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2018年1月13日土曜日

「この子と一緒に死んじゃおうかな」っていう言葉に直面したことがありますか?

家族の想いや思い、支援者として、という大きく言って二本立ての記事です。

この手の話題は言葉選びが凄く難しいし、整理して書くのも難しいのですが…

「この子と一緒に死んじゃおうかな、って年に一回くらい考えちゃうんです」

っていうことをお話するお母さんと出会うことも少なくありません。

気丈に振る舞っていたり、元気ハツラツとしたように見えるお母さんが、こんなお話をもらすことがあるのです。

そもそも命を、子どもを育てるってとっっっても大変な事で、とっっっても尊い事なのです。

それに加えて子どもに障がいがあると、提示される選択肢がマイノリティであったり、そもそも選択肢が無いということもあったりします。
少なくともご家族には、そう映るという場面があると思うのです。

障がいの有無というところは、支援者にはどうしようもないことです。

でも、障がいを持っていることを孤立の原因にさせないことは、支援者として手伝えることだと考えています。

「こういう(支援)仕事って大変でしょう?」と言われることがあります。

まぁ、大変ですよ。

でも、仕事には、その仕事毎の大変さがあるものでしょう?
職業支援者からしたら、大変さは家族とは違うものでしょう?
大変さ、をどう捉えるかによりますが、多分比じゃないですよ。

もう、まとまりも無くて、何が言いたいのか見えなくなってきてしまいましたが…

「この子と一緒に死んじゃおうかな」って考えてしまう機会を減らすことは支援者として出来るかもしれないのです。

支援者の怠慢で「この子と一緒に死んじゃおうかな」と思わせてはいけないのです。

支援で以て、輪を作って、孤立という言葉を当事者、当事者家族、支援者から遠ざけなければいけません。

それを「重い」とか「面倒」とか「そこまでしないとダメ?」なんて思う人は辞めれば良い。

出来ることには全力を尽くせ、って話です。

一人で無理だと思えば協力を仰げば良いのです。
出来ないことを無理してポシャるのは、プロではないから。

だけど、出来ることには全力を尽くさなくては。

自分の怠慢が対象児者の孤立に繋がりかねない、という緊張感と、ある種の危機感をを持って仕事をしていかないと、質はいつまでも粗いままだと思うのです。

もちろん僕もまだまだ脇が甘いのだと思います。
だから、研鑽するし、考えるのです。

それから、「どう働くか」は「どう生きるか」に繋がると思うのです。

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