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2019年6月6日木曜日

子どもたちの「集団」ということについて考え中

頭の中のメモのようなもの。
なので、読みにくいかもしれません^^;
自分向けの記事です。

例えば「永田らしく」と一言で言っても、僕自身が家族に見せる姿と教え子たちに見せる姿と保護者に見せる姿と友人らに見せる姿と…すべて同じか?というと違う気がします。

でも、余程のことでもない限り、どの一面も「永田らしさ」を含んでいると思います。


「永田らしい家族との付き合い方」
「永田らしい子どもたちとの付き合い方」
「永田らしい保護者との付き合い方」
「永田らしい友人との付き合い方」

そういうものがあるんです。

子どもたちにだって同じことが言えるはずで、家族に見せる顔、先生たちに見せる顔、友達同士での顔…そういうものがあって当然だと思います。

そういうのも含めて見ていって良いんじゃないかな?と。

この辺を見落として子どもたち同士の集団を作っていくことって、なかなか難しいと思うのです。


それから、「子どもたち“同士”」の集団を考えようと思ったとき、子どもたちを中心に考えつつ、「大人を外す」というのも違う気がします。
例えば、僕の目の届く範囲で「子どもたち同士」で遊んでいるとしたら、例え同じ遊びをしていなくとも、僕も、「集団」には属している気がします。

そうやって心のどこかに安心感が芽生えるのではないかな?と。


あとは、「マンツーマン」も集団の最小単位だということ。
そこから。


職業支援者として関わる場合。
「子どもと子ども」と「子どもと指導員」というものを天秤にかけて、差をつけて考えている人が案外多い気がしています。
「子どもたち同士で」みたいなものを目指したいからだと思うのですが、指導員の介入はない方がいい、みたいに考えがちなのかもしれない。

介入の仕方次第だと思うのだけれど。

僕としては、どの関わりも「その人たち同士」のもので、かけがえのないもの。


本当にメモみたいな記事。

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