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2021年1月30日土曜日

監視にならないように待つ

一緒に過ごしていてもなかなか学習には向かえていない中学生。

最近は服薬も始めて、それとの折り合いもまだ付かず、傍に居ることも難しい日があります。

ある程度離れたところで一人で、過ごしたがり、気が向いたら学習をする、みたいな。

ただ、だからと言ってこちらも放ったらかしには出来ないので、定期的に声をかけに言ったり、今の時間を伝えたりはしていました。
たまに声をかけるくらいだと目を合わせて頷いたり「うん」と返事をしたりするくらいのことはしてくれます。
それがキャッチボールみたいに何往復かすると、その場を離れて一人になろうとします。

多分、僕が今関わっている中では割とデリケートなケースです。

さて、今日はどうしたものか・・・前回と同じ手立てが功を奏することもなくて、毎回考えながら彼との時間を過ごすのです。
そして、基本的には「待つ」ことになるのですが、この「待ち」方がポイントのように最近は感じています。

当然と言えば当然ですが、それが「監視にならないように待つ」ということかな、と。
待つときに様子を見ながら待って、タイミングを図りながら声をかけたりするのですが、監視されているような窮屈さの中では心の準備など出来るわけもありません。

寂しさを感じ去ること無く、窮屈さを感じさせること無く、彼との距離山を持ちながら、僕との時間に興味を持って貰えるように、彼自身が自分で背中を押せるように、とかそういう演出を考えながら待つということをしています。

そうすると、限られた時間の中で彼の方から、近寄ってきて、口を開いてくれたりすることが増えてきています。


一人になりたがるけれど、人一倍人とつながりたがっているのだろうな、と感じるところです。
とっても温かいつながりを求めているように感じられてなりません。

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