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2018年11月28日水曜日

孫と向き合いたいという願い

数日前のこと。
プールで、顔をよく合わせる60代の男性が声をかけてくださいました。

「どの子も練習すれば上手になっていくんですね。孫も上手くなるんでしょうかね?」と。

なんでも、普段は離れたところに住んでいるお孫さんが障がいを持っているらしいのです。
これまで障がいとは無縁に近い生活を50年以上送ってきたので、どのように接するのが良いのか、どんな成長をしていくのか、そういうものが全くと言って良いほどに見通しが立たず、孫のことも、その両親のことも気がかりなのだそうです。

お会いしたことない子どものことについて無責任なことも言えないのと、先方の話しぶりからしても「聞いて欲しい」という雰囲気が強かったので、特に言葉を返すわけではなく、ただただ相槌を打ちながら話を聞いていました。

ひとしきり話をしていて、スッと男性が立ち上がって「いろいろ急に話してしまってごめんね、聞いてくれてありがとね」と話はじめよりも幾分か柔らかな口調で、帰っていかれました。


そして今日、またその方にお会いしました。

「この前はごめんねぇ、捕まえて話し相手にしちゃって」と話を始めた男性。

男性「いろんなことをあの後も考えちゃったんだけど、あんたといろんな子どもたちとの練習を見ていたら、孫と過ごすときは楽しもうって思えてきたよ。なんかこんな言い方すると失礼かもしれないけどさ、あんた、子どもたちに遠慮せんでしょう?なんか私たちだったら遠慮して言わないような冗談もさ。なんか障がいとか関係ない感じで。いや、きっといろんなこと考えているんだろうってのは分かるけどさ。」

永田「そうですね(笑)遠慮したりできるほど器用でもないんで」

男性「この前、あんたと一緒に来てた子がふざけてて、あんたが大きな声で笑いよったんよね。私も横で見てて笑いたかったけど、笑っていいことなのか分からんかったんよね。でも、面白いとか可笑しいとかを感じたことを遠慮なくあんたが笑ったりしてたのを思い出したら、孫とも大笑いしたいとよね、私も」


こんな話をしてくれました。
この後も男性のお話は続くのですが。

「笑っていいことなのか分からんかった」という一言が、僕の中ではなるほどなぁ、だったんです。

僕は最近、事あるごとに「例えば知的障がいを持っていても、心に障がいを持っているわけではないですからね」ということを言っています。
多分、ほとんどの人がそのことは頭で分かっているのです。
けれど、その「心」が目に見えないから、自信が持てなくなり、コミュニケーションで躊躇ったり、遠慮したりさせてしまうのだと思います。


こういう事って、していってみて体感できる部分も多いと思います。
でも、なかなか機会もないし、匙加減も分らないし…
そうやって時間ばっかり過ぎていってしまう、というのが大体のパターン。


僕と子どもたちとのプールの様子なんかを見て、「してみよう」って思ってくれる人が、現れるのはなんだかちょっぴり嬉しいです。


年末年始にお孫さんと会うらしいので、年明けにでもお孫さんとのエピソードを持ってきてくれるのでは?とほのかな期待をしているところです。

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