彼は、問題が分からなかったり難しかったりするとお喋りを始めます。
だいたい、大好きな名探偵コナンの劇場版の話です。
そうやって気分を落ち着かせると共に、察してもらって「分からん問題が出てきたんやろ?」と僕から尋ねられるのを待っています(^^;
僕との学習に関してはそれでも良いんですが(彼が好きなことについてお喋りをする姿は、例えこういう状況でも微笑ましく思えますから)、学校のような一斉授業だと「ここが分からない」と言い出せないと、誰も気付いてくれません。
僕は「わからない」と言えることも大切な力だと思っています。
なので、そういうことを伝えること自体悪いことではない、ということを彼に知って欲しいと思っています。
たくさんお話もしてきましたし、あの手この手と試してきました。
面白おかしく、という路線を中心に。
昨日、例によって彼が、急に劇場版コナンの話を始めました(本当に分かりやすい^^;)。
永田「アナタ、キュウニ、コナンノハナシヲ~、ハジメマシタネ。ワタシ、オドロイタシ、ワァカリマセーン」
と相槌の代わりに返しました。
大爆笑の子ども。
それから
子ども「オレモ、センセイガァ、キュウニ、ガイコクジンニ、ナッタリユウガ、ワァカリマセェン」
と応じてきました。
それから大笑いしながら、カタコト日本語で漫才チックにやり取りをしばらくしていると最後に
子ども「ジツハァ、コノモンダイ、ワァカリマセーン。ワタシ、チンプンカンプンデェスネ」
と。
永田「オォ、ソウデシタカ。キヅカナクテゴメンナァサーイ」
子ども「ヨカッタデス、ツタワッタミタイデ」
と、こんなやりとりをして、彼が「教えて」サインを出してきました。
言いやすい雰囲気をつくって、「出来た」体験を作る、というのも学習サポートとしてはありだと思っています。
ただ、「わかりません」→「これはね…」という生真面目なやり取りだけだけで無くて、良いと思うのです。
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