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2017年12月6日水曜日

消しゴム貸そうか?に対して彼は

最近このブログによく登場するS君。
放課後等デイサービスえるそるむなかたの学習サポートにて。

落とした消しゴム探しているS君。

僕は、その消しゴムを見つけていたのですが、しばらく探しているのを見ていました。

なかなか見つからなかったみたいなので声をかけました。

「消しゴム貸そうか?」

すると彼の返事が頼もしかったです。

「いや、(貸してもらわなくて)いいです。借りてしまうと無いままは変わらないから」

たしかにそうなんですね。

ちょっと前の彼なら「間違ったところを消す」というミッションを達成したら満足してしまっていました。
近くに座っている他の子から消しゴムを借りて消して、「ありがとう」と言って消しゴムを返す。

そして宿題を終えた頃には落とした消しゴムの事など、まるで初めから無かったかのように、まるで「無くなるもの」「無くなったら仕方ない」と思っているかのように、部屋から出ていくことも多かったのです。
(実は、消しゴムは彼の足元にあったりするのです。だから、僕が彼に消しゴムを渡すことになっていました。)

そんな彼が「消しゴムを無くしたままにしない」姿勢を示してきたことはとても嬉しかったです。

書き損じをしたら消して書き直す。
これももちろん大切なスキル。

でも僕は今日、彼が示してくれた姿勢の方が、ずっと大切なように思うのです。

2017年12月3日日曜日

指導的立場を取りながら…

先日から夜に急遽訪問したり、保護者と面談したりしている中学生1年生のケース。

これまで一年半程、主に作文を通して付き合ってきました。
学校作文とは違う、オリジナルな課題を毎回出して、「自分作り」「表現って自由なんだ」ということを軸にしてきたつもりです。

作文なのに、外に散歩に出てお喋りする時間を取ったり、部屋中に付箋を貼りまくってネーミングごっこしたり、いきなりとある企業に電話してみたり…
いろんな体験を盛り込んで過ごしてきています。

そんな彼が中学生になってから生活全般で困り感を滲ませ始めました。

夏休み後半からは体調も崩しがちになりました。
心的ストレスが要因であることは察しがつきます。

思春期にも入り、自己を見つめ直したり、考えたり…いろんな思いや葛藤や体験を持つ時期ではあります。
反抗期みたいな時期に入ってきている兆しも見えなくもありません。

けれど、それだけじゃなくて、なんだか「均(なら)される」ことへの窮屈感が彼の困り感を生んでいるように感じられてなりません。

それが彼から自分で考えたり判断したり体験していったりすることの楽しみを忘れさせてしまっているように「僕には」見えます。

僕のもとへ来ても最近は一つ一つ「指示待ち」になっています。

「入って良いよ」
「座って良いよ」
「なら書くもの出そうか」
…僕が声を掛けなければ座ったまま僕を目で追いかけているだけです。
恐らく10分でも20分でも待ってしまうのではないかとさえ思います。

ただ、その姿が「声を掛けて」と待っているようで、そこに寂しさや困り感が伺えるので、声を掛けてきました。

そんな関わりを続けてきていましたが、彼の様子への反応を丁寧にするだけでは足りないと感じ始めたので、今日は、少し「お話」をしました。

自分で考えたり判断したりすること、目的意識を持つこと、時間というものの尊さ…

彼の自由や生きやすさを守るために「指導的」な「お話」をする…

価値観の押し付けになりはしないか…?
中学生という彼に、この話、この話し方で良いのか…?

そんな思いも頭には過りました。
けれど、僕という人間の世界観を伝えることすらしなくなったら、彼が僕と過ごす意味はなくなってしまいます。

指導的立場を取りながら、彼の自由な選択権を守っていけるか…大切な時期です。

よりどりちどり館の報告会

もう一昨日のことになってしまうのですが…

福岡市東区へ出かけてきました。
目的は、学童保育「よりどりちどり館」の支援員さんと保護者さんによる「第52回全国学童ほいく研究集会in兵庫」の報告会が行われたのを聞くためでした。

兼ねてからお世話になっているN倉さん、M永さん両支援員さんが所属してることもあり初めての場所ではありましたが、しれーーっとお邪魔しちゃいました♪
(いえ、興味があればどこにでも行ってしまうのですがね^^)

まず、驚いたのが手作りの87ページにも及ぶ資料!
研究会の要所を丁寧にまとめられていて、帰ってからも勉強させていただいています。


さてさて、報告会の中で、子どもの場面についても触れていらっしゃいました。
それもまたとても面白いエピソードでした。

「よりどりちどり館」が支援員と保護者がどのようにつながり、大人同士がどのように向き合い、子ども達ともどのように向き合うかという姿勢と、そんな体制がどのようにして作られていったのか、という熱意と温もりを感じるお話が聞けました。

学校とも家庭とも違う放課後の子どもたちの「居場所」をどのように作るのか、子どもたちに何を補償すべきなのか…そういうことをたくさん考えさせられました。

僕の立場、ぐるんぱの役割と担う役割は若干違うかもしれません。
けれども、子どもたちの、各家庭の幸せを願いと、「よりどころ」でありたいという想いは共有・共感できるものであると信じて帰ってきた次第です。



以下、僕の中で胸に持ち帰ってきた言葉(話の中で取ったメモなので、発表者の言い回しと違うかもしれませんが、ご了承を)。

子どもたちの問題を大人が取り上げることなく子どもたちの元へ返したり、支援者と保護者とで「想い」と「事実」を共有したりする必要性と大切さ。

大人同士が向き合うことを恐れないこと。

“適度なおせっかい”の重要性。

“私、これならできまっせ”という個の尊重。

“エールの送り合い”でまなざしを守り育むこと。

子どもに反省をさせてはいないか?

学童期になると乳幼児期よりもスキンシップは減り、代わりに“チェック”(例えば「歯を磨いた?」「手は洗った?」「忘れ物はない?」など)が増える。
→これが過度に増すと「教育虐待」である。

“プチ虐待”

誰かを“悪者”にする文化


これだけ素敵な言葉を持って帰ってくることが出来て、考えるきっかけを得られました。


勉強して満足、ではなく、実践にまで落とし込めるよう、考え抜きたいと思います。


みなさん、本当に急に現れた僕を温かく迎えていただきありがとうございました。
今度は子どもたちのいる時間に、子どもたちと遊びにお邪魔します!



2017年12月1日金曜日

理不尽さから子どもをいかに守るか考えていきたい

「社会に出たら理不尽なことって多いじゃないですか」
「こういうことって社会に出たらたくさん出会いますよね。その度に仕事を辞めたりする訳にもいかないじゃないですか」

この数か月、こんな大人の言葉に何度出会ったことでしょうか…


指導的立場を取ることが多い僕は、やはり「すべきことはしよう」「出来ることはしよう」というのが基本的な方針。
愚痴を言ったり、ため息をついたり…そういうことをしながらでも「すべきことはしよう」「出来ることはしよう」という立場を取ります。

だけど、子どもに理不尽さを押し付けたくはありません。
大人が「道理だ」と思っても子どもにとって「理不尽だ」と感じることからは守ってやりたいと思います。

待ったり、助け舟を出したり、逃げ道も用意したり、話をしたりしながら子どもが納得して、腑に落ちるところまで見届けることを心掛けています。

まだまだ技術として手立てとして不足で、僕自身ももしかしたら理不尽さを押し付けてはいないか?と反省もします。

だけど「理不尽なことって多いじゃないですか」というような、大人自身が「理不尽だ」と自覚しているような関わりは良くないと思います。

それって大人自身が「理にかなっていない」ということを認めていること。

そういうことからは、子どもを守らなくてはいけないと思います。


非科学的なことは探究していける。
だって、これまでの科学だってそうやって進歩してきたでしょう?

だけど、理にかなわない、非論理的なことには賛同できないです。
救いがないです。


もちろん社会に出たら理不尽な目に合うことはあります。
いろんな価値観の人がいますから、自分にとって道理でなければ理不尽だと感じるものですから仕方ないことかもしれません。

だけど、まだ社会に出ていく前の子どもたちに「理不尽さに対する免疫づくり」みたいな一見聞こえの良いことを振りかざして、大人の道理を押し付けるのは順序が違う気がしてなりません。

そういうことで自尊感情を傷つけて成長していって何になるのかが分からないです。


今夜、とある中学生と話をしていて強く感じました。
彼は理不尽さに晒されてとても悩んでいました。

彼に僕ができること…考え抜きます!

トランプをとっ散らかして

水曜日のこと。
放デイに通ってくる子どもたちの間でちょっとしたブームになっているのがトランプ。
高学年を中心に「スピード」で盛り上がっています。
ここのところ、僕も勝負を挑まれて子どもたち相手に容赦なしの無敗伝説を作り上げていました。

負けたのは女性支援者Oさん←子どもたちから送られてきた刺客(笑)
それから小学5年生のK←彼に勝ったら「勝ち逃げはずるい」と言われ一度まけて“あげた”(笑)
だけの大人げない大人です♪

まぁ、そのことは置いておいて。

高学年は盛り上がるのですが、低学年はなかなかついていけず、少し離れたところから羨ましそうに眺めていることが多くなってきていました。

憧れがあるのでしょうね、高学年が帰ってくる前にトランプを手に取り低学年同士で遊び始めている場面に出会いました。

まだまだ不器用な手つきでトランプを繰っていました。
そこへ暇そうな(暇ではないのだけれど)僕を見つけて「先生、マジック見て~」と1年生男児が来ました。
「おう、見せてみぃ」と言うと、彼が始めたのは…やはり「トランプを繰る」こと(笑)

「先生も何かマジックして~」と言われたので、彼からトランプ(プラスチック製で弾力抜群)を受け取り、「よく見てね~」と顔を近づけさせて…

ババババババ…!

片手に持ってしならせたカードを、彼の胸元めがけて手から放出!

思いがけない「マジック」に子どもが大喜びしてくれました(笑)

散らばったトランプを大急ぎでかき集めて真似を始める男児。
バババババババ…!

見ていた他の男児も加わってバババババ…!!

あっという間に部屋にトランプが散乱状態。

「カード無くすなよぉ」とだけ声を掛けましたが、耳に入っていたのか…^^;
こういう部屋の散らかり方は全然気にならず、一緒に楽しめます♪

「全く一緒じゃないかぁ!」

「『全く一緒じゃないかぁ!』って思っちゃうんです」

今日(日付的には昨日か)は午前中、保護者と面談をしていました。
ガッツリ2時間半、お話していました。
色々と最近の様子が気になる中学生Kさんのお母さん。
話の途中で、お母さんの口から出てきた言葉です。

Kさんへは先日も夜に急遽、「自学」の手伝いを通して訪ねたのですが、その折、お母さんの様子もちょっぴり気になったので、「お時間あるところでお話ししましょうか?」と提案したところ、今日になったという次第です。

具体的な場面まで出てきた訳ではありませんでしたが、話がお母さん自身のもう少し若い時分、あるいは学童期へと及びました。
(お母さんがどんな場面を回想しながらだったのかは定かでないですが)
その時に出てきた言葉が「『全く一緒じゃないかぁ!』って思っちゃうんです」というものでした。

文字にすると平べったくなってしまいますが、あの口調にいろんなものを感じました。

前後の話も含めてということにはなるのですが…。
「私に似てるから、こんな苦労をしてしまうんだ」というある種の自責。
「私自身は大変さを手放せるようになるまでに時間が掛かったから」という後悔。
「自分へ寛容になっても良いのに」という願い。
何より「やはり私の子だ」という愛しさ。

たった一言の中に、本当に深い深い子どもへの想いを感じました。
とっても強く僕の心を打った一言でした。

この一言が出るから親子なのだと思います。
彼に対して、僕がどう頑張ってみても出てくるものではありません。

この一言が出るから出来ること。
この一言が出ないから出来ること。

親として。
支援者として。

彼に出来ること。
彼と彼の家族へ出来ること。

彼に出来ないこと。
彼と彼の家族へ出来ないこと。

しっかりと言葉を受け止めて、しっかりと考えて、しっかりと地に足をつけて…。

自分のすべきことを見つめていくことにします。

2017年11月29日水曜日

続・彼をいら立たせているのは…?

先日「彼をいら立たせているのは…?」で紹介した小学生男児Sとの続編です。

あれから1週間、僕の中でもたくさんの葛藤と検討材料が浮かんでは消え、を繰り返していました。

1週間経ち、再び彼との時間を過ごすことになったわけですが、ブログを読み返しているうちに、「ここかな?」というポイントを自分の中で感じました。

そこに留意しながら今日は学習サポートをしました。

そのポイントは「彼の声に耳を傾ける」でした。

苛立ちながら「僕の話を聞いて」という主張を散りばめていることに気付き、今日はとにかく口を挟まずに聞くことに専念しました。

それから前回、宿題にものすごい時間を要して、おやつを食べられなかったという経緯もあったので、初めに「先におやつを食べてからにしない?」と提案しました。
(今日も到着後、僕の姿を確認すると「先生!宿題するよ!」と寄ってきました)

その提案に乗ってくれて「美味しかった!」と満足気な表情になったところで学習室へ移動しました。

まぁ、移動したあともスタートするまでに道草はありましたが、気の済むまで道草を食って良いよぉ、という旨だけ伝えると反対に学習モードに入ってきました。

と言いつつ、その後も他の部屋の様子が気になっては襖を開けて聞き耳をたてたり、冬休みにしたいことを思い付いては話を始めたり…

色々ありましたが、「うん、そうかぁ」「へぇ、それは良いね」と相槌を打ち続けて待ちました。

そんな風にひたすらに彼の声を受け止めることを心がけていたら、合間にちゃんと問題を解いていくんですよね。
学習について僕は、一言も注文を出しはしないのに。

先週、読むと言うより解読に近いくらいのことをしなければならなかった文字も読めるものを書いているし!

算数の約分し忘れがあったものの、計算自体は間違いなし!←これもパッと見、?約分出来るか?と悩むような数字のものでしたし。

そして、やり終えたあとに「スゴいじゃんか」と伝えるとにんまりと笑っていました。

片付けをして学習室を出る間際「ありがとうございました。あ、それからおやつを先に食べる提案までしてくれて嬉しかったです」とな。

もちろん1週間で、彼も色々と考えてきたのでしょう。
あくまで「やり取り」。
お互いに考えて迎えた今日だったからこそだと思います。

ただ、準備と方向性が見当違いでなかったことは確認出来て良かったです。
これは僕自身の励みになりました。


僕も彼の姿に歯痒さを覚えましたが。

彼の歯痒さで、当然彼自身が一番感じていたわけです。

多分先週は、その一点が僕から抜け落ちていたんですね。

良い学びを得ました。
ありがとう、Sくん!