ボールを追いかけて道路に飛び出す。
公園までの移動中にも、ボールで遊んで手元からボールがこぼれると、やはり追いかける。
一度気になったら、目的物までまっしぐら。
それで何度かヒヤリとする場面に遭遇はしている。
頭では、分かっているのだけど、身体がついつい動いてしまうよう。
大人から「○○君危ない!」と声をかけられたら、その大人の方を見ながらも、やはり身体は止まらず走り続けてしまう。
事前に飛び出すと危ないから、という旨を話すと「分かっとる」と言いつつ、その数分後には、飛び出してしまう。
そうすると話をした大人も驚くし、子どもの方も(あ、またやっちゃった)とも思うでしょう。
だから、お互いに「飛び出したら危ない!」「もう分かっとる!」の綱引きが始まってしまう。
こういうことが起こっている子どもについて、話題が上がりました。
これ、恐らく大人も子どもも困っている典型的なケース。
お互いに「また失敗しちゃった」みたいなことを繰り返していますから。
まずは、ケースを振り返って1つずつ環境を整えるということが必要でしょう。
「飛び出しをしなくても良いように」という意味で。
それをしつつ、その子自身が「衝動と折り合いをつけやすくする」ことも考えなくてはいけない気がします。
この話を聞いていて、まず僕が気になったのは、「○○君危ない」と声をかけたら、大人の方を見ながらも止まれずに走り続けたというところでした。
これと、ボールを追いかけて飛び出すということを併せて考えると、「注目するところが違う」ということが見えてくる気がしました。
ボールが転がって行ってしまっても、見るべきは、「車が来ていないか」だし、大人から声をかけによる制止を求められても、見るべきは「車が来ていないか」です。
「視野がせまい」という一言で済ませても、解決にはならないし、直ぐに「視野を拡げる」ことも無理です。
そしたら、「注目すべきところ」の本人と大人の誤差を埋める事が必要な気がしました。
ボール遊びをしているときには「ボールをしっかりと見て」と言われることが多いし、会話をしているときには「相手の顔を見て」と言われることが多いわけです。
「今は、道路にいる」「車が来るかもしれない」ということを除けば、それぞれ日頃大人から言われがちなことをしているに過ぎません。
ただ、この場面でそれでは危険と隣り合わせです。
そこで提案させてもらったのが声かけの仕方を変えることから。
「車」「信号」など、注目すべきところを端的に伝えること。
それを習慣付けるということ。
「危ない!」「分かっとる」のやり取りにズレがないか?という確認も必要かもしれません。
大人は、「(飛び出したら)危ない(っていうの分かっとる?)」かもしれません。
じゃあ子どもの方は?
「(これをしたら怒られるのは)分かっとる(でも、どうしたら良いかは分からん)」かもしれません。
大人の“分かって欲しい”ところと違うかもしれませんからね。
目に見えるところでは、衝動性が見えやすくなるから、「制止させる」ことに目が向きがちかもしれません。
でも、この場面で大切というか必要なのは「止まること」ではなくて「確認すること」だと思いました。
こういう風に考えてみています。
本人が許すのであれば、手を繋いで止まって左右確認して、それから渡るということをして、それが出来たら「出来たね」という成功体験を確認するというのが、早い気もしますが。
このケースでは直ぐにはいかないかもしれませんね…。
この手のことで頭を抱える大人は多いはずです。
いろんな意見、考え方があると思います。
しばらく、この子のことを観察していこうと思います。
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