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2019年5月6日月曜日

身近な人が愛情を注ぐということが、最初の防衛になるという話

昨日、大学時代の友人と奥様とゆっくり話をしていたときのこと。

我が家は、現在3歳児の育児真っ最中。
先方は、10ヶ月の子どもの育児真っ最中。

ということで、会話も子育ての話とか子どもの話になりがちです。
友人と奥様は全く別業種ですので、完全に家族としてのお話です。

「子どもたちを虐待やDV、それから犯罪から守るための最初の防衛策は、愛情を注いで子育てしていくことだと思う」

こういう旨の言葉が奥様から発せられ、「そうだよね~」と納得しました。

我が家も友人宅も、子育てを楽しんでいる方だと思います。
もちろん色々ありますが。
それでも、子どもの存在への愛しさと、日々直面する子どもとの出来事にも愛しさを感じています。

また、恐らく僕も友人たちも、親から健全な愛情を受けながら育ってきたのだと思います。

でも、いろんな環境、状況、境遇の中で育ったり、子育てしたりする人が世の中にはいます。

それをここにいたメンバーは、ある程度分かっています。
だから、ここで言う「子育て」は必ずしも我が子についての話という訳ではなくて、近所の子であったり、孫であったり、仕事であったり、地域であったり…とにかく、「その子の周りにいる大人が、愛情を持って子どもと過ごす、関わる」ことだという認識を共有しながら、話していたように思います。

「子育てに正解はない」ということがよく言われます。
それは、確かにそうですが、「子どもに幸せに人生を歩んで欲しい」と願うことは、忘れたくないし、子育てする人には忘れてほしくないと、思ったりはします。

この「奥様の子育て観」が「僕の子育て観」に近いだけ、そう言われればそれまでですが、こんな風にどこかで思いながら子育てに向かうお母さんと話をすると、ホッとするし励まされるし、勇気を貰います。

教育も必要だけど、その教育を受けるための土台というか、もっと言えば自分で考えたり判断したりしながら身を守る、大切なものを守るということをするための土壌作りこそ、子育てなんじゃないかな?

そんなことを昨日の帰り道に考えながら運転していました。

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