、スゴいねー。しかも前のゴーグルよりカッチョいいね」
T「そうやろ?自分で選んだんだ。道具に負けないようにしないと」
永田「張り切ってるね(笑)まぁ、今年もじっくり泳…」
T「先生!いくよ!」
永田「あ、はーい!」

新年、いろんなものを新調する方も多いと思います。
そういう時って嬉しくなりますよね。

僕も新しい手帳はキレイな字で書き始めます(笑)

彼のゴーグルは意図せず買い直さなければならなくなったのですが、プール初めでは、効果絶大でした。
いつも300メートルほどをゆっくりお喋りしながら喋る彼が、なんと500メートル泳いだのです。

ワクワクっていうのは大切。